裏の夢、表の現
表の睡眠は裏の目覚め、裏の睡眠は表の目覚め。
わたしは山河鈴音、小学6年生の黒髪女子です。いまは寝る用の浴衣姿です。自宅は和風旅館で、お客さんはそれなりにやってきますが、連休前だと案外暇です。ちなみに、わたしがいるのは、自宅用の別館です。
愛称は「すずねん」です。とりあえず「ん」を付けておけばいいみたいです。
カステラが好きです。カスドースも好きです。卵かけご飯もおいしいです。
祖父は書斎にこもり、生きている間に世界中の本を読めるだけ読もうと頑張っています。あまり夜更かしをしないように言っても、なかなか聴き入れてくれません。
この市は、娯楽が少ないです。ですが、緑が豊かです。山、畑、自然がいっぱいです。外灯やコンビニ、スーパー、ファミレス、ガソリンスタンドなどがあります。道路も整備されています。駅前には大型ビルが建設中ですし、遊園地も……ありました。わずか一週間で閉園してしまいました。残念ながら、わたしは行くことができませんでした。
今日と明日は土日で休日です。眠くなるまでオンラインのPC用FPSゲームで遊びます。かれこれ何戦目になるかわからない長い撃ち合いがはじまります。
*
晴れた空、冷たい空気、宵闇の遊園地が広がっています。わたしは周囲を見渡して、ここは夢の中だと悟りました。
うさぎの気ぐるみは不気味に笑っています。
「ここは遊園地、裏の世界。昼は夜に、夜は昼に。大人の現実、子どもの夢。入園料は無料だよ。大人が入るときは子どもが付き添ってね」
昼は夜に……ということは、表の世界は昼なのでしょうか。夜更かししたせいで、表のわたしは昼寝をしているのかもしれません。まあ、いいです。ここは夢なのですから。わたしは、いずれ目を覚まします。そうしたら、夢の世界のできごとなど、きれいさっぱり忘れてしまうのですから。
わたしはピンク色のうさぎの気ぐるみからパンフレットを受け取りました。「裏野ドリームランド」と書かれています。廃園になった遊園地と同じ名前です。よりにもよって裏野ドリームランドの夢ですか。わたしはこの遊園地に行ったことはありませんが、ネット上でいくつかの怪しい噂を目にしているのです。
例えば、子どもが次々といなくなっているとか、ドリームキャッスルの地下室にある拷問部屋でうさぎが子どもを調理して露天のハンバーガー屋で販売しているとか。ネット上でよくある根も葉もない噂だと思いますけれど、一週間で閉園したことは気がかりです。
死亡報告者数0%のジェットコースターや、回転スピードがきわめて遅い観覧車は気になりましたが、無視して奥に進みます。わたしは、本当に拷問部屋があるのか確かめるため、ドリームキャッスルへと向かいました。
ドリームキャッスルの内部には、開け放たれた木製のドアがありました。きらびやかなショッピングモールの入口ではありません。見たところ、地下へと続く入口です。もしかすると、ここが拷問部屋の入口なのでしょう。ちょっと怖いですけれど、入ってみましょう。
「……ひえっ!」
奇妙で凄惨な光景に、息を呑みました。
暗い石壁の通路の奥、小さな明かりが見えます。ドアの隙間から明かりが漏れているようです。こっそりと覗いてみます。部屋には、人間の頭が飾られています。いずれも子どものようです。瞳を閉じて、苦しそうに舌を出したまま息絶えています。
それ以上に恐ろしいのは、うさぎの気ぐるみが、子どもの腕や足を、肉斬り包丁で、すとんと切り落としています。夢の中だとわかっているはずなのに、この現実感は、気味の悪さは、なんでしょうか。FPSゲームで慣れているグロテスクな光景とは違います。血生臭くて、ねっとりとした空気が、わたしの肌を焼きます。
「う……」
わたしは小さくうめき声を上げ、ドアに足をぶつけてしまいました。
うさぎの気ぐるみが、メルヘンな笑顔で、わたしのほうを見つめてきます。
頭より先に、足が動いていました。階段を駆け上がります。重い足音が背後から迫ってきます。いやだ! 怖い!
*
城の外に出て、中央広場まで逃げます。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
宵闇の下、外灯を頼りに、とにかく逃げます。
走りながら振り返ると、うさぎが走って来ています。手には血のついた肉斬り包丁を握っています。
うさぎの走る速度は、わたしの全力疾走と、さほど変わらない、よう、です。
ああ、、このままだと、わたしは、追いつかれて、しまいます。
近場にあるのは、異常に遅い観覧車です。
ええい、ままよ。わたしは茂みに飛び込み、うさぎの視界から消えます。
うさぎがわたしを見失っている間に、観覧車へと飛び込みます。
中から鉄の棒を動かし、鍵をかけられるようになっているようです。
あとは屈んで、うさぎの視界から逃れます。
……待ち伏せされていたら、どうしようもありません。
観覧車がようやく上がりはじめたことで、わたしは安堵のため息をつきました。冷や汗だらだらです。まだ、身を起こす気にはなれません。走り疲れて、椅子に横たわると、睡魔が襲ってきました。
「出して……」
「ひえっ!」
子どもの声が耳元で響いたせいで、一瞬にして睡魔が吹き飛びました。
あ、あれ? この観覧車、上がったと思ったら、戻りました。
全然、回りません!
このままだと、見つかるのは時間の問題です。……伏せていれば、見えないはずですけれど。
「出して……」
「はい! 出しますから!」
お化けと心中は場所は勘弁願いたいです。
鍵を開け、うさぎがいないことを確認して脱出します。
*
明かりのないところを全速力で走りぬけます。
遥か上空を、ジェットコースターが殺人的な速度で駆け抜けていきました。
たとえていうなら、リニアモーターカーみたいな速さです。
風圧で身体がよろめきます。
心の底から乗らなくてよかったと思いました。
「おや、迷子かな?」
「うぉっ、びっくりした!」
全身が白と黒のピースでできた道化師が、三日月型の瞳と口で笑っています。
道化師はアコーディオンをのんきに演奏しながら、言葉を紡ぎます。
「秩序は無秩序に、睡眠は覚醒に。でも、死が生になることはない。それは現の話。夢の世界では、生は死んでいるようなもの」
「えっ。じゃあ、わたしは死んでいるんですか」
「生死は誰かが決めることじゃあない。君が決めればいい。現の住人なのだから」
「小学生にもわかるように話してください」
「わかるように話すことは、単純にしてごまかすこと」
「そうなんですか?」
「理解することが現からの超越なら、理解しないことは夢への逃避」
「あの、包丁を持ったうさぎを見かけませんでしたか」
「見てないね」
「追いかけられているんです。助けてくれませんか」
「客人を助けるのが店員の礼儀、客人を楽しませるのが道化師の流儀」
FPSゲームでよく見かけるスナイパーライフルを手渡してきました。
……いや、重くて持てませんよ。使い方はなんとなくわかりますけれど。
「ここは夢の中。常識は瑣末な問題でしかない。夢の終わりですべては消える」
「はあ」
……あれ?
受け取った銃は綿飴みたいに軽くて、それでいてしっかりした造りでした。
揺らすとガチャガチャと音がなります。
「君、包丁を持ったうさぎが見えたよ」
「うげ」
うさぎはまだこちらに気づいていないようです。
……子どもの首を掴んで、引きずっているようです。
許せません。……でも、本当に撃っていいんですかね。騙されていませんよね。
「夢の世界では簡単なこと。照準を合わせて、引き金を絞るだけ」
「はあ」
言われたとおり、うさぎの頭に照準を合わせます。5倍スコープです。
軽いので、肩に乗せる必要もありません。ただ、反動がどうなるかわからないので、腕は軽く曲げておきます。
偏差を考慮しながら、引き金を絞ります。
すると、銃の先端からレーザーが射出されました。
「ふぁっ!?」
うさぎの頭に命中し、うさぎはまばゆい光に包まれました。
ぽん、という音とともに、着ぐるみうさぎは、小さな動物のウサギになりました。
肉斬り包丁がレンガ造りの床に転がります。
引きずられていた子どもは、すう、と消えてしまいました。
「何ですかこれ!」
「道化師冥利に尽きる」
「はあ、もういいです。帰りたいんですけど。出口はどこですか」
「ジェットコースターには乗らなくていいのかな」
「いやです」
あんなものに乗ったら風圧で身体がばらばらになりそうです。
道化師はアコーディオンを置き、両手を広げました。
小さな光の粉が舞います。
「去る者拒まず。眠れよ眠れ。睡眠は覚醒に。夢の終わりは現の始まり」
「ふわぁ……」
道化師が言葉を言い終わらないうちに、睡魔が襲ってきました。
*
目を覚ますと、朝の日差しがわたしの目を貫きます。怖い夢を見ていた気がしますが、よく覚えていません。
誰もいない浴室に行き、デッキブラシで掃除をします。
温泉は常に沸いているので、温泉をまいて浴場をごしごしと擦ります。
30分かけて掃除を終え、脱衣所に戻りました。
汗でびっしょりの着物を脱いで、我が家自慢の温泉に浸かります。
一人で露天風呂を独り占めです。肩凝りによく効きます。
朝風呂でさっぱりしたら、浴衣姿になります。
おじいちゃんは本を読んだまま寝ていることでしょう。
7月の連休が来たら、お客さんもたくさん来ると思います。
わたしもお手伝いで忙しくなりそうです。
*
寝室に戻り、布団を畳んでいないことを思い出します。
丁寧に畳むと、ぴらりと、一枚の紙切れが飛び出しました。
見覚えのない、「裏野ドリームランド」と書かれたパンフレットです。
何だかいやな感じがしたので、燃えるごみの日に出してしまいました。
最近の気になるニュースは、寝たきりだった近所の子が目を覚ましたことです。
純粋な悪に意味などない。