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11月~生徒以上、恋人未満2

 出来上がったばかりのハンバーガーがどっさりと入った紙袋を手にした兄が私と先生の前にいた。



「お兄ちゃん…何してるの?」


「この先の友達のとこに遊びに行ってんだよ」


「何その山のようなハンバーガー。もしかしてパシリ?」


「違うよ!ゲームで負けただけだ!」


「そういうのをパシリって言うんでしょ」


「そんなことより…」



 兄が再び先生を見る。

 どこか訝しげに…



「あっ!先生、兄です!!お兄ちゃん、こちら…」


「舞奈さんの学校の教師で進路指導のお手伝いをさせて頂いております初原と申します」



 先生が兄に礼儀正しく頭を下げる。



「あ、あぁ、うちに来て下さった?両親から聞いています。妹がお世話になってます。


 いや…お若いのでその、『友達』かと…すいません…」


「気になさらないでください。よく大学生に間違われますから気にしてませんので」



(でもお兄ちゃん、『友達』って…高校生に間違えたよね、多分…)



「舞奈さんはいつも木苺シェイクなんですか?」


 先生がちょっと笑いを堪えるようにして兄に訊ねる。



「あぁ、はい。気に入ったものはエンドレスで食べ続けるんです、コイツは。

 コーヒー飲みに行けば必ず生クリームたっぷりのウインナーコーヒーとかカフェモカだし、駅向こうの行きつけのケーキ屋ではレモンのチーズケーキ一択だし」


「夏は巨峰のタルトだもん」



 先生が堪えきれなくなってふふっと笑う。



「仲良し兄妹ですね。

 舞奈さんから進路の件もお兄さんはずっと応援してくれていたと聞いています」


「いやぁ…」


 兄がなぜか照れたように頭を掻く。



「先生、舞奈はどうですか?志望校に入れそうな感じなんですか?」


「私は英語しか見ていないので全体的なことは言えませんが、充分手が届くところにあると思います」


「そうですか」


「舞奈さんは非常に優秀で、しかも熱心で飲み込みが早い。いつも私のところに質問に来てくれますが、素晴らしいと思っています」


「へぇ…」


 兄が眼を見張って私を見る。



「それに優秀なばかりでなく、とても思慮深く優しいところがありますし、素直で可愛らしい…」


「先生!褒め過ぎ!!」


 私は恥ずかしくなって先生の袖を引く。



「えっ?あ…ごめん」


 先生が引き攣った笑いを浮かべる。



 でも、最愛の妹を褒めちぎられた兄はきっと誇らしいに違いない。



(って、お兄ちゃんも苦笑いしてるよ…)



「初原先生、でしたね?」


「はい」


「大事な妹です。よろしくお願いします」


 兄が先生に頭を下げる。



「はい。責任持ってお預かりします」


「それと…」


 兄はちらりと私を見て、それから先生に向き直る。



「受験以外でも…今後ともお願いします」


「分かりました。



 幸せにします、必ず」



「!?」



 なんか今先生変なこと言わなかった…!?



「舞奈」


 兄が私の肩を組み、私にだけ聞こえる声で耳元に囁く。



「お前は学校に何しに行ってんだ?」


「えっ?」


「彼は信頼できる人だと思う。けど、お前受験生なんだぞ?ちゃんと自覚持って勉強しろよ!いいな!」


「!!」



 お兄ちゃん…これだけのやり取りで私が先生を好きなこと、見抜いちゃった…?



「じゃあ俺はこれで」


と会釈した兄が、木苺ジャムみたいに真っ赤な私を置き去りにして店を出ていった。




「先生ごめんなさい、急に兄が…」


「良いお兄さんだね」


 私が謝ると先生は硝子扉の向こうの兄の後ろ姿を見送りながら言った。



「羨ましいな」


「?」


「お兄さん。南条のこと何でも知ってるんだな、って思って」


「え…あっ、あぁ、確かに兄妹仲は良い方だと思うけど。でも何でもは知らないよ?」



 狭い階段をトレーを手にした先生が先に、その後ろに付いて私が上る。



「そんなことないよ。お兄さんは南条が生まれた時からずっと南条のこと知ってるわけでしょ?

 好きなものとか、一緒に過ごした思い出とか。

 俺の知らない南条の歴史を知ってるんだから」



(先生?)



「先生だって…妹だって言ってくれるじゃん、私のこと」


「……」



 先生が不意に口をつぐむ。


 そして何か考え込むように鳶色の瞳が揺れる。




「なぁ」


「ん?」


「『妹』っての、やめてもいいか?」


「え?」



 先生の言葉の真意を測りかねて、何と返して良いか分からなくなる。



「やっぱ俺…お前の兄にはなりたくないな」



(!?)



 窓際の少し広いテーブルに先生がトレーを置く。


 上階は更に人が疎らで、私たちはまるでふたりきりしか居ないかのようにそこで立ち尽くしたまま互いに視線を逸らせずにいた。



(それって、どういう意味…?)



 私のこと、嫌いってこと?


 でもこうして優しくしてくれてるんだよね?


 じゃあ…?



 考えても答えは出なくて唇を噛んだ時、先生がゆっくりと、静かな口調で語り出す。



「お兄さんは今までの南条を全部知ってるかもしれない。けど、これから大人になってゆく姿をこれから先、遠い未来もずっと傍で見てられるわけじゃないだろ?



 俺はそんなの…嫌だから」



「!!…先生?」



 先生の真っ直ぐな眼差し。


 その艶やかな深い鳶色の中に私が映る。



 ねぇ?それって…


 それって…?



 先生が瞳を伏せる。


 長い睫毛に縁取られたそれはどこか切なげに見えた。



「ごめん…つい。


 こんなこと言うつもりじゃなかったんだけど…」



「先生…


 先生私のこと…」



 私のこと、好きですか?─



 心臓がうるさいほど脈動する。



 ねぇ先生?



 私のこと、好きですか?─




 言いかけた唇に先生の人差し指が触れる。



「!!」



「もうこの話は終わり。

 ほら、問題集早く出して!シェイクも溶けるよ!!」



 先生はいつもの調子で微笑んで言うと、急かすようにテーブルをコツコツと叩く。



「あ…はい…」



 先生がコートとマフラーを脱いで椅子に掛けている間、私はそっと自分の唇に触れる。


 先生の長くしなやかな指が触れた感覚が蘇り、頬が熱を帯びる。



『大人になってゆく姿をこれから先、遠い未来もずっと傍で見てられるわけじゃないだろ?



 俺はそんなの…嫌だから』



 ねぇ先生?どういう意味…?



「ほら南条、早く」


「あ…はい」



 コートを脱いで奥のベンチシートに座る。



 先生は眼の前にいるのに、訊けない。



 きっとこのことは訊かない方がいいんだ。

 そう直感する。



『私のこと、好きですか?』



 訊いてしまったら今のままいられなくなる。


 先生の優しさに守られているこの平穏で実り多い日々が終ってしまう。



 そんな気がした。


        *   *   *

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