水槽・苔むした水底――ロリ子とメルヘンレディー
「ねぇあなた、人魚を入れられるだけの水槽があったら良いと思わないこと?」
唐突にそんなことを言う彼女の突飛さには、もう慣れた。お屋敷に招かれて何度目かのお茶会だけれど、彼女はいつもそんなことを言う。前回は天馬にはどうやって鞍をつけるのかだった。翼が邪魔で無理そうだから裸馬に乗る練習をしておいた方が良いかもしれないという結論に達したはずだ。
プラチナブロンドを陽の光にきらきらと当てて無邪気に尋ねる彼女は決して非常識なわけではない。夢見がちすぎるところがあるだけだ。
「人魚を水槽で飼うの?」
そう尋ねれば、無垢な彼女は頷く。緑の瞳が細められる。
「そう、人魚の歌声はこの世のものとは思えないほど美しいのですって。あたくしのためだけに歌って頂きたいわ」
彼女自身、妖精のような容貌で童話の中から抜け出してきたような少女だから、そんなことを言っていても違和感がない。あたしは彼女の夢物語を聞くのは嫌いではないし、そういう空想も好き。
「けど人魚の彼女は狭い水槽に入れられて我慢できるかしら」
そう問えば彼女は首を傾げて、いやなのかしら、と呟いた。あたしは人魚じゃないからわからない。
「ねぇ、どれくらいの広さがあったらストレスにならないかしら」
手を挙げて彼女は執事に話しかける。彼女に仕えるメガネ執事はあたしのカップにお茶を注ぎながら穏やかな笑顔を浮かべて答えた。
「人魚様の身長にもよりますが、泳ぎまわれるだけの広さがあればよろしいのではないでしょうか、お嬢様」
ダークブラウンの瞳がメガネの奥で笑う。その優しさに満ちた笑みがあるから、あたしは彼女とのお茶会に来られるのかもしれない。この人がいれば、あたしが彼女を傷つけることはないから。
「だそうよ、まずは人魚を見つけてからね」
あたしの言葉に彼女もそうですねと頷いた。流暢な日本語を喋る彼女は留学目的でやってきているが、ほとんど学校には行かずにメガネ執事さんから勉強を教わっているそう。たまにあたしから日本のことについて聞くだけ。
「ねぇ、もしあなたが水槽とまではいかなくても何処かに囲われてしまったら、どうなさるの?」
彼女の純粋な疑問があたしの胸を突く。あたしは囲われる方ではないから、答えに詰まるわ。
「そうね、相手によるけどきっと、今の相手ならそのままでいるわ」
「籠の中の鳥さんでいらっしゃるの?」
「彼のところ以外に、帰りたくないから」
不思議ね。彼女には素直に言えてしまう。彼を前にした時に一番言いたいことが言えないのに、どうして彼女には言えるのかしら。
「まぁ、すてき。あなたは彼にとって美しい声で歌う鳥さんであり、人魚姫なんですわ。泡にはならない、ハッピーエンドの人魚姫」
あたしは、彼女のこういう幸せな空想が大好きなのかもしれない。彼女はあたしを否定したりしない。彼と同じで無条件で受け入れてくれる。
「彼の用意する水槽になら、喜んで入るわ」
そして愛でられて、永遠に歌い続ける。我慢できなくて彼を水槽に引きずり込んでも、彼を愛しているから。
あたしの心の奥底がどれだけ苔むしていようとも。