第17話 ~レクイエムなんか許さない~
「――隠れてないででてきてよ、お母さん」
「え……?」
(( ――月花…………。 ))
姿はみえない。
ただあの優しい声のみが、虚空に響いていた。
「……どうして? 姿をみせてよ、お母さん……」
月花が、絶望したように言う。
あれだけ挑戦的だった月花の声は、動揺したようにかすれていた。
瞳には、涙がたまっていた。
月花のあふれそうな辛さが伝わってきて、ぐっとこぶしに力をこめる。
――わかってる。
月花には、もうわずかな命しか残っていない。
だって、月花の声は、もうごまかしきれないほど、かすれている。
時々ひゅうひゅう、と鳴るその喉だけじゃない。
全身からは今も血が流れだしているし、魔王の瞳を持つ腕は変色し、このままでは、崩れ落ちてしまう。
もう、時間がない。
「――お母さん……っ!」
わたしは、叫んだ。
「――あなたは、最期まで、いいお母さんでありたいんですか? そんな――くだらない意地で、月花の最期を台無しにするの?! 月花は、もう死んじゃう、死んじゃうんだよ!?」
「……死んだら一緒だって、思ってる? そんな身勝手な気持ちで、月花の一生を、決めるんだ……!? ――あなたはなんで、わたしにあんなことを頼んだの――? 月花を頼むって……〝家族になって〟って……!」
「――違うよね、マルガリータさん。あなたの望みは、こんな結末じゃない! ……だから月花を……っっ」
〝助けてあげて……!〟
その瞬間、世界が、輝いた。
その中心が、光のみなもとがわたしだって、後から気づいたけど、そんなことは、もうどうでもよかった。
みえるものと、みえないもの。
――生けるものと、死せるもの。
そのふたつを、今こそ、繋ぐ……!!
『 〝――解除!!〟 』
わたしの叫びが、流星となって、虚空を走った。
その瞬間、なにもないところから、それが、あらわれた。
血にまみれた真珠色の翼。
ひしゃげた少し小ぶりのくちばし。
とろりとこぼれ落ちそうに腐ったビジョン・ブラッドの瞳。
それは、月花のお母さん、マルガリータさんの隠していた姿だった。
「――かあ……さっ……」
月花の声が、つまる。
『……月花……』
時が止まる、音がした。
月花が、駆け出す。すべての力を振り絞るように。
「……――かあさん…………っっ!」
そうして、抱きついた。
マルガリータさんの腐ったような血液や、肉片が付着するのにもかまわずに。
でも、そんなに恐ろしい情景なのに、わたしの目は熱くなって、ぼろぼろと水滴を落とした。
「――かあさん……っ……かあさん……っっ……。――おかあさん……っっ!」
ふわり、となにかが肌に触れた。
雪が降っていた。
それは、まるで、聖なる夜のようだった。
泣きじゃくる月花と共鳴するように、はらりはらりと、無垢な白が舞う。
――なんて、きれいなんだろう……。
“世界に呪われ、裏切られた少年は、この時、はじめて自らの生を祝った……〟
スノゥ……ううん、〈イドール〉がこの場にいたら、きっとそう言っただろう。
すべてを映し、見守る鏡池の主は、きっと、最初からこの結末を知っていたんだ。
ふたりの間には、もう言葉はいらなかった。
――そう、どんな謝罪も、許しも、なにもかも、余計なものだった。
(――ただ会うだけで、よかったんだ)
ふたりの絆は、最初から、壊れたりなんかしていなかった。
最初から、完全で、完璧で、十全だった。
(血の繋がりなんていらないぐらいの……、“ほんとうの家族”、だったんだ――。)
やがてそれは、奇跡なんかじゃなく、当然の出来事だったんだと、わたしは悟った。
ただあるべきかたちに、収束しただけなんだって。
この世に神様がいたなら、なんで月花ばっかりに意地悪するのって、クレームをつけてやろうと思ってた。
でも、そうじゃない、そうじゃないんだ。
神様は、月花をいじめたかったんじゃなく……。
ああ、とわたしは思った。
この世で一番、月花がしあわせだ。
今だけは、間違いなく、そうだ。
これからまた辛いことが訪れるかもしれない。
たくさん、泣くかもしれない。
……もう、ここでおしまいかもしれない。
それでも今は、今だけは……月花が、この世界の主人公だ。
運命に呪われた少年? ――世界に裏切られた子?
――違うよ。月花こそ、最高のヒーローだ。世界でたったひとりの、“愛されし子”だ――。
――だから次の瞬間、わたしは目を疑った。
「え……っ?」
お母さんがゆっくりと空中に消えていくのだ。
「――なんで……っ?!」
わたしは思わず叫んだ。
「……マルガリータさん! どこへ行くの……っ?」
(( ………… ))
マルガリータさんのくちばしが、かすかに笑むように震えた。
「月花を……! 月花を、置いてゆくの?! ――最期まで、いてあげてよ……っ!」
なんで、なんでいなくちゃうの……っ?!
(( ……エッティ……。……月花…………。 ))
「……マルガリータさん…………っ!!」
「――、……う…………」
「――月花!?」
月花が、倒れる。
ぜいぜいと肩で呼吸をしている。
脂汗が止まらない。
いや、それよりも……っ――血が、血が止まらない!
月花をつなぎとめていた、月光蝶の治癒能力が、とうとう限界に達したんだ……!
「――ッ、こんなの…………っ!」
こんなの、あんまりだ!!
やっと、やっと月花は幸せになれたのに。
やっと、願いが届いたのに。
――誰か……っ。
「――ま……っ」
(( “魔王――――――!!” ))
全身で、吠える。
もう、なにがどうなってもいい!
だから、月花を――助けて……っっ!!
「――グンジョウ」
わたしは、振り返った。
涙でにじむ視界に、映ったのは……。




