表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/68

10月~ふたりの夜2


「多分この辺…なはずなんだけどなぁ…」



 土曜日の夕刻。


 私は初めての町を歩いていた。

 日は傾いて少し肌寒い。



(こんなことなら連絡先聞いとけば良かった…)



 春休みに先生に出逢ったターミナル駅から私鉄で1駅の住宅街を私は昼頃から延々歩き回っている。


 ターミナル駅はJR線が東西に走るものと南北に走るものの2路線、それから私鉄が1路線走っている。

 私の自宅は西に2駅、学校は南に2駅行った所で、どちらもJR沿線にあるので、この私鉄に乗ることは滅多にない。



(こんなに無駄に歩かされてんのもお父さんとお母さんが話聞かないせいだし!向こうが折れるまで絶対家には帰らないんだからっ!)



 今朝も朝から進路のことで揉めに揉めた。


 もうこの頭の固い両親に強攻手段に出るしかない!

 私はそう思い詰めて、身の回りのものを旅行用のボストンバッグに詰めて家を飛び出した。

 昼前のことだ。


 家を出た瞬間から他のことは頭になかった。



 先生の所に行こう─



 先生はこの町に一人暮らししていると言っていた。


 駅から南に歩いて10分程で、少し古いけれどアパートにしては瀟洒な造りの建物の1階に住んでいるとも言っていた。



(アパートなのに瀟洒とか、絶対目立つと思ったのに…)



 足を止めて途方に暮れる。

 日暮れが近い。



 溜め息ひとつ、私はバッグを持ち直し、再び歩き出す。


       *   *   *



「はぁ…」


 駅前の花壇の縁に座り、深い溜め息を吐く。



 あれから更に数時間。


 それらしい建物は見つからず、手近なカフェで少しの食事と休憩を取ったのみで駅から南を散々うろうろし、今に至る。



 時計の針はついに午前0時を回ってしまった。

 改札口から出てくる人もやがて疎らになり、ついには誰も居なくなった。

 しばらくして駅員がシャッターを閉めに出てくる。



(へぇ、毎日こうやって閉めてんだぁ…)


なんてぼんやり思ってみたりするけど、現実はそんな呑気な状態じゃない。


 終電が終わり、もう家にも帰れない。


 いや、スマホの電源を入れて家に助けを乞えば帰れないこともないけれど、そもそも帰る気もないわけで…



(どうしようかな…)


 10月の末の深夜は既に寒い。

 ブルゾンのファスナーをきっちり引き上げて襟を立てる。




「こんなとこで何やってんの?」



 不意に私の前に人影が立った。


 顔を上げると堅気のサラリーマンとは言い難い風貌の男が二人。



「行くとこないの?俺らのとこ来る?」


と男がにやにやして訊いてくる。



「え…」


(怖い…!)



 見回すけれど、少し離れた所にコンビニの灯りが見えるのみで、駅前には他に人の姿はない。



「違います…あの…父が迎えに来るの、待ってるだけなんで…」


 声を振り絞って適当なことを言う。


「嘘。ずいぶん長いことここ座ってんじゃん?俺らが気付いてないとでも思った?


 あ。ていうかもしかして誘われるの待ってた?」


「そんなんじゃ…!」



 私が立ち上がると男の一人が私の手を取った。


「行こうよ。ここじゃ寒いでしょ?」


「やめてください!」


 手を振りほどこうとするがしっかりと握られていて思うようにならない。



(どうしよう!…先生!先生!!)


 怯えた瞳が涙で霞む。




 その時不意に



「何してんの?」



 声がすると同時に男の手の力がふと緩んだ。



 その声は良く知っている声だった。


 甘くて爽やかで、心が穏やかになるような、それでいて胸が弾むような声─



 声のする方へ顔を上げた。



 そこには私が逢いたくて逢いたくて堪らなかった顔があった。




「せんせ…」




(嘘…なんで…)



「餓鬼にはカンケーねぇ!消えろ!」


「餓鬼とはずいぶんだな。俺、その子の学校の教師なんだけど?未成年保護条例違反で警察に突き出してもいいんだけどどうする?」


「先生!!」



 私は男の手から逃れて先生の胸に飛び込んだ。



 男達は舌打ちをして


「うぜぇ、クソ餓鬼共!」


と捨て台詞を吐いて立ち去っていった。



「もう大丈夫だ」


 先生が大きな掌で優しく私の頭を撫でる。



「せんせ…こわ、かった…」


 震える声で言うと、先生は私の背中に両腕を回し抱き締めた。


 息が苦しいほど強く力を込めて。




 長い長い時間先生はそうして私を抱き締めてくれた。


 やがて肩の震えが治まると、花壇の縁に私を座らせ、隣に先生も腰を下ろす。


 それから自分のブルゾンを脱いで私の肩に掛けてくれた。

 ほんのり夏の青葉の向こうに煌めく陽を思わせる香りに包まれる。



「南条、こんな時間にこんなとこで何やってんだ?」



「…先生に…逢いたくて…来たの」



 先生が溜め息を吐く。



「親御さんは?」



 私は首を振る。



「家出?」


「家出じゃないもん。…ストライキだもん」



 私のしょうもない言い訳に先生がふっと笑う。



「同じじゃん」


「同じじゃないもん。要求を飲むまで帰らないんだから!」


「向こうにタクシー乗り場があるから。今ならまだ車があるだろうから行こう」



 先生がすっと立ち上がる。



 けど私は…



「南条?」


「イヤ!帰らない!」



 私は座り込んだまま先生から顔を背けた。



「…じゃあ、とにかく家の方に電話だけでもしなさい」


「イヤ!連れ戻されるだけだもん!」


「南条!」


「……」


「心配かけるな!」



 私は唇を噛む。



「心配だと思うくらいなら最初から娘の話を聞けばいいのよ!」


「そうじゃない!



 俺に、だ!!」



「!!」



 おそるおそる顔を上げ先生を見る。

 その表情は今まで見たこともないくらい険しかった。



「無茶するな!俺に頼れよ!お前見てると危うくて気が気じゃねぇよ!!

 俺が通り掛からなかったらどうなってたと思うんだよ!?」



「先生…」



 先生がもう一度私の隣に座り直す。そして私の髪を指で梳くように優しく頭を撫でる。


 その大きな手に包まれる感覚に、私はつい堪えていた涙が一粒零れた。



「…ごめんなさい」


「分かったらほら、携帯」



 先生がもう一方の掌をこちらに差し出す。



 私はバッグのポケットからスマホを取り出した。


 でもそれを先生の掌には渡さず言う。



「でも…帰りたくない。


 私…私、先生といたい…

 先生と一緒にいたい!」



「……わかった。


悪いようにはしない。約束する」



 先生が私に頷く。



 その真っ直ぐな眼に私は安心して、私はスマホに自宅の番号を出してコールする。



 トゥルル…


「舞奈!?」



 ワンコールで母の声がする。



「……」


「舞奈なの!?どこにいるの!?」


「……


そうだけど…


でも私…帰らないから!」


「舞奈!」



 隣でやり取りを聞いていた先生が、


「そうじゃないだろ?ちょっと貸せ」


と私の耳元からスマホを取り上げる。



「大変遅い時間に申し訳ございません。私、菊花女学院の教諭で初原と申します。


…はい、お世話になります。


 今、文京台駅の前で舞奈さんにお会いしましてお電話させて頂いた次第です。


迎えに来て頂きたいとは思うのですが、」



「先生!私帰らないってば!!」



 私が叫ぶと先生が私の手をぐっと掴み、強く握る。


 強い、けれどそれはどこか優しく、温かい─



「迎えに来ては頂きたいとは思うのですが、なにぶん今興奮状態でして、来て頂いても大人しく帰れる感じではないと思うんです。


 もし良かったら私が舞奈さんと少し話をしてみようと思いますので、後程落ち着いたら改めてご連絡させて頂こうと思うのですが?


…いえ、私の方は問題ありませんので。


…はい、では少しお待ち頂いて、もう一度ご連絡させて頂きます。


 はい、失礼致します」



 スマホを耳に当てたまま先生が一礼し、電話を切る。



「先生…ありがと…」



 視界がまた涙でぼやけた。先生の顔も滲んで見えなくなる。

 それでも涙を眼に溜めたまま顔を上げる。先生にその気持ちをすごくすごく伝えたくて。



「そんな顔で見るな…

 行くぞ」


「どこに…?」


「俺の家」


「え…」


「未成年の、しかも生徒の南条とこんな時間に会ってるのとかヤバいだろ。さっきの連中に警察呼ぶとか言ったけどぶっちゃけ俺の方が今犯罪者ど真ん中なんだけど?」


 そう言って先生は苦笑いする。



「あ…そっか」


「ほら、行くぞ」



 先生が私の手を取って花壇から立ち上がる。

 私も手を引かれるように立ち上がり、先生に寄り添った。



 先生の温もり。夏の日の香り─



 それらを全身に感じながら、ただ星だけが見下ろしている人気のない夜中の道をふたり手を繋いで歩いた。


       *   *   *

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ