第14話 ~フィナーレには早すぎる~
洞窟の外は、ごうごうと吹き荒れていた。
心のなかにまで、その嵐は這入ってくる。
胸をかきみだし、乱暴に踏み鳴らし、魂と躰を、ばらばらに引き裂くように暴れ狂う。
(――あのまま殺してくれればよかったのに)
もし、そうしてくれていれば――。
こんなに、こんなにも……、惨めさを感じることはなかった。
再び、胸をかきむしる。
「…………痛い」
どこもかしこも、痛すぎる。
痛くて、痛くて、心臓ごとひしゃげてしまいそうだ。
(そうだったらいいのに)
このまま、静かに死んでしまえれば。
――なのに、脳裏にちらついたのは、永遠音の……エトの笑顔だった。
冬のように凍えた、その表情が溶け出す、その瞬間。
一足早い春のにおいのする、少しぎこちない、でもしあわせそうな微笑み。
世界でたった一輪のエーデルワイスだと、浮かれた詩人みたいなバカげたことを、本気で思っていた。
いや、今でも、少しも違わない。
あの笑顔に、まばゆいばかりのその存在のためなら、世界のすべてを、捨ててしまってもいいと思えた。
それなのに、今この右手には、魔王の右目がある。
今すぐ手放さなければ、右手は呪いで腐り落ち、いずれ全身に毒が回り、死んでしまう。
――わかってる。
わかっている。
なのに。
(――死にたくない)
(――捨てたくない)
(……笑顔がみたい)
すべて、すべて、捨てたくない。
この想いも、命も、魔王の瞳も、希望も。
すべて、すべて、ぼくのものだ。
せめて、最期のこの時だけは、このちっぽけな、世界のすべてを抱こう。
それが〝夜宮月花〟の、人生だ。
目がかすむ。
意識が曖昧になってゆく。
さよならなんて、いわない。
惨めな人生だった。 酷い三文芝居だった。
――なのに、どうしてだろう。
今この掌にある、こうして今も死に導こうとする、呪われた(そ)眼球を、みつめると、なんだか泣いてしまいそうになる。
悲しくて、ではなく。
……うまく言えないけれど。
失うばかりだった人生のなかで、最後にこれだけは、手に入った。
これだけは、ぼくを裏切らない。
誰が裏切っても、どんなに運命に呪われても。
――これだけはぜったいに、ぼくだけのものだ。
あるいは、これだけが、ぼくのこれまで演じた、お粗末な人生の劇の代金なのかもしれない。
そっと、それに頬ずりする。
( ああ、そうか……。)
( 本当に惨めで、酷かったけれど、不幸では、なかったな。 )
しあわせな、人生だった。
絶望のなかに、光があった。
――死んでいったお母さんを思う。
――自分を裏切った永遠音を思う。
……そして、世界で一番大嫌いな、魔王を思う。
その傲慢さが、自分勝手で中途半端な優しさが、いつだって憎たらしくて、たまらなかった。
――いつだって、期待してしまう自分が、さらに嫌いだった。
お母さんを死なせて、のうのうと生きようとするぼくを、その最低な根性を知っているくせに、なんだそんなことか、というふうにかまわず許し、愛そうとする魔王はもっと嫌いだった。
そう、ぼくは、裏切られたわけじゃない。
くだらない意地で、すべてを台無しにしたのは、ぼく自身だったんだ。
いつだって、向き合ってくれた。
だからこんなにも、願うことができた。
“こんな自分でも、愛されていいかもしれない〟
〝愛しても、いいのかもしれない〝
臆病な自分は、なにひとつうまくできなかったけれど。
それでもいい、と彼らは歌ってくれていた。
嵐のなかの、灯し火のような、子守歌〈ヴィーゲンリート〉を、そっとわけてくれた。
そう…………。
気づけばこんなにも、ぼくの殻の外には、光と、愛があったのだ。
――そうしてまた光は消え、絶望に飲み込まれてゆく。
それでも、ぼくは生きた。
最後まで、抗った。
運命に。悲劇に。
そして、すべてが0になる。
…………おしまいだ。
( ――ありがとう………… )
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( ―――― 月花……!! ―――― ) )




