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天使のチョーカー  作者: 福森 月乃
つばさおれる
7/19

ストラスアイラ

その頃、中野駅の周辺まで飛ばされたダージリンとクーは男から放たれた魂と一戦を交えていた。

ファストフード店やオフィスビルに囲まれた交差点の真ん中で、二人は何十体とある黒き魂と応戦している。二人を中心に黒き魂は次から次へと集まり容赦なく襲ってきた。


「ダージリン、切りがないです。・・それにクーちょっぴり疲れちゃったな」


クーは眉をひそめ腰をくねらせながら黒い影にアッパーカットをお見舞いした。空いている手は愛らしく顎の下に添えられている。

黒き魂は宙を舞い、空に浮かぶ多数の魂を巻き込みながらお空の向こうへ消えていった。

黒い影に背負い投げをしながらダージリンはクーを脇目で見たが、新手が背後から襲い掛かりそれを扇子でにべもなく払い捨てる。

交差点には多数の歩行者、そしてそれに紛れてまるで天使のように愛らしいクーが黒い影に囲まれて立っている。黒い影は隙あれば襲い掛かる構えだ。


「そうですね。空から強行突破したいところですが、この数ではあっという間に捕まえる側から捕まる側に早変わりしてしまいますよ。まいったな、随分こちらについてきたものだ」


うんざりした様子で彼は言う。これだけの黒き魂がこちらに存在するということは、キメラ達残されたほうは手薄ということになる。この数をあの場所に戻すわけにはいかない。

交差点の信号が赤から青になり車が彼らの脇を走り抜けた。

黒い影は車の存在を無視して物質を通り抜け彼らに向かってきた。クーはとっさに行きかう車の間を縫いながら素早くやり過ごす。

車のバンパーを踏み台にボンネットを駆け上がったダージリンは、軽い身のこなしで車から車へと飛び移りその傍ら扇で黒き魂を討ち払う。歩道まで走り出たクーは、重力を無視して歩行者信号を駆け上がりその上で片足立ちになったのち周囲の黒き魂に強烈なジャブやフックをお見舞いし、しまいには頭突きを食らわせて宙に舞った。

次々と行きかう車の上で応戦していたダージリンは、やがて信号が赤に変わり思いかけずバランスを崩し車の前に体を晒した。体が投げ出されるままアスファルトを転がり辛くも車体の下へ滑り込む。そのまま数台車をやり過ごしている間も、車の隙間から黒き魂は遠慮なく触手を伸ばしてきた。

車が通過している間なんとか凌ぎ、体を起こすと背中に何かがぶつかった。

柔らかい感触と甘い香水の香りが漂った。クーの背中だ。二人は追い追われを繰り返しているうちにまたこの場所、交差点の中心に追い込まれていたのだ。

クーの体力はとっくに限界で、かのもの達を呼び出す気力はない。ダージリンは島へ渡った時からその力は封じられている。

今、二人にできるのはこの沢山いる黒き魂を足止めすることくらいだ。

じわじわと間合いを詰められ気がつけば四方八方囲まれており囮としても限界だった。

お互い背中越しに視線を交わすと自嘲気味に二人は笑みを浮かべた。


「さて、もうひと働きしますか」


二人は腹を括り、大きく構えた。

その時、後方から黒い鎌が唸りを上げて現れ、前方の闇をつぎつぎと払いのけた。頭上を幾つもの鳥の羽音が横切り、あらゆる物の影から闇から出ずる奇怪な生き物が這い出して来た。二人は空を仰ぐと安堵と喜びの余り足元がふらついた。お互いの体重をかけ合い支えあう。

米粒大だった仲間たちは瞬く間に姿を現し黒き魂を蹴散らしていく

巨体の双子バジリアとパナリカ。白銀の髪のルフナ。関東支部最年少のシナルア。

東京都担当の面々とそれ以外に関東近辺の都道府県担当のファリアの姿もあった。


「ここは僕たちに任せて病院へ戻れ!既に事態は急変している」


ダージリンの表情が僅かに強張る。頷きクーと視線を交わすと扇子を大きく一振りした。魂の闇が動揺したかのように辺りに散らばる。その隙をつき、彼らは颯爽と空へと舞い上がる。すかさず黒き魂が触手を伸ばすがそれは届かず、瞬く間にその場から二人は翔け出した。

風が唸り煽られた髪が頬を叩く。快晴だった空にはいつしか灰色の雲が陰りを作り時折太陽を隠した。

眼下にはオレンジ色の電車が行き交い、駅を中心に賑やかな街並みが広がっている。

中央線に沿いながら高円寺の病院へと翔けていたクーは額に手をかざし前方を眺める。数百メートル先にダージリンの姿が小さく見える。

なんて速さなのだろう。同時に飛び立ったのにこんなに差がついている。

ダージリンは一族の中でも飛びぬけて実力があった。頭脳明晰で研究熱心、才能だけでなく努力も惜しまないその姿は誰もが尊敬の念を抱いた。性格も穏やかでその能力を驕ることなく常に相手とは対等の立場を心得ていた。

誰とでも対等。それはいつしか彼を上辺だけの付き合いしかできなくしていた。揺るぎない判断、絶やさない落ち着いた表情。それが人を寄せ付けない雰囲気を出していた。

そんな彼が激しく戦闘し、わが身も省みず生き生きとサポート役を担っている。

こんなダージリンを見るのは初めてだった。


吹き飛ばされた窓から降り立つと、床に這いつくばっているキメラと介抱にあたっているダークネスが目に入った。書棚が幾つか倒れ、引き裂かれたソファから綿が漏れ出し、重そうなマホガニー机の下には大介の痛ましい遺体がある。部屋のいたるところに書類や書籍が紙くずとなって舞っていた。

近づくと床には嘔吐物が撒き散らされ血痕が血溜まりを作っていた。血の池の上にはダークネスの片足が投げ出され丸く空いた穴からまだ血が流れ出ていた。


「やっとお迎えだぜ…オレは呼ばれているみたいだから先に失礼する」


ダークネスは言うと痛みに表情を歪めぎこちないウインクをダージリンに返しつま先から床に吸い込まれていくように姿を消した。

ダージリンはキメラに歩み寄り、彼女の横に跪くと背中に手を添える。


「大丈夫ですか?御魂を送りましたね」


足元の嘔吐物が異臭を放ち俯いている彼女の表情は読めない。

キメラは肩で息をしながら震える手で口を拭った。


「なんてこと…。こんなことって。はぁ、はぁ。す、鈴木さん、お子さんが亡くなったのを信じられなくて奥さんのお腹を開くなんて」

「さぁ、顔を上げて」


ダージリンは汗と涙などで濡れたキメラの顔を自分の服の裾でぬぐい、肩に彼女の腕をかけた。そして、ゆっくり立ち上がる。キメラを挟む形でクーも寄り添った。


「言霊を唱えたら彼の思考と共に人生が頭の中に流れてきたの。妻も子供も失い狂気にかられた。現実を受け入れられなくて妻子を探し続けていたのね」


初めて人を送ったキメラは自信が体験したことを興奮気味に話つづけた。息つく間もなく次の言葉が彼女から飛び出そうとした時、ダージリンは彼女を抱き上げ至極自然に宙を浮いた。


「いいですか。その話は後です。今は一刻も早くここから立ち去らねばなりません」


彼の声色は硬く、その視線は空へと向けられていた。


「早く行きましょう」


急かすクーの言葉に三人は割れた窓から空へと舞い出た。灰色の雲が立ち込め薄暗い影を街へ落としている。今にも泣きだしそうな天気だ。

東の空から雲を突き抜け双子の怪力男、白髪を携えた小柄な老人、銀髪の二十歳前後の青年、豊かな黒髪のミルクティがこちらへ向かってきた。東京支部の面々が追いついたのだ。

お互いが笑顔を交わしたのも束の間、雲間から金色の光がいくつも差しオーロラが四方の空から垂れ下がった。

一斉にみんなの表情がこわばる。


『キメラ。貴方は法を破りましたね』


低くいくつにも木霊する女の声があたりに響き、金色の光に包まれた襲の色目に枯れ野色を主とした唐衣裳姿の女性が雲の合間から現れた。引き越しと衣が異様にゆっくりとゆらめいている。

 面長で色白。切れ長の目、小さな赤い唇、黒く艶のある髪は腰よりも長くまるで平安絵巻から抜け出したかのような姿だ。

キメラは訳も分からず呆然とその美しい姿に見とれている。確かどこかで見た顔だ。そうクーと共に学び舎に入学したとき祝辞を送っていた女性だ。


「ストラスアイラ」


渇いた喉の奥から彼女の名前を呟く。キメラの顔は他の人たちと同様蒼ざめた。

職種5階級上から二番目に鎮座し、種の法を司るインペラーと呼ばれる唯一の存在がストラスアイラだ。種の存続を左右する法を犯す者には容赦なく厳しい処罰を与えると有名でそのたおやかな美しさとは裏腹に氷の心の持ち主だ。


『人を送るとは。好奇心に負けたのか』


「私が許可しました。機会を逃さずあの御魂を捉えるにはやむを得ないことでした」


ダージリンは歩み出ると普段と変わらない口振りだった。表情も動揺の色はなくまるで挑戦的な態度だ。かれは畏れ多くないのだろうか。彼の肩越しにキメラは首を傾げた。他の者達はその威厳と存在感に圧倒され身動きすることさえままならないのに。

ストラスアイラは冷たく突き放す。


『私はそんなもの許可した覚えはないが?御魂を送る能力を失ったお前に下した指令はあくまでもサポートだ。変わらないな、その勝手な振る舞い』


ため息をつき残念そうに眉根を寄せた。じろりとキメラに視線を投げると憎しみの帯びた瞳の色に変わった。そう、あの目は憎しみが宿っている。キメラは戦慄し体が縮み上がった。憎まれる身に覚えはないが、今は法を犯した罪がある。それでこんな殺されかねない視線で射抜かれなくてならないのか。

忌々げに息を吐くとストラスアイラは言葉を続けた。


『兎にも角にもキメラ、お前は人を送った、間違いないな』

「はい」


即答するキメラにストラスアイラは心の中で笑みを浮かべた。

これで厄介者はいなくなる。

気持ちを隠したまま何食わぬ顔で告げた。


『気の毒な話だ。大事に育て慈しんだ娘が簡単に我らを裏切るとは、わが種族が気の毒でならぬ。キメラ、お前のためにどれだけの者達が労力を注いできたか想像もできまい。せめて我らの一員として認める為に僅かながら仕事を与えたが、犯してはならぬ領域に手を染めるとは』


キメラは空気を吸い込み勇気を奮い立たせ声を上げた。


「わたしが人を送ってはいけないのと飛べないことは関係しているのですか?」


周囲の人々が息を飲む姿があった。これは彼女にとって長年の疑問だった。

ストラスアイラなら答えを知っている筈だ。私が飛べない理由。

よい感じになってきた。

ストラスアイラは浮き立つ気持ちを何とか抑えた。長年伺っていた機会が訪れたのを感じた。


「確かに彼女は大切に育てられてきた。障害があっても立派に乗り越え今、私たちと並んでいる。そこになんの問題があるのですか。法を犯した罰ならわたしが受けます。私が彼女に命令したのですから」


話を逸らされストラスアイラは苛立った。ダージリンの申し出は理に適っているが、せっかくの機会が台無しになりそうだ。


「そんな、ダージリンは悪くない、人を送ったのはわたしだよ。それにこの質問は絶対答えてもらいたいの」


今度はダージリンが焦りを見せた。キメラに向かい腕を伸ばすと肩を掴んだ。


「だめだ、それは。聞いてもたいした理由じゃ」

『本人が知りたがっている。よいではないか。たいした理由ではないのだから』


得意げにストラスアイラは言いダージリンの言葉を遮ると身を乗り出し意地の悪い低い声色でその理由を述べた。


『お前が人間だからだよ。人は飛べない、当たり前ではないか。それに人が本当に御魂を送れると思うか?無理だ。独特な次元融合そして特殊な物質の取り込みそれらは我らが糧だが人間の糧ではない。お前の仕事は御飯事をしているのと同じだったのだよ』


眩暈を覚えキメラは目の前が暗くなるのを感じた。倒れそうになるのを必死に耐えストラスアイラの言葉をオウム返しした。


「わたしが人間?私の仕事が御飯事?」

『そうだ。それが真実だ』


世界が音を立てて崩れていくのを感じた。見て聞いて走り回った世界がすべて嘘に塗り固められたものだったとは、ストラスアイラの言葉は周りの人間を見渡せば真実だと自ずと悟った。クーとダージリン、そしてミルクティ以外は目を合わせようとしない。自分を見つめる三人は同情と憐れみの色が伺えた。みんな人間だということを知っていたのだ。


「あぁ、なんてことなの」


苦悩に顔を歪め額に手を当てた彼女は力なく項垂れた。不意に肩を寄せられ顔を上げるダージリンの顔が間近にあった。失意のあまり体が震えているのを悟られるのが怖くなる。


「心配しないで。私たちはあなたの味方です」


熱い吐息が耳をくすぐる。暖かい彼の手をキメラは力任せに払い除けた。彼女の表情は険しく頬は怒りで紅潮していた。


「触らないで!嘘つき。みんなで私を騙したのね。飛べない私を笑っていた?できもしない仕事をやらせて面白かった?何故わたしはあなたたちと一緒にいるの?道化師に仕立て上げるため?」


語気も荒く捲し立てたキメラの瞳から大粒の涙が溢れ出した。ダージリンの穏やかだった表情は一瞬硬く強張り瞳は暗く翳った。

その様子にストラスアイラは笑いが止まらなかった。愉快な気持ちを抑えきれず肩を震わせながら扇を口元に添えた。


『喚くな、人間。バースや皆の厚意でお前はここまで我らと共に生きたのだ。我らの一員ならば当然我らの法に従ってもらう』


彼女の流れた視線の先にはダージリンの姿があった。拒絶されたのにも関わらずキメラに寄り添っている。ストラスアイラの右眉が僅かにせり上がった。


『先ずはダージリンお前からだ。』


ゴクリと誰もが固唾を飲んだ。その中で当の本人ダージリンだけ動揺の色は伺えなかった。彼は奥歯を噛みしめ美しき唐衣裳姿の女ストラスアイラを冷めた瞳で見つめている。

当の昔に魂を送る仕事から足を洗い、俗世間からかけ離れあの島で過ごしてきたのだ。今更死罪以外に畏れるものがあるものか。


『どうもこの女が絡むとお前はまともな判断が出来なくなるな。』


ストラスアイラはゆるりと長い溜息をつくと自身の引き越しに視線を落とし、風で揺れるさまをしばし見つめていた。やがて顔を上げると菫色の瞳と目が合った。瓶覗色の髪そして陶磁器のような象牙色の肌。全体的に白い感じを受けるダージリン、唇だけが赤く血色良く映えて見えた。


『本来なら牢獄で数百年頭を冷やしてほしいところだがお前がいないと困ることもある。生涯島に留まりそこから渡航して他へ出ることは禁じる、生徒と臨時講師以外の接触を禁じる。寮や支部の雑務は他の者を当てるとしよう。これからお前の寿命が何年残っているかは知らぬが、講師の職業に専念せよ』


一生軟禁暮らしか。寛大な処置に涙が出そうだ。

ダージリンは自嘲的な笑みを浮かべ前髪を掻き上げた。仲間たちのどよめきとささやき声が辺りに広がった。


『さて、キメラ』


そう言ったストラスアイラの声は奇妙なことに軽い感じで明るかった。パチンと扇を閉じると自分の手のひらに繰り返し打ち付ける。キメラは傍からわかるほど飛び上がった。

人間が魂を送った罪はどれほどのものになるのか想像もつかない。恐怖のあまり胃が縮み上がりキリキリと痛み極度の緊張で弾けるほど暴れる心臓は今にも口から飛び出しそうだ。


『死罪』


血の気が引くのをキメラは感じた。ついこの間、そう数年前にあの島から出てきたばかりなのに、仕事にも仲間にも慣れこれから訪れる希望に満ちた未来が奈落の底に投げ捨てられた気分だった。体から力が抜け落ち足元が再びふらついたが傍らに寄り添っていたダージリンにしっかり抱きとめられた。また、この人だ。虚ろな瞳を上げると固く唇と引き結び瞳に怒りの炎を宿していた。

彼が口を開きかけた時、甲高い声が辺りに響き渡った。


「ちょっと待って。死罪って簡単に決めないでください」


声の主に視線が集まる。桃色の巻き毛、鮮やかなグリーンの瞳のクーだ。彼女は僅かに震えながらストラスアイラを見つめていた。

誰よりも年功序列に煩く仕事にクールな彼女が上司に意見などとあり得ない姿だった。

クーの影から黒いトレーナーに黒いジャージ姿のダークネスが現れる。


「おれが送るように最終的に頼んだ。きっとダージリンに言われてなくてもあの状況なら送ってもらっていた」


彼らの必死な様子にストラスアイラは可笑しさが込み上げてきた。とんだ友情ごっこ、いや家族ごっこか。滑稽なお芝居を見ているようで思わず苦笑いをした。


『まぁまぁ、落ち着け、死罪というのは我らと共に過ごすのならそうなる。ということだ。そもそも妾はこの娘の擁護には異を唱えていたのだ。後に面倒を起こしかねないと思案していたのだよ。案の定、このような顛末になろうとは。ただ死だけが判定ではない、人間の世界に帰れば何の咎もないとしよう。本来いるべき場所へ戻れ』


我らの前から消え失せろ。

ストラスアイラは心の中で付け足した。種の存続にあたって人間との接点は最低限に抑えられている。その人間がここに一人でも存在するということは四六時中我らと関わることとなるのだ。本末転倒だ。

キメラの中で彷彿と怒りが込み上げてきた。物心つくころからこの世界で生きてきたのにどうやって人の世界で生きていけばいいのか見当もつかない。


「だったら何故私はここにいるの?幼いころから皆と一緒に暮らしていた。私には人の世界で生活していた記憶は一つもないのに」


肩に触れていたダージリンの手がぴくりと反応した。肩を掴んでいた手がゆっくりと離れていく。ストラスアイラは苛立たしげに言葉を吐いた

『お前が知る必要はない。この決定に何ら関わりのないことだからだ』


下唇を噛み締めキメラはなおもストラスアイラに食ってかかった。


「関係ないはずない。私が人間だからこの決定をのまないといけないのよね。死罪か追放か。そう、私が人間の世界に帰らないといけないというのは追放だわ。そもそもの要因は私が何故貴方達と共に暮らしていたかということよ」

『五月蠅い。口を慎め、偉そうに並びたてて屁理屈を妾に申すとは生意気な。どちらも嫌だと申すなら、静かなところで頭を冷やして考えるがよい』


ストラスアイラは扇子を開き大きく腕を振り上げた。扇子の淵から黒い霧が立ち込める。


『出でよ、捕えしもの』


薄雲空に暗雲が立ち込め小雨が降り出し、雲の合間から鎖の擦れ合う音と甲高い奇怪な動物の鳴き声が漏れ聞こえた。

いつの間にか東京支部の六人はキメラを囲んで円陣を作っていた。

ミルクティは厳しい表情でストラスアイラを見上げると長い睫毛をしばたかせた。


「ストラスアイラ、やり過ぎです。バースはご存じなのですか?」


鼻を鳴らし彼女は巧みに扇子を操った。黒い雲から鎖と南京錠を手にした猿のような生き物が落ちてくる。筋肉質な体には短い産毛がぎっしり生え全身灰色だ。その背には蝙蝠の翼があり空中を自在に飛び回る。小さく丸い金色の瞳は白目がなく瞳孔は猫のように細長い線状になっていた。その生き物は次々と現れ、

ストラスアイラは目を細め自分に歯向かう輩を上から万遍なく眺める。


『その娘を庇いたてする気か。妾の決定がどれだけ正確で絶対的だということを忘れているようだな。そこにおるもの全て捕え不帰の鍾乳洞へ連れて行け』


なんということだ。これで二度目ではないか、この娘が関わると我が種族に争いと反乱が起こるのは間違いないやはり排除せねばならない存在ということか。

扇子を軽やかに操りながらストラスアイラは舞を踊る。その動きに合わせて捉えしものは隊列を組んで彼らに迫り鈍い光を放つ鎖を巧みに動かす。


「捕えし猿ども、そんな玩具では話にならないぞ」


呻いたのは東京管轄内の最年長のルフナ老公だ。額から頭頂部まで見事に禿げ上がり残りの白髪は後ろに束ねて背中に流してある。年月を経た顔には深い皺が刻み込まれ目と口は皺と見分けがつきにくい。小柄で華奢な体にはダークグレーの民族衣装を着ていた。ルフナは高齢を思わせない素早い動きで囚えしものを退ける。

 橙色と蜜柑色の色違いの民族衣装を着た二人の大男は力任せに囚えしものを吹き飛ばしていた。大男二人はパナリカとバジリア、双子で2メートルは超える体と鍛え上げすぎた筋肉隆々の体が自慢だ。鍛え上げられた腕が振り上げられだ。


「うらぁ!」


気合の入った怒号と生身の体がぶつかり合う鈍い音が辺りに響いた。双子の強靭な腕に挟まれ囚えしものは苦しみのあまり奇声をあげる。

クーと銀髪の青年が、肩を組んでフロント・ハイキックをお見舞いし終えハイタッチをしていた。強烈なキックで囚えしものは跡形もなく地上のどこかへ飛んでいく。

爽やかに白い歯を見せて笑う青年はまだ学校に通い実地研修中のシナルアだ。白いポロシャツに黒いチノパンという軽装で、健康そうな日に焼けた小麦色の肌に黄土色の大きな瞳が生き生きと輝いていた。

次の獲物を捉えて二人はプロレス技を次々と繰り出す。

捕えしものを足で踏みつけながらミルクティはにっこりほほ笑んだ。


「いや、実に爽快だね」


事の発端の張本人キメラは暫く事の成り行きを呆然と見ていたが、自分とダージリンに伸びた5本の鎖に我に返った。

捕えしものが二人を取り囲み周囲に張り巡らせた鎖を絞り込んだ。鎖が二人を縛るより早くダージリンは跳ね上がった。足元で鎖が絡みあい金属音が鳴り響く。飛び上がったところに鎖が投げかけられ肉と鎖がぶつかり合う不快な音と共にダージリンはのけぞった。こめかみから背中まで鎖が当たったのだ。白い肌に鮮やかな鮮血がしたたり落ちる。

キメラを背中に回しダージリンは早口で言った。


「逃げてください」

「え?」


キメラは自分の耳を疑った。しかし、二言目ははっきりと聞こえた。


「今のうちに逃げるのです」


ファイティングポーズを取って彼女はダージリンの隣に並ぼうとした。が、彼はキメラの前から梃子でも動かなかった。


「私もみんなと一緒にたたかいます」


困ったようにダージリンは眉根を寄せると顎をしゃくった。


「ご覧なさい。私も他の皆さんも苦戦しています。捕えしものは数も増えている。これ以上逃げ場がなくなると牢に入れられてしまいます。いいですか、先にここから離れてください。なるべく人混みに紛れるように。大丈夫です。後から私たちも追います」


辺りを見回すと、彼の言うように誰もが苦戦していた。ここにくるまで任務をこなし体力はかなり消耗している筈だ。相手は凶暴で容赦ない捕えしもので防戦を張るので手一杯だった。再びキメラがダージリンを見ると彼はゆっくり頷いた。

キメラは無言で頷き混乱に乗じて地上へ降りて行った。


これからの不安を胸に人の波の中で空を見上げる。

もう姿の見えない仲間たちの安否を気にかけながら新宿の街を当てもなく歩き始めた。

空を覆った灰色の雲から冷たい雨が落ち始める。

降り始めた雨は、高層ビルと住宅街、商店街の混在する街を覆い、辺りに霞をかけたかのように風景を薄ぼんやりと鼠色に染めていた。

オフィスビル、商用ビルの建ち並ぶ渋谷も例外でなく、派手な原色や蛍光色で不規則に主張する看板もどこか色褪せ寂れた感じがする。

突然の雨に走り行く人、幾つかの傘が花開き歩道に紫陽花の花が咲いているかのように見え、常に混雑していた車道には、ワイパーを激しく動かす車の列が出来始めていた。ビルの谷間は人と車で埋め尽くされ、雨音も遠のく都会の喧騒がいつもと変わらずこの街を賑わせていた。

キメラは首元に手を当てるとハートから貰ったチョーカーがあった。

そういえば、これながないと飛べないよね。

ぼんやりと思いだした。

彼女は自嘲的な引きつった笑みを浮かべると乱暴に掴み無理やり首から引きちぎった。

臙脂色の瞳から涙が溢れ、その滴は頬を伝い手にしたチョーカーに落ちる。足早に歩道を行きかう人波に逆らい立ちすくむ彼女を、ある者は悪態をつき、ある者は一瞥し先を急ぐ。

キメラの手からするりとチョーカーが滑り落ちた歩道に横たわるそれは雨に打ち付けられ人の足に踏まれ、瞬く間に痛んでいく。金具は歪みドロップ型に宝石は色褪せひびが入る。辛うじて残った一枚の羽根が虹色に輝いていた。

彼女はチョーカーを捨てると魂が抜けたように街を彷徨う。雨は優しく降り注ぎ、キメラの体をゆっくり濡らしていく。

突然のクラクションにキメラは顔を上げた。

日も暮れ、夜の帳が降りたのに辺りはネオンと人と車で明るく騒々しい。

 傘もささず雨に打たれるままの彼女が気になるのか、道行く人はじろじろ見ては通り過ぎていた。しかし、彼女にとって人の目を気にする余裕もなかった。

信じていた者に裏切られた。そして自分も裏切っていた。

島で卒業出来ないのを悔しく思ったり、将来最高の階級まで登りつめる野望をもったり、仲間たちと変わらない日々を過ごせるものと思っていた。

私が人なら彼らと同じ時間は共有できない、相手は何百年と生きるのに人の寿命は九十年くらいだ。あっという間に私は年を取ってしまう。

 寒気を感じて身を竦める。

また、クラクションが鳴った。

今度は彼女のすぐ横で。


「彼女、ぬれぬれじゃん。これから大雨だぜ?」

「金ないの?傘ないの?」

「お家まで送って行ってやるよ」


黒塗りのワゴン車から渋谷系の若者が車を止めて大きくスライドドアを開くと手を差し伸べてきた。

親切な人もいるものね。内心そう思いながらキメラは手を横に振る。


「いえ、悪いですし。お構いなく」


上げた手を不意に掴まれた。キメラの細い手首に金銀宝石を散りばめた指輪をした指が食い込んだ。目が血走り舌なめずりしながら金髪の男が車へと強引に引っ張る。


「痛い、放して」


顔を逸らしその場から逃れようとするキメラに男たちの手が伸びた。

息つく間もなく社内に引き摺り込まれる。

固いナイロン製の車のシートが体に当たり、車特有の香料の匂いが鼻につく。

キメラは後部座席に仰向けに倒され手足を抑えられた。

灰色の車の天井と男の顔が少なくとも四人は見える。どの顔も頬は紅潮し息遣いも荒く目は好奇の色に染まり彼女の体をなめまわすように上下にさまよった。


「すっげー髪の色」


キメラの長い髪を男が人房掴むと口元に持っていくとべろりと舐めた。全身に鳥肌が立ち身の毛がよだつ。彼女の鼓動が早まり恐怖のあまりに言葉も出ない。


「見ろよ。目の色もカラコンでやばいぜ」


車はのろのろと渋滞を進んでいく。


「これから何されるか、わかってないんじゃね?」


男たちの手が伸びキメラの体を撫で回した。キメラは嫌悪感で吐き気を覚えたが何とか耐え声を振り絞った。


「や、やめて。い、や」


その声は小さく掠れていた。男たちの間で忍び笑いが巻き起こる。

やがて彼らの手は服の中に侵入してきた。


「すぐ、気持ちよくなるからな」


その時、車のドアが勢いよく開いた。


「君たちは何をしている!」


 鋭い閃光が車内を走りぬけ、男の怒なり声が響いた。閃光は懐中電灯で、薄暗い車内を行き交い男たちの顔を交互に照らす。


「や、やべ!振り落とせッ!」


 男たちが身を乗り出すよりも早く警察官の制服を着た男は素早く車に乗り込むと、軽々と一人ずつ全開のドアから放りだす。


「な、なんだよ。こいつ・・・・お巡りのくせに強ええ!」


車外に放り出された男たちは、それぞれ歩道や車道に転がるように投げ出されある者は車にひかれそうになったり、ゴミ集積場につっこんだりと散々な目にあっていた。

警官はおもむろに拳銃を取り出すと運転席の男のこめかみに銃口をあて、凍りつくような冷たい声で言った。


「車を停めろ」


車は路肩に寄せる余裕もなく急停止する。

大きく車が揺れて停まり、キメラを連れた警官は車を出た。後方の車がその車に追突しそしてその後方の車も。と玉突き事故が起きる。

人々の悲鳴とも驚きの声とも聞こえるざわめきと、その周辺で息つく間もなく人だかりができた。

 この騒ぎに警官は気を取られるわけもなくキメラを連れだし野次馬に紛れて人波の中へ消えていった。

どれくらい歩いたのだろうか、身体を打ち付けるような激しい雨から細かく断続的に降り注ぐ雨足に変わり、景色は住宅地やマンションの建ち並ぶところへ変わっていた。

顔に纏わりつく雨に濡れた髪、水を含んだ重い居服。

連れ去られてからほんの十数分ほどしか経っていないのに、随分長い時間俯いていた気がした。

冷え切った身体で暖かさを感じるのは、握られた彼の手だけ。

気持ちが落ち着いてきたせいか急に寒気に襲われ、身体を振るわせた。

「寒いですか?」

聞き覚えのある声に、キメラは顔を上げた。

しずくを湛えて光を反射する瓶覗色の髪、しみ一つない肌理の細かい象牙色の肌に澄んだ夕暮れのような菫色の瞳。

いつもの淡い黄土色に黒い縁取りが入った民族衣装のダージリンの姿があった。

彼女の手をつないでいるのは紛れもなく彼ものだ。

 困惑した面持ちのキメラの気持ちを悟ったのか、彼は優しく微笑み口を開いた。


「彼らに影響されて、あなたにも私が『警官』に見えていたみたいですね。彼らが今会っては困る人物を写していたはずですから」


 キメラの葡萄色の瞳が大きく揺れ、溢れ出した涙はせきを切ったようにいくつも頬を流れ、安堵と恐怖が入り混じった気持ちは混乱した。

「う、う。」

 キメラは幼い子供のように声をあげ泣きはじめた。今にも崩れ倒れそうな彼女の身体を支え、ダージリンは耳元でささやく。

「さあ。もう少しの辛抱です。しばらく体を休める場所まで歩きましょう」

 凍てつき傷ついた心を癒すかのような優しい雨に打たれながら、二人が辿り着いたのは住宅街にひっそりと建つ木造アパートだった。


間が空いてしまいました。

ハードなシーンもあったのでテンポよく書きました。ちょっと速足だったかな。ストラスアイラのシーンは思ったよりだらだら書きでしたね。

イラスト書く気力がなかったのでキメラ達の種族の階級を記しておきます。

一階級 バース:種族の生みの親

二階級 インペラー:ストラスアイラのみ、種の法王

三階級 ニスタ:世界地域の管理者

四階級 トゥクス:国の管理者

五階級 ソロル:国の地区ごとの管理者

六階級 ファリア:都道府県、または州単位で魂を送るもの


基本的にバース以外は御魂を送ることはできます。


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