episode1
(ちょ、ちょっと待て!)
ダラダラと流れる冷や汗。
手を握りしめ震える唇を噛みしめる。
体温は一気に急降下し、顔色は真っ青だ。
「い、今なんと?」
鈴を転がしたような可愛らしい声が響く。
何とか紡ぎ出した声は小さく掠れていた。
「・・・結婚することになった」
(聞き間違いじゃなかった・・・っ!!)
信じられない、とでも言うように少女は華奢な肩を抱いた。
その儚さといえば、まさに深層の令嬢であったが、次に紡がれた言葉がそれを台無しにしていた。
「え、兄貴マジで結婚すんの?うわぁ誰だよそんな勇者・・・いや、聖女か」
深窓の令嬢から出たとは思えない程に雑な言葉遣いだった。
愛玩人形のような可愛らしい容姿の少女の顔色は相変わらずだが、震えは幾分か治まったようでゆっくりと深呼吸した。
結婚、と。
目の前の彼は言った。
少女にとってそれは衝撃であった。
14歳である少女は生まれたその瞬間からこの目の前の兄と育ったのだ。その兄が結婚をする、と。
普通であれば祝福すべき事柄であるというのに、少女にとってそれは青天の霹靂であった。というのも生まれた頃から供に過ごした兄に問題がある。
その問題を知りたくも無かったが、知り尽くしている少女は、相手の女性を想った。
この兄と結婚するとなると、それはそれは心の強い・・・否、逞しい聖女だと。
確かに・・・、見てくれは良い。それは認める。スラリとした体躯に切れ長の瞳。スッと通った鼻筋。髪は薄紫、瞳は紫水晶の如く。社交界でも指折りの美系であり、その甘いマスクの虜になった女性は星の数ほどいるのだろう。
だがしかし。だがしかし、だ。
兄には決定的な欠点がある。いや欠点っというのは極端だが、結婚するにあたってまず除外されるだろうNo. 1である。
それが、結婚?相手は聖女か。
(いや、聖女でも無理だろ。)
少女は小さな手を握り締め、目の前のソファーへ腰掛ける男を睨んだ。
「ようやく女性を抱く気に・・・」
「いや、男じゃないと無理」
(ですよね!!)
儚い願いは瞬殺された。
そう、兄は男色である。
だからこそ30歳手前になっても結婚出来ないでいたのだ。
その衝撃は幼い頃に突然やってきた。
今でも思い出すと泣きたくなる。
少女が衝撃をうけたのは兄が男色だと知った、といったものではなく、男色というものが普通でなかった!という事実であった。
少女の幼少期は本気で男同士で結婚出来ると思っていたし、子供も出来ると思っていたのだ。
両親が忙しい人達だった故に少女と一番接していたのは兄であった。
兄には途切れることなく恋人がおり、少女はその恋人達に育てられたといっても過言ではない。
兄の好みは男らしい人、であり。
まぁ、騎士団にいるようなガチムチのガタイの良い恋人が多かった。
少女が可愛らしい容姿に対し言動が男勝りなのはそのためだ。完全に毒されている。
この国では暗黙の了解的に男色は認められていても男同士の結婚は認められていない。
故に少女は兄が結婚するのは無理だろうと思っていた。
「その、結婚するって、相手は?」
「アーノルド侯爵令嬢だが」
「ちょ、お前っ、なにしてくれちゃってんのぉぉぉぉ!?」
(侯爵令嬢を娶って問題を起こせばどうなるか分かっているのか!)
こちらと伯爵家でそれなりの身分ではあるが。侯爵と伯爵では同じ貴族でも立場が違う。
爵位が上の家からいらっしゃる令嬢に下手な事は出来ない。させられない。
ていうか抱けねーっつってただろてめぇ!と、突っ込みたくなるのは仕方がない。
「問題ない。彼女は女性趣味だからな」
「・・・・・・・」
(貴族社会、それで良いのか。)
可憐な少女の表情が一瞬にして無になった。
表情をなくした顔はまるの人形のようだ。
「俺は男しか愛せないし、彼女は女しか愛せない。しかし家の為に結婚しなければならないという苦痛。異なる悩みでありながらも条件は一致した。俺たちは同志として分かち合ったのだ」
「・・・・・・・」
(分かち合った、て。)
「しかし、子供は望めないだろ?だから、リィ。お前に協力して欲しい」
(協力?何をだ?)
「結婚してくれ、そして」
少女は兄の瞳を見つめる。
「・・・・・・・」
「産んだ子を一人譲ってくれないか?」
ーーぷち。
「ってんめぇぇぇ!?そこで歯ぁ食い縛れやぁぁ!」
少女の堪忍袋は儚くも砕け散った。