53『野営地でのはじめての朝』
猫足バスタブのなかの熱い湯に、薔薇の香りのオイルを垂らし湯に浸かる。
全身を【洗浄】しているので改めて洗うことはないのだが、頭の先までもぐってオイルの香りを楽しむことにする。
「ああっ、気持ちいい……!
身体の強張りがほぐれる気がするよ」
「もう今夜はこのままお休みになりますね?」
ナビの問いかけに、半分寝そうになっていたアンナリーナは慌ててバスタブから出る。
【乾燥】をかけ、薄手の寝間着を着て、キッチンにセトを迎えに行き、次々と照明を落として、ベッドの側の小卓の上の寝床にセトを下ろし……アンナリーナはベッドに横たわった。
「主人様、明朝はいつ頃、お声を掛けましょう?」
「夜明け前にお願い……」
すぐに寝息が聞こえてきた。
夜明けの2刻も前に起き出したアンナリーナは【異世界買物】でいくつか買い物した後、薬を調合したり朝食の準備をして過ごした。
そして。
「ツリーハウス収納、テントへ【転移】」
テントの中は昨夜と変わりない。
ここにも【結界】が張られているため、異常など起こりようがないのだが。
「おはよう」
テントから出たアンナリーナは焚き火の周りにいるゲルトに声をかけた。
フランクは毛布に包まり眠っているようだ。
「おはよう、嬢ちゃん。早起きだな」
ゲルトの目がアンナリーナを批難している。
昨夜、林に入ったのがバレバレのようだ。
「昨夜は早く寝たからね。
ピットの人たちはもう起きてくる?」
「いや、あと1刻くらいはまだ寝てるだろう。
それより昨夜は鼠がうるさかったようだが、嬢ちゃんとこは大丈夫だったか?」
「ああ……」
アンナリーナはぐっすり眠っていたが、ちゃんとナビから報告を受けている。
「コソコソ嗅ぎ回っていた鼠……
こっちは触れることも出来なくしてあるけど、ピットの方、何かされた?」
「いや、俺らが睨みを利かせていたから中には入っていない。
だがな……」
この先の野営地にはピットが1つしかないところもあるそうだ。
「何かたかってやろうと、いや盗もうとしてたんだろうな。
意外と行動的だと感心してたんだが、これから先、そうも言ってられなくなる」
「ちょっと待って?
昨夜の鼠ってあの女、本人?」
びっくりである。
多分、テントに忍び込んでアンナリーナのアイテムバッグを盗ろうとしたのだろう。
そしてピットで眠る乗客たちのものも。
「とにかく嬢ちゃんも気をつけろ。
まあ、嬢ちゃんに関しては心配要らないかもしれないが」
「ありがと」
普通ではない自分が、普通の子扱いされてこんなに嬉しい。
アンナリーナは頬を染めて口角を緩めた。
一度テントに戻ったアンナリーナは【異世界買物】で色々な食材を購入した。
まずはLL寸の玉子だ。
そしてトマトケチャップと下ろし生生姜のチューブ。
マヨネーズも業務用1kgのものを10本購入する。
……異世界の食品や調味料を人目にさらす時は、ビニールやプラスチックの容器からこの世界にある壷やガラス瓶に移さなければならない。
アンナリーナは玉子をパックから取り出して籠に盛り、ケチャップやマヨネーズは小壷に、生生姜は密封できるガラスの小瓶に移し替えた。
そして、昨夜フランクに好評だったポテトサラダを用意する。
携帯用の魔導コンロを出し、大き目の鍋にジャガイモを投入して【時短】で茹でる。
皮を剥き【圧縮】で潰し、塩、胡椒、マヨネーズを入れて混ぜ、スモークハムをたっぷり、きゅうりの薄切り、缶詰のコーンを入れ、最後にもう一度、練り辛子で風味づけしたマヨネーズを入れて、混ぜる。
アンナリーナの腕で、ひと抱えほどありそうなボールにいっぱいのハムポテトサラダ……フランクの喜ぶ顔が楽しみだ。
そして次は煮込んであった白いんげん豆にさらに【時短】で形が崩れるほど火を通し、ミルクと生クリームを注いで、塩、胡椒で味を整える。
スプラウトとアボガド擬きのサラダには某社の深○り胡麻ドレッシングをかけて和えた。
今朝のパンはイギリス食パン。
一本丸々食卓に出して、各自の好きな厚さに切るつもりだ。
「ふふ……一本じゃ足りないかも」
たとえ誰かが一本丸ごと食べても大丈夫。アイテムバッグには何本も保存してある。
夜明けまであと約1刻、ピットの中に動きを感じたので、アンナリーナはフランクを連れて中に入っていった。
アンナリーナだけ、カーテンに仕切られた女性陣のスペースを覗く。
「あら、リーナちゃん、おはよう。
おかげで身体がとっても楽よ」
すっかり身仕度を整えたマチルダがマットレスの上に座っていた。
「おはようございます、マチルダさん。早速ですがこれを履いてもらえますか」
アンナリーナが取り出したのは黒いハイソックスだ。
もちろんこの世界に、このような精巧な作りの靴下はない。
これは【異世界買物】で購入した着圧ソックスで、エコノミー症候群や浮腫みに効果がある。
「見たこともないお品ね。
少し小さいのではなくて?」
「伸びますから。気をつけてゆっくり履いて下さい」
「何だか少しきついわ」
「それが浮腫みに効くんですよ」
このあとアンナリーナは、マチルダの寝床をしまい込み、キャサリンからもマットレスを回収してピットから出ていった。