第9話 ~レチタティーヴォに終止符〈ピリオド〉を~
鏡池の主、スノゥは言った。
「なぜお前が魔王を凌駕するエナジーを持っていたのか?
それは我にもわからん。
だが、お前の超過交響曲〈オーバーシンフォニー〉……。
それは、共鳴性の波動を持った一種の超能力だ。
代々、神々の気まぐれで選ばれた姫巫女に伝わる、
相手の感情に共鳴し、それを我がことのように把握し、
あるいはそれと同等の波動を反射するもの……。
――いわば、対魔力型の自動的な迎撃〈カウンター〉だ。
だが、それはお前……汝の能力の一部にすぎない。
その主たる能は、見えるものと見えないもの、
ここにあるものと、ないものとを繋ぎ、取り持つこと。
ゆえに明確なイメージを持って望めば、
〈彼方〉と〈此方〉の間を繋ぐことにより、
世界の端から端まで跳躍し、空間を超越することも可能。
また、波動を展開し、対象を索敵することもたやすい。
つまり、お前は間違いなく、
この世界では最大のエナジーを有するわけだ。
あの能無し小僧は気に食わんが、
お前なら、確かに魔王の花嫁たりるだろうな……」
「それって……、魔王の赤ちゃんを……」
「――産めるだろう。もちろん、可能性の話だが」
「……っ」
「ただし、お前も薄々感じておろうが、魔王の花嫁となることは、
あの月光蝶……月花を捨てるということだ。
お前の想いは誠であろうが、その覚悟はできているか?
生半可な思いで挑めば、
情にもろいお前のことだ、なし崩しにほだされてしまうやもしれん。
それこそ〝情け〟と〝恋〟を混同してな……」
「……スノゥ」
「勘違いするな。責めているわけではない。
ただ、魔王は月花を選んだ。
――おそらく、奴なりに考えた、苦渋の末の決断だ。
その決意を揺るがせるだけのものを用意できぬのなら、
魔王に……そして月花に挑むべきではない。
お前なりのけじめを、ここではっきりとつけておくべきだということだ」
(――けじめ…………)
魔王にとって月花は、自分のたったひとりの同朋だった。
母を自らの誕生により亡くし、高齢であった父が死んでのち、
たったひとりで鏡森の主として君臨した、
ひとりぼっちの魔王は、
両親を持たず、育ての母をも自分のせいで殺された月花を、
自分の片割れのように……家族のように思っていたのかもしれない。
(――そんな魔王に、わたしを選べって言うのは、
月花を捨てろっていうのと同じだ……)
月花はわたしに恋をしたから、魔王の前から姿を消した。
そう、月花は、魔王より、わたしを選んだ。
一方、魔王は、わたしより、月花を選んだ。
だから、わたしは、よく考えなきゃいけない。
――魔王のことがすき? 月花を踏みにじってもいいくらい?
……わたしは自分のために、大切なひとから、
たったひとりの家族を奪える?
(……ダメだ! ――そんなこと、できない……!)
もしわたしが、だいすきなお兄ちゃんを奪われたら。
わたしはきっと、この世の全部を捧げられたって、許せない。
悲しくて、とても我慢なんてできない。
きっと、大泣きするだろう。だいすきなパパを亡くしたときみたいに。
だからわたしは、そんなこと、しちゃいけない……!
「――どうやら、お前には選べないようだな。
……だが、お前は少し勘違いをしているようだ。
月花が魔王のもとから去ったのは、お前に恋をしたからだけではない。
さすがに我といえどこれ以上の干渉はすまいが……。
お前は、一度月花に会っておくべきだ。
――さすれば、お前の答えは決まるであろう。
そう、敵は彼方にあらず。己の無知こそが最大の敵なのだからな……」
そう言って、スノゥは去ってゆく。
(――あれ、回想をしていたはずなのに……こんな記憶、あったっけ……?)
それはまるで、わたしの心……ううん、脳の海馬そのものに、
スノゥがアクセスしてきたみたいだった。
光が辺りをみたし、眩い色彩が散る。
わたしは、スノゥの言葉を、反芻する。
――明確なイメージ。
〝彼方〟と〝此方〟
……〝遠く〟と〝近く〟の間を、つなぐ。
ふたつの間に距離はない。ただ、飛び越える。
同時に展開するのは、寄せては返すさざなみだ。
月花のにおい。かたち。声。
そのすべてを、世界すべてに問いかける。
――そうして世界を、わたしの波動で被う。
難しくなんてない。
――できる。
実感はわかない。
だけど、スノゥは、こう言ってくれた。
わたしは姫巫女だって。――大切な役割があるんだって。
――だから、できる。
……ぜったいに。
わたしは、月花に、会いに行く。
もう、逃げない。
――伝えよう。
わたしのほんとうの気持ちを。
そして、魔王に……。
――カチッ。
エコーが、返ってくる。
半径1.5キロと20メートル5センチ。
間違いない。月花は、近くにいる……!
もう、スノゥのナビゲートはいらない。
(待ってて、月花……!)
――わたしは、けじめをつけに行く。




