10月~先生の…彼女2
駅の構内を抜け、夕暮れの街。
ふと先生が私の手を離す。
その手を軽く挙げた先生の目線の先を見て、私はさっきまでのふわふわした妄想の世界を現実に引き戻される。
パンツスーツ姿のすらりとしたモデルのような綺麗な女の人。
黒髪ストレートの。
(!!)
先生のお友達って言うから勝手に男の人だと思ってた。
しかも黒髪ストレート…
先生の好きな…
胸がざわつく。
更に、女性は先生を認めると、
「Hi!昴ー!!」
と抱き付いた。
「!!」
「止せ、夜璃子!ここは日本だぞ」
先生が女性─夜璃子さんを引き離す。
「あら照れてるの?久しぶりに会ったんだしいいじゃない」
「久しぶりでもねぇだろ」
久しぶりでもない…って頻繁に会ってるんだ…
どんな関係なんだろう?先生と夜璃子さん…
「この子が昴の生徒さん?」
先生のこと、『昴』って呼ぶんだ…
「あぁ。南条舞奈さん。俺の研究の話に興味を持ってくれて、外大志望なんだ」
「そう。舞奈ちゃんね。よろしく」
夜璃子さんが美しい微笑みと共に右手を差し出す。
「…南条舞奈です。よろしくお願いします」
その手をおずおずと握る。
先生の、彼女、かもしれない人の手…
そう。
今まであんまり考えなかった、いや、意識的に気にしないようにしてたような気もするけれど、先生に彼女がいても不思議じゃないんだ。
だって先生は、こんなに可愛くて優しくて頼りになって、素敵な…
大人の男の人なんだから…
「南条、彼女は市川夜璃子。
俺の大学の同期で今大学院の修士課程1年。だいたい俺がやってたようなことを研究してる」
夜璃子さんが会釈すると、綺麗な髪が肩口からさらさらと零れ落ちた。
堂々とした笑顔。
自信に満ちた、大人の女性の…
あぁ、この人はきっと、頭の良い、ポリシーのある女性。
先生の、好きな…
夜璃子さんがよく通る声で言う。
「思ってるよりうちの研究大変よ?覚悟はある?」
「…え」
いきなりの…宣戦布告?
「おい、夜璃子!受験生脅すなって。
とりあえず座ってお茶しよう。お茶」
先生が直ぐ側のカフェに向かって夜璃子さんの背中を押す。
「ほら南条」
笑顔で振り向く先生に私は微妙な気持ちで付いていった。
カフェの小さなテーブルを挟んで、私の隣に先生、向かいに夜璃子さんが座る。
直ぐ隣に先生がいるというシチュエーションなのに私の気持ちは盛り上がらない。
手元のカフェモカのカップに視線を落とす。
「で、研究のどこに興味持ったの?」
開口一番夜璃子さんが訊ねてくる。
「えと…もともと古文とか好きで…
先生の話を聞いて、英語も奥が深いな、と思って…
あの…英語だと更に…国際社会の役に立つっていうか…その…」
唐突な問いに私はしどろもどろになってしまう。
「やめろって。面接じゃねんだから」
「分かってるわよ。
でもただのあんたのファンの子にはきついわよ?うちの研究室は。昴だって分かってるでしょ?」
「そんなんじゃねぇよ、南条は。なぁ?」
先生が私に優しい視線を向ける。
「…はい」
ファンじゃない、って胸張って言えるのかな、私…
「南条はね、俺の妹なの!」
「は?妹?義兄妹の契りでも交わしたの?劉備かなんかなわけ?昴は。
ていうか、昴の方が弟キャラよね?どっちかって言うと」
「はぁ…」
先生が溜め息を吐く。
どうも今日の先生は夜璃子さんに調子を狂わされてるみたい。
「学校の様子とか、東京での生活とか南条に話してやって欲しいんだ」
「昴が話したんじゃないの?」
「研究の話はな。
けどほら、俺は実家住みだったし、暮らしぶりとかはやっぱ女の子同士の方が分かることもあるだろう?」
「ふうん」
夜璃子さんがホットソイラテを一口飲む。
「東京に親戚とかは?」
「ありません」
「そうなんだ?受験当日どうするの?日帰り…はさすがに無理よね?」
「前日どこかに泊まろうかと」
「え…大丈夫?最近海外からの観光客需要でその時期近隣のホテル取りにくいよ?」
「そうなんですか!?」
そんなこと考えてもなかった…
「実はそれ、今日夜璃子に頼みたかったんだ」
先生が言う。
「前日一泊南条泊めてやってくれないか?」
「えっ!?」
驚いて先生の顔を見た。
「うちに?まぁ私が居ればいいけどね」
「居てくれよ」
先生が苦笑いする。
「昴の実家は?」
「大学からちょっと離れてるからな。乗り換え2回だし南条一人じゃ移動が無理だ」
「まぁそうね」
夜璃子さん、先生の実家知ってるんだ…
私はカフェモカの上で溶けかけたクリームをスプーンの先で混ぜる。
「昴もうち泊まりに来る?」
「!!」
カチャン!!
夜璃子さんの言葉に思わずスプーンをカップの中に取り落とした。
でも動揺したのは私だけで、先生は冷静に返す。
「俺授業あるから。てかそれが出来るくらいならお前に頼んでないよ」
(泊まりに行くのが普通な関係…なの…?)
嫌な心臓のドキドキが止まらない。
が、夜璃子さんの返しは意外なものだった。
「あっそう。
授業なかったら舞奈ちゃんとお泊まりする気だったんだぁ?」
「!!」
えっ!!何今の!?
「ごほっ、ごほごほっ…ごほっ…」
私が驚くのと同時に隣でエスプレッソを口に運んでいた先生が思いっ切りむせる。
「そういう意味じゃねぇよ!!」
先生が今度は明らかにあたふたして反論する。
「そう?ならいいけど?昴、生徒さんに手出しちゃダメよ」
夜璃子さんはちょっと舌を出して、人差し指で首を切るジェスチャーをした。
「当たり前だろ!
南条はなぁ、俺の大切な生徒で妹なんだから!」
先生は焦った様子で自分の髪をくしゃくしゃと掻き上げながら言った。
(そうだよね…)
先生にとって私は生徒。
妹みたいなもの。
混んだ駅で手を繋いでもらったからって『制服デートみたい』なんて思い上がりもいいとこ…
夜璃子さんだって女の子だもん。
『彼氏』にちょっと鎌かけてみたかっただけだ…
脱線を戻そうと先生がひとつ咳払いをして夜璃子さんに話し掛ける。
「ところで夜璃子、今日何時の電車で東京帰るんだ?」
「一応9時前の予約してるけど。別に気にしないで?まだ切符受け取ってないから終電までずらせるし」
「いやいいよ」
「なんなら明日休みだし昴んち泊めて貰えるなら明日帰るわ」
「……」
やっぱり、そういうことだよね…?
自分の瞳が熱く潤んでくるのが分かる。
零れてしまう前に、逃げ出したい…
「もうそういう学生ノリ、マジ勘弁して…
あ!南条、誤解すんなよ…って、おい!」
私は席を立ち上がった。
「あの…私…明後日模試あるんで…そろそろ失礼します。
ありがとうございました」
私はお辞儀をして、スクバを肩に掛けながら走って店を出た。
「南条ちょっと待て!送るから!!」
先生の声が追ってきたけど私は行き交う人混みに紛れるように駆け込んだ。
先生と夜璃子さんは私が帰った後ふたりの時間があるんだもの。
邪魔しちゃダメだ。
私は先生の生徒だもの。
プライベートまで付きまとっちゃダメだ。
視界がぼやけ、涙が溢れそうになる。
でもこんな所で泣いちゃダメだ。
人にぶつかっちゃう…
私は耐えて耐えて耐えて…
自宅の自分の部屋まで必死に涙を耐えて帰路を辿った。
* * *




