10月~先生の…彼女1
村田との三者面談も無事終わり、私も、それからクラスの雰囲気もいよいよ本格的に受験体制になり始めた。
外は枯れ葉が舞い、すっかり秋。
きっとこの秋もあっという間に過ぎるんだろう。
セーラー服の上に羽織る今年最初のPコートが早くも冬の訪れを予感させる。
「初原せーんせーッ!」
3時間目の休み時間、3階の教室の前の廊下を歩いていると窓の外から声が聞こえてきた。
先生を呼ぶ女の子達の黄色い声。
窓から下を覗くと先生に駆け寄る数人の中学生の姿が見えた。
最近になって先生と私の噂はあまり聞かれなくなった。と同時にファンの中学生に先生はまた付きまとわれるようになった。
噂が治まったのはありがたいけど、ちょっと微妙…
「ねっ先生!好きな女の子のタイプってどんな子?」
(えっ!?)
遠慮会釈ない中学生女子の質問に心臓がドキリと跳ねる。
「は?そんなのねぇよ」
「えー!なんかあるでしょ!?なんでもいいから!ねっ!」
「えぇー…」
先生困ってるなぁ…
なんて思いながらもついその場から離れられなくなって、窓の脇で外から隠れるようにして足を止めた。
先生の好きな女の子のタイプ…
(うゎ…めっちゃ知りたい…かも)
「うーん…
頭の良い人。なんていうか、これが好きだとか、こういうことをしたいとか、自分のポリシーがあって芯のある人、かな?」
先生が考え考え答える。
「えー!ハードル高~!え、じゃあ外見とかは?」
「見た目はいいよ。なんでも」
「なんかあるでしょ!ちっちゃくて可愛い子とかスレンダーで美人系とか。髪とかもふわふわカールが好きとか黒髪ストレートとか…」
「あぁ、黒髪ストレートはいいなぁ…」
(!!)
先生、黒髪ストレートが好きなんだ…
私の髪もナチュラルではあるけど、ストレートって言えるかどうか…
あまり手入れもされてない毛先を摘まんでみる。
「きゃー!じゃあたしも黒髪ストレートにするー!」
「あたしもーッ!」
「じゃまたねー!先生!!」
パタパタと女の子達が駆けていく音がする。
(黒髪ストレート…)
その日の帰り道、私は揺花に言ってみる。
「私ストレートパーマかけようかな?」
パチン!
揺花は私にデコピンして、
「勉強しろ、受験生!」
と言った。
* * *
夕刻。
私は今日も英語準備室で勉強している。
あまり入り浸っているのが知られるといけないので長くは居られないから僅かな時間。
だけど、毎日の幸せなひととき。
「先生ありがとう」
私は今日の勉強を切り上げて、参考書やペンケースをスクバにしまいながら言う。
「あぁ。
あ、そうだ。南条さ、金曜の放課後空いてないか?」
採点済みの小テストを揃えていた先生が顔を上げる。
『空いてないか?』って…
お誘い、だよね?
「空いてます!」
もちろん即答する。期待に胸がときめいてしまう。
「会わせたい人がいるんだけど」
「え…」
なんだ。
ふたりきりじゃないんだ…
なんて、小さく落胆したりして…
「俺の大学の同級生で、大学院に残ったヤツがいるんだけどさ。週末こっちに学会で来るらしいんだ。
大学の話も、東京での生活についても現役学生の生の話が聞けるし、良いかと思ったんだけど、どう?」
先生は優しい。
いつも私の為を思ってくれるんだ。
(嬉しいな)
「はいっ!行きます!!」
私は目一杯の笑顔で応える。
先生はそれににっこり頷いてくれた。
金曜日、学校外で5時に待ち合わせ。進学関係なのでもちろんやましい内容ではないのだけど、別々に学校を出て外で落ち合うということにした。
でもそういう『こそこそ逢う感じ』に少しぞくぞくするような背徳感を感じてしまう。
(私、悪い子かな?)
そんな気持ちが思わず顔に出てしまった?
「南条、にやにやして何考えてんだ?」
(あ、バレた)
「えへっ」
ちらっと舌を出して誤魔化し笑いする。
「…可愛い顔して誤魔化しやがって」
先生は呆れ顔で小テストの整理に戻る。
けど…
「ん?
先生!今『可愛い』って言った!?」
「えっ!?いや…
…もうさっさと帰れ」
溜め息混じりに言う先生の横顔はほんのり紅く見えた。
* * *
金曜日の放課後。
私は終鈴と同時に学校を出る。
別にそんなに急いで出ないと間に合わないわけではないのだけど。
でも、早く先生に逢いたい気持ちと、万一途中で、まして学校を出る前なんかに先生とバッティングしちゃったらどうしよう、というはらはらに後押しされて居ても立ってもいられなくなった。
電車に乗り、2駅目のいつも降りるターミナル駅を今日は通過する。
そこから更に4駅。県内随一の繁華街の駅で降りる。
待ち合わせは南口改札。まだあと30分以上ある。
私は駅ビルに入り、パウダールームに直行する。
大きな鏡と明るい照明のパウダールームは白いタイルが一層白く、誰でも女の子をお姫様に変身させてくれる魔法の空間に見えた。
ひとつ空いたスツールに腰掛け、小さなメイクポーチを取り出す。
いつもは日焼け止め程度でほとんどノーメイク。
今日は特別。
ちょっとだけ、ちょっとだけ可愛い私でいたい。
だって学校の外で先生と待ち合わせなんてめったにないんだから─
少しだけ緊張する指でリップを塗る。
頬と額をティッシュで押さえて、髪を念入りに梳かして。
それから、いつもはお気に入りのワンピースと一緒にクローゼットの籠に大事にしまってあるパープルの小瓶のオードトワレをふわりと纏う。
ちょっとは可愛くなれたかな?
先生の隣を胸張って歩ける私に…
なれてるといいな。
パウダールームを出る時、私の隣でメイク直しをしていたブレザー姿の女子高生と同時になった。
「お待たせ~!」
彼女はパウダールームの前に待たせていた彼氏らしき人の腕に飛び付き、ふたり腕を絡ませて去って行く。
(制服デートかぁ…)
ちょっと…羨ましいな、なんて。
南口に着くと5時ぴったりで、でもまだ先生の姿はなかった。
目まぐるしく変わる映像広告の付いた柱の前で先生を待つことにした。
(早く逢いたいな…)
自動改札に行き交う数多の人の中を、眼が無意識に先生を探す。
約束の時間を5分遅れて、グレイのウィンドウペンチェックのスーツを着た先生の姿をようやく見つけられた。
「ごめん、遅くなった!」
「私は大丈夫。でもお友達待たせてるんでしょ?急ご!」
「あぁ」
先生が先を歩き、半歩斜め後ろを私が付いていく。
けれど、混み合う夕方の巨大な駅の構内を歩くのは困難で、先生と私の間を次々と人が通り抜け、見失いそうになる。
人波を掻き分けながら必死に付いていくけれど時々先生が視界から消える。
(どうしよう。はぐれちゃう!)
焦りかけたその時、人の向こう、少し前を歩く先生が振り返って立ち止まる。
そして手を伸ばし、ようやく追い付いた私の手をぐいっと掴んだ。
「!!」
「はぐれるから」
先生から手…繋がれちゃった。
しかもこんなたくさん人がいる所で。
途端に胸がきゅんとして顔が熱くなる。
次の瞬間、また前を向いて歩き出そうとした先生が、
「あ…」
と再び足を止めた。
先生は長い睫毛に縁取られた瞳をゆっくり閉じて瞬きする。
「先生?」
「あ…いや…」
慌てたように歩き出す。
「どうしたの?」
「いや…なんでもない。行くぞ」
先生は動揺を隠すみたいな素振りで、私から顔を背けるように人混みの足元を見て歩く。
「え、何?気になるよ…」
私は隣から不安げに先生を覗き込む。
先生の頬がほんのり紅くて、いつも以上に若く可愛らしく見えた。
合わせた視線はどこか甘い潤みをたたえている。
「?」
「…あ、ごめん。不安になるよな。
大したことじゃない。その…
『南条の匂い』がすると思って…」
「へっ!?」
「誤解するな!気持ち悪いとか言うなよ!!
その…お前いつも…ちょっといい匂いするじゃん?
それが今日はいつもよりはっきりしてるから…」
(いつもいい匂いするって…!?)
私もさっきにも増して自分の頬が熱を持って紅潮するのが分かる。
(そんなこと思ってたなんて…恥ずかしいよ)
でも、先生の頬は更に紅くて。
(先生可愛い…)
大人なのに、あんなにカッコ良いのに女の子の香水に照れるとか…
なんだかすごく先生が清廉に見えた。
「先生、この匂い嫌い?」
「…嫌いじゃないよ、ていうかむしろ…」
先生が顔を背ける。
「…き」
「え?なんて?」
「そんなことはどうでもいい!早く行くぞ!!」
先生は私の手を引いてぐんぐん歩いていく。
私は引っ張られて小走りになる。
「お前、妹のくせに生意気」
「えっ!妹関係ないよね、今の!?」
先生は更に早足になる。
「早いよ!待ってー!」
私は今、胸の奥から止めどなく込み上げるくすぐったいような嬉しさで溢れていた。
色付いた頬で先生と手を繋いで走っていると、私も今日は道行く人から『制服デート』に見えてたりするのかな?
そんな妄想、先生に申し訳ないかな?
でも妄想くらい、ね?いいよね…?
* * *




