10月~家庭訪問2
「今日はありがとうございました」
「こちらこそお邪魔致しました」
先生が玄関の扉を開ける。
そこに私が2階の自室からショートコートを手に駆け付けた。
「私!駅まで先生送ってくる!!」
ホールに立つ母の前に回り込み、素早く靴を履くと、先生の背を押して一緒に外へ出る。
「舞奈!」
母の声が追ってくるけど気にしない。
「行こっ!先生!!」
アプローチを駆けて門を開けた。
夕暮れの歩道を先生の隣を歩く。
「うちの場所すぐ分かった?」
「あぁ。前に近くまで送りに来たことあったろ?だからすぐ分かった」
夏の終わり。
先生の研究の話に夢中になって帰りが遅くなった時、先生は遠回りして送ってくれた。
駅からそんなに遠くないから全然いいのに、先生は
『その分もっと話せるから』
と言って、わざわざ自分の家と違う路線に乗って送ってくれた。
あの時の果てなく続く研究の話は本当に楽しくて、幸せな時間だった。
あの日のことがなかったら今も夢のない私のままだったと思うと、不思議な感じがする。
「覚えててくれたんだ?」
「普通生徒の家まで送ることなんてないからな」
「もしかして私だけ?」
「…さぁ?」
さぁ?って何?
後ろから車が来て、車道側にいた先生が少し私の方に寄る。
私は先生の方へちょっと手を伸ばす。
先生と私の振れた手の甲同士が幽かに触れた次の瞬間、私は先生の手をきゅっと掴んだ。
「!…まずいって」
「大丈夫。うちの学校、この辺から通ってる人少ないから」
「そういう問題じゃ…」
そう言いながらも先生の掌は私を拒まず、逆にそっと握り返してくれる。
優しく温かい掌。
指先から伝わる温もりに心臓がトクントクンと反応する。
藍色の空に一番星。
暮れなずむ街をふたりで手を繋いで歩く。
(昨日から夢の中にいるみたいだな…)
こんなに何もかも上手くいって、ホントに夢なのかも。
今はそれでもいいや。
先生と傍にいられるなら。
この温もりを感じていられるなら。
夢でも覚めないでいて─
「今日の成果はどうだ?」
先生が訊ねる。
「成果?」
「家庭訪問の感想は?」
「んー?」
先生がうちに来て、お父さんとお母さんに会ってくれて…
「プロポーズみたい、と思った」
「ぶっ!」
先生が吹き出す。
「そういうことを訊いてるんじゃない!結果、外大受けられることになってどうかってことだ!!」
「なんだ。そんなことか。嬉しいよ、もちろん。
でも、先生にはいっぱい迷惑かけちゃったけど…」
「そんなことは良いよ」
「良くないよ」
「良いんだよ。
だってお前は俺の…」
先生は言葉を切って、私を振り返った。
煌めく水晶のような瞳が真っ直ぐこちらを見る。
『だってお前は俺の』─
『俺の』…何?
先生にとって私は何?
間が妙な期待を煽る。
胸の高鳴りに目眩がしそう。
「お前は俺の『妹』だろ?」
「へっ!?」
胸のドキドキがさっと退く。
『妹』って…
何…?
「だってお前、俺のこと『妹のように思ってくれてる』って言ってたろ?」
「え…?」
「ほら、中3の落合に。覚えてない?」
「あ…」
夏休みが明けたばかりの頃、理科室の前で中学生に絡まれた。確かにあの時私はそう言った。
(先生…聞いてたの!?)
それはそれで頬が熱くなる…
「親身になって、時間を割いて手助けして、包みこんでくれる。そう言ったろ」
「……」
正直本音じゃなかった。
中学生にぐうの音も出させないためのはったりだった。
でも先生は私の言葉をもっと真剣に捉えていたんだ。
「南条は俺のことを信頼してくれた。
正直応接室の面談の時、一度は手を退こうと思ったんだ。『それが南条の為なんだ』なんてもっともらしい言い訳をして、ホントのとこ俺は逃げたんだと思う。
それでもお前は俺を信頼してくれた。
だからあの時─村田先生の進路指導の時もお前のこと何とかしてあげたい、しなくちゃいけない、と思った。
その信頼を裏切りたくないと思った。
それに何より…
出来るなら俺がお前と一緒に夢を探して、叶えてあげたかった」
先生はいつにも増して優しく微笑む。
まるで小さいものを慈しむように。
「もし今日はそれが出来てたなら、
南条の役に立てたなら良かった」
「先生…」
役に立てた、なんてそんなこと!
私、『感謝』なんて言葉じゃ表しきれないくらい感謝してるよ!!
それに『妹』だって、私のことを近しい存在に思ってくれていることが凄く凄く嬉しいんだよ!
上手い言葉も見付からなくて、私はただ繋いだ先生の手をぎゅっと握った。
「それと…まぁ、その、なんだ…
正直ちょっと、村田先生に妬けたってのもあったんだけど…」
「え?」
「いや、なんでもない」
先生が咳払いした。
駅舎が見えてくる。
今日はここでお別れ。
でも、いい。
私は『妹』だから、また明日も逢える。
私たちはどちらからともなく手を離す。
「ね?『妹』って恋愛対象外ってこと?」
切符を買う先生に訊ねてみる。
「ばっ…!何言ってんだよ!」
先生はそれ以上応えず、
「また明日な」
と後ろ手に手を振って改札の中に消えて行った。
「また明日も…明後日も…
ね?」
私は周りも気にせずスキップで家路を辿った。
国大入試まであと約4ヶ月─
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