第15話 ~ほの暗い洞窟(やみ)のなかで~
魔王の寝室で、わたしは目を覚ました。
――夢じゃない。
わかってる。
だから、わたしは静かに床に降り立つ。
前回はただの本能ゆえだった。
けれど今、その理屈が、理ことわりが、はっきりとわかる。
超過交響曲〈オーバーシンフォニー〉。
わたしに唯一使える、最高の盾にして最強の矛。
この力で攻撃するなら、相手の力を反射するほかない。
だけど、攻撃でも、反撃でないなら……?
――わたしは、力の波を展開する。
「 “オーバーシンフォニック” 」
それは、太古より貫かれた、祈りの祝詞のりと。
世界を織おりし、遥かなる規律〈ルール〉へと贈る、起動の合図(ファンファ――レ)。
( 薄く――遠く――。……どこまでも、伸びやかに )
いつものバレエを踊るように、足を組む。
くるり、と回転し、ゆっくりと舞う。
――これは、もう姫ひめ巫女みこの舞だ。
そう、わたしは規定きていする。
(( ――カチッ。 ))
その音が聞こえた。半径57キロ13メートルと12センチ。
そこに、それはある。
わたしは翔かける。走る必要はない。
ただ、時空を飛び越えればいいだけだ。
「――“ショートカット”」
膝に力をこめ、大きく跳躍ちょうやくする。
広げた手は120度をキープ。足は白鳥のようになめらかに滑らせる。
目を開ければ、そこはもうさびれた洞窟だった。
霜しもがはりつき、やせ細ったつららが垂れ下がっている。
……ほの暗い闇。
その奥に、ぼんやりと光るおおきなものがひとつ、小さくちらつく光が五つ。
「――月花!!」
「……エト」
彼は、うずくまっていた。
身体が傷だらけだ。青い血液が流れだし、血の池をつくっていた。
五匹の蝶が、気遣きづかわしげに周囲をふらふらしていた。
「――なんで……」
怪我けががぜんぜん癒えていない。
それどころかひどくなっていた。
青色月光蝶は戦闘能力にとぼしく弱いが、微弱な治癒能力があるため、逃げおおせることさえできたならそうそう死なないのだという、魔王の言葉は嘘じゃないはず……。
――魔王の瞳は、月花を護まもらなかった……?
「……きみこそ、なんで?」
伺うかがうように、月花は言う。
眉は寄っていて、苦痛にたえるような表情は、きっと、痛みのせいだけじゃない。
そっと近寄ると、びくりと月花の肩がゆれる。
「……今さら、ぼくを探しにきたんだ……。……でも……もう遅いよ」
月花はゆっくりと腕をあげる。
ペンダント。
なかにひかっている赤紫のそれは……魔王の瞳だ。
そして、それを掴つかむ月花の腕は、腐っていた。
「……なんで……」
「青色あおいろ月光げっこう蝶ちょうはもう世界にぼく一匹。売れば高くつくし……持てば自慢になる。……体内から発光する身体も……無駄に整った外っ面も……、鑑賞用にはもってこいだ」
「――そうじゃなくて……っ」
「――魔王は……きっと魔力のかたまりの、この瞳さえあれば……。どんな敵も撃退できるとふんだんだろうけど……、ツメがあまいよ。……これは、ぼくにはあまりに、強すぎる力だ……」
「凄まじい魔力を解放するごとに、ぼくの身体には、毒のような……力の反動が返ってきた。……もちろん、返ってくる力はほんの一部で……。発揮された猛威もういに比べれば……、ずいぶんとまあ、ましなものだけど……」
息もたえだえに、月花は言った。
苦しそうにしながらも、一生懸命説明しようとしてくれている。
でも、そのことが、胸を打つほどに不安にさせる。
月花は、死のうとしている……?
――だとしたら、それはわたしのせいだ。
わたしが、魔王を選んだから、月花は……。
「――そんな……っ」
(――そんな現実、あんまりだ……っっ!! )
叫びたい気持ちをこらえる。
これが、わたしの選んだ、フィナーレ?
こんな……こんなことが、わたしの望んだことだったの……っ?
「……そんなもこんなもないよ。これが現実だ」
「な……治せば……っ。――わたし、なんとかする!」
「……きみに、何ができるの……。……もう、ほっておいてよ……。これ以上きみといると……ずたずたに、傷つけて……しまいたくなる……」
「…………っ。魔王の瞳が原因なら、これ以上月花が持っていたらだめ。治せなくても、食い止めることはできる!」
「――やだよ」
月花は、ペンダントを握りしめ、はっきりと呟いた。
ぐずぐずになった手が、ぼろりと肉片をこぼした。
「……これは、ぼくのものだ」
その言葉には、言葉以上の意味があるように聞こえた。
「……もう、手遅れなの……っ?」
「……きみと魔王が仲良くしてる場に……帰れって……?……もう……これ以上……こんなみじめな思いは、ごめんだ……」
「――魔王は……っ!」
いいかけて、口をつぐんだ。
魔王がどんなに月花を大切に思っていたか。
――そんなのは、なんの救いにもならない。
だって、魔王は月花からわたしを奪ったけど、わたしだって、月花から魔王を奪ったんだ。
「お母さんは……マルガリータさんは……」
「マルガリータ……?」
月花は、ほんの少し目を見開いた。
「わたしはマルガリータさんから、月花のお母さんから、伝言を預かってきた……!」
「……うそ……」
「――うそじゃない。 ……お母さんは、月花に黙っていたことがあった」
(落ち着け……!)
焦る気持ちを押さえて、テキパキと口早に言う。
「……黙っていたこと……?」
「――うん。それを今からみせる、だから」
(――だから、死なないで……!)
そう言いかけて、ぐっと、こらえる。
そんな身勝手なことを、言うべきじゃない。
――今、わたしのするべきことは……!
わたしは、手鏡を上へ投げた。
“真実をうつす鏡よ。 過去をまじなえ――”
きらりと輝いたそれは、まっさらな光の奔流ほんりゅうと共に、わたしと月花を包んだ――。




