むかし楽園に。そんな記憶――ミス・セクシーと黒王子
私たちは、エデンを追放された身かもしれないわね。
けれどきっと、私はイヴではなくてリリス。悪魔の花嫁。快楽に身を落とした女。イヴなんて、神聖な生き物ではなかったわ。
そして先にエデンを追放された。けど貴方は私を追ってきてくれたのね、二人目の妻の所には帰らなかった。愛されていた、そう思っても良いかしら。
アダム、私の愛しい人。貴方を虜にしているつもりで、魅了されているのは私。誰よりも無垢な存在なのは貴方よ、アダム。女はずる賢い生き物だから、見た目に惑わされないで。貴方の愛を得ようと必死なの。神様に愛されるより、貴方に愛されることを望んだ。
目の前に流れる艶やかな黒髪を撫でて、ふっと唇を額に寄せる。私の唇が触れた瞬間に切れ長の瞳がうっすらと開いた。目覚めたアダムは私を見つめるまでに少し現に惑う。
「今、なにを」
「キス」
「ああ、じゃぁ、もっと」
甘えん坊のアダムが腕を伸ばしてくる。彼の細い指が寝起き特有の気だるさを伴って私の肌を這った。
「貴女の唇は甘いから好き」
「そぅ」
彼が目を細めて笑う。彼の滅多に見せない微笑に私が一瞬、呼吸を止めたことなど彼は知らない。
私の唇が蠱惑的なのは昔から知ってるわ。けど貴方に逢ってからは貴方にしか、触れさせてない。
「ボクらはずっとずっと昔から、こうしていたのかもしれないね」
誰にも想像できないくらい、ずっと昔から?
そう尋ねたいのを我慢して、私は彼の言葉を肯定する。彼が言うならそうなのだろう。私の勝手に作り上げた幻想など、あやふやな夢現など、目の前にいる彼の言葉に比べたら、脆く崩れる程に儚いのだから。
私のアダム、そのまま私を繋ぎとめておいて。リリスが悪魔に娶られないように、悪魔以上の快楽を私に与えて。貴方が此処にいてくれるだけで良いわ。それ以外には何も望まないから。
「もっかい、寝ようよ。貴女の腕枕が良いな」
わがままなアダムは強引に私の左腕を引っ張り込んで勝手に自分の頭を乗せて目を閉じた。そしてこっそりと身をすりすり寄せてくる姿が可愛くて、私は思わず笑みを零す。
残った右腕で彼を包むように抱き締めれば、ちゅっと腕枕にしている私の腕に唇を寄せるから、不意打ちに驚いてしまったわ。
「今も昔も、ボクらはずっと一緒だったんだよ」
そっと、囁くように告げて彼は先に夢に落ちていく。現実というエデンを離れて、アダムはまたリリスから目を離す。けれど彼のいるエデンを離れられずリリスはまたアダムの額に唇を寄せて、切なく微笑んだ。
大丈夫、目覚めれば此処こそがエデン。昔の楽園など、今はないから。
「おやすみ」
アダムに囁いて、悪魔の花嫁もアダムと同じ夢に身を任せた。