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第一話 幸せが訪れる/スズラン



 この白いベールを、この世界でただひとり、初めてひとりじめ出来る権利が私にはある。

 マシュマロのような甘ったるさに花の香りと彼女の香りが重なって、化学でも作れない幸せが部屋中に満ち満ちた。


「……できましたよ。とても綺麗です」


 私がそう言うと彼女はベールの下でゆっくりと瞼を開き、白のレイヤーが重なった視界を不思議がるように目を丸くした。それからわたしの瞳をちゃんと見つけると目を合わせ、ふにゃ、とそれはもうたいへん可愛らしく笑うものだから、胸がギュンとした。


「うふふ、荒木さんのおかげです。こんなにもかわいいドレスと髪型になっちゃうなんて」

「ふっふん、だてにやってませんから。化粧だってかわいいですよ」

「ほんとうに?ああ、でも心配にはならないわ。いつもと違う化粧だけど、荒木さんの手つき、すっごく優しかったもの」


 きっと荒木さんの言うとおり、私、今までの人生で一番かわいくなれたわ。

 そう言って花嫁となる彼女は肩を揺らして笑った。

 ぐっと変な声が出そうになった。

 ……ああ、めちゃくちゃため息吐きたい。幸せと嫉妬とぜんぶ織り交ぜてため息吐きたい。じゃないとこの詰まった胸が爆発しそうだ。ちくしょうめ新郎よ、こんな美人をいつどこでゲットしたんだ紹介してくださいほんと。そしてついでに幸せになってしまえ。今まで何度も経験した苦しさは、それでも花嫁の笑顔を見たら幾分かやわらいだ。


「……ええ、とってもかわいいですよ」


 世辞でもなんでもない。ほんとうの、私の本心。心底からの好意。きっと思いに形と色があったならば、まさにピンクのハートだ。なんかそんな感じの子供用のおもちゃとか山ほどありそうだなっていう、ちんけな安っぽいかんじの。

 少し長いあいだ見つめすぎただろうか、はっとした時には花嫁の女性はなにやら子供みたいな顔でじっと私を観察していた。


「あ、あの」

「ねえ荒木さん、私、前も言ったけどやっぱり荒木さんのこととっても好きよ。親身になって相談に乗ってくれたし、今までどこで相談した結婚式場の人よりもスワロウの方たちは本当に優しかったし!」


 ぷんすこ、という擬音が最高に似合いそうな様子で拳を作った花嫁に、私はややどきりとする。好きって、いや、そういうことじゃないってわかってるけど。


「い、いやー、私達はできることをしているまで、です」

「それがとても嬉しいの。なんだか、長い友達に相談しているみたいだった」


 スワロウ、というのは私が働く結婚式場の名前だ。ちっぽけな結婚式場で人手が足りているわけでもなく、出来るならやりなさい、とプランナーとヘアメイクドレスアップまで兼ねるような仕事が回ってくる現場だ(それいいのかっていうのは私は飲み込んでいる)。子を甲斐甲斐しく育てるツバメの親のような気持ちで、なんていう所以を最初の最初に聞かされたけれど、その集った親鳥もといプランナーは、ややおかしな奴らが多い。私を含め。

 その私はというと、花嫁さんの言葉に傷ついている最中だ。ええ、どこに傷つく要素があったって?だってほら友達って彼女言ったでしょう。はい、私みたいな人間の傷つくワードランキング常に上位の言葉!だが私はそれを表情には一切出さないで咳払いをひとつ。「それは、光栄です」となんとか言い切った。

 花嫁さんは、それでもまだ何か言いたいことがあるようだった。花嫁の視線がふとそれて、自然とそれを追ってみると彼女は壁にかかった時計を見上げたのだとわかった。


「ねえ荒木さん、まだ時間があるわ」


 彼女はそう言うと、座っていたソファの隣を叩いた。座れの合図。私はぎょっとして思わず首を振っていたが、花嫁は強気にも座って、と腕を引いてきた。同業者の皆守が『シッポ』と馬鹿にする、私の後頭部できゅっと結われた黒髪が揺れに揺れる。半ば体制を崩しながらも腰をおろすと、その衝撃で揺れた花嫁のドレスから、また甘いコロンが香った。

 引かれた手は、花嫁さんの手の下にあって、まだギュッと強く押さえ付けられている。なんか、あれ、私めちゃくちゃ顔赤いんじゃなかろうか。

 

「花嫁さん、あの」

「私、もっとここの人たちとお話したかった。荒木さんとも」

「ははあ」

「結婚式場に遊びに来るなんて、きっとできないから。だから、今の、あとちょっとだけ荒木さんとお話したいの」


 だめかしら、なんて目を向けられて私が黙っているわけがあるまい。

 わりと下心もりもりで親身になっててごめんなさい、とどこかにいるであろう神様に心の中で土下座をして、私は小さく頷いた。

 やった、と目に見えて喜んだ花嫁からの質問攻めも、まあ、苦にはとてもならなかった。


「荒木さんはおいくつなの?」

「……26です」

「あら、近い!」

「25でしたっけ」

「はい、彼は26なのだけど」

「確かそうでしたね、資料で見ました」

「ふふ、やっぱり仕事熱心。このお仕事は長くしてるんだったかしら」

「短大出てすぐなんで、もうわりと……」

「すごい!どうしてプランナーになろうと思ったの?」

「ええと……た、楽しそうだなって」

「素敵ね。荒木さんみたいに優しくて、女の子を着飾るのが上手な人だときっと天職だわ」


 おわかりいただけただろうか。私の内心は心臓破裂すんじゃねえかみたいな状態である。だって美女に、ベタ褒め!こんなに積極的な花嫁が珍しいわけじゃない。スワロウでの異業のせいというか、ありとあらゆる局面で同じ人間が甲斐甲斐しく世話をするせいで親身になり、わりと、荒木さんっていくつなの、どうしてこんな仕事をしてるのとかは、髪型のセット中などにできた暇に声をかけられることも多い。だがここまでのは稀有だ。神様へのポーズが土下座から五体投地にレベルアップした。ありがとう、ありがとうございます。

 にこにこにこにこ、花嫁は終始楽しそうにしていた。

 花嫁はずっと、楽しそうだった。

 最後の最後に空気を変えてしまったのは、普通じゃない私のせいだった。


「ねえ、荒木さんはご結婚はしているの?それか、彼氏や、気になっている人とかは!」


 そこで石みたいに固まった私を見て、花嫁さんも何か察したような表情になった。

 ただ彼氏がいないとか、独り身なんですよーとかなら、私みたいなポジティブ馬鹿には笑って飛ばせる自信があった。だけど、これは、未だに26年生きてもても、どういう対応が一番の正解なのかわからなくて、一気に下手くそな笑顔になる。


「……私は、いいんです。私は、そういうの、難しくて」


 結果、いつもこんな否定しかできないでいるのだ。

 花嫁さんの笑顔がなくなったのがそれよりも心配で心配で、慌てて言葉を付け足そうと顔を上げたら、なにやら彼女は思考を巡らせているようだった。


「……荒木さん」


 私のことを、どう思ったんだろうか。独り身の悲しいアラサーと思ったんだろうか。なんか、そんな感じじゃない。何となくそう分かるような、それこそ、あれ、誰が言ったんだっけ、長年の友達みたいな感覚がした。

 あの、と声を出そうとしたくせに、私は何を喋ろうとしたんだろう。混乱する頭に、耳につけた無線から声が飛んできた。


『荒木さん、新郎さんの準備オッケーっす。時間もそろそろいいっすかね』


 皆守だ。新郎側に身を寄せるプランナーとして、常々私の相棒になってくれている同業者。人のいい重低音が耳に響いて、私ははっと我に返る。


「は、はい。こっちもオッケーだから、準備するね」


 無線に応答すると先から了解っす、と元気な声がしたのを最後に通信は切れた。花嫁にも声が少し届いていたのか、そして時計をもう一度見上げたからか、式の時間がもうすぐであるのに気づく。

 立ち上がったせいで、花嫁の手が離れていった。それは、どうしようもない空虚を覚えるものだった。

 私のものになんか、ならないのに。

 だけど私のいいところは、ふわりと揺れるベールを見上げて、すぐにあとを追ってその手を掴み返せる仕事人間であるところだ。


「最後のお仕事です。お連れしますね」


 引き止めた花嫁の手をそっとてのひらに乗せるかたちにして、私は半歩先を歩く。これから先定位置につけば、リングボーイとして花嫁の母親に仕事を任せられた、花嫁の甥っ子を呼び出さねばならない。リングボーイの少年は同業者の馬場ちゃんが控え室に呼んでくれていると思うんだけれど、あの子のことだから心配である。あの子というのはリングボーイではなく、馬場敦子という新人の、こいつもまたちょっとおかしな娘っ子のことだ。まあ大丈夫だろう。うん。

 だから、これが私がする、ちゃんとした最後の仕事だ。


 花嫁さんは、それから何も言わなかった。

 緊張か、それとも。

 打ち合わせ通りの式場に続く扉の前にやってくると、私は意識を仕事に集中させ、無線の電源を入れた。





 式には大したハプニングもなし。あったとすれば花嫁のお父さんが大号泣して思いのほか進行が遅れた程度。成果としては大団円の終幕だ。

 階段をふたり揃ってゆっくりと降りてくる。そんな新郎新婦を迎え入れるように、数十人の招待客および親族が最高の笑顔で手を振り声をかける。うんうん、これを見るとやりきったって気になる。


「ふいー、お疲れさまっす。先輩大丈夫でしたか?」


 腕を組んでひとり頷いていたところ、となりに来た同じスーツは皆守みなかみ志郎しろうだ。私とほとんどおなじ仕事量をこなす人間なので、彼の疲労、そして感動は私もよくわかっていた。だけどなんというか、この質問のニュアンスはそれではないような気がする。


「……一応聞くけど、何が?」

「え、花嫁さん。可愛い人だったんで、大丈夫かなーって」

「お前はほんとよくわかってくれるな!」


 花嫁さんを見て感動したくなるのはこっちだ。周りの人とはちょっと違う意味でだけど。泣きそうな勢いで皆守の肩をばしばしと叩くと「いっでえ!」と悲鳴が上がる。私よりずいぶん大柄な男だが、いかんせん体が先に成長したんじゃないかっていうくらいに子供っぽい人間だ。まあ私よか年下なのは本当だし許容範囲だろうか。

 ふと新郎新婦の方を見れば、ブーケトスまであっさり終わっていた。独身なのか、花嫁の友人と思しき女性たちがきゃあきゃあいって、花束を持ったその中のひとりも、しかし取れなかった数人も全員が満面の笑顔で花嫁に手を振る。おめでとう、おめでとうと言って。

 いいなあ、と思うのは、何にだろう。笑顔でいる花嫁にだろうか。いや違う、とどこかで声がする。じゃああの女性の隣にいられる新郎への思いだろうか。そう思った途端に、ふっと、やわらかいものが腑に落ちるのだ。


「……うん、なんか、すっごく優しい子だった」


 実感をもって呟くと、皆守は男のくせに長い睫毛をばしばしとさせて、ふうんとなんでもないように鼻を鳴らしてくれた。


「幸せになって欲しいですね」


 そう、なんでもないように。

 でも奥底で、この男は私のことをよく知ってくれているから、きっと言葉を選んでくれたんだろうとわかってしまうのだ。

 目頭がなんとなく熱くなってきて大きく息を吐くと、ふと、花嫁さんが新郎に何か話しかけていた。いかにも爽やかな優男、という感じの新郎と目があった。新郎がこっちを見たのだ。私はぎょっとする。すると新郎は笑顔になって花嫁に頷く。何だ何だ、と思ううちに花嫁がこちらに走ってきた。

 その手には、ブーケの中の一輪、花嫁がこれがいいのと選んだ、私と相談して選んだスズランの花があった。

 白い花がぽんと、黒いスーツの上に重なる。


「これ、荒木さんに渡したくって!」


 慣れないヒールで走ったからか、呼吸をはさんで花嫁が笑顔になる。

 ――私、昔から花が好きで、花言葉とか、詳しいんですよ。

 それはいつの話だったか。ブーケトスに使う花を選ぶとき、近い先花嫁となる女性が、大事な友人たちにあげたいからと選んだ花だった。

 

「どうか、あなたにも幸せがありますように!」


 そう言った花嫁は、今までの数ヶ月の中で一番の笑顔をしていた。少なくとも、私から見たら、いちばんいちばん可愛い笑顔を。

 私がスズランをちゃんと握ったと見ると、花嫁は新郎のもとに帰っていった。白いドレスが遠のく。ベールが揺れている。それが止まったときにはもう、彼女は完全に誰かのものだった。


 スズランが、揺れる。吹く風に飛ばされてしまわないように、守るように胸にギュッと抱きしめた。

 小さな、しょうもない失恋を繰り返してもう何度目か。


「いい人でしたね」

「……うん」

「先輩今夜は何かあります?」

「……ないです」

「馬場ちゃんも呼んで飲みましょ、ぐいっと!」

「うっす」


 荒木あらき舞弥まいや、女、独身、彼氏なし、26歳。職業はウエディングプランナー。好きなものは花嫁さんの笑顔。理想の人は――かわいいかわいい女の子。

 こんな人間をしていても、こういう幸せがちゃんとくるんだから、不思議なもんだ。滲む視界にスズランと後輩の笑顔を重ねて見て、私はもう一度だけ花嫁を見送った。








第一話 幸せが訪れる



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