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天使のチョーカー  作者: 福森 月乃
つばさはばたく
6/19

鈴木家

六本木の夜景を背に、キメラとクー、ダージリンとダークネスは北風が吹き荒れる上空へと木の葉のように風に翻弄されながら舞い上がる。

高度があがるにつれ気温も下がり、冷気が四人の体から体温を奪い動きを鈍くする。しかし、彼女達の飛ぶことによる熱量で、熱く火照った身体にかえってその冷たさが心地よく感じた。

 しばらく飛ぶと古代建築に範を求め、奈良の正倉院などに見られる校倉造をモチーフにしたコンクリート造りの国立劇場と幕末まで屋敷地で明治時代に陸軍練兵場だった平成十五年に開園百年を迎えた日比谷公園の間を抜ける。

施設の充実した日比谷公園の向こう側には、緑を多く湛えた吹上御苑、皇居東御苑、北の丸公園が、煌めく街の灯かりにぽっかり大きな黒い森林の影を作り出していた。

 次にエアー・サポーテッド・ドームである東京ドームを右手に過ぎると左手に加賀藩屋敷旧建築物、赤門や安田講堂携える東京大学が見えてきた。

東大農学部の上を通りグランドを抜け不忍通りに出る。

 古きよき日本の風景が残るこの地域は寺や神社が多く混在し、通りから一本外れると古い木造の民家やお豆腐屋さん、お米屋さんなどの個人商店の懐かしさをさそう風景に出会えるところだ。

 不忍通りを団子坂上方面へ北上し、すぐ左に外れて藪下通りに。そして汐見坂付近に差し掛かったところでキメラたちは羽を下ろした。

都会の喧騒をよそに静まり返る住宅街。

 少ない灯かりのなか暗闇がすぐそこにあり心なしか薄ら寒い感を覚える。


「この汐見坂を上って五十メートルほど先に鈴木 隆の住まいがあります。そこで彼の手がかりをつかみましょう」


落ち着いたとアルトの声が辺りに響いた。

ダージリンの意見に残りの三人はそれぞれ頷き、沈黙のまま彼の後に続いた。

汐見坂をやや早足で上る四人。吐く息は白く静寂の中、犬の遠吠えと時折耳を掠める都会の喧騒、そして彼らの布ずれの音がやけに耳についた。

 坂を上りきり小道に逸れてしばらく歩くと、大きくもなく小さくもない日本家屋の前に立ち止まった。

奇棟屋根の深い軒下には裏路地のような丹波石によるアプローチがあり、家屋の外壁には山吹色のモルタル下地に杉板張りの腰壁が施されていた。格子の玄関戸の脇に木製の看板が掲げられており『汐見すずき食堂』と味のある筆文字で書かれてあった。

 垣根と竹で出来た低い塀に囲まれたこの家屋に明かりはなく、夜の帳に身を寄せるかのようそこに在る。

ダージリンはにわかに懐から古ぼけた小枝を取り出すと、格子戸の鍵穴にそれを差し込んだ。至極自 然にその小枝を一回りさせると鍵が開く乾いた金具の音がした。


「何度使っても便利だよね。その枝」


不思議そうにキメラは呟く。

 格子戸を引いたダージリンの後に続きながらクーは軽く片目を閉じた。


「鍵の小枝がなければ仕事ができないじゃない。今は鍵も多様化しているけどこの小枝一本あればぜんぜん問題ないから」


 ダージリンはその会話を聞きながら少し笑みを浮かべ、小枝を懐へもどす。そして静かに格子戸を閉め鍵を掛けなおした。確かにこの小枝は鍵の形を瞬時に読み取り、鍵穴の中で変化する便利なものだ。

 玄関に入るとすぐ食堂になっており、漆喰塗りの壁に小さな小窓が並び各テーブルごとに柚子壁が施されて半個室になっていた。柚壁にも縦格子の入った小窓が二つ施されている。

 土間風の冬暖かく夏涼しい三和土の優しい感触を足で感じながら、カウンターの跳ね上げ扉を上げキッチンを抜け母屋へと続く廊下の扉を開いた。

 母屋へ続く廊下の向こうには中庭が設けてあり、店の軒先の御簾垣を区切りに飛び石伝いにこの中庭に続いていた。鎖砂利敷きに臼型手水鉢を据えた蹲周り、護岸の石積みや延べ石植栽の緑に和の趣をうかがえる和庭になっていた。

店も母屋も庭もよく手入れが行き届いている。

 和室を抜け縁側を歩き突き当たりに米松で出来た引き戸が現れた。


「鈴木さんの書斎です。こちらで彼の行き先を探りましょう」


乾いた軽い音を立てて引き戸は開き、四人はなんなく室内に入る。

四畳半のこじんまりとした和室。壁には古びた柱時計とどこにでもある書き込みが出来るカレンダーが先月のまま下がっている。

押入れが北と西に一つずつ。南に文机。その脇にたて格子の民芸チェストが置かれており書籍や雑貨が見栄えよくならんでいた。

 ゆっくり文机の前に膝まづいたダージリンは柔らかな物腰で机に触れ、目を閉じた。

この机を通じて鈴木の気配を追う。

キメラたちは黙ったままその様子を見ていた。


彼らが書斎に入るのと同時に店先の玄関が開き、何者かが家へ入ってきた。

履きくたびれたスニーカーを脱ぎ母屋へと続く廊下を歩く。

リビングに着くと明かりを灯し、肩に掛けていた麻布で出来たショルダーバックを無造作に投げ出した。しばらくリビングと和室を行き来した後、縁側を通りキメラたちの居る書斎の扉を開く。

 室内に明かりが放ち、キメラたちは一瞬目がくらんだ。


「誰だ!君たちは?」


張りのある若い男の声が部屋に響いた。

キメラ達は身動きもせず男を正視した。

 白いニットに煤けた紺色のジージャンそしてあちこちほころび穴の開いたLEEのジーンズくたびれた紺色の靴下。

少し角ばった面長の面持ちにスラリと長い大きめの鷲鼻。太い眉毛にくせ毛の茶色いセミロングの髪。きらきらと光る大きめの瞳にはキメラたちの姿がしっかりと映っていた。

 一歩歩み出て彼を確かめたのはクーだった。


「ちょっと、この人私たちの事が見えてるの?」


男の目の前でひらひらと手を振ってみせる。

 その手を払いのけ男は忌々しそうにキメラたちを見た。


「見えてるよ!変な格好をした赤毛の女と青白い髪の男と。くるくるピンクの髪のあんた。・・・・ま、唯一まともそうなお兄さん」


確かに見えている。キメラ達は顔を見合わせダージリンへと視線を向けた。

 ダージリンは机に触れたまま瞼を閉じまだ追跡中だ。この男が入ってきたことすら気づいてない。


「・・・・・・見た感じ警察ではなさそうだし。どうやって入ったか知らねーけど。野次馬は出てけよ!お前らが面白がるようなもんはここには何もない!」


息をまいて男はクーの襟首を掴み戸口へ引き倒そうとする。ダークネスの筋肉質でたくましい腕が伸びクーの身体を受け止める。ダークネスと男は無言のまま睨みあった。

 物音がして文机の前に立ちダージリンは呟いた。


「これで・・。鈴木 隆さんの後を追えます」


 ゆらりとただずむその姿に、目を奪われつつ男の表情に怒りとも驚きともとれる色が浮かんだ。


「!オヤジの後を追うって。さっきオヤジは警官に撃たれて死んだんだ。...なんなんだよお前ら、気持ち悪い」


そう思われても仕方のない状況だ。

人間に口で説明して分かるほど簡単なことではない。

 ダージリンはようやく男の存在に気付き、右側の眉だけ怪訝そうに引き上げると彼に歩み寄った。


「・・・君は・・。息子の大介君だね。妹の清香ちゃんは?」


「親戚の家だよ」


反射的に応えて、大介は思わず口に手を当てた。

普通の格好をしているのは二人だか、残りの二人は奇妙な衣装を着ている。

髪の色は派手だし、何しろこの4人に人間臭さを感じない。

大介は猜疑心を宿した瞳を向けた。

その様子を見て、クーは小声でキメラに耳打ちする。


「おかしいよ。私たちの姿が見えるなんて・・・。普通じゃないよ」

「うん。・・・・でも・・」


頷きながらも、キメラは何か言いかけた。


「信じてもらえないと思うが、私たちは仕事で君の父親の御魂を追っているのです。あ、御魂っていうのはこちらでいう幽霊のようなものですが」

 

なんのためらいもなく穏やかな口調で説明を付け加えダージリンは正直に答える。その答えに納得がいかない様子で顔を見合わせたのは、キメラとクー、ダークネスの三人だった。

大介は呆れたように口を半開きにして金魚のようにパクパクと動かした。流石に驚いて声も出ないらしい。

 慌ててクーは、引きつった笑みを浮かべながらその場を取り繕おうとした。


「ちょ、ちょっと待って。勝手にお家に上がり込んだことを謝るわ。ごめんなさい。怪しいのは充分わかってるけど、何を言って説明したらいいのか」


言葉に詰まるクーを彼は冷たく見据える。誤魔化しは聞かなそうだ。

大介の視線はゆっくりとダージリンに移った。

 青白い髪陶磁器のような肌、長身で落ち着いた物腰だ。この男がきっとリーダー的存在だろう。


「やっぱり成仏できてないのかよ」


(この状況で信じるの?)

言葉にしなくてもクーの表情から言いたいことは読み取れる。ぽかんと口を半開きにして眉根を寄せている。ダージリン以外誰もが困惑していた。

和室に立ちすくむ五人。柱時計の時を刻む音だけがやけに大きく耳につく。

 短い沈黙の後、大介が口を開いた。


「俺も連れて行ってくれ!オヤジの最期を見届けたい」


 これまで傍観者を決め込んでいたダークネスが間髪入れず口を挟んだ。


「阿保なこと言うな。お前と同じように見えてもな、おれらはお前と生きている次元が違うんだぜ」


「ここは、専門家の私たちに任せて置いた方がいいと思うわ。・・・だいたい邪魔っぽいし」

 

クーは尖った口調で言いつつ語尾は聞こえない程度につぶやいた。

 納得のいかない様子で大介は彼女を睨むと拳を握った。


「...邪魔って。自分の親父を助けたいと思うのに何が悪いんだよ」


 彼は短く言葉を切ると吐き捨てるように言葉を続けた。


「おれの親父は犯罪者だ。罪もない女子供を殺し続けた。でも...それは、失った母と妹を蘇らせる暴挙で正気を失っていた。誰もあいつを止められなかった。親父はあの世でも罰を受けるのか」


誰もが答えを伝えなかった。彼らの仕事がそれに値する仕事なのかわからなかったからだ。

 ダークネスが右手を伸ばすと畳みから黒光りする鎌が現れた。


「オレたちは裁判するわけではない。御魂の処理を仕事にしているんだ。ま、それにより生きる糧もいただいているけどな」

「処理とは言葉がよくありませんね。輪廻転生はご存知ですか?私たちはそれに関わっているのですよ」


ふわりと浮いてダージリンは彼の言葉を継いで大介の傍らに舞い降りた。

非現実な状況に大介は混乱していた。浮く男に鎌を床から出す男。家の床下に大きな黒い鎌が隠されてるとは今日まで全く知らなかった。

ついていくと言ったことを多少後悔しつつ、追われる父親の今後の行く末も気になり生前聞けなかった蛮行の糾弾をしないわけにはいかなかった。どんなに怪しくてもこの人たちについていくことによって父親にたどり着くのだ。

 不意にキメラの声が上がった。


「連れて行こう」


 誰もが耳を疑った。断固とした決意を感じさせる強い口調で彼女は言葉を続けた。


「この人は連れていく必要がある」


「何言ってるの?キメラ!」


即座にクーは声を荒げると抗議を続けようと身を乗り出した。それをダージリンは片手で制する。

 しばらくの沈黙ののちダージリンは静かに言った。


「そうですね。必要があるかもしれません。大介さんついてきますか?」


さらに愕然とするクーとダークネスを尻目に大介は神妙に頷いた。

ダージリンは手を差し伸べ彼の手を握った。白く長い指見た目と違い意外とごつい、そしてやんわりと暖 かさが大介に伝わってきた。彼らの存在をそこで実感する。確かにここに存在するのだ。


「大介さん、私の力では私の半径1メートル以内に貴方はいなければなりません。そして、空を翔るときは私の手を絶対離してはいけません。さもないと私たちを見失ってしまいますよ」


キメラ達は慌しく、部屋を出て縁側へ・・そして大介の家を後にしようとしていた。

 突然キメラは手首をつかまれ頭を振ると、そこに憮然としたクーの姿があった。


「わかっているでしょうね!何かあったらあなたが責任取るのよ!」


 一瞬キメラの瞳が揺れ、葡萄えび色の瞳に力と悲しみに似た色が帯びる。


「わかっているわ。でも、こうすることが彼にとって一番いいことだから」

「どういうこと?」


 理解できない様子だったクーは少し考え込むと、何やら思い当たったのか大きく目を見開いた。


「まさか!」


キメラはゆっくり頷いた。


武骨な骨が連なりあったような枝を重ねながら無言で並ぶ雑木林と、硬く膨らんだ芽を抱える街路樹に囲まれた住宅街の一角から、眩く赤色灯を携えた救急車が慌しく駆け抜けた。

 赤褐色と栗色のモノトーンで構成された煉瓦歩道に沿い、救急車の出てきた曲がり角の先には数台のパトカー。そして、野次馬と報道陣でごったがえしていた。

人ごみを掻き分けて、ダージリン、キメラ、クー、ダークネス。青ざめた表情の大介が姿を現す。

既に彼らの頭上には太陽が昇り、人々は通勤ラッシュを迎えていた。


「これで5人目だ。子供の魂はまだあったから助かるだろうが、お母さんは魂を持っていかれていたな」


 ダークネスはため息混じりにつぶやく。一陣の風が、短い髪を揺らし頬を冷気がたたいた。身をすくめた彼はダージリンに視線を投げた。

 訝しげな面持ちで彼は口を開いた。口から白い蒸気が一気に噴出す。


「千駄木から本駒込、水道橋、高田馬場、中野・。そしてここ高円寺。どこへ向かっているのでしょう彼は。波長が合う妊婦を犠牲にしながら西へ向かう理由が何かあるはずです」


大介の父親を追っていたが、既に姿はなく犠牲になった魂がそこにあるだけという事がこれで三度目だ。

なかなか追いつかない焦る気持ちを抑えながら、彼は歯噛みして頭を振った。

ダージ・リンの視線の先には、コンクリートむき出しの打ちっぱなしでできた真新しい四角いビルが建っ ている。救急車で運ばれた女性の住んでいたマンションだ。


「あの手口は普通じゃないわよ。狂気にかられた人間の行く先なんてあるのかしら?」

 

気分を悪くしたクーは眉をひそめ、大介を一瞥すると苛立ちを隠せない様子でつま先を鳴らした。大介は言葉も無く居た堪れない表情で立ちすくんでいた。父が去った後には凄惨な現場しか残されていない。

胸が悪くなるのを抑えられず吐き気が込みあげた。今、彼らに出来るのは後始末だけだ。

腕組しながらダークネスは空を仰いだ。


「夜が明けちまった。・・仕事がやりにくくなるぜ」

「わかってる」


 短く言葉を返し、ダージリンは鈴木の気配を追う。

今までと変わらず微弱な気配・・。彼を核として取り巻く霊体が彼の存在を捕らえにくくしていた。取り巻く霊体の気配を探るには、あまりに雑多なその他の気配に類似しているためそれを手がかりに追うこと は不可能に近かった。


「ちょっと待って。確かここは高円寺だよな」


今まで言葉を交わすことなく着いて来ていた大介が口を開いた。


「何?」


クーはいらいらした様子でぶっきらぼうに問いかけた。

 大介の姿を見てキメラたちの表情が一変した。


「大丈夫?!」


大介は突然膝を地面に突くと身体を屈めた。額に大粒の汗をかき顔面は蒼白だ。

彼の利き手の右手は自分の胸倉を強く掴んでいる。

苦しげに苦悶の表情を浮かべる大介の腕を取り、自分の肩に回したのはキメラだった。

息をするのも絶え絶えで、今にも気を失いそうな様子だ。


「大丈夫だ...。オレは平気だ...。多分、あそこだ。行ってくれ!」

「あそこって、どこに行けばいいの?」


キメラは胸に当てられている彼の手に手を重ね、気を失わないように声をかけ続けた。


彼らは「立花産婦人科」とプラスチック製の看板の掲げられた3階建てのビルの前に立っていた。

コンクリートに灰色のタイルで外壁をあしらった古い建物だ。


「オレたちが生まれた場所だ...。高円寺は母さんの実家があるところなんだ...」


動悸と胸の痛みと息苦しさに耐えながら大介はかすれた声で言った。

十五あまりの商店街が駅前に集中する高円寺。新しいものと古いものがひしめき合い、独特な街並みを作っている。

 マンションのあった桃園川緑道から北西に上がって純情商店街を越え、高円寺ストリート沿いに北に外れると中町通りに出る。その通りに面して病院はあった。

まがまがしい空気が病院を取り巻き、建物の隙間からぽっかり穴が開いたかのような漆黒の霧が漏れ出していた。

女とも男ともつかない悲鳴が院内から響き、間を置いて複数の人間が病院から飛び出してくる。


「まずい!産婦人科だ!!急ごうぜ!」


ダークネスは院内に飛び込み、ロビーから受付そして病棟へ続く廊下を迷うことなく突き進んだ。その後にキメラたちが続く。

より暗いまがまがしい空気に向かって進めばいいのだ。

灰褐色のビニール床と白い天井が続く廊下。自分の位置を迷わせる同じ造りの病室をいくつも通り抜けた。

 彼らとは逆方向に院内にいた看護士や外来の客達がロビーへと向かい揉み合いながらかけて行った。

院内の乳児が泣き叫び、助けを求める母親の悲痛な声が辺りにこだましている。

すでに院内はパニックになっており、激しく駈ける足音と悲鳴で異様な空気が流れていた。

彼らが求める暗闇は院長室へと繋がっていた。

古い院内とは対照的に両開きの立派な木製のドアに、金のプレートが掲げられ黒文字で「院長室」と印刷されてある。

躊躇することなくダークネスは扉を大きく開き、部屋へ踏み込んだ。

両脇を書棚に囲まれ、中央に屋久杉で出来たいびつな形の応接テーブルが置かれており、牛革の黒いソファーが滑らかで鈍い光を放っている。

マフォガニー製の院長机は綺麗に磨かれ、重そうなガラス製の灰皿が置かれてあった。

リクライニング自在な高級牛革製の院長椅子の上に、白髪まじりの初老の男が、まるで水中に漂う死した魚のような姿で、時折身体を震わせながら宙に浮き、その命を奪われようとしていた。

白衣を着たその姿と風格から院長なのは間違いなさそうだ。

 薄ら暗い底の見えない穴のような闇の中から、やつれ筋張った人の手が伸び彼の首を絞めている。

大きく開け放たれた窓から風が吹き込み、壊れ落ちかけたブラインドが力なく風の思うがままに踊らされ窓枠や壁にぶつかっては耳障りな音を出していた。


「このヤロー!」


音もなく床から鎌を呼び寄せると両手に構え、ダークネスは暗闇へ向けて鎌を振り下ろした。鎌は黒光りしながら美しい曲線を描き暗闇の左側をかすめた。

『ぐはあああああっ!』暗闇は形をかえてもだえるかのように波打つ。

院長に伸びていた腕が消え、支えを失った体が重力に任せて机と椅子にぶつかりながら床に転がった。すかさず、ダークネスの鎌が院長の意外としっかりした身体に切り込んだ。

鎌を引くと、院長の魂と思われる姿のものがついてきた。

引き寄せるダークネスの傍らにクーは走りより院長の魂に手をかざす。


「我が母バース様の命により魂の解放をする者である。魂の審判を受け己が出した末路に命運をゆだねるがよい。さあ!見せよそのいきざまを」


高く澄んだ声が唱え終わると共に掴んだ魂が白い光を放ちはじめた。

クーは手をかざしたまま動かない。

暗闇は獲物を奪い返そうとその魔の手を彼らにのばした。

その暗闇を軽快な音と共に払ったのはダージリンだった。


「お前の相手は私です。魂を狩る物が一人しかいないとは。痛いところですが足止めくらいはできるでしょう」


彼の手には扇子が握られている。古いものでくたびれており金の地に美しい牡丹の花が描かれていた。

 乾いた音を立て扇子を開くとまるで能を舞うかのように、幾度となく伸びる触手を払いのけた。


「も..う...!やめてくれ!父さん!」


キメラに支えられながら大介は声の出る限り叫んだ。

『ぐほおおおおおうううう!!はううううおおお!』

暗闇はよじれ端々から捕らえた魂の一部が飛び出した、いずれも女や子供の手や足、顔などで苦しげに空 を掻きまた暗闇へと引き込まれていく。


「まだ、息子を認識する意識があるのか?意識が迷いを産み形を保つことが難しくなっているのか?」


 ダージリンはキメラとクーの前に立ちはだかり扇子を振った。幾つもの伸びる触手を払い捨てる。


「やはり、大介は大事なカードになりそうですね」


彼のバックアップにより院長の魂が輝きを増し、それと同時に本棚の影から1人の少年が現れた。白いシャツに黒い短パン。私立の制服姿で坊ちゃん刈り。どう見ても小学生だ。つまらなさそうに呟いた声は、 大人の男性のもので低いバリトンだ。ぞくぞくするような響きを含んでいる。


「呼んだか。クー・・・」


少年の顔を見て彼女は笑みを浮かべた。


「ええ。・・・人としての人生を歩みし者よ。自ら選んだ善と悪を天秤にかけ天啓を申し渡す。重ねた罪の数を悔い改めるための旅に出るがよい!」


手の中に輝いていた魂が揺らいだように見えた。


「クルエルティ、お願い」


少年は顔色一つ変えずつぶらな大きな瞳に冷たい光を携えながら院長の魂を見つめるとそれを鷲掴みにした。輝く魂は琥珀色に色褪せ突然石のように重くなる。

 それを少年は手にすると、書棚の影へ引きずり込まれるように消えていった。


「よしっ」


ダージリンが呟いた時、激しい突風に襲われ身体に何かがぶつかり押し出され、外へと吹き飛ばされた。風の呻きと共に部屋が大きく揺れ、渦巻く風と暴れる家具や書類が壁や床お互いぶつかりながら翻弄する。

瞬きをする間に風と暗闇の一部は部屋の中で膨張し彼らを遠くへ追いやったのだ。

それは、クーの仕事振りに目を奪われた一瞬のことであった。

 院長室は机も椅子もソファーもひっくり返り、書棚も半数が倒れ書籍が床にちらばり書類が室内を舞っている。

転倒したソファーの下から手・・腕・・肩・・体が・・。キメラは重いソファーの下敷きになったことで 衝撃を抑えられ飛ばされることなく無傷に近い状態だった。


「あ..つっ!」


右肩を打ち付けたみたいで軽い痛みが走る。ソファーの下から這い出て室内の様子を見回した。

彼女の目に片足を杖で貫かれているダークネスが入った。傷口に手を当て横たわり苦しげに呻いている。


「ダークネス!」


 駆け寄ると、彼はゆっくり身体を起こした。ダークネスは自ら杖を引き抜いた。

歯止めをなくした血液が勢いよく噴出しあっという間に足元に血溜まりを作った。

彼は身につけていたベルトを引き抜き太ももに巻きつける。


「大丈夫だ。これくらい..」


キメラは思い出したかのように頭を振る。


「大介さんは・・・・?」


 ダークネスはゆっくり首を横に振った。マホガニーの机の下に大介らしき人間が下敷きになっている。その体はうつ伏せに倒れ床に大量の血の池をつくっていた。

キメラの瞳から涙が零れ落ちた。体が振るえ、絶望とわが身の無力さに一瞬にして鋭気を失いかけ気を失いかけたが、底冷えする吐息に我に返った。

『はあぁああぁあああ・・・・・。』

 彼女は顔を上げると数メートル先に、やせ細ったスーツ姿の中年男性が暗闇を幾つか纏ってゆらりと立ちすくんでいた。

 異様なうめき声と共に、ダークネスの息詰まった声で現実に引き戻される。


「オレとお前以外、皆遠くに吹き飛ばされたみたいだな。しかも、奪った魂の使徒がオレら以外を追っている。だからやつは今手薄だ。二人でやるっきゃねー!」


片足を引きずりながらダークネスは立ち上がった。

震える体に鞭打ってキメラは唇を引き結び、涙で濡れた顔で大介を見た。哀しみと怒りを掻き立てられ前方でふらつく大介の父親を睨みつけた。

ダークネスの手が伸び優しくキメラの頭をなでる。


「気にすんな。...心臓悪くしていてもう長くなかったんだ。わかってただろ?」


そう...私たちが見えてた時点で彼の命は燃えつきかけていたのだ。

人の死に際はいろいろだが、今は悲しみにくれている暇はない。彼の願い。彼の父親の魂を解放すること が何より先決なのだから。


「いくぜ!」


鎌首を上げてダークネスは男へと向かった。

2メートルほどの大きな影を纏った男は、ダークネスの攻撃をすんでのところでのらりくらりと避け少しずつドア口へ近づく。

放出して衰えた力を取り戻すため、病室に残された乳児や妊婦を狙っているのだ。

男の瞳には生気はなくうつろにその瞳はダークネスの姿を写していた。

力なく腕はぶらさがっている状態で足取りは重くずるずると引きずるように歩いている。


「くそっ!むちゃくちゃだるそうなのになんで狩れねーんだ!」


鎌をくるりと回し持ち直すと、男との間合いをつめ切り込む。

空気が唸りをあげ黒い鎌が弧を描いた。

ダークネスの一撃を男は身体を揺らし、まるでその場から突然消えたかのように避ける。鎌が切り込むの は男の残像だった。


「扉は目の前よ!この部屋から出したらダメ!」


 キメラは思わず声をあげた。


「わかってる!」


額に汗をにじませながらダークネスは、目を凝らした。

男はドアの前に立ちはだかるダークネスにゆっくりと腕を上げ手のひらをかざす。

黒い影がぐらりと揺れ一瞬動物の形を成した。

キメラは息を呑み叫ぶ。


「猫よ!虐待されて死んだ猫が化けて鈴木さんに力を貸してる」


最後の砦ダークネスに、かざした手を振り下ろす。

それと同時にダークネスの鎌が唸りを上げて振り下ろされる。

「うああああああああ!」

『ぎゃああああああああおおおおう!』

ダークネスの声と人とも獣ともとれる声が重なり合った。

その時、柔らかな男の声が部屋に響いた。

『・・・とうさん・・・!』

 二重にも三重にも空気を震わすその声は透き通り、部屋の中にいくつもこだまする。


闇に囚われた男の手がダークネスの顔の前で動きを止めた。

それと同時にダークネスの鎌が深々と男の右肩からお腹の辺りまで切り裂いた。

『うぎゃおうううう!』

 苦痛に呻きながら男は奇声を上げると身をよじり後ろへと仰け反った。


「このぉおぉおお!」


 ダークネスは捕まえた獲物を逃すまいと力任せに鎌を引いた。暗闇と男が分離し、うごめき抵抗する暗闇がずるりと鎌に捕えられたまま足元へ引き寄せられた。

そして鎌を一振りし、暗闇を空中に投げ出すと二振り目で止めを刺した。

 暗闇は敢え無く離散する。突き刺さった鎌先が床を引っ掻き嫌な金属音が唸りをあげた。


「大介くん」


キメラの視界の先には透けてうっすらと輝く大介の姿と部屋の中をかさこそとゴキブリのように這い回る既に生前の姿を保っていない奇妙な肉の塊のような大介の父の姿があった。

『ひぃぃぃぃ・・・力を貸してくれよぅ・・。はぁぁあぁあ・・。おれの子供はどぉこおだぁ?』

 まるで消え入りそうな声でその肉の塊は何事か呟き続けている。

大介が父に近寄ろうとするが素早く部屋の隅へ逃げ込んでしまう。

『とうさん。もういいよ・・・。母さんも待ちに待った妹も。そして・・僕も父さんも死んでしまったんだ。・・・何をやっても、もう過ぎてしまったことは変えられない』

『うそだぁあぁああぁぁぁ・・・。お腹の大きな母さんがいるよ・・。あそこにも、ほらこっちにも・・私に手招きして微笑んでるではないかぁあぁああ。もう、いいいいいい、い、医者には触らせないぞぅうぅう・・。俺の手でぇえぇえええ。子供を取り上げててて・・・・。あふ・・あははは・・・。生きてる。温かい・・でも、すぐ。つめつめ冷たく・・なるううぅうぅううううう。・・・母さんおれの子はどこだぁあぁ』

 大介の瞳から大粒の涙がいくつも頬を流れた。

もう、自分の声も届かないのか。部屋の隅を動き回る哀れな父をそして終わることのない呟きにガックリと膝を落とし嗚咽をあげて泣いた。

窓から吹き込む風に気付き、肉の塊は窓の外へと飛び出した。が、ダークネスの黒い鎌がそれを逃がさなかった。

鎌の先が肉の塊を貫き、鋭い金属音を立てながら床を引き擦りキズを残しながら彼の元へとつれてきた。

肉の塊はもがき奇声を上げながらすきあらば逃げ出そうと暴れている。


「もう、逃がさないぜ!キメラ!ココにはお前しかいねえ!こいつの力は半端じゃない!この機会を逃したらまた逃げられるぜ!他の連中を待ってる時間はない。お前がコイツを送るんだ!!」


 床と刃物が擦れる音と、肉の塊が暴れる生々しい床と肉塊が打つかる不快な音がした。ダークネスは腕を震わせ多少それに動きを取られながらなんとか押さえつけていた。


「そ、そんな...。だって...植物以外仕事したらいけないって」


青ざめこわばり怖気ついたキメラの膝は小刻みに震えている。目をそむけ両手を胸で合わせたままキメ ラは叫んだ。


「嫌だ!できないよ!!絶対無理だよ!」

「馬鹿やろう!大介の涙を見てなんとも思わないのか!ダージリンも言ってただろ。もしもの時はお前がやるんだって!出来る!お前なら!もう間がもたねえ。もたもたすんじゃねぇよ」


 ダークネスに啖呵を切られ、ゆっくり目を開くと自分を見つめる大介の姿があった。

言わなくても分かっている・・・・。今、送れるのはわたししかいない。

震えが止まらないままキメラはふらふらとダークネスに歩み寄り、足元に膝まづくと肉の塊に手の平をかざした。

怖い...。

怖いよ。やりたくない、でもやらなきゃ。

自分の心の叫びとは裏腹に、彼女のわなわなと震える口から言霊が唱えられた。


「我が母バース様の命により魂の解放をする者である。魂の・・・・・・」




みなさんこんにちは。

序章を加筆しある程度書き直しました。

今日はいい天気で暑いくらいです。

長めの章ですが最後までお付き合いいただいた方ありがとうございました。



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