第六話 強いから美しい/ヒメユリ
「そりゃ嘘は下手かもしれないけど、私が一番皆守と長くいるんだから頼ってくれたっていいじゃん……」
「ご、ごめんなさいっス、俺が信用し無さ過ぎたのが悪いんスよ~」
「聞けばニコルさんも加担してるっていうじゃないですかぁ」
「荒木さんは、とても素直ですから」
「この場合それ褒めてませんよね」
「……まあいいではないか、荒木の言うことも正しいのだろう。彼女に頼るとして、他の部分はどうにかして俺たちがフォローすればいい」
あれから事情を知った荒木はというと、意気消沈の末に調理場に直行した。ちょうど生地を焼いていた料理人たちは、その間の暇の相手なのか荒木をなだめだし、今に至る。荒木のこの反応からすると今までの皆守の誕生日には何もしていなかったのだろう、もしくは今までの誕生日に荒木が何かをやらかしたために黙っていたのか、だが。
俺が緩く手を振って制止に入ると、先程やけに俺に対して警戒心を見せていた少年が顔を上げる。名は体を表すというが、はっきりとした日本人の顔立ちをしたその少年が荒木の肩をぽんぽんと叩いていた手を止めて俺をまっすぐ見てくるものだから、俺は自分の言葉を反芻してみる。何かおかしいことをいっただろうかと。
「……なんだ」
「い、いや、やっぱいい人なのかな?って」
「なんで疑問符なんだ。悪さをするやくざや不良にでも見えたか、失敬だな」
「わーわー、なんでもないっス!ほら荒木さん、じゃあケーキとかなんとかの準備は一緒にしましょうね!ッス!」
「うん……」
荒木の機嫌はどうにもすぐには戻りそうになかった。まあそれは追々どうにかするとして、ふと調理場の面々を見やった。
料理長と、その下につく少年、ウエディングプランナーにウエディングプランナー見習いの少女、そして俺。スワロウのほとんどの面々が揃っているが、肝心の皆守の姿はもちろん調理場にはない。すなわち、今広いスワロウの中で殆どの人間がこのひと部屋に集まってしまっているということだ。
「ところで、こうも大人数が集まっていては皆守に怪しまれないか?今、外には他に誰もいないのだろう」
俺が扉の外を親指で指すと、少年と少女が確かに!と素直に焦りを見せた。馬場さん早く出たほうがいいっス、うわあお元気で大和くん、などと。対して荒木はゆったりとした動作で顔を上げた。
「ああ、今日皆守は休みだし遊びに出てるから大丈夫だと思う」
彼女の一言に若人二人は腰を落とすのではないかというほどころりと安堵していた。バカ素直というかそっくりだなこいつら。
俺はやっと目があった荒木に声をかける。
「それは安心だ。それにしても、本当に皆守と親しいのだな、荒木は」
「あー……まあ、友人ぐるみで付き合ってるというか」
「ほう」
「今日も私の幼馴染と遊びに出てるはずだし」
ここで「へえ」と声を上げたのは俺と馬場敦子だった。小柄な娘と目が合う。そういえばこいつも新人だったか。ということはその幼馴染、という人物を大和は知っていたのか、と思うとなんとなくめらめらと舞い上がってくる熱がある。
そんな中、ずっとにこにこにこにこと笑い続けていたニコルが声を上げた。
「では、皆さんでケーキ、考えましょう。一緒に」
彼がそういえば若人に荒木もセットになって喜ぶものだから、やはり彼は料理長という一端の長なだけあるのだな、と納得した。きっとスワロウの面々の中でも父親のような立場なのだろう。
俺はまだまだ彼らを客観的にしか見れない。まだ、さすがに、同じ輪にいるのだという自覚はそれほどできないでいる。
しかし言っている間に真新しい同僚の誕生日なんぞというもんが近づいてきてしまっているのだ。以前は高価な酒を買って客らと一緒に店で飲んだものだが、そういうわけにもいくまい。
ちらとニコルを見上げれば青い瞳と目があった。カラーコンタクトではない素直な青さがそこにはあった。
「……その一緒、というのは俺も考えても?」
「もちろん」
と、あっさり頷かれてしまっては悩むのも意味なし、拍子抜けだ。俺は溜息を吐いた。
以前とは何もかも違う。客は女性だけではないし、同僚と競い合ったりすることもなければむしろアットホームな現場ときた。そもそも俺は客に直接顔を見せる職業ではなくなったのだ、と思うとそれはもう安心して仕方が無かった。よくもまあホストなんぞを数年もやれたもんだ、と自分に心の中で拍手を送った。
ふと視線を感じて別の方を見下ろしては、荒木がこちらを見ていた。すぐにそっぽを向かれたが。
アットホーム、ね。
彼女から感じる壁は、拒絶は果たして、どういう意味を持つのか。その意味を知る権利も、きっと俺にはまだないのだろうけども。知りたいと思う程度には、彼女についてここにきた程度には、胸の奥には熱が灯っていた。
荒木舞弥という女性は、俺の憧れの仕事の先輩だった。さばさばしているが仕事はできるし女性の気持ちも男性の気持ちもしっかり汲み取れる大人の女性。そして彼女は俺が抱えてた悩みもあっさり受け入れてくれたり、ものすごく素敵な友人を紹介してくれたりして、俺の人生の中で現在トップクラスの恩人に位置している。
普通じゃないよなあ気持ち悪いよなあ、と思う弱い俺の悩み。
それが一瞬でも許される場所があることを知ってからというものの、俺は幸せで幸せで。
「はあ、今回のも男性客が案外多いんですね」
「まだ言ってんの皆守くん!世界は広いよ、日本は深いよ!」
「あはは、名言っすわ。よーし樹さん、張り切って行きましょう!」
「っしゃ!」
道に構えるコスプレイヤーたちを通り抜け、俺は高成樹さんと一緒になって意気込んだ。
皆守志郎、24歳。主業はウエディングプランナー、趣味と副業にBLを読み描きすることを抱える、生粋の腐男子。
今回は忙しくて見る、買う側になったけども、と全力で意気込める今だけは、余計なことを考えなくていいから、やっぱり俺は幸せだった。
いつからこうだったのだろう、と思えばたぶん高校の時だ。わりと最近のことだ。どういうきっかけで、いわゆる男同士の恋愛がどうこう、という世界に足を突っ込んだのかは覚えてないんだけども、それはそれは人生全部を壊されたような感覚であった。
とはいえ俺は男で、しかも体もでかいわなんだわだし、言って俺自身は女性が好きだった。今までは。確かに好きだったとも。でもBL読んでぎゃあつく騒ぐ内心に従ってたら、気づいたら絵まで描き始めていた。そんなこと親にも当時の親友にも言ったことはなかったし、必死に隠したし、言ったとして、想像される未来に何度も青くなってた。実際俺自身がそれでどうこう悪く言われてたわけじゃないんだけども、自分でもたまに気味が悪い、って気持ち悪くなることが何度も何度もあったから。そういった話題が出た時に、知人たちが軽蔑を含んだ笑いを飛ばしていたのも、見たことがあったから。ああやっぱ変な趣味かなって、誰にも、誰にも言わなかったのだ。
「いや、にしても皆守くんがわりと大手どこの作家さんだとは思わなかったよねー」
「樹さんこそまたその話っすか」
「や、だって丸爺さんと知り合いとか……」
「実際に会ったのは今日が初めてでしたけどね、ほんとに男性だった」
「イケメンだったね」
「超イケメンでした」
腕に重い紙袋をぶら下げ、家の方への電車を待つ間。戦果は上々となった俺たちはほくほくと話をしていた。まわりは電車を待つサラリーマンや、俺たちのお仲間と思しき女性でいっぱいだった。楽しそうな顔はだんだん現実に戻っていく。その中に俺はもちろんいるのだけど、そう思うとまた悶々と心が重たく暗くなってくるものだから。
現実では、またひっそり隠れて生きなきゃならない。
「あ、皆守くんってもうすぐ誕生日だったよね」
唐突に高成さんが言うものだから、ぼうっとしていた脳内に、がん、と衝撃が走ったような気がした。
「え、あれ、そうですけど、なんで知ってるんです?荒木先輩っすか?」
「そうそう、23だから来週の火曜日か。だからこれ、はい」
「ええっ?!」
高成さんと俺が実際に会うようになったのもこの数ヶ月の話で、誕生日だとかそこまでお互いの話を深く掘り下げたことがるわけじゃない。なのに高成さんがごそごそと戦利品の袋から取り出してくれたのは、俺の好きなキャラクターモチーフのブレスレットだ。キャラクターイメージのアクセサリを作ることで有名なサークルさんがあって、そういや今日も参加していたはずだけど、アクセサリ関連を男が買ってもなあ、と見に行かなかった、んだけども。
「皆守くんは豊永推しで良かったよね?描いてるし」
「は、はいめっちゃ好きっす」
「オレンジ色、皆守くんにも似合うと思って。仕事中つけていいもんかわかんないし、オフの日にでも使ってあげて」
「……う、嬉しいです。すっげえ嬉しい。なんか、こういうのって女性の方がつけるんだろうなあって思っちゃって買わなかったんです。ありがとうございます」
手の内に収まるくらいの、小さな袋に入った細やかなアクセサリー。四角にかたどられた小さなビーズがシックに並んだものだが、色合いは俺の好きな漫画に出てくる、俺の好きなキャラクターのカラーリングに合ったもので、分かる人にはわかるだろうなあって感じだった。野球のスポコンものだからか、一個だけが野球ボールを模したビーズになっているのに気づいて俺のテンションはさらに上がる。
まさかこれを作った女性も、男の手に渡るとはとうてい思うまい。
それをその人がもし知ったとしたら、どんな顔をするだろうか。
「……ありがとう、ございます」
しっかりともう一度頭を下げたら、高成さんはけらけら笑った。
「もう、いいって。こっちこそおめでとう、まだ早いけどね」
「わーなんか照れますね、ハルさんに妬かれちゃいそうです」
「ないない」
「ありますって、ハルさん本当に高成さんのこと好きなんですから」
荒木舞弥の幼馴染であるらしい高成樹という女性は、それはもう快活な方だった。笑い飛ばしたかと思えば素っ頓狂な声を上げるし、表情がころころと変わる。ほら、今だって一気に肩を揺らして真っ赤になった。本当ですからね、と追撃を呟くとひいひい言って首を全力で振り出すからなんとなくおかしくって小さく笑った。
彼女も俺を快く受け入れてくれた。たぶんこれは、荒木舞弥という存在が大きい。
彼女は女性が好きなのだそうだった。彼女がそれを自分に教えてくれたその日のことは、今でもよく覚えている。もう二年前の話だけども。俺はそう言う人間に会うのは初めてだったし、そして彼女は俺のことも理解してくれた。それも初めての人だった。本当に荒木舞弥という女性は素敵な人だった。
初恋も全部女の子相手だったな、と言う荒木さんの顔は、一度も笑ってはいなかった。その内部にある思いまでは、俺はまだ知らない。でも彼女とずっと一緒にいたという高成さんは、もしかしたら知っているのかもしれない。
そう思っているうちに電車が来て、俺は少し驚いてしまった。
「わ」
「わっ、何。ぼっとしてた?」
「は、はい、そんなところです……すみません」
「いいけどさぁ。もう、皆守くんも変なことあんま言わないでよね」
そう言って開いた扉に入っていく高成さんの顔はまだ赤かった。はたから見たら、俺たちは恋人のように見えたかもしれない。大変失礼な話なんだけど。でも、俺はそれでも、全然大丈夫な人間だ。もし隣にいるのが男でも、たぶん、たぶん大丈夫って思える自信がある。
だから、もし今度荒木さんがあの笑顔のない顔をしてしまうのだとしたら、俺が支えられる。きっと支えてみせる。それは恩返しという思いもあるが、単に彼女には笑顔でいて欲しかった。
そしてその荒木さんの友人であり、俺の友人である菅谷晴朝さんの彼女である高成さんにも。
幸せになって欲しかった。
俺は電車に乗り込むと、大きく息を吸い込んだ。
「本当のことですから」
だからどうか、ハルさんと高成さんがもっと幸せになりますように。
俺がまっすぐ見つめると、高成さんはまた真っ赤になったけど、その顔はやはり俺たちウエディングプランナーにとって、とてもとてもうれしい顔をしていた。
そこにあったのは、恋だとか愛だとかいう素敵なものだったんだろう。