第13話 ~姫巫女(ひめみこ)と幽霊の烏(とり)~
それは、一匹の月光蝶が、かけがえのない家族を得て、喪う物語だった。
月下美人が咲く晩にはじまって、嵐の夜にすべてを奪われ、再び得た絆をも、静かに荒れ狂う嵐に……。
――そう、わたしという招かれざる客のせいで、歪み、壊れ、はらはらと散ってゆく、無残で無慈悲な悲劇〈エレジー〉だった。
( ……エッティ )
そこに、語りかける声があった。
(( エッティ ))
それは柔らかく、控えめな、月夜の子守唄〈ヴィーゲンリート〉のようだった。
顔をあげると、かすかに、ふくよかなミルクのにおいがした。
『あなたは……』
目の前に浮かんでいたのは、真珠色に輝く烏だった。
(( わたしを知っているかしら? ちいさな一番星さん〈リトル・エトワール〉 ))
『――もしかして……』
(( そうよ。わたくしこそ、マルガリータ。あなたのだいすきな月花のママです。このたびは、わたしの息子が迷惑をかけたわね。……驚いたでしょう? ああいう子なのよ。臆病で、敵を作りやすい子なの。きっと、ほんとうは、仲良くなりたいだけなのに ))
それは、月花を通して、ふたりの関係を明かしているようだった。
月花は、魔王を憎んでいるわけじゃない。
ただ、だいすきで、だいすきで、でもこわくて、どうしようもないだけなんだ。
似たもの同士のわたしとは違って、魔王は、月花とは違いすぎる。
だから、月花は、魔王がなにを考えているのかわからなくて、つい試してしまう。
計算なんかじゃない。
ただ、こわくてこわくて、そうせずには、いられないんだ。
(( ――ご名答よ。あなたはやっぱり素敵なお嬢さんね。あなたを姫巫女と呼ぶ、イドールおじさんの気持ちがわかるわ ))
『イドールさん……? って、スノゥのことですか?』
(( ……そうね。あのひとをそんな風に呼ぶのは、あなたがはじめてかしらね ))
『――――? あれ、でもあなたは、確か……』
(( ……まあ、幽霊みたいな、ものかしらね ))
溜息をつくように、それでも軽やかに、月花のお母さんは言った。
『……やっぱり……!』
はっ、と我に返る。
月花に……このことを知らせないと……!
(( ――ダメよ ))
厳しい声に、耳を疑う。
口調は柔らかくても、有無を言わせない響きだった。
『――え……?』
(( ――あの子はもう、お母さんを卒業しなければ。乳母の役目は、終わったのだわ ))
『そんな……!』
((あの子には魔王さまと、あなたがいる。あのお方……カゲハさまには、わたしにはない、父性がある。だから、わたしの出番ここまで。後はあなた達、生者の領域。死者であるわたしが、関わることではない ))
『でも……っ!』
毅然とした言葉に、わたしは反発した。
(( ――まだわからないかしら? ))
眩い真珠色がさっと色を変える。
『…………っ!!?』
赤黒い、肢体。
腐ったような匂い。
おちくぼんだ目。
とろりとこぼれ落ちる眼球。
『ゾンビ……?!』
思わずさっと、足を引いてしまって、唇を噛んだ。
(( ……こんな姿、月花にはみせられない。姿をみせたら最後、どんな幻影で包もうと、あの子の神聖すぎる魔力の前では、一目で暴かれてしまうわ。……わたしはあの子の、温かい母親でありたいのよ。――こんな、醜い化け物ではなくてね ))
驚かせたくはないの、とは言わなかった。
短い言葉だった。
それでも、あふれそうなぐらい、伝わってきた。
温かい母親でありたかった。
優しい母親で、ありたかった。
……美しい母親で、ありかった。
――月花の失ったすべてのものを、与えてやりたかった。
……そう、確かに、そう聞こえた。
(( 死者の国――〟冥の国〟に住まうわたしは、この世界の理には関われない。だけど、死者と生者を取り持つ、姫巫女なら、わたしの言葉を、届けることができる ))
『それって……』
(( そう。あなたなら、月花に、家族の素晴らしさを、再び味わわせてあげられる。あなたと魔王さまなら――、月花の、ほんとうの家族になれる ))
(( ――だから、大変な仕事だけど……。引き受けてくれるかしら? ))
わたしは迷って、唇を噛む。
わたしは「姫巫女」だと、スノゥは言ってくれた。
みえないもの、届かないものの声を集め、伝える高貴なる巫女。
子どもだから、自信がないから。
――そんな言い訳は、もう、しない。
だって、教えてもらったから。
(……魔王に。)
わたしにも、できることはある。
毅然と立ち向かう。まなざしを遠くに向ける。
ただ静かに、胸を張って、見据える。
――現実を。未来を。
――みえないものを。みえるものを。
――きれいでも、甘くない世界を――。
マルガリータさんの言う通りには、できないかもしれない。
月花を裏切って、ふたりを引き裂いたわたしが、今更、どうにかしようだなんて、傲慢かもしれない。
でも、その期待には答えたい。
ううん、答える。
だって、わたしにとって、月花は……。
わたしは、顔をあげ、こくりと、頷いた。
「任せて」
わたしの百%で…………月花を、取り戻す。
――――ぜったいに。




