笛吹きチョコレートの夢
美術予備校の一室、モチーフ棚の隅。私は先生から呼び出しをくらっていた。
予備校で一番デッサンが下手くそな私は、毎日毎日みじめな気持ちでいっぱいだった。
あーあ、もう、人間やめたい。イーゼルにまとわりつく埃になってしまいたい。
「これを吸いなさい」先生は私に吸引器具を渡しながらそう言った。
作品のダメ出しでも、課題の追加でもなく、これを吸え、と。
何を言われるのかとビクビクしていた私はすっかり拍子抜けしてしまった。
駄菓子の笛付きチョコレートにそっくりな形の透明な吸引器具。
中には、キャビアのようなものがぎっしりと詰まっていた。
これから出る無味無臭の気体を吸うのだそうだ。
どうにでもなれ..。
私は言われるがまま、何のためらいもなくそれを吸い込んだ。
その後、私は居残りデッサンをしようと教室に戻った。
「どうだった?呼び出し」
「何か、これ吸えって言われただけ」
私はポケットから吸引器具を取り出し、居残り仲間の友達に見せた。
「あーこれ!」
「え、何?知ってんの?」
「これ、知り合いが吸ったんだけどさ、その後1時間半位でぱったり死んだんだよ」
「まじか」
遂に来た、と思った。
自分にも、やっと、やっと、死の瞬間が訪れる。
とりあえず母親に電話した。
「もしもし、うん、あのね、薬を吸ったんだけどあと1時間ちょいで死ぬみたいだから」
「は?何言ってんのアンタ」
「とりあえずそう言うことだから、じゃね」
本気にしていなかったけど、一応報告したからね。
ぱったり死ぬって友達は言ってた。理想的だ。期待で胸が膨らむ。
じわじわ死ぬなんて、絶対に嫌だったから。
私は誰もいない自習室で、時計を見ながら穏やかな気持ちでその時を待っていた。
しかし、2時間経っても何の変化も起こらない。おかしい。
私は急いで先生のもとへ向かった。
「先生、1時間半以上経つのに全然死にません!」
「そうか…君は耐性があるのかもしれない。もう一度吸いなさい」
先生は机の引き出しをごそごそと漁る。
「…耐性があるって、私には即効性がないってことですか?!ぱったり死ぬんじゃなかったんですか!じわじわ効いてくるんですか?あ、副作用が出たりとか..」
「その可能性も、ある」
「…そんな」
「でも、次はもっとうまくいく可能性だってあるよ」
私の手には吸引器具がのっていた。
…次こそ!
私は静かに息を吐きだし、そしてもう一度、気体を思い切り吸い込んだ。