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第三話 陶酔/葡萄




 バケツにつけたモップを持ち上げ、床を拭いていく。べちゃっと、思いっきり叩きつけてしまえばやや弾かれた水滴が足に触れて冷たいと思うものの、仕事をさっさと終わらせるほうが先決とてきぱきと進んでいく。と、なにやら足音がしたので顔を上げると、ひどく驚いた表情に固まった馬場ちゃんが入口に立っていた。


「……おはよう?」

「あ、あの、荒木さん、何をなさっているので」

「掃除だけど」

「なぜ荒木さんが」

「人が足りないの、皆守もしてるけど」

「ということは私もですか」

「や、馬場ちゃんはまだいいよ」


 私は掃除を中断、モップの持ち手に顎を乗せてひらひらと手を振った。

 あれだ、このスワロウには人が足りないのだ、端的に言うと。オーナー曰く「大所帯はきらい」とのことで(ワガママか)、料理を担うのは非常勤の一人を含め三人、客のすべてを任されるウエディングプランナーが現在やっと三人になって、あとはオーナーが経営を回してくれている、だけ。それだけ。それだけって。いくら郊外のちっぽけな結婚式場といえども結婚式場であるからしてそれ相応の広さはありまして、掃除が大変なんです。いくらなんでも結婚式を控えた時には業者を呼ぶけども、それ以外、ケチなオーナーは「暇してるときくらいやんなさい」とウエディングプランナーである私たちに掃除を任せるのだ。いいけどね、本当に暇だから。お客そんなこないから。いいけども。

 手をひらひらと振ってみせると、馬場ちゃんは私の手の動きなんかよりももっと勢いよく首を振った。


「それはいけません!先輩がやっているというのですから!」


 うん、この子は真面目ちゃんだなあ。こうなると思ってバレないように馬場ちゃんがいない時に掃除してたんだけども、まあいいか。

 馬場ちゃんはバケツに歩み寄りしゃがみこむと、それにかかっていた雑巾を絞り出す。

 ……うん、こんな素直な子に掃除させるのもなあ。


「馬場ちゃん」

「はい!」

「パンツ見えてる」

「ぎゃあ!!!!」


 叫ぶなりドタバタとすっ転んだ馬場ちゃんを、可愛いと思わないわけじゃない。小柄なはずの私よりさらに小柄で、元気と笑顔が素敵な女の子で、パンツは真っ白ときた。ええ可愛いとも、だからこんな子に掃除なんぞさせらんない。私がするのは別にいいのよ、いいんだけど。かといって、どうしたもんか。

 とりあえずオーナーに声をかけてみようか、という思考回路が私の中で生まれたのは、驚くことにこの時が人生で初めてだったのだ。






 専属の清掃員がほしいの?ダメとは言わないけど、こんなちっぽけなとこにわざわざ来たいとか思う馬の骨とかいるかね。

 出たよオーナーの自虐。オーナーに相談した結果がそれだった。清掃会社をあさっては見たものの、なにより値段が高い。結婚式も何もない間に掃除を頼むとして、週に何回か来てもらえばいいだろうか。いやいやでもでももっと少なくていいか、そしたら私たちが掃除すればいいし……いやいやそれじゃ意味がない、馬場ちゃんや皆守にだってこんなことさせてちゃいけないんだから。だから掃除してくれる人を探してるのに、それじゃ意味がない。意味がない、けども……


 机に顎を乗せて仕事雑誌を睨んでいると、ふととなりに人影が止まった。なんだろう、注文したコーヒーはもう届いているし、悩んでいる間に冷めてしまっただろうけど店員は呼んでないぞ。首をもたげて見上げると、やけに綺麗に、作り物めいてにっこり笑う男がいた。


「すみません、注文している間に席が埋まりきってしまったみたいなのですが」

「はあ」

「相席しても?」

「……」


 現在地は、私がよく利用する駅の近くのおしゃれなカフェだ。スワロウがある郊外のど田舎とは遠く離れた場所にあるが、私はわざわざ休みには必ず訪れるくらいにはここのケーキとコーヒーの味が好きで、今もこうしてやってきている。まあそういう人間はとっても多いらしく、このカフェ・フレスカ、混雑は必至。そして現在ももちろんというほど満員で、この男は席を探していたようなのだ。

 まあ、私はひとりで朝の空いた頃からテーブルに数時間鎮座していたわけなので、何も困ることなしにこうして雑誌とにらめっこだ。その身分としてはぜひどうぞ、と言いたいところだが、私はそのなんというか、男が、苦手だ。私の可愛い大好きな女の子がみんな大好きになる男というのが、とっても。


「……まあ、どうぞ」


 かといって断れる立場でもないんだから悲しい。立場というか、私の性格というか。そんな悪い人間じゃないよ私、普通かどうかはわかんないけど。

 私の了承を得た男はやっぱり綺麗に、そして強気ににっこり笑うと、手にしていたサンドイッチが乗ったプレートとともに向かいの席に付いた。やけに背筋が伸びて足が長くて、くそ色男じゃないか。天敵だ。むかつく。と思いつつもまだ私はお昼のランチプレートも今日のデザートであるチョコレートケーキも食べてないのだ。とりあえず雑誌を畳んで注文をさっさとしてしまうかとベルを押した。


「あなた、よくここに来ていますよね」


 震えた手のせいでベルをもう一度押してしまいそうになった。なんだ、何を言ったこの男は。間違いなくこの男が言った。なんせこのやや金混じりの茶髪のいかにもな男は笑顔のまま紅茶入りのグラスを揺らしていた。ワインみたいなぶどうの匂いのする、ちょっと不思議な紅茶だった。紅茶、あんま飲まないからなあ。うん。で、なんつった?


「……お知り合いでしたっけ……?」

「いえいえ、僕が勝手に覚えているだけで。僕もこのカフェ好きでよく、いや、ほとんど毎日来るんですよ」

「ソウナンデスカァ」

「……僕、わりと目立つと思うんですけど」


 覚えてないですかね、なんてそんな眼差しに込められたってんなもん私は男なんぞ目に入れたくもないんだよ、すみませんね。

 内心全力で頬を引きつらせつつもさすが接客業を何年やってるだけある、さすがだ私。表面上は小さく微笑みながら「あんまり人の顔覚えるの苦手で」とだけ返しておいた。よしよし。そしてウエイトレスの女の子が来てくれたので、手短に注文も済ませた。去り際にでは、と向けられた笑顔が素晴らしい。写真撮って眺めたい。いいわあ。

 すっかり意識をそらしていたところ、また男の方から声がする。


「お仕事を探されているんですか」

「ちがいます、ちゃんと仕事してます」

「そうなんですか?いや、すみません。お仕事の本を読んでいたもので」


 いつから見てたんだこいつ。青筋が立ちそうになったもののこの男が勘違いするのも無理はない、私はきっと怖い顔で仕事雑誌を睨んでいたのだろうから。とはいえど弁解するのも面倒だし、これ以上何も言うこともないだろうと口を紡ごうとした。


「仲間かと思ったんだが、失敗だったか」


 そう言って男が、今までとは違った素直な声音と顔をしたのに私はやっと、やっとというか初めて男の顔を見た。男といえば、ごついヤクザみたいな皆守、小柄やんちゃ坊主の大和くんにでっかい外国人のニコル、細ノッポの長谷寺、何考えてんだかわかんないおっさんと片手で数えられる仕事仲間しか知らない。だがこの男は、男にしては少し長い襟足の髪に、スーツみたいなきっちりした私服が似合うモデル体型に、それはそれは端整な顔立ちをしている。いかにも女の子が好きになりそうだなあって、そんな感じ。

 だがこいつ今なんて言った?


「……お兄さんお仕事探してるんです?」


 私がずず、と下の方から覗くように顔を睨んだ。男は緩く首をかしげる。


「あぁ、ええ。ちょっといろいろあって、前の仕事をやめたので」

「どんなお仕事で?いや、どんなお仕事だったらついてもいいとか思ってます?」

「ふむ……接客業?みたいものだった、だから今度は裏方がいいかと思いまして。僕、あまり人の扱いはうまくなかったらしくて」

「よしきたお兄さん」


 だん、と机に両手をつくとコーヒーと紅茶が揺れた。周りの視線と、プレートを運んできてくれたウエイトレスが驚いたのとよりも、男を優先した私の頭の中にあったのはたぶん馬場ちゃんや皆守という仲間のことだと思う。あとなにより自分の苦労の積み重ねのせいだと思う。そうじゃなきゃこんなことしたりしない、絶対に。


「清掃員を欲しがってるとこがあるんだけど」


 凄みをきかせて睨んでも、この男の笑顔が消えなかったのが逆におそろしい。


「……あなたがいるところならどこへでも」


 そしてさらっと吐いたにやりとした顔もセリフも今の私にはただの肯定だ、ほかの意味は受け付けない。というかこれがいわゆるナンパだったのか?と思い至ったのはその日の夜のことなので、別の話だ。







「えっ、さっきの綺麗な男の人、お客さんじゃないんすか?」


 皆守が目を丸くして、強面に似合わない顔になった。

 次の日の出勤日に先の男にスワロウに来るように伝えたら、「あなたの連絡先と交換でいいなら」という笑顔の条件付きで本当に足を運んできてくれた。なお私にも連絡先を渡されたがまだ見てない。今彼にはオーナーと話をさせているところで、それが決まったら登録するかくらいの心持ちだ。なんせここはオーナーの好みに入ればなんだってやれる。オーナー様様の場所だ。あいつが気に入られるような輩には見えないけども。いやでも清掃員欲しいからオーナーお願いマジで。


「あー、うん。清掃員やってくんないかって頼んだ人」

「へえ、先輩にあんな知り合いいたんすねえ」

「いや知り合いっていうか、名前も知らないけど」

「え」

「ナンパされたのかなぁ」

「え゛っ」


 さすが数年一緒にいる皆守くん、私にそんなのがありえないってのがよくわかっている反応をしてくれる。普通の女性は怒るのかね、こういうの。


「ありえないよねえ」

「ありえないっす……先輩があんな綺麗な人に声かけられて嫌われないとか……絶対嫌な反応しますよね先輩」

「……皆守、いくらあの人が綺麗でもネタにしちゃダメだからね?」

「し、しないっす!しません!俺二次元でしかそういうの見ないって!」

「わかってるわかってる」


 からかわれたとわかると皆守は「もう」と子供みたいに膨れやがった。かわいくないぞ、ちっとも。

 さてそうしているとなにやら足音が近づいてきた。カツカツと妙に丁寧な足音は耳に残る、あの男だ。私と皆守、二人して振り向いた途端、私の手がとられる。というよりガッと勢い良く掴まれる。その時、たぶん二人してひどい顔になってたと思う。

 連絡先を渡した際に嫌々ながら伝えた名前を呼んで、男は過去最高のイラッとする笑顔を浮かべた。


「荒木!どうだ、オーナーから許可をもらった。これで俺もここの一員というわけだな」

「お、おう……というか呼び捨てにしないでください」

「俺はわりと潔癖症だからな。掃除など容易い仕事だとも」

「え、あんたそんなキャラだっけ……いや、オーナーはなんて?」

「荒木さんが呼んだなら変な人でしょって。あんた一体どんな人間なんだい」

「あのオッサンこの野郎」

「あ、じゃあ俺たちのお仲間になるんですか。俺、皆守志郎っていいます。皆守でいいっすよ」


 掴まれた手をいつ振り払おうかと全力で頬を引きつらせていたところ、皆守がひょいと顔を突っ込んできた、ありがとう。だがお前もなんか怖いもの見てるみたいな顔してるぞ。

 しかし男の方は綺麗な笑顔を崩さないで、やっぱり綺麗な対応をするのだ。丁寧さが崩れたはずの大仰でむかつく態度なのにも関わらず。

 ……なんかこの仕草というか対応の類い、覚えがあるぞ。

 女性の対応に慣れていて、笑顔や仕草が整っていて、それで、それで。


「俺は蔦木つたぎ秋人あきひとという。そっちの男、気に入らんが仲間というなら仕方ない、呼び捨てにしても構わんぞ!」


 最高の態度で笑う青年に、私はなんて人間を呼び込んだんだろうと、私の本能が悲鳴をあげていた。







第三話 陶酔 






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