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弱きな少年のコンプレックス怪獣

作者: かげる

 ぼくは農家の後継ぎを期待されていた。今朝は早く起きたので、農場の仕事を手伝いに行った。ビニールハウスの中で手を休めずにぶどうの(ふさ)の間引きをした。間引くことにより良くない実を摘み、良い実に栄養を重点的に与える。(はさみ)で花房の先端を見映えが良いように整えた。


「ふう。今日の作業は巨峰きょほうとデラウェアのジベレリン浸け。種無しぶどうは手間がかかるんだよな」


 小屋に戻り鋏を片付けながら首や肩を回す。棚栽培だから作業中はずっと顔を上に向けないといけない。そんなことを数時間も続けると色んなところに疲労がたまってくる。身体をほぐすためにストレッチをした。


 ひとりは気楽だ。今日は学校がある日なのだがサボった。人が密集する場所が苦手なのだ。別に勉強をしなくても生きていける。将来は親が経営するこの畑で働くのだから。


 ある日、ぶどう畑に向かうとそこには得体のしれない緑色の害虫がいた。


「カ、カメムシか?」


 びっくりした。外観から察するにチャバネアオカメムシのように見えなくもない。本来の全長は十ミリメートルくらいなのだが、そいつは虫にあるまじき大人サイズの巨体をしていた。まるで戦隊レンジャーに出てくる怪物のようだ。


「ソウダゼニイチャン。オイラハチャバネアオカメムシ。ソウチョウカラズイブントガンバッテンジャネーカヨ」

「け、警察呼んだほうが……いいですか?」

「オイラ二キイテドウスル」


 カメムシの怪物は日本語をしゃべっていた。どこに声帯があるのか不思議である。


 怪物の平然(へいぜん)とした態度が不思議だと思った。視線をキョロキョロと背景におぼつかせながら


「……ぁの……カメムシはぼくのことが臭くないの?」


 と聞いてみた。ぼくにはコンプレックスがあった。その一つが自身の体臭のことだ。幼い頃のトラウマが脳裏をよぎると、つい弱きになってしまう。


「ナニヲキニシテルンダ。オレノオナラ二クラベタラニーチャンノナンテジャスミンノカオリダゼ」


 ジャスミンの香りだって? そんな馬鹿な……。ぼくは身体から激臭がするはずなのだ。みんなその臭いが嫌で、陰で嫌味を言っているに違いない。体臭と口臭がキツイから駄目なんだ。こんなんじゃ、学校に行ってもイジメられるだけだ。ぼくはみんなみたいに生きられない。


「嘘だよ。そんなの……嘘に決まってる。みんな初対面じゃそう言うんだ。だけど、陰では、みんな悪口を言ってるに違いないんだ」


 視界の隅に黒いものが見えた。空で、カラスが飛んでいるようだ。やがて、電線に止まった。なんだかこっちを見ているみたいで、怖かった。臭いが、気になるのかもしれない。ぼくは悲しくなって目を背けた。


「ナニヲコワガッテイルンダ。コウミエテオレハヤサシイヤツナンダゼ。アアソウカ。ニンゲンノコドモニハコウイッテヤラナイトイケナカッタナ。コワクナイヨー。コワクナイヨー」

「……怖いです」


  急に笑顔をつくらないでほしい。その笑顔がまさに狂気なんだよ。巨体のチャバネアオカメムシの笑顔なんて見たくなかったよ。しかも、ぼくより臭いオナラを出すなんて……。


「ドウダ。アンシンシタカ?」

「だから、怖いです」


 人の話しを聞かない、カメムシだった。それにしても、なんなんだこの怪物。友好的に対話してるけど、この状況は、なんなんだよ。ぼくは、今から、この怪物に喰われるのか? 別に、喰われてもいいや。ぼくのような、人の害にしかならない悪臭を撒き散らす生き物なんて、生きていたって迷惑をかけるだけだ。いっそ、死んだほうがいいと思う。


「なぜそんなことがわかる?」


 頭上から、声がした。先ほど、カラスがいた方向からだ。低い、いわゆる野太い声だった。視線を向けると、目を疑うような生き物がいた。ぼくはびっくりした。


「な、なんなんですかあなたは!? 鳥!?」

「そんなのわかってることだろ?」


 漆黒の羽毛が目前いっぱいに広がっている。全長は三メートルくらいあるんじゃないだろうか。翼を広げたら、五メートルくらいありそう。両羽は閉じたまま地面に長い三本指の足趾そくしをつけていた。


「ほんと……なにものなんですか」

「貴様の心が読めるものだ。ふん、死んだほうがいいことがわかるなんて、随分と達観したものの見方をしているようだな。どれ、私が上空から俯瞰して見直しやろうじゃないか」


 じっとぼくを見つめ続ける生き物。いや、生き物と形容していいのかはわからない。これは生き物ではなく怪物かもしれない。だって、あまりにも怪しすぎる。


 ぼくの返事を聞かずに、烏の怪物は空に飛び立った。飛び立つ瞬間、バサッと空気をうつ音がした。漆黒の両羽はやっぱり、五メートルくらいありそうだった。優雅に飛ぶ姿をぼくは羨望の眼差しで見つめ続けた。どこまでも自由に大空を浮遊し、加速し、旋回する。そんな姿が、とても、羨ましい。


 ぼくの将来の希望はすでに閉ざされている。学校にはほとんど、通っていない。このままの出席日数だと、きっと、将来ニートか親の後継ぎになるしかない運命が待ち受けている。きっと、ぼくみたいな人間に残されている選択肢なんて、ほんの少ししかないのだろう。


「それは悩みか?」

「悩み……」


 上空から声が聞こえた。どこに声帯があるのだろう。あんな遠くから聞こえるなんて……。近隣住民とかにバレたりしないのだろうか。こんな得体の知れない怪物が見つかったらと思うと、怖くなってきた。


 悩み……。そうなのかもしれない。ぼくは悩んでいたのだ。悩みは解決しないと。


「いや、違うな。悩みというより、それは劣等感だ。おまえは誰かより、自分が劣っているだけで自己否定に囚われてしまう傾向があるだろう?」

「……そう、なのかもしれませんけど」

「そうなのかもしれませんではない。そうなのだ」


 じゃあ聞くなとぼくは思った。声の主の姿を発見した。まだ上空を飛んでいるのがわかった。あんなに束縛のない空で、自由に動き回れたら最高だろうなと思う。誰にも、なにも責められずに自由気ままに生きていけたら、どんなに幸せだろう。


「そんな安っぽい幸せでいいのか。少年」


 と、やはり空から声が聞こえた。くちばしになにかをくわえている。丸くて紫色の……。


 ぶどうだった。なんでそんな当たり前のように、農家の果物を盗み食いできるんだ。と、思っているうちに丹精込めて育てられたデラウェアを怪物は食べ終えていた。なんだ。なんなんだよ。もはや、やってることが害鳥と変わらないじゃないか。


 自由過ぎる……。ぼくは、不自由だ。いつまでも、大人になってもこの感覚は変わらないのだろう。農家の一人息子。期待された、後継ぎ。学校に通えないひとりぼっちの自分の将来を想像して不安になる。


 未来は果てしなく深い黒だ。あのカラスのような、どす黒さ。どうして、あんな怪物がぼくの目の前に現れたのだろう。しかも二体も……。害虫に害鳥。なんなんだこの状況は。これから、ぼくは喰われるのか。そうだ。それがいい。ぼくなんか喰われてしまえ。と、勝手に期待していたら、気づかない間に二体とも姿が消えていた。黒鳥はともかく、カメムシが足を踏み鳴らす音がしないなんてありえないと思った。チャバネアオカメムシの巨体が落ち葉が散乱する地面を無音で消え去るなんて芸当ができるはずがない。


 ここでひとつの仮説を立てた。奴らは、ぼくの空想がつくりだした幻なのだと。だから、あんな非現実的なでかい図体をしながら、日本語をしゃべっていたのだと。そう理解することで無理矢理に納得させた。


 翌日。珍しく、学校に行くことにした。学校には行ったが、教室には行かなかった。行ったのは、保健室だった。ずっと、そこにいた。特にすることもないので、帰宅することにした。こうして集団内の抑圧から逃れることができた。


 口や身体から臭いがする。だから、今日も誰にも迷惑をかけないように、帰るのだった。人それぞれ、個性というものがあるが、それを否定されているように感じる集団活動はどうも馴染めない。登校してもぼくは社会に馴染めないだろう。だから、帰るのだ。


 みんなみたいにはなれない。


 帰り道。またあの怪物に合うんじゃないかと内心、そわそわしていたけれど、そんな不安の甲斐もなく現れなかった。昨日のは、幻覚だったのかもしれない。そうでもないと、現実的に説明がつかない。


 今日はぶどう畑で剪定せんていをしたり肥料をまいたりした。剪定は、植物の成長の栄養の分散を防ぐためにするものだ。果実を成長させたければ、日差しに当たらない不要なつるは除去しなければならない。無駄な蔓はいらない。いなくなっても誰も困らないぼくのようだ。


 ビニールハウスの下。ぶどうの木漏れ日がちらちらと光った。そよ風が頭上に覆った枝葉を揺らしているのがわかった。これが、ぼくの日常だった。中腰の姿勢で手入れ作業をする。ハウス内は背が高い人にとってはとても窮屈だ。こんな姿勢を維持して数十年続けていたらすぐに猫背になってしまう気がする。いや、すでに猫背だったか。


 房を溶液の中に浸ける作業をしていると、ぼんやりと脳内で好きなメロディがながれた。それから不意に誰かに背中を押された。それが挨拶のような軽い衝撃だと感触が認識するのに数秒、時間がかかった。


「なに」


 反射的に声を出した。相手は口端を引き上げて、声を殺して笑っていた。愉快そうに笑っている、相対するものにぼくは畏怖をした。鳥肌がたった。今度はなんなんだ。外見は一般的な人間の姿をしているが、もしかすると怪物かもしれない。不審に思いながら、その容貌に意識を向けるとあることがわかった。


 目の前にいるのは、ぼくだった。


 なのに、ぼくとは異なっていた。楽しげな表情や大きく滑舌の良いしゃべりかた。猫背ではなく、背筋が伸びている。口から異臭はしない。


 全く違うのに、それでも彼がぼくだと思ったのだ。


 強い目力だ。そんな目でさっきからまくし立てるように話しかけられている。ぼくは、ただ、それを聞いていることしかできなかった。怖かった。やがて、相手は走って消え去った。ぼくは、彼のあとを追いかけることはしなかった。


 憧れた。あの姿に、ぼくはなりたかった。どうせ、なれないだろう。自信がない。勇気もない。やる気もない。こんなぼくが社会に適応、環境に順応している姿を想像できない。


 彼の話しの内容は全く耳に入ってこなかった。まだ脳内でメロディが流れ続けている。さっきのは幻覚を見たのだろうか。そんな筈はないのに、ぼくは考えるのをやめた。


 農作業がひと段落ついたところで、ぼくは帰宅することにした。道なりそって歩く。当たり前のように。当たり前がなにかなんて、わからないけど、それでもいつものように。目の前にそびえ立つ建物の間にできた道にそって歩いていく。地平線が途方もなく感じて、歩くのをやめてしまうかもしれない。そんな未知の不安を抱える人生だけど。進むしかない気がする。


 一寸先は闇のような気がするのに、手探りでなにかをしなければならない。時間は無慈悲に過ぎていき、なりたかったぼくは、手の届かない遠くにいってしまう。まるで正反対の彼を見たときは、劣等感にさいなまれた。でも格好良いなと思った。それなのに同じ場所や空間にいたくなくなった。本当に尊敬しているのに、それなのに、自分とは格が違うなと感じて彼がいる場面では緘黙になる。


 彼はぼくであって、ぼくでなかった。怪物はぼくであって、ぼくでなかった。別に、それを退治しようとは思わなかった。それらは、ぼくに危害をくわえないらからだ。ぶどうをくわえる烏はいるけど。


 大人になったら、きっと色んなことがうまくいかないのだろう。いつも、そう思ってる。ぼくなんかでは、到達できないところに、みんながいるきがして少し心細い。これからずっとあんな怪物がぼくの目の前に現れ続けたらと思うと、なんか嫌だし怖い。


 地球上にこんな気持ちの人間がいるんだよな、と思う。気になって仕方がない自意識過剰で、だれも気にしてないのに、ひとりで悩んだり、そういうこと、どこかでしてる人間がいるんだよな。物思いにふけっているうちに眠くなってきた。起きて、明日になったら、また奴らに出くわすかもしれないけど、怯えながら覚悟してる。おやすみ。

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