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第四話 純潔/薔薇



「おかえりー」


 あえて、あえてここで言うが、私は一人暮らしである。なぜ家の鍵を開けてなかに人がいるかといったら、いやもう、慣れたことなんだけども。


「……ただいま」

「春も終わっちゃうからね、暑くなる前に春キャベツのロールを煮込んでおりますよ」

「それは嬉しいんだけど、あんた、家の料理は」

「知らん」

「こら」


 ぷいと揺れたボブカットを見たのは何日ぶりだろう。言って最後に会ったのはそんな前じゃない。馬場ちゃんと髪型似てるけどこいつ染めてるからなあ、とぼうっと茶髪を見ていると新たな仲間となった蔦木とかいうイケメンのドヤ顔が浮かんできて、うっ頭が。せっかく今日の仕事は終わったというのに。

 頭を押さえていると自分のせいでそんな態度をされている、と思ったのか、まずます高成たかなりいつき―いや、もう菅谷すがや樹になったんだろうか。まあいいや、拗ねた幼馴染の背中をよしよしとさすってから私は台所を通って居間に入った。狭くはないが広くもない一人暮らしの部屋に、私のものじゃない漫画の山積みが日に日に増えていってる気がする。


「ねえ樹さん」

「なに、お米ならもうすぐ炊けるからその時にたべようね」

「勝手に炊くな」

「いいじゃない、それ読んでいいから。超面白いよ、ぜったい再来年くらいにアニメ化するね」

「それの話なんですが」

「知ってた?!マジで?!」

「違うわコラ」

「なぁんだ……」


 目に見えて落込む樹だが、もうかれこれこういった付き合いも長いので無視を決め込む。すばらしい美少年とはいえない、素朴な感じの少年が表紙を飾る、少年漫画だろうか。漫画の類いはよくわからないけど、ちらっと開いて見ればどうにもバトルものらしかった。


「またこんなにいっぱい買って、菅谷さんに怒られても知らないよ」

「ハルなら大丈夫、あいつもゲーム買ってたし」

「あっそうですか……」


 この高成樹という女は、私と中学からの腐れ縁の仲である。もうなんか私にとって好きとか嫌いとかそういう区別の中には収まらない人間で、昔から小突いたり喧嘩したりなんだかんだ一緒に遊びに行ったり、仲はいいことに違いないんだけども。

 昔から女グループの筆頭で男グループとの喧嘩だって買って出たような、言っちゃなんだけど凶暴に入るような女が、あろうことか一目惚れというものをしたの五年ほど前の話になる。ええ、腐るほど相談を受けたとも。なんでも相手は一つ年下のシューズショップの店員だそうで、靴を買おうとしたら一目惚れしたんだそうだ。靴なんか目に入らなかったとかなんとか熱弁された。知るかそんなこと。で、なんやかんやあった間に―その間のことは私は知らない。いつの間にできたかとか知らない―樹は菅谷すがや晴朝はるともという男性とめでたく付き合うことになったそうな。めでたしめでたし、と、いかないのが世の末。


「ほんっとあいつわけわかんない、人がうんぬん悩んでる時期に乙女ゲーム買うんだよ?マリリンまじかわいいっすわーとかぼやくんだよ?私の前で!安すぎる喧嘩だよね!買ったけど!!」


 ズガン、と音を立てて菜箸が鍋に突き刺さるのに、しかし耐えた菜箸を私はきっとあと二年は使えそうな気がした。

 菅谷さんは重度のオタクだったらしく、その事実は付き合ってから樹に暴露された。(そのときはまだ)ただの一般人だった樹は別に気にしなかったらしいし、趣味は別のことだと本当に分別もはっきりしていたそうだ。

 その時までは。

 半年ほど前、プロポーズをされるまでは。

 いやあびっくりだよねえと横目に親友を見る。強気で短期な彼女はプロポーズをされて一転、マリッジブルーに陥った。陥った彼女が転がり込んだ先が、これである。と、私は手元の漫画を見下ろした。


「……あんた、ほんとにこの半年でいくら使ってるの、これ」

「それがね、もともと私物欲ない方だと思ってたんだけどね怖いくらいに」

「具体的に」

「この五年で使ったお金より半年のが高いんじゃないかな……」

「うわあ」

「い、いいのよ貯金してた分を今使ってるだけなんだから。有意義、有意義!」


 マリッジブルーの末、彼女はオタクに転がり落ちた。それはもう、ゲーオタの彼氏さんと比になってしまうほどには。

 ピピピ、と歌う炊飯位の音に顔を上げる。鍋を見つめる樹の横顔はなんとなく、いつもみたいな騒がしさとは真逆の色に見えた。


「……炊けたみたいだけど、食べていい?」

「あっ、あ、うん」


 我にかえったようにぱっと上がる顔に、私は何も言えないのがいけないんだろうか。


「……あんま喧嘩してばっかだと、合鍵、回収するからね」

「えっちょっそれは困るの!!舞弥んち本当に便利……いやっそうではなくて!!」

「はいはい、でもそんな食べれる空腹具合じゃないよ」

「うええ、そんなあ……冷蔵庫にでも入れといてよ」

「明日のお弁当にでもするよ。皆守に羨ましがられるかなあ」

「皆守くん~~うわ~~~また一緒にアニメート行きたい……」

「仲いいよね」

「皆守くんと趣味あうから……」


 少し、機嫌が良くなっただろうか。我が物顔で慣れたように皿を取り出しては盛り付けていく幼馴染の背中を眺めても、変な気なんかは、しない。それは確かなことだけれど。


「そんなことより樹よりおしとかやな大和撫子な嫁が欲しい……」

「うるさいなあもう!私だってなりたくてなったわけじゃないんですぅ」

「あんたはそのままでいいよ」


 じゃなきゃ惚れてた、とは言わないでおくけれど。いや、幼馴染だから惚れなかっただけだろうか。まあ今じゃどっちみち有り得ないことだし考えるだけ無駄というものだ。

 香ってきたロールキャベツの味を想像するうちに、明日皆守たちに自慢してやろう、と思ったけれど、新婚の夫の気分はこんななのかしら。

 まあ、やっぱり、それも無駄な考えなんだけども。

 とりあえずは、この幼馴染を早く帰すべきだよな、と私は手伝うべく腰を上げた。






「あれ、昨日高成さん来たんすか?」

「……なんでバレたとは聞かないわ。うん、来た。で、帰らせた」

「よく喧嘩しますよねえ、気が立つというか、落ち着かないのかなってのはわかる時期なんですけど」


 翌日の昼休み、弁当箱を広げると案の定皆守が現れた。おそらく私がここまで手の込んだ料理をしないせいなんだろうけど、椅子をガタガタと運んできた皆守は正面に座ると、風呂敷に包んだでっかいおにぎりを取り出した。その口ぶりは、樹の心情を察してのものか。


「……結婚式場、一応決めたらしいんだけど」

「わ、進んだじゃないっすか」

「でもそっからぱったりと止まってるんだって。ドレスも、誰を呼ぶかも、料理もまだまだ」

「そりゃあ先が遠いですね」

「まだまだ遠くなるよ、たぶん。樹がこんなんじゃ、菅谷さんもどうなることか」

「大丈夫だと思いますよ、ハルさんなら」

「うん?」

「はい?」

「あんた菅谷さんと知り合いだっけ」


 皆守という人間と、仕事仲間になってもう四年くらいは経つ。それなりに仲がいいつもりだが、彼の性癖もとい趣味はどちらかというと樹と似通っており、私を介してここ半年の樹を紹介してからというもの、たびたびアニメートというアニメ関連のグッズ店やら漫画イベントに足を運んでいるというのも聞く。ただの友人とわりきってる付き合いだそうでいいんだけれど、菅谷さんは複雑じゃないのかなあ、と私は思っていた。

 なお、私は菅谷さんとは二三度顔を合わせたことがあるだけである。


「え、よく会いますよ。ハルさんの働いてる店、俺の家の近所っすし」

「……そうだっけ」

「はい!ゲームもよくしますよ」

「……あ、そう」


 皆守の家に足を運んだことは、わりあいにある。広く綺麗な家で、酒を飲んだりなんやかんやするときはスワロウの面々はよく皆守の家に行くのだ。だから皆守の家の位置ははっきり把握している、しているけども。菅谷さん。はて。

 あれ、そういえば私菅谷さんのこと全く知らんぞ。


「だから、大丈夫ですよ」

「はあ」

「先輩が高成さんのこと大事にしてるのは、なんとなくわかりますから」

「……」


 私は呆気にとられて皆守を見上げた。ちょうどでっかい口を開いておにぎりにかぶりつこうとしていたところで、そのまま首を傾げられる。

 もし一緒に働いていたのが皆守じゃなかったとして、ここまで、ここまでになるもんかな。いや、全く想像できない。

 あんた、すごいやつだよ。


「一個あげる」

「え、いや、悪いっすよ!」

「まだ家にも残ってんのよ、ほら、食べないなら喉に突っ込む」

「先輩怖いっす!!!あー、もらいますけど、いきなりなんですか、もー……」


 本心は何故か言えなくて、つまんだ一口大のロールキャベツを持ち上げた。悔しかったんだろうな、うん。困ってる友人を、私だって、助けたいとも。だけど余計な心が邪魔をする。好きだとか、そうでないとか。普通はこんな感情は邪魔をしないのだろうけど、私はそうはいかない。なぜ、こうなったのか。何度も繰り返した自問自答の結果は目に見えている。それはもう、はっきりと。

 だから、私はこんな人間でしかいられない。


「……あげる。お礼だと思って大人しく受け取ってよ」


 まっすぐ見上げていると、やっぱりこっちの心境を読み取っていくのが皆守という男だ。


「……えーと、じゃあ、はいっす。もらいます」

「ん」

「い、いやさすがに直接はアレなんで!ここ、ここにください」

「はあ」


 持ち上げたロールキャベツをぐいと突き出したら、やけに大慌てされた。はあなるほど傍から見たら確かに怪しい光景だわな、と気づいて『ここ』と指さされた おにぎりの上にべちゃっと乗せてやった。いいおかずにしてくれたまえよ、と思ったところで響いた叫びに私たちはびくりと肩を震わせた。


「あーーっ、貴様、おい荒木!何を仲よさそうにしているのだ、俺をさしおいて!!」


 廊下からやってきたのは例の、例の清掃員、蔦木秋人である。最初の紳士的にも見えた態度はやはりどこへやら、横暴たる勢いでどしどしと近づいてきた。そしてダン、と我々の前の机を叩いたかと思うと、じろりと私を睨んでくるのである。


「聞いているのか」

「……聞いてますけど……あの、再三聞きますけどそんなキャラでしたっけ」

「女性は大概『アレ』をしておけば機嫌も良くなるからな。お前がそうしてほしいならばそうするが」


 おうおうやっぱりこの妙に女慣れしたかのような態度は覚えというかがありすぎますなあ。

 目の前の皆守は私を見たり蔦木を見たり忙しい。まあ、忙しくさせているのはこちらのせいなのでちょっと申し訳なく思えてくる。

 正直腸の中身は煮えくり返りそうなものだが、皆守に迷惑をかけ続けてまでイライラを表立たせる気はない。私も大人だ、それはもう大人すぎるくらいには大人だ。大人になっちゃったもんだなあ。


「ううん、あなたがやりやすいのでいいよ」

「……」

「……何その顔」

「……ふふふ、やはりお前はおもしろい女だな、俺に対して言うことなすことが全て初めてだ!」

「やべえ気に入られた」

「始めから気になっていたとも」

「……ナンパってマジだったんすか」

「大マジだが」

「「うわあ」」


 ここで一緒に悲鳴をあげた皆守に拍手を贈りたい。しかし、彼の褒められない行為が続いた。皆守はロールキャベツを頬張ってから何やら立ち上がり、椅子の山からそのひとつを持ってきてしまった。

 かたん、と蔦木の傍らに椅子が置かれる。

 そこで彼らの目がバッチリあった。なにやら固まる蔦木と、笑顔の後輩。


「一緒に食べませんか、なんにせよ荒木先輩もやっとここまできたかと俺は嬉しいんで」

「おいこら後輩よ」

「……貴様、皆守と言ったな」

「はい!」

「男にしてはよくできた奴ではないか、株を上げてやろう!」

「褒められてるんすかね?喜んどきます!」


 自分の後輩がフレンドリーシップ高すぎてこわい。

 そうして気をよくした蔦木と皆守と、変なメンバーで食事会が始まることとなった。

 小さなバッグを片手に持っていた蔦木はその中身を広げ出す。綺麗好きだとかなんだとか言っていたか、それを表すかのように色とりどりのおかずが綺麗に綺麗に詰められた弁当だった。

 それを覗き込んでは皆守が目を輝かせる。


「ほへー、すっげえ綺麗っすね。彼女さんでもいるんですか?」

「いたら荒木を誘わん」

「……」

「そこ、意外だとでも言いたげだな」


 うわあ指摘されてしまった。

 いや、意外だった。女慣れしているのはなんらかの経験のせいだろうと思ったけど、それにしては妙にきっちりしているのをところどころで感じるから、彼の性分に何かが余計にプラスされているような気がする。性格に、態度に、口ぶりに、色んなところから。

 ……ホストの匂いがするよなあ。

 さて気づかぬうちに悩んでいた心境も落ち着いてきたし、飯をどんどんすすめていこう。いこうとするけれど、ちらりと見やった男にふつふつ湧いてくる苛立ちと、その原因である綺麗な男が苦手というのと、どうして私なんぞに引っかかったかと悲しくなってくるのとで箸も進みやしない。

 どうせ女が好きだなんて聞いたらドン引くだろうに。

 だから、元の職業はホストなんですかとかは聞きやしない。溝を浅くするような真似は、もうこれ以上しないでいいだろう。

 皆守と、大親友の樹と、オーナーと、それくらいでいいじゃないか。片手で数えられる人数心を許せているなら、それでいいだろうって。

 今日の私はやっぱり、どうしても、気分がのらなかったらしい。

 私だって、いろいろ初めてが重なりすぎたっての。




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