60『朝食の支度』
「だからね、前夜から鍋に水を張ってその中に刻んだ干し肉を入れて置いたら、一晩経てば柔らかくなるし、ダシも出て、翌朝のスープはとても美味しくなるの」
「なるほど〜
そんなふうに考えた事はなかったわね……薬師様って賢いのね」
朝食の支度をしながらキャサリンがアンナリーナと話しをしている。
話題は旅の間の朝のスープの事のようだ。
「で、今朝は先日ソーセージを茹でた時の茹で汁……たっぷりダシが出てるからね、もったいないし」
そんなものまで使うのかと、キャサリンもマチルダもびっくりしている。
この世界、ソーセージは基本保存食で、スモークはするが茹でるのは珍しい。アンナリーナのように時間停止機能のついたアイテムボックスがないと難しいのだ。
「で、これには生姜のすりおろしをたっぷり入れて、あとは玉ねぎと根セロリの薄切りを入れて火が通ったら、塩胡椒で味付けして出来上がり。
ね?簡単でしょ?」
「リーナちゃん、焼きあがったわ。
次は?」
実はアンナリーナ、今朝は魔導コンロの他に携帯用の魔導オーブンも出していて、パンを焼いていた。
「ちぎりパン用のパン生地だからプレーンだけど、焼きたては美味しいものね」
携帯用なので、一回にさほど数は焼けない。
せいぜい5〜6個だ。
今焼きあがったのは2回目で、あと2回焼くつもりだ。
「よいしょっと」
出来上がったスープの鍋を下ろし、今度はフライパンを取り出した。
あとはボウルとトサカ鳥の玉子、そしてバター。
トサカ鳥の玉子は鶏の玉子より大きくて、少し硬い。
それをボウルにどんどん割り入れていき、菜箸でかき混ぜほぐしていく。
温めていたフライパンにバターを入れ、焦げつかないように溶かしていって、塩胡椒した溶き玉子を流し込んだ。
あとはふつうのスクランブルエッグだ。
かき混ぜて、固まったら大皿に移し、また同じことを繰り返す。
10人分を賄うために合計3回、作ったのだが足りないかもしれない。
実は、この世界では玉子は貴重な食品だ。
それをこれほど惜しみなく扱う事にキャサリンはびっくりしている。
あとは2人にりんごの皮むきを任せて、アンナリーナはスプラウトやトマトのカットをしていた。
マヨネーズやケチャップも用意して食事が始まる。
「リーナ、肉は?」
「玉子があるでしょ? 何?物足りないわけ?」
「ポテトサラダもないのか?」
「昨日食べちゃったでしょ?」
「ないのか〜」
アンナリーナとフランクの間で、先程からこんな会話が続いている。
まるで夫婦のような会話に周りは呆れるばかりだが、本人たちは気づかない。
「肉〜 肉か〜 ん〜っ」
なるべく手間をかけたくないので、おのずから限られてくる。
「しょうがないなあ」
アンナリーナはアイテムバッグからひとつの鍋を取り出した。
「これ、夕食のメインにしようと思ってたのに……」
そのまま魔導コンロにかけ、先ほどのスプラウトの皿を取り返した。
それを大皿に敷き、さらに足して作業台に置いておく。
【時短】で温めたそれをカットボードの上に取り出し、巻いてあった紐を取り外していった。
「リーナ、それ何だ? すごくいい匂いがする」
見た目は茶色く細長い塊だが、醤油の暴力は、その嗅いだものを虜にしてしまう。
「中に人参とさやえんどうを巻いたチキンロール。
数がないから1人2枚だよ」
スプラウトの上にカットしたチキンロールを乗せて、煮汁を回しかけていく。実はアンナリーナ、この本体のチキンロールよりも、エキスがたっぷり含まれた煮汁の方が好きである。
もちろん残った煮汁はそのまましまい込んだ。
再び、食事の場に戻ったアンナリーナは、自分の分のチキンロールをゲルトとフランクに一枚ずつ与えて、自分はパンを割り、中に煮汁たっぷりのスプラウトとスクランブルエッグを挟んで頬張った。
「んふ、美味しい……」
スープの出来も上々、入れすぎかと思われた生姜も良い風味を出していて、何よりも身体が温まる。
「なあ、リーナ」
「ん?」
「本当にポテトサラダ、もうないの?」
フランクがまたゴネ始めた。
「夕べ、ボウルごと最後までパンですくって食べたでしょう?
今夜また、作ってあげるから……これで辛抱して?」
アンナリーナが手早く作ってやったのは、スプラウトとチキンロールの端っこが入ったロールサンドだ。
それから、トマトとスクランブルエッグを挟み、マヨネーズとケチャップを使ったオーロラソースをかけたロールサンドも作ってやる。
「リーナ〜
美味いよ、これ美味い〜
なあ、俺の嫁になってくれよ〜」
「お母さんの間違いじゃないの?
馬鹿言ってないで早く食べて!」
夫婦漫才のような遣り取りの後、一行は次の目的地に向かって出発した。
その時、アンナリーナの気配察知には20人ほどが提示されていた。
だが、悪意や危機察知は感じられない為、彼女は別の隊商かと思っていたのだ。
一瞬、ゲルトとフランクに緊張が走る。
突然現れた “ それ ”は、剣や槍、ハルバードを持って馬車を囲んだ。
そして応戦を覚悟したアンナリーナを、いきなりゲルトが小脇に抱え、馬車から飛び降りて一目散に走り出したのだ。
それはあっと言う間に森の中に飛び込み、追っ手を振り切ろうとしているように感じられた。
ただ、何かがおかしい。
「ゲル、トさん、ほかの、みんなは」
「舌を噛むから、しばらく黙っていてくれ」
頭の中でマップを見てみると、街道から段々と遠ざかり、何もない山の中に向かっている。
気配察知では2人ほどが後を追って来ているようだ。
『ナビ、どうしよう』
『悪意はないようなので、しばらく様子を見られては?』
そうこうするうちに、木につながれた馬の所にやって来た。
ゲルトはアンナリーナを抱えながら軽々と馬に跨り、その場から走り去る。
……もうここまでくれば、何か異常な事が起きていると、感づかないアンナリーナではない。
だが、本当に悪意が感じられないのだ。
そうしてたどり着いたのは、山肌にぽっかりと空いた黒い穴。
周りでは幾人もの男たちが忙しそうに動き回っている。
「ゲルトさん、これは……なに?」
「すまない……嬢ちゃん」
「え?」
「ここは山賊【ベルネット・プルルス】のアジト……俺らの住処だ」