第二話 純粋/スズラン
みなさまどうも、元気にコンニチハ!
わたくし、スワロウに今年から勤務することになりましたピチピチの新人、馬場敦子であります!職業はウエディングプランナーなのですが、わたくしが入りましたスワロウという結婚式場はちょっと普通の結婚式場とは異なる部分が多い場所であります。それなのにとっても内輪の雰囲気はあたたかくって、素敵で、私は混乱してしまいます。いえ、文句などありません。今はまだ裏方の仕事しかできなくたって、悲しくなんてありません!
「……何をひとりでぶつくさと言っている」
「ぎゃあああ!お、オーナー!いつからそこに!」
私は大慌てでばさばさと本を閉じた。鼓膜をぶるぶると震わせてくる低音は、私が思わず飛び上がるほどの畏怖を持っていた。顔を上げれば、不機嫌顔というか、いつも眉間にシワを寄せているオーナー―本名は誰も知らない。ミステリアスダンディであります!―がいた。壮年のもういい年のおじいちゃんだが、スワロウで名のとおりオーナーを務める男性だ。つまり、上司だ。
私が閉じた本に気づくと、オーナーは眉をぴくりと震わせる。
「……それはなんだ」
「えっ、あ、あのですね、本屋で見つけたのですよ!じゃーん」
明らか不機嫌顔だがそれはいつものことだから変に緊張しなくていいよ、という先輩の言葉を飲み込んで、今朝本屋で買ったばかりの『あなたも憧れのウエディングプランナーに!』の本を持ち上げた。載っていたのはキラキラ輝く笑顔のプランナーさんたちで、それはもう憧れる写真と文字が並んでいた。それをパラパラめくってオーナーに見せるものの、オーナーの顔は一切変わらない。
「そんなものうちで使えると思うのか」
「……ダメでしたかね」
「普通の式場じゃない」
「はい」
「夢を壊してもこちらは責任を取りませんよ」
「はい」
わあ、怒られるかな。雰囲気がどうにも慣れずにすす、と本を下げると、やはりそこからは全く変わらない顔が見えた。だけどこほん、となにやらひとつ咳払いをすると、オーナーは踵を返してしまった。
「……まあ、せいぜいがんばりなさい。応援はしてあげるから」
残された私はぽかんとした。
応援、してくれた!私はわなわなと震えつつ、上がってくる体温に腕を抱きしめた。これが、これはいわゆるTUNDEREというやつではないですか!思わず卒倒しそうになるがそういえばいつか荒木先輩が言ってたな、「オーナーは……天然たらしだから」的なことを!ツンデレとは思わなかった!恐ろしい、恐ろしいですジャパニーズおじさま!
ひとしきり、ひいふうと呼吸をして落ち着きます。落ち着きましたよ。すると鼻が嗅ぎつけたのは甘く食欲を誘う香り。腕の時計を見れば、朝時を少し過ぎた出勤時間にもまだ早い。ん、あれ、オーナーはこんな早くに来てるのか。すごいなあ。え、私こそなんでこんな早く来ているかって?だって新人ですから!
と、続いてばたばたと足音が近くの部屋から聞こえてきた。荒っぽい足音には覚えがあった。
「大和くん?」
「んあ、馬場さん!いたんスか!」
音がした扉をのぞいてみると途端むわっと甘いにおいが濃くなった。そうだ、ここは調理場で。そこでばちり、とふたり分の視線と目があった。
「おや、おはようございます。馬場さん、とてもお早い。今日も、とても元気だ」
にっこり。とっても綺麗な笑顔をしてくれたのは、スワロウの調理場を切り盛りする外国人―どこ出身?そういう素性がまったくわからない―であるレッドワン・ニコルさんだ。長身で金髪蒼眼のいかにもな外国人さんだが、いつもにこにこしている。それから無駄に丁寧でややカタコト喋りなのがかわいらしい人だった。
「びっくりしたっスよ、いきなり来るんスもん。ね、大将もびっくりしました?」
そして先ほど走っていたのであろう人物は、白い作業着を着ようともぞもぞと乱れた服に必死に腕を通していた。朝柄大和くん。私より、この私より年下という衝撃の新人、料理人見習いくんである。なお、私よりスワロウ勤務歴は先輩!先輩なのでありますよ!黒髪白い歯のいつも元気な大和男児が、先輩。悪くないですね!でも彼からは最初に「馬場さんのが年上なんで気楽にお願いしますっス!」と言われているので、私はいつもの調子でいきますよ。
はっ、いけません、思考回路がすっ飛んでおりました。
「いえいえ、元気はよいことです」
「大将ってばほんと優しいっスねえ……あ、裏表逆だった!いっけねー」
「大和くん、私にも負けず劣らずの失敗しますよね。……でなくて、ニコルさん」
「ハァイ」
わあ、すごい綺麗な英語の発音で返された。そんなニコルさんの手元には、小さなカップケーキが並んでいる。
「……それは」
「それ?……これですか?」
「それです」
ニコルさんがケーキを指さした。そして、ケーキくらい甘い表情でふわりと笑ってくれた。
「作ったのは、試しだからです。……ええと、近いはずですね、皆守さんのバースディが」
「そうなんですか?」
「そうっスよ!5月の23日。来週っスね」
あれ、もう5月だっけか。早いなァーもう職に就いてから二ヶ月が経とうとしているなんて。いやそうでなく、ふたりが話しているのは皆守志郎さんのことだ。私が憧れるウエディングプランナーの一人で、一見ヤーさんの類なんじゃないかっていうくらいにわりとがっしりした大男さんだ。というか彼がサングラスでも着けてきた日には私、泡を吹く自信がある。だがその内面はザ・善人。ほんとにいい人で、スワロウの雰囲気をよくしているのは皆守さんだというくらいに素敵な人だった。
「お誕生日、ですか」
「あ、馬場さん、これ内緒っスよ!荒木さんにも、あの人嘘つけないんで、秘密なんです!」
「あー、それっぽいですね」
「ナイショ、です」
しい、と調理人ふたりが口に指を添えるのがなんだか微笑ましかった。しかしそこで「あ」とニコルさんが声を上げる。何かと思ったら、私の方に手招きをしてきた。なんだなんだと近づくと、カップケーキのひとつを差し出された。
「えっ」
「口止め料というのですね?さしあげます」
「マジですか!」
「ハイ」
「うええ馬場さんずるいっス!!」
「大和、シー」
わたわたと断るつもりで手を振っていたのに、優しい手つきで手をとられ、その上にカップケーキが置かれた。ふわりとベリーとバターが香る。くらりとした、なんて贅沢な朝ごはん後のデザートだ。それを見て(やっとコック服を着終えた)大和くんが声を上げたのに、ニコルさんはシッと鋭く息を吐いてから、もうひとつのケーキを大和くんに差し出してあげていた。
「わ、ありがとうございますっス大将!やったー!」
そう言って純粋に喜ぶ彼を見てるとなんか犬みたいだな、と思います。のは私だけじゃないはず。私はその場で大和くんと一緒になってケーキを食べてしまうと、それからニコルさんにもう一度お礼を言ってから、廊下のベンチに置き去りにしていた本を思い出して、ぱたぱたと調理場を後にした。
私が扉を閉めると、んあ、と低い声がした。
「馬場ちゃんじゃん。早いなァ」
「ぎゃっ」
「ん?」
私が思わず驚いたのは、今まで話していた渦中の人物がそこにいたからだ。比較的男性らしい、らしすぎる容姿もあってもはやスーツ姿なのだけでも怖さがちょっぴりにじみ出ているような気がするが、その丸くなった目も声音の優しさも、微笑みをたたえた口元にも、近寄りがたい雰囲気のかけらもありはしなかった。しかし驚くポイントは更に加算される。なんとそこにいた皆守志郎さんは私の本を持っているではありませんか!
「あの」
「おう」
「それ」
「馬場ちゃんの?」
「へい」
「いいもん持ってるね」
「いやあ……思わず買っちゃってですね……」
返して欲しい。そっと手を伸ばしつつ警戒しつつ、じりじりと摺り足で皆守さんに近寄る。皆守さんはパラパラと本をめくり出してしまった。というか今の今まで読んでたのだろう、し、こんなとこにいたってことはまさか聞こえてなかっただろうな今までの話!と私の緊張感はマックスになる。
「皆守さん」
「はいはい、お返ししますって。そんな怖い顔すんなよー可愛い顔がもったいねえ」
「イエイエドウモ」
差し出された本といつもどおりのけらけらとした皆守さんのテンションにやや安心する。この人は嘘をつく感じじゃない。そしていつもさらっとわりと大胆なこと言うから私みたいな純情ガールカッコ大爆笑の人間は死んでしまいそうです。大丈夫大丈夫バレてないな。たぶん。
「ん、馬場ちゃんなんか朝ごはんでも食った?」
「へ?」
「なんかついてる」
とんとん、と皆守さんが自分の口元を叩いて示したのに、私の背中に冷や汗が伝う。あ、ほんとに嫌な汗ってこういう感じなのね。わー。そうじゃなくって。ケーキ食べたんですよなんて言えない。私より随分長くスワロウに努めている皆守さんなら、私が調理場から出てきたというのは言わずもがな分かるだろうし、そしてケーキなんぞを食らったというワードを入手してしまえば思い当たる節がありありだろう。というか今調理場のことを思い出させてしまうとヤバイ。実際ヤバイ。だって中にはニコルさんがケーキを作っていたんですもの!
「……ええ、はい、えっとですね」
さあ上手い言い訳を考えろ、馬場敦子!
カッと目を見開いた瞬間だった。
カツン、と、なんでもないような足音なのに、妙に響くヒール音が廊下を伝った。
「あ、先輩だ」
皆守さんも、そして新人のはずの私もなんでか、すぐにわかった。
ふああ、と大きなあくびをした女性がT字になった廊下を横切ろうとした。しかしふと視界の横に影を見つけたのか立ち止まる。
すらりとした印象の、だけど私よりほんの数センチ大きいくらいの身長がすこし以外だと思った記憶がある。背中ほどまでの長さの真っ黒な艶髪が後頭部できゅっときつく縛られて、彼女がこちらを振り向くとつられて揺れた。どこか気だるげな瞳の視線が背の高い皆守さんからこちらに向けておりてくる。
「……おはよさん」
さらにあくびをもうひとつ。
私の憧れの大先輩、荒木舞弥さんだった。
「っおはようございます!」
「馬場ちゃん元気だねえ……昨日のお酒残ってないの」
「私あんまり飲んでませんので!」
「うそーん」
見たところ先輩がお疲れの様子。昨日の先輩―いや、昨日に限らず先輩はたまに疲れて飲むことがあるようだ。何かあるのかな、と思うものの、それを知るのは、これからですよね!
と意気込んだ私が目にしたのは、先輩のスーツの胸元に咲いた花だった。
「先輩、かわいいお花をつけていますね」
「ん?ああ、これかあ……うん」
いくつかの花が連なった、すずらん、だろうか。真っ白な花とスーツとのコントラストが激しいはずなのに、どこかやわらかな感覚さえ覚えて。
「……かわいいお花だよね」
そう、眠たげに言う先輩が、優しそうな雰囲気だったからだろうか。
ともかく先輩、皆守さんの意識をそらしていただいて、大変感謝であります!満面の笑みを浮かべた私に、荒木先輩は「……へんなかお」と言って小さく笑ってくれた。
第二話 純粋