真実のカケラ
「私がミルクティと共にイギリスでドゥクスとして生活をしていた頃。そうですね、昇格資格を得て三ヶ月後わたしはニスタとしての仕事に就こうとしている矢先でした。ガレッジを異例の早さで卒業し、最年少でファリアの職を得ていたわたしは人より多く経験しました。頼れる仲間に恵まれ仕事はわたしに自信をつけてくれました。紙が水を吸い取るように様々な事を学び貪欲に上を目指すようになったのです」
カップを指で優しく撫でながら彼はどこか遠くを見て懐かしんでいる様子だった。
キメラの胸中は穏やかではなかった。ミルクティは今ドゥクスの一つ下の階級にいる。ダージリンにいたっては現在階級職にすら就いてない。並大抵の努力では昇格は出来ないと習っている。
キメラの胸の奥から立ち込める疑念の色が葡萄色の瞳に浮かんだ。その瞳をダージリンは不意に捉える と自嘲気味に口元を歪めた。
「すみません。自慢に聞こえたら申し訳ない。今では過去の栄光も色褪せたガラクタにすぎない。昔と今では価値観が違いますから」
カップに口をつけてミルクをすすぐ彼の口調からは、すっかり師として上司としての精細さはなく暗い 陰りのようなものを含んでいる。
「アムステルダムで定例会議を終えて、北海を渡りドーバー海峡を越えるとテムズ川を遡りグリニッジに向かっていました。コテージがあるカフェレストランへ帰るところだった。途中でお腹が空いてミルクティと将来を語りながら公園でお昼を食べたりしてね」
今でもあの味が思い出される。未来に期待をふくらませ色々計画を練ったものだ。
あの頃の夢や希望を振り払うかのようにダージリンは軽く頭を横に振った。
「カフェに着く前に仕事が入りました。クリスマスシーズンで湧いていたロンドンの中心地で火災が起きたのです。二人で急いで駆けつけると燃えていたのはホテルでした。お金持ちが泊まる高級ホテル。クリスマス用のイルミネーションで使っていた配線の漏電が火災の原因でした。ビルの窓という窓から炎が噴き上がりその周辺はいろんな物が焼ける胸が悪くなるような匂いが立ち込めていました。眼下では消防車が何台もホテルを囲みあらゆるところから放水している。空にはヘリコプターが騒音を撒き散らしながら飛び回っていました」
彼の瞳の中に炎が一瞬きらめいた。記憶が焼き付いており手に取るように思い出されているのだろう。
溜息をつき目を伏せて苦々しい声色で言葉を続けた。
「わたし達は働きました。肉体を失った魂を捕まえては唱え、息のある者、もう失いかけている者、失い彷徨出る者。そこには生と死が隣り合わせで、わたし達と魂を狩るもの、連れ去る翼あるものまたは闇を這い出るものが同じ場所に存在していた。わたしは仕事に夢中になり過ぎて、気がつけば独りホテルの内部奥深くまで入り込んでいました。自分の周りは炎と焼け落ちる天井や床や壁しかなく。まるで業火の地獄へ迷い出た気分になった」
不意に立ち上がり彼は落ち着きなく部屋を歩き回り始めた。
「正直パニックに近い状態だった。炎から逃れようとわたしは出口を探し回った。どこも同じような雰囲気で時々焼けた人間が床にいるくらいで魂は苦しみのあまり外へと飛び出しているものがほとんどだった。幾つかの部屋や廊下を通り過ぎた時、何かに裾を引っ張られた。家具に引っ掛けたのかと思い足元を見ると四、五歳くらいの少女がわたしの服を掴んでいました。黒い髪にダークブラウンの瞳。菫色のドレスは所々焦げて少女の顔は煤で汚れている。手や足に水膨れができており軽い火傷をしているようでした。少女はわたしを真っ直ぐ見つめ日本語で助けを求めた。わたしに生きている人間が振れて語り掛けられていることに動揺を抑えられず、思わず少女の手を振りほどこうとしました。どうせこの炎の中、生きている人間はいないだろう死んだら魂を頂くだけだ。冷酷なようだがそんな考えが頭をもたげたのです」
一気にまくし立てた声が掠れる。彼はテーブルの上のカップを手に取ると全て飲み尽くした。空になっ たカップを両手で弄びながら続ける。
「少女も引かなかった強くわたしの裾を掴んだまま目に涙を浮かべ哀願する。何度も何度も助けてくださいと。そうしているうちに炎に飲まれていた天井が軋み、物凄い音と共に少女の頭上へ崩れ落ちてきた。僕は思わず体を投げ出し少女を庇い、服に炎が燃え移るのも構わず彼女を抱き上げ崩れた天井めがけて翔け抜けた。天井や床を突き破りながらホテルの屋上をも突き抜けから外へ出た。」
キメラは息を呑んだ。カップを持つ手が震え表情は硬くなった。
彼はテーブルにカップを置き彼女の隣に腰を下ろした。リビングソファがゆっくり沈み二人の距離が触れるか触れないかくらい近くなる。キメラは落ち着かない様子で体をもぞもぞと動こかした。
意識しないようにすればするほど彼の存在を強く感じる。まだ生乾きの髪や体から太陽を沢山浴びたお布団のような日差しの香りと、彼特有の甘く誘惑するような香りが彼女の鼻をくすぐる。全身で彼を感じている気分に胸の高まりは抑えようがない。
伏せられていた視線が流れキメラを捉えると彼の菫色の瞳は確信に迫っていた。
「そう、その少女が君だ。君はわたしの腕の中で気を失っていた。建物を出たが幸いなこと誰もわたしに気づく者はいなく辺りは変わらず火事の騒ぎで大混乱だった。正直、戸惑い自分のしたことに愕然とした。このまま知らないふりをして路上に放置することもできた。でも、わたしの腕の中で命が鼓動していて、安らかに眠る君の姿に」
言葉を切り苦しげに拳を握った。苦悩で彼の表情が歪み額に拳を何度も当てながら呟く。
「君を連れて帰るなんて、今でも後でもわたしはどうかしていたとおもう。誰にも知られずにコテージに連れ帰り、寝具に横たわる小さな少女を見つめているうちに、少女を助けた喜びと法を犯した後悔の念でわたしの気持ちは掻き乱れた。君の怪我が治るまでと自分に言い聞かせ、わたしは長期の休暇を取りました。表向きはホテル火災の傷を癒すためと理由をつけて。月日が経ち少女はすっかり元気になり、お互いのことを語り合い理解しあった。ここでの生活にも慣れ、わたしたちはたくさん助け合いながら時を過ごしました。休暇は瞬く間に消化し普段の生活に戻る時が来ていました。君と話し合いわたしのこの世界で生きていくことを決めたのです。最高責任者ニスタのストラスアイラに君をわたしの手元に置くように頼みに行くことにしたのです」
キメラは身を乗り出した。
「待って、私そんな約束をした覚えはないわ。私の記憶は、そう。クー達たくさんの兄弟姉妹たちと一緒に育てられたところから、両親のこともあなたに助けを求めたこともないわ」
視線を逸らしダージリンは吐き捨てるように言った。
「覚えていないのは君が忘れているからだ。キメラ」
「忘れた?」
人生を大きく変えた火災をそう簡単に忘れるものだろうか。自分の記憶は突然始まっている。ミルクティに手を引かれあの島に降り立つとこらからだ。
重々しくため息をつきダージリンは苛立たしげに額を指で擦った。
疲れた様子でリビングソファに体を預けると諦めを交えた口調で言葉を続けた。
「ごめん。ここから先は自分の言葉で話したい。キメラ、君とおれとの間では常に生徒と先生という隔たりを意識して作っていた。そうすることで距離を置き常に正しい判断ができると思っていたからだ。それは島から出した後からも変えないつもりだった。でも、状況が変わった、お上品な言い回しはここまでだ」
力強い言い回しに自分に向けられた熱を帯びた視線に、キメラの心臓が飛び跳ねた。
誰なのだろうこの男は。
何年も共に過ごしてきたのに初めて会う人のような違和感。
私はこの人の何を見てきたのだろうか。
戸惑いのあまり手にしたカップを取り落しそうになった。自然な動きでダージリンはカップに手を添え元の位置に戻した。
彼の口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「危なかった」
控えめだったダージリンに余裕と自信の色が伺えた。彼はキメラの知っているダージリンではなかった。
彼女はお礼を言うのも忘れて慌て手を引くと膝の上で組んだ。
身を乗り出した彼は先ほどの態度とは裏腹に、菫色の瞳を曇らせ静かに語り始めた。
「結局。ストラスアイラに相談することなく、君を密かに育てみんなの知らぬうちに仲間に加えることにした。人とおれたちとは形は似ていても遺伝子は全く異なり、中身の構造も多少異なっている。そこで、よりこの種族に近づけるため遺伝子操作された細胞と人の体に劇的に増殖するウイルスを利用し、おれが作ったGCバイラス細胞を培養液で生産しながら、それを精製したものを君に注入した」
さっとキメラの顔が青ざめた。自分の耳を疑った。
そんな怪しげな賠償液を注入?
ダージリンは無理やり笑顔を作り気軽に言った。
「大丈夫。ちゃんと臨床実験はした。ねずみ、うさぎ、猫、犬。様々な動物でね。あいつらは感情が高まると所構わず御魂を抜き出していたよ。あぁ、心配しないでさすがに人間では実験できなかった。非人道的っていうの?人間をまた連れ込むにはリスクが大きすぎる」
明るい声色とは対照的にその笑顔は引きつっていた。不意にダージリンは手を伸ばしキメラの髪をひと房掬うと切なげに目を細めた。
キメラは恐怖のあまり体が動かない。ダージリンはしばらく髪を弄ぶと優しく撫で手を引いた。
「すまない。本当は美しい黒髪だった。GCバイラス細胞を投与続けるうち、君の体に副作用が現れた。高熱、意識混濁、髪と瞳の色の変化。そして記憶障害。抗ウイルス剤も合わせて使用していたが、良くなったり悪くなったりの繰り返しだった」
吐き気を感じキメラは口に手を当てた。
キメラ、この名前は自分に相応しい。
自分はこの男に人工的に作られた合成生物なのだから。
がたがたと震え始めた体をキメラは抑えることが出来なかった。
この手で慰めてあげたい衝動に駆られたが拳を握ることでダージリンは耐え言葉を続けた。
「時間を忘れ、おれは君の治療と看病に没頭した。火事以来連絡を絶ったおれを心配してある日ミルクティが家に訪れた。おれを見た時のあの顔、何日も風呂にも入らず家事も放置したおれはよっぽど酷い有様だったようだ。驚いて次の瞬間には怒りに顔を赤くしていたよ。目の前には荒れ果てた家とおれ、幼い少女が得体の知れない治療を受けていたのだから当然だ。ミルクティの手によって君は保護され、おれは頭がおかしくなったのではないかと、何度も精神鑑定を受け更生訓練を受けた」
暗い瞳がキメラに向けられた。彼女は寒気を感じ嫌悪感に表情を強張らせた。
抑揚のない声でダージリンは弱弱しく言った。
「君もおれが狂っていると思う?思うだろうな」
言葉を切り遠くを見つめながらダージリンは鬱々と続けた。
「幸いなことに彼らは君を受け入れ、この種族と変わらない扱いで君を迎えた。そして記憶の大半を失っていることですんなりと君は打ち解けていった。おれは自分が正気だということを数年かけて証明しあの島で教師として働くことになった。もちろん、君を誘拐し人体実験した罰として役職と御魂を送る力は永遠に失われた。それはともかく、治療の成果もあり、君は飛べない事を別にしてそれ以外の能力は全て発動させることができた。」
ダージリンはキメラの前に手を差し出すと掌を開いた。
そこには捨てたはずのチョーカーがある。羽根飾りは泥にまみれ引きちぎられ、ドロップ型の宝石はひび割れて一部欠けていた。無様な有様なのに羽根は虹色の輝きを失わず、瑠璃色の宝石は気品のある光を放っていた。
キメラは思わず息を飲んだ。
「これはおれが用意したものだ。いずれ君が成人した時のために」
彼は身を乗り出しキメラの首にチョーカーを巻くと留め金を停める。
首に湿ったなめし革の感触とひんやりとした宝石が当たった。肩越しにはダージリンの頭がある。乱れた瓶覗色の髪が胸や肩をくすぐり、彼独特の甘い香りが鼻をかすめる。
急に心拍が上がるのを感じてキメラはダージリンの胸に手を当てると押した。
「失礼」
さっと身を引いたダージリンは寂しげに微笑むとキメラをゆっくり観察した。
硬い表情、強張った体、震える手、頬は風呂上がりで赤みが注し、彼女の視線は他所を向いていた。怒っているな、軽蔑されても仕方ない。
キメラは高鳴る気持ちを誤魔化すのに必死だった。彼の話に胸が悪くなる思いをし、どうしてこんなことをしたのか問い詰めたくなった。助けた後すぐ人の世界に戻してほしかった。戻してくれたらこんな恥ずかしい思いをしなくてよかったのに。怒りのあまり声も出ないところに彼がチョーカーを差し出してきた。捨てたはずのチョーカーを。
壊れているのに丁寧に私の首に巻いてくれた。
彼の香り、僅かに触れた指の感触に嫌な気分が吹き飛び、彼の乱れても美しいその髪に触れたくて堪らなくなった。
いろいろあり過ぎて私も頭がおかしくなったのだろうか。
自制心を掻き集め、本題に意識を集中しながらダージリンを罵った。
「こんなもの。いらない!幼いころに私を人の世界に戻してくれていればよかったのに。長い年月が過ぎ、私はすっかりここの生活に慣らされてしまった。今更どうやって生活を変えろというの!あなたのせいでここ以外の暮らしなんて考えられないのに」
いらないと言いながら再びチョーカーを捨てることは出来なかった。
しっくりと首に馴染み自分の物だと主張しているようだ。
ダージリンの非道な仕打ちは許せなかったが、彼女を支えてくれた皆に胸が詰まるほどの感謝と恩義の気持ちが湧いていた。
涙を湛え憎しみの炎を瞳に宿しキメラはダージリンを睨んでいる。
「すまない」
他に言葉を見つけることが出来なくて、彼は目を伏せ項垂れた。そんなダージリンに苛立ちが募り思わず手を振り上げた。
その時、エントラスへと続く両開きの扉が大きく開かれた。
二人の視線が一斉に集まる。
キメラは息を飲んだ。
「クー」
ブランド店の紙袋片手に、新緑の瞳をぎらつかせながらクーは大股で真っ直ぐ彼女に向かってくる。緩くカールした桜色の髪は僅かに濡れていて、雨の滴が彼女の周りに舞い散った。思わず振り上げた手を引くとキメラは立ち上がりクーに駆け寄る。
あっという間に二人は硬く抱き合い頬から涙が伝うのも構わず言葉を掛け合った。
「ごめんね。ありがとう、クー」
「ばか、どこ行っていたのよ、心配かけてどうするの」
クーの腕は冷たかったが、しっかりとキメラを抱きしめてくれた。優しさとぬくもりに満ちた手がキメラの赤毛を撫でた。キメラは必死に彼女にしがみついて溢れる思いを出来る限り言葉にした。その声は涙声でくぐもり聞き取りにくい。
「うん」キメラの話にクーが時々相槌を打っている。
彼女たちの様子を伺い、ダージリンは腰を上げると静かに部屋を出て行った。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
まだ、もうしばらく続きますがお付き合い頂けたら幸いです。
真実の一部しか出ていませんが今後徐々に解き明かされていきます。