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10月~秘密のメッセージ2

 コンコン…

 

「失礼しまーす…」



 英語準備室のドアをカラカラと開ける。


 部屋の電気が消えていて、代わりにいつも窓にかかるブラインドが今日は開けられ、茜色の陽光が部屋の奥まで射し込み、私の足元を紅く染めた。


 窓辺に一人の影が佇み、空を見上げている。


 逆光の中振り返った人影は先生だった。



「よぅ」


 先生が微笑む。


「こっち来て見ろよ。空すごい綺麗」



 私は部屋に入ってドアを閉め、おずおずと窓の傍に近付く。



「こっち」


 少し離れた所で立ち止まった私の腕を先生が引き寄せる。


(あ…)



 先生は見上げた空に指を指す。


「飛行機雲が何本も延びてんの。それも全部ピンクで、すっげぇ可愛い」



 言われて私も見上げると、下層階のここから見える空は小さいけれど、茜色にピンクのラインのアンニュイなコントラストが絶妙に美しかった。


 世界の全てを染めるような太陽の朱に暫し時を忘れてしまう。



「綺麗だね」


 不意に先生が私の耳元に囁く。



「…うん」



「南条も」



(えっ!)



 驚いて振り返ると先生の顔が直ぐそこにあった。

 それだけでドキドキしてしまうのに、その甘い表情に痛いくらい激しく心臓が跳ねる。

 私は制服のスカーフの上からきゅっと胸を押さえた。



「南条も夕陽が当たって紅くなってるよ」


 先生がにっこり微笑む。



「…あ、あぁ。そ、そうだよ、ね」


 最早この紅潮は夕陽のせいだけじゃないと思うけど…



「メモ見て来てくれたの?」


「うん」


「そっか。ありがとう」


「あのっ、お礼を言わなきゃいけないのは私の方で!

 それに…すみません。途中で帰っちゃって…」


「全然」



 先生は電気を点けて、ブラインドをいつものように閉めた。



「南条」


「はい…」


「誤解したと思うから一応言っとくけど…俺、夜璃子と付き合ってないからね」


「あ…うん…」


「高校生の南条には変に思うかもしれないけど、俺ら学生の頃はみんなで学校に近い夜璃子の家に上がり込んで、朝まで飲んでディスカッションするとかが日常だったから。まぁそういうノリの話だから」


 私はこくりと頷く。



「夜璃子はさ、見た目は女だけど、そういうの関係なく『同志』だから。

 まぁアイツは俺のことただの元級友くらいにしか思ってないかもだけど」



 あ、これ、夜璃子さんも同じこと言ってた。


 そういう意味では『相思相愛』なのかもしれない、この二人は。



 そんなことを思ってふと笑いそうになると、不意に先生が言った。




「それと俺さ、そもそも彼女いないから」



「え…」



 夜璃子さんから聞いてはいた。


 けれど、先生の口からあえてそんな言葉が出るなんて…


 私の胸は再び激しく刻み出す。



「あ、そんなこと南条にはどうでもいいか。まぁ、南条には誤解されたくなかったからって話」



 ふっと笑って言うと、先生は手近な椅子に腰掛ける。



(どうでもよくないしっ!)



 そう言ってしまってもいいのか迷っているうちに、先生は別の話を始める。



「模試だったんでしょ、昨日。どうだった?」


「う…それが…全然ダメで…」


「えっ!?何やってんの!?もう11月になるんだけど?」


「……」



 半分は先生のせい!と叫びたいのを飲み込む。



「ちょっと成績良いからって見くびり過ぎじゃね?」


「……」



 確かにあとの半分はそうなんだけど…



「今日持ってんの?模試の問題」


「あ、今日はない…」


「明日持ってこいよ。見てやる」


「いいの?」


「今更。どうせいつも聞きに来てんじゃん」


「…ありがとう、先生」


「一緒に頑張ろ?な?」



 先生は前髪を掻き上げて、その手を頭に置いたままいつもの眩しい笑顔で微笑む。


 今朝まであんなにあんなに先生に逢える心持ちじゃなかったのに、今またこんなに胸の奥がきゅんとしてしまう。



(好き…大好き…)



「はいっ!!」



 先生の為にも頑張りたい。


 私のこと、いつも優しく気にかけてくれる先生の為に…



 つまらないことで落ち込んで逃げ出そうとする私を止めたい。


 先生に『自慢の妹』と思われる私になりたい。



 これからもきっと落ち込んだり、舞い上がったり、ぶれながら進む私だと思う。



 でも、いつだって先生を好きだって気持ちに嘘はないから。



 大好きな先生の期待に応えたいって気持ちに嘘はないから─


       *   *   *


「先生ありがとう」


「またいつでも聞きに来いよ」



 今日もふたりで過ごす英語準備室。


 昨日の約束通り今日は不出来な模試の見直しを教えてもらった。



 先生は今日も優しい。

 隣に座ってひとつひとつ丁寧に教えてくれる。

 出来なかった模試も先生にかかれば嘘みたいに解けるようになる。



「あ、そうだ!先生、授業でひとつ分からないとこあったの。教えてもらってってもいい?」


 帰る準備をしていた私はふと思い出して言う。



「あぁいいよ。どれ?」


 自分のデスクで何か本を見ていた先生が立ち上がって、私の座る傍らに来る。




「これなんだけど…」


 教科書を広げると、


「どこ?」


と先生が後ろから覗き込む。



(あれ…?)



 隣じゃなくて後ろ?いつもは隣で教えてくれるのに…



 私の肩口から教科書に視線を落とす先生。不意に距離が詰まって緊張してしまう。


 ただでさえいつもより近いのにもかかわらず、先生は更に私の背中から覆い被さるように机に両手を突いた。



(!!…ち…近いよ!)



 突然吐息も鼓動も聞こえてきそうな距離に迫って戸惑う。

 でも私の前には机があるから身動き出来ない。



「え、と…ここ…空欄に何が入るかっていうので…」



 速まる鼓動。

 教科書を指す指が震える。



「あぁ、これ?」



 耳元で先生の声がする。

 甘い声に痺れたように上手く息が吸えなくなる。



(く…苦しい…)



「これはまず…」


 先生が解説を始めるけれど、頭に入ってこない。

 いつものように隣に居てくれればちゃんと分かるのに。


 嬉しくないわけじゃないけど、じゃないけど、でもこれじゃ勉強にはならないよ…



 先生の声。

 先生の気配。

 加速する鼓動。



「構文が当てはまるから…って、聞いてる?」


「き、き、聞いてます!」


「ふぅん…」



 一瞬の間。



そして…



「ねぇ」



と先生が更に体を寄せる。



「!!」



 私の肩に先生の胸が触れて、肩先がびくっと震えてしまう。


 そして先生が私の耳元で吐息混じりに言う。




「南条…良い匂いする」



「!!」



 パープルのオードトワレ。


 この間、先生が『南条の匂い』って言った。


 いつもは学校に着けてなかったけれど、先生が『良い匂いがする』って言ったから、ハンカチに少し着けて来るようになった。



 先生が触れる距離にいること。


『良い匂い』と言われたこと。


 好きな人に自分の香りを聞かれていること。


『良い匂い』と言われた香りをあえて着けるあざとい行動に気付かれてるんじゃないかということ。



 そんなドキドキが全て同時に身体中を駆け巡る。



(もうドキドキし過ぎてわけ分かんないよ…)



 うるさいほど激しく鳴る胸を重ねた両手で押さえてきゅっと眼を瞑った時、



「苺のお菓子食べてたでしょ?学校にお菓子持ち込み禁止だよ、本来は」



と、先生が私のおでこを人差し指でつついた。



「へっ!?」



 驚いて眼を開けた私に先生は



「どうかした?」



と涼しい顔で訊いた。



「ど…どうもしないよ!」



 先生はふふっと笑って私から離れると、隣の椅子に座る。



「南条聞いてないからもっかいやり直し。あ、後ろに立った方が良かった?」



「え…」



 いや、いいです、とはなぜか言えなくて口籠ってしまう。


 あんなに頭の中が混乱するくらいドキドキしてしまったのに、実は嬉しかった私がいることに恥ずかしくなる。



「…ねぇ先生。もしかしてわざと…そういう言い方して、る?」



 私がドキドキするの分かっててわざと『良い匂いする』なんて言ってみせたとしか思えないよ。



 それに、昨日からの言動もなんか…



 私が先生の表情を窺いながら訊くと、先生は少し首を傾げる。


 そして…



「まぁな。だって少しは意識してもらわなきゃいけないからな」



「え…」



 どういう意味…!?



「ほら!もう一回説明するからそれ見せて」



 ますます混乱する私に対して、先生は至って普通に言う。



「それとも何?ホントに後ろに立たないとやる気でないの?」


「だっだだだ大丈夫ッ!!」



 先生が少し意地悪な笑顔でくすっと笑う。



 ねぇ、先生?


 今日の先生、いつもと違う…



 ねぇ、先生?


 何かあったの?



 私もう、胸が苦しくて壊れそうなくらいドキドキなんだけど…!?


       *   *   *

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