9月~引き離されたふたり1
9月。
うだるような暑さのまま新学期が始まる。
暑くて勉強できないから夏休みはあるんじゃなかったっけ?だったら9月も夏休みにするべきじゃない?
始業式の後ホームルームがあり、昼前には下校になる。
先生に逢いたかったけど今日は逢えないな…
ふと先生の瞳のキラキラが脳裏を過り、無意識に胸がとくんと鳴る。
窓の外をぼんやり眺めているうちに日直の号令が掛かった。
「起立。礼」
スクバを手に取ると同時に、近付いてくる人物。
担任の村田。
国語の男性教師。
歳は宇都宮と同じくらい、30前後といったところ。
細身で色が白く、切れ長の一重瞼が神経質そうな印象。「クールでカッコいい!」と言う生徒も少なからずいるけど、上から目線な物言いが感じ悪くて私はあまり好きになれない。
「南条」
その村田が私を呼ぶ。
「はい」
「この後職員室に来なさい」
「何ですか?」
「来てから話す」
村田はそれだけ言って、他の生徒と2、3話して教室を出て行った。
「舞奈、帰ろう?」
揺花が声を掛けてくれるけれど、
「ごめん。なんか職員室に呼ばれちゃって。先帰ってて。」
「待ってようか?」
「うーん…。何の件か全然心当たりなくってさ。
時間かかるかもだからいいよ。ありがと」
「そっか」
職員室前まで揺花と行き、そこで別れた。
「じゃ舞奈、また明日ね」
「ん。バイバイ」
一体何の件だろう?
受験のこと?
国大わざと落ちようと思ってるのがバレた?
でも私がどうしようと学校には関係ないはず。
全く呼び出されるようなことをした身に覚えがない。
「失礼します」
職員室に入り村田の席に行く。
村田は私の顔を見ると眉間に皺を寄せ、溜め息を吐いて立ち上がり、
「来なさい」
と先に立って職員室を出た。
いよいよ何だか分からない。
連れて行かれた先は応接室。
「ここで待っていなさい」
村田が無機質な声で言い、私を部屋に残して再び出ていった。
(なんなのよ…)
村田の態度にちょっといらっとする。
程なく村田が戻ってくると、一緒に来たのは学年主任の岩瀬と年配の体育教師で生徒指導のヤマセンこと山本先生、それに…
(え…?)
初原先生だった。
(なんで…?)
いつになく神妙な顔の先生と眼が合う。
先生は眉根を寄せて、声に出さず唇の動きだけで
(ごめん…)
と言ったのが分かった。
(どういう、こと…?)
「座りなさい」
私は岩瀬に着席を促される。
奥の長椅子に岩瀬とヤマセン、テーブルを挟んだ向かいに私と村田、そしてテーブルのサイドの椅子に先生が座る。
「南条君」
張りのあるヤマセンの声が応接室に響く。
厳しいながらも生徒思いな指導で、時々オヤジギャグを言ってみたりするところも生徒から人気のヤマセンだけど、今日は酷く難しい顔をしている。
「今日はまず…君に訊きたいことがあるんだけどね…」
ヤマセンが苦虫を噛み潰したような表情で、何か言いにくそうに口を一文字に結ぶ。
「単刀直入に言います」
口籠ったヤマセンに代わり岩瀬が言った。
こちらの難しい顔はいつも通りだ。
「あなたと初原先生の関係について伺います」
「へっ!?」
先生との関係─?
「夏休みに初原先生に会いましたね?」
図書館に行ったこと…?
先生の方に眼を遣る。
一瞬視線が交わり、直ぐに先生が眼を伏せた。
先生…
私、何て応えるのが正解…?
「…はい」
嘘を吐いてもきっとバレてしまう。私は正直に応えることに決めた。
悪いことをしているわけじゃない。
私の応えを聞いて岩瀬が続ける。
「その時校庭で初原先生と抱き合っていたというのは本当ですか?」
「え…」
そうだ。
『南条のために力になりたい』
先生の言葉に泣いてしまった私を先生が抱き締めてくれた。
広く、熱く、力強い先生の胸の中、寂しさも辛さも吐き出すように思い切り泣かせてくれた。
蝉時雨の熱い夏の昼下がり─
(そのことか…)
夏休みとは言え普通に昼休みの校内、ましてや屋外だ。誰か見ていたのだろう。
頬が熱くなる。
と同時に掌に冷や汗が滲むのを感じる。
応えに窮して俯くと、
「どうなんですか?」
と岩瀬の鋭い声が畳み掛ける。
「ですからその件は…」
見かねた先生が口を開く。けれど、
「南条さんに聞いているんです。」
と、岩瀬がぴしゃりと跳ね除けた。
「どうなんですか?」
岩瀬がもう一度尋ねる。
(これって…)
私の応え次第では、私はともかく、先生が学校に居られなくなってしまうかもしれない…?
どうしよう…
膝の上で重ねた両手を握りしめる。痛いくらいに。
あの時の私には下心がなかった、とは言えないと思う。
先生が好きだった。だからああやって甘えてその心地好さに溺れていた。
でも相手は『先生』だし、場所は学校だし。
今思えばなんて考えなしな行動だったんだろう。
私の理性的でない振る舞いのために先生に迷惑をかけてしまう…
なんてことをしてしまったんだろう…
「南条君」
ヤマセンがガラガラ声で優しく言う。
「何か言いにくいことがあるかね?」
「いえ…」
それでも私が話せずにいるとヤマセンが言った。
「じゃあまず初原先生に訊いてみようか。
先生、これは事実ですか?」
「はい」
先生は私と校庭で抱き合ったことをヤマセン達に認めた。
先生の真っ直ぐな応えに心臓が騒ぎ、制服のスカーフの結び目をきゅっと掴んだ。
「それはどういう状況でしたか?」
「はい。私が南条さんの進路の相談を受けていました。
話の中で多分気持ちが昂ったんでしょう。彼女が泣き出してしまったので落ち着かせようと、肩を抱きました」
「ということなんだけどね、南条君、どうですか?」
「…はい。間違いありません」
私がおずおずと応える。
そうだ、私にはそんなやましい気持ちがあったとしても、先生はそうじゃない。
私のためにしてくれたことだ。
泣き出してしまった私のために、教師として。
「何か無理に、ということは?」
「それはありません!絶対に!!」
岩瀬が尋ねてきたが、私ははっきり否定した。
私から先生に飛び込んで行ったことこそあれ、そんなことは決してない!
「特別な関係というのもない、ということで良いですね?」
「はい!」
私は岩瀬の冷たい眼を見て言い切る。
「分かりました」
良かった。
先生にこれ以上迷惑をかけなくて済む…
が、そう思うも束の間、更に岩瀬は続ける。
「では南条さん。
どうして初原先生に進路の相談をしたのですか?」
「あ…」
「貴女が相談すべきは村田先生や私であるはずですよ?」
どうして先生に相談したかって…
その答えは
先生になら話したいと思ったから。
他の誰かじゃなくて、先生なら分かってくれると思ったから。
『先生が好きだから』─
「……」
私は俯き黙り込んだ。
その答えは、さすがに今度こそ答えられない。
でも私の判断は間違ってなかったと思う。
村田や岩瀬じゃ私の好きなことややりたいことを一緒に探してくれたりはしない。
先生だから
『南条の夢を一緒に探したいと思う』
そう言ってくれた。
そう言ってくれる先生だから好きになった。
傍にいたかった。
もちろんそんなこと理由にもならないし、言えないけれど…
「初原先生も、新任教師として理想や熱意をお持ちのことと思いますが、それは行き過ぎた指導です」
「はい。反省しています」
「今後南条さんの指導はその一切を村田先生にやって頂きます。南条さんは全て村田先生に相談するように。
初原先生も手出しは無用です。よろしいですね?」
「はい」
強い口調で言う岩瀬に先生だけが返事を返す。
何となく素直に応えられずいた私に岩瀬の声が飛んでくる。
「南条さん!」
「…はい」
その後岩瀬とヤマセン、それに先生が応接室を出、私はそのまま残って村田に進路指導を仰ぐことになった。
けれど…
やはり村田は私の成績を見て国大を推すばかりで話にならず…
(先生…)
やっぱり先生が良かった…
私を見ててくれるのは先生だけ。
私を分かってくれるのは先生だけ。
私を抱き締めてくれるのは
先生がいい─
結局村田とのやり取りは埒が明かず、私は応接室を出たい一心で、諦めて国大を第一志望にすることを承諾した。
* * *