最終話 ~エウカリスティアには遅くない~
最終話 ~エウカリスティアには遅くない~
「――グンジョウ」
そこに現れたのは、金色のローブをはためかせた男だった。
黒瑪瑙色の黒髪が、月に照らされ、共に、艶やかにはためく。
青紫色だった左目は、今やローブと同じ、金色に輝いていた。
どんな高価な金粉をまぶしても、きっとこうはならないだろう。
荘厳で、流麗で、暴虐的なほどの、王者の証。
この世のすべての力を凝縮し、月を支配し、太陽をもかしずかせるような……
――絶対的な存在が、そこにはあった。
その存在に、わたしは、助けを求めた。
「――魔王……っっ……!」
わたしは、全身で叫ぶ。
この身体がばらばらになったっていい。
だから月花を――わたしの大切なひとを、助けて――!!
「ま、おう…………?」
月花も、息も絶え絶えに、答えた。
「――魔王、月花が……っ! 早く、早く治さないと……っ!!」
「――わかっている」
だが、魔王は、ただ苦しむ月花をみつめるだけだ。
「魔王……!? なんで、みてるだけなの……っ!?」
「――我が家系は、不死だ。母親は子を産めば長く保たず、父親は我が子の継承を以って死ぬ。
ゆえに、魔王は保って、以って、持つ。……他から奪い続け、生き続ける。――それが魔王の不死たるゆえんだ」
「――語ってる場合じゃないよ……っ! 月花はもう……っ」
「……だからこそ、私は、この心臓を、母から受け継いだこの生命力と、父から譲り受けた王の心臓を――我が家系の秘匿してきた、歴代魔王にのみ存在する、ふたつめの心臓を、守ってきた」
「魔王……!」
わたしの非難に、魔王は、揺らぎもせず、ただ月花をみつめる。
「――ゆえに問う。〟グンジョウ〟。……おまえは生きたいか」
「…………ぼくは…………」
わたしは、いまさら気づいた。
魔王が、魔王が言っていることは……。
「――ぼくは、生きたい」
月花は、朦朧としているような目で、それでも、言った。
「……生きたい…………っ……」
目をぎゅっとつぶり、身体を丸めながらも、最後の力を振り絞るように呟いた月花が、一体なにを思い、そう言ったは、わからない。
だけど、魔王は、まるですべてをわかっているかのような顔で、ゆっくりと頷いた。
「――ならば、生きろ。……月花。……私の宝。――はじめてできた、私の家族……」
魔王は、微笑んでいた。
その笑顔は、すべてを包みこむように力強くも、どこか打ち震えるような情を宿していた。
「……はじめて、月花って……呼んだ……」
月花は、眉をゆがめ、笑った。
茫然としたような声は、途中からとろけていた。
その微笑みは、まるで、眠りにつく天使のようだった。
「――いくらでも呼んでやる。だから、私の側にいろ」
「……やだよ……だからあんたは嫌いなんだ……。いつだって、わがままで強欲で……」
(――誰よりも、優しくて)
わたしには、そう聞こえた。姫巫女だからじゃない。
きっと、月花は、もうひとりのわたしなんだ。
なにより、潤んだような声が、瞳が、もうすべてを語っていた。
月花は、すうっと腕を差し出した。
青い血液にまみれたそれは、ぼんやりとひかっていた。
――ペンダント。
そのなかに収められたのは、月花があの時、決死の勢いで奪った、魔王の右目。
「……等価交換だ」
月花は、挑むように言った。
魔王は、それを受け取ると、静かに、だけど力強く頷いた。
「――了承しよう」
魔王が差し出した心臓を、月花はかじった。
すごくグロテスクな光景のはずなのに、わたしには、それが、ひどく神聖なものように思えた。
たぶん、これが、月花と魔王の交わした、最初の約束で、最後の契約で、永遠の誓約なんだ――。
わたしは、このときだけは、ただの傍観者だった。
その時、鐘がなった。遠くで聞こえる、祝福の調べ。
それは、時空を越えて、ふたつの世界とその物語が、鏡うつしに繋がったようだった。
わたしと魔王は、この先を歩いてゆく。
月花はきっと、同じ道を歩んだりはしない。
それでも、ふたりの間に結ばれた約束は、この先なにがあったとしても、けして途切れたりはしないと思った。
――だってもうふたりはもう、心臓を、同じ血を分かち合った、〟家族〟なんだから。
――月花は、今日を持って、青い血ではなくなった。
魔王の心臓とそこから生まれつづける血液は、彼に赤い命を灯した。
彼の血液は、もはや世界にたったひとつの青ではなく、鳩の血のような、美しいピジョン・ブラッドだ。
最高級のルビーにも似たその美しく艶やかな色は、まるで魔王の片割れのように輝く。
それは、月花がこの世にひとりぼっちではなくなった瞬間だった。
「……これで、ほんとうの家族だな」
魔王は、月花の髪に触れた。
そのまま、頭を、ゆっくりとなぜる。
それは、父親のようであり、兄のようであり、そのどちらでもなかった。
月花は、ゆっくりと顔をあげ、金色に染まった瞳で、魔王をみつめた。
「……ぼくは、魔王とは違うよ」
「……いいや。同じだ」
「――そう。」
その瞬間の月花の表情を、わたしはきっと一生忘れない。
嬉しそうで、くすぐったそうで。
――まるで、ほころんだ花のようだった。
……あるいは、天に咲く孤独な月の花が、この手で触れることのできる地上の花となった、その瞬間なのかもしれなかった。
魔王は、頭をなぜていた手を、頬まですべらせた。
月花は、やっぱりくすぐったそうにしながらも、もう抵抗しなかった。
その頬は、紅色に染まっていた。
「――おまえは美しいな」
「……あんたは、気持ち悪いよね」
今更のように、魔王は言った。
月花も、気づかないふりをするように、毒舌で返す。
「――抵抗しないのだな」
「……したほうがよかった?」
自らの頬に触れる魔王の手を掴んだ月花は、少しじと目だ。
それでも、その口調はどこか面白がっているようにも聞こえた。
「……いや。どちらのおまえも、魔王はすきだ」
「――変なやつ」
真剣にぼける魔王に、おかしそうに笑う月花。
それから月花は、そっと魔王の手をはがした。
「じゃあ、ぼくはもう行くから」
「――どこにだ」
「どこだっていいでしょ」
「よくない」
「……調子乗りすぎ。でも気が向いたら、帰ってきてやってもいいよ」
「――なら、これを持っていけ」
魔王は、きらきらと輝くものを月花に投げた。
「……これ」
それは、さきほどのペンダントだった。
中には、星状の光が宿ったピジョン・ブラッドのルビーが入っていた。
「我が父の形見だ。……生ものではないから、私の瞳と違って、魔力の反動もないだろう。その代わり、大事なものだから、ちゃんと返すのだぞ。――なくしたら、おしおきだ」
「首輪でもつける気? 保護者ヅラして、正直気持ち悪いんだけど」
「保護者だからな」
「…………うざ……っ」
月花の軽口は、それでもどこか、なごりおしそうにみえた。
その気になれば、前のように、魔王に構わず去ることもできただろう。
でも、そうしないのは……。
「ばいばい」
月花は後ろを向いて手をふった。
「ああ。気を付けるのだぞ」
その言葉にはもう返答はなかった。
――立つ鳥、後を濁さず。
だからわたしは、雪に散った一滴のしみには、気づかないふりをした。
でも、それは、なんとなく、悲しみの涙ではない気がした。
――だってそれは、確かに――。
〝いってきます〟と、〝いってらっしゃい〟の言葉だったから。
……月花の帰る場所が、たぶん、生まれてはじめてできた瞬間、だったから。
――お伽話を語ろう。
月夜の小夜曲に導かれた、〝わたし〝と〝彼〝は、ちがう道を歩くことを決めた。
でも、その終点には、魔王〟カゲハ〝がいる。
わたしの旦那さまであり。
彼の兄であり、父であり、そのどれでもない、〈家族〉が……。
だから、これはきっと……、
〟家族〈しあわせ〉のものがたり〟、なのだ。




