13『宿屋にて』
ミハイルの閉店作業に付き合い、宿屋に戻った頃にはすっかり日が落ちて暗くなり始めていた。
「嬢ちゃん! こんな時間まで何してたんだい。心配してたんだよ!」
ミハイルと2人で中に入ると、女将が飛び出してきた。
「サリー、悪い。俺が引き止めちまって……送りがてら飯を食いにきた」
女将の名はサリーさんと言うようだ。
「おや、まあ、そうかい。
それよりも嬢ちゃん、あたし、さっき名前を聞くのも忘れて送り出しちまって、宿帳に書きたいので教えてくれるかい?」
「ああ、では自分で書きます」
びっくりしている女将の手からペンを取って宿帳に向かう。
「ここでいいの?」
前回の宿泊から20日経っていて、今日はアンナリーナ以外宿泊客はいない。
「ああ」
宿帳の名前の記入欄に見事な手蹟で、これから名乗る偽名の【リーナ】と書き入れた。
「字、書けるんだね……」
アンナリーナの後ろでミハイルが笑いを浮かべている。
「……それから、連れ、と言うかペットがいるんですけど」
そう言ったアンナリーナが懐のポケットから取り出したのは。
「トカゲかい……
あんた、いやリーナは変わったもんをペットにしてるんだね。
いいよ。そんなにちっこかったら何の悪さもしないだろうしね。
ただ、踏んづけないように気をつけておくれよ」
一度ぺしゃんこになったセトをそんな目に遭わせたりしない。
セトだって御免だ。
「ありがとう、女将さん。
あの、食事も一緒にいいですか?」
女将はアンナリーナの、上から下まで見回して、笑った。
「変わった子だね。好きにしていいよ」
そう言って女将は2人を席に案内しようとした。
ミハイルは勝手知ったる何とやら、でもういつもの席に着こうとしている。
「あの、私……一度部屋に行って、荷物を置いてきたいのですが」
「あ〜 俺は先にやってるから。
ごゆっくり」
女将は心得たもので、湯の入ったやかんと底の浅い桶を持ってアンナリーナを案内する。
「泊まり客はリーナだけだから気を使わなくていいよ。
あ、タオルはここから好きなだけ取って使っとくれ」
廊下の途中にある棚から2枚取って渡すと部屋のドアを開けた。
中はさほど広くない。
日本で言う4畳半くらいだろうか。
家具はシングルサイズのベッドと、机と椅子。
壁には造り付けのクローゼット。
奥にあるドアを開けると洗面台とトイレがあった。これは嬉しい。
アンナリーナがそうこうしているうちに女将が桶に湯を張り、少しの水を注いで湯温を下げた。
「下で夕食を用意して待ってるよ。
何、あいつは酒さえ出しとけばうるさい事は言わないからね」
女将を見送ったあと、アンナリーナはこの部屋のすべてのもの……自分やセトを含めて【洗浄】をかけた。
そしてベッド横の小卓にセトを下ろし、アイテムバッグに手を入れる。
そこから取り出されたのはセトの寝床、藤蔓で編まれた籠だ。
「お疲れ様……お水飲む?」
小さな器に【ウォーター】で水を出し、飲んでいるのを見つめる。
「ご飯は一緒に下に行くでしょ?」
その答は頭を左右に動かして表した。
「じゃあ……何かお肉を出したげるね。何がいいかな……森猪の焼いたのでいいかな」
指先ほどの焼いた肉を出し、小さな皿に乗せる。
そうしておいて、ベッドに腰掛けブーツを脱いだ。
「あ〜 疲れた……今日は結構歩いたから脚が張ってるね。
ちょっとマッサージしとこうかな」
部屋に結界を張り、服を脱ぐ。
下着だけになったアンナリーナは香油を手に取り脹脛を揉みはじめた。
香油を洗い流す湯が気持ち良い。
アンナリーナはこの後、改めて全身に念入りに【洗浄】をかけ、着替えて下に降りていった。
宿屋の一階は食堂兼酒場になっている。
今はそこに、雑貨屋の主人ミハイルが1人杯を傾けていた。
「よう、やっぱりここにいたか!
嬢ちゃんはどこだ?」
挨拶もそこそこに同じテーブルについたのはお馴染みの門番、ジャージィだ。
「嬢ちゃんは上だ。そろそろ降りてくるんじゃないか?」
ジャージィの目配せにミハイルは黙って杯を渡し、顔を近づけた。
そんな中、階段を降りてきた姿に男たちは目を見張る。
ローブを脱ぎ去ったアンナリーナは、その細い身体を淡い紫色のAラインのロングワンピースを着て、柔らかそうな布製の室内ばきを履いている。
梳られた髪からは良い匂いがしていた。
「お待たせしました。
あれ? ジャージィさん?」
そうして3人はテーブルを囲む事になったのだ。




