天使のチョーカー
ここからでもあの巨大なカジュマルの木は人目で見つけられる。ジャングルの中に巨大な樹木を囲うように草原が続きコーヒーの木の群れが見える。
その下に学校がある筈だがコーヒーの木の枝に覆われて建物は確認できなかった。
ジャングルの一角からカクー鳥の群れが空に溶け込むかのように飛び立った。
二人は目が醒めるような光景に時間を忘れるほど長い間魅入っていた。
闇が島を覆い満天の星々が瞬く頃、昼間と違うざわめきと底知れぬ気配が辺りを占めていた。
月の無い夜。暗闇の中で朧げに輝く橙色の灯かりがひとつ。
カジュマルの樹を囲うように白い泥または土とタリ材を丸太で用いた独特な木骨造家屋が連なり、その校舎から灯かりが漏れていた。弓なりの校舎は昼間より重みを増したかのように重厚で厳かにそこに在る。
頼りないランプの橙色の明かりに、照らし出される赤い縁取りをした丸窓からは、テーブルにつき羽ペンを走らせるダージリンの姿があった。
「よいのですか・・・これで」
メープル材の柔らかな肌色のテーブルの上にダージリンの向かいから手が現れすぐ姿を隠した。
テーブルの上に黒い革紐で作られた水色の宝石と白い鳥の羽を用いた宝飾物が残された。ダージリンは宝 飾物を上からそっと撫でると目を細める。
「よく出来ています。・・・長年かけた体も出来て精神的にも外で学ぶ時期に来ているのです」
「この私の羽と涙で出来たチョーカー...きっと彼女も喜ぶでしょう。しかし、あなたはよいのですか?これで」
夜の帳の中静かに会話が交わされる。
繰り返される同じ質問にダージリンは立ち上がり、重いため息をつくとチョーカーを握り締めた。その時 純白の羽が部屋に舞う。純白の羽はランプの橙色を加え不思議な輝きを見せた。
「全て手はずは整っています。もう、後戻りはできない。・・・・今後の責任は全て私が負います」
表情の乏しい彼の顔から、気持ちを察するのは難しい。しかし、彼の菫色の瞳はわずかに苦悩を湛えていた。
「・・・全ては御心のままに・・・」
突然丸窓を白い翼が覆い尽くした。
もう、中の様子をうかがい知る術はない。ただいつもと変わらない夜がそこに在った。
「キメラ...キメラ」
誰かが呼ぶ声が聞こえる。夢なのか現実なのか・・・。綿のシーツに包まれたまま重い半身を持ち上げる。
手に柔らかなメープル材で出来たベットの感触を感じた。まだ醒めきらない体と頭をフル回転させて声のする方を確かめた。彼女の体が硬くなり目が大きく開かれる。
「だ...れ...」
彼女は戸惑いと焦りを隠し切れない様子で、掠れた声で尋ねた。
窓際に黒い人影。窓から差し込む朝日で逆光となり黒く見えたのだ。
あまりの眩しさにまた目を細める。黒い人影はゆらりと動き背にある背丈ほどある何かが鳥の羽音を奏で時々動めいている。
「気持ちの良い朝です。さあ、皆が起きる前に、素敵なプレゼントがありますよ」
「プレゼント?そんなの貰う覚えはないけれど」
頭を横に振り困惑気味の彼女に翼ある者は実直な意見に苦笑いをした。頭が冴えてきたキメラは、彼の姿をやっと認識することが出た。
ウエーブかかった豊かな金髪は流れる滝のように長く、人懐っこそうなくるくると大きい瞳は海の底の様な瑠璃色。真っ白い絹で出来た布を纏い背には大きな純白の翼を抱えていた。
あの翼は本物だろうか?それにしても、なんて綺麗な人。男とも女とも知れない中性的な面持ちでにこやかにこちらを見ている。
「さあ、おいで!時間がありませんよ」
容姿に似つかない陽気な声が向けられる。おもむろに天井に片腕を上げた。真上に屋根の棟を見渡せるハンマー・ビームという構造で出来た屋根を支える小屋組みが薄暗闇の中ぼんやりと見えた。側面から突き出た材木に葉をあしらった美しい彫刻が施されている。
鋭い閃光と共に辺りが光に包まれ目が眩み息つく間もなく既に校舎の外、正屋根の上に連れ出されていた。茶系で一枚一枚微妙に色の違うこけら板が美しく屋根を葺いている。
翼ある者に抱かれたキメラは、朝露で光るジャングルと既にセルリアンブルーに晴れ渡った空を手をかざし目を細めて見渡した。気持ちの良い風が体を吹き抜ける。
彼の翼が大きく羽ばたきキメラを抱き上げるとそのままリングのモニュメントへ導かれた。海が朝日を浴びて光を反射し、ゆらゆらと波のうねりにあわせて瞬いている。
「旅立ちの日こそ指輪の門こそ相応しい」
翼ある者はそう言いながら彼女の首にチョーカーを巻いた。黒い革ベルトで高価そうなドロップ型の水色の宝石が輝きその周辺に虹色に変化する不思議な羽根が装飾してある。ひんやりとした石の冷たさが肌 に触れて胸の高まりを抑えられなかった。驚き戸惑っているキメラに翼ある者は優しく微笑みかける。
「さあこれで空はキミのものだ。」
強張った表情でキメラは眉根を寄せ首を傾げる。翼ある者は期待に満ちた視線を込めてチョーカーを指さ した。
「飛びたいと強く願ってごらん」
彼の言葉に興奮の色が含まれる。
彼女は首元と翼ある者を交互に見つめ信じ難い気持ちを隠し切れなかった。
それなのに高まる期待に鼓動は早く足元から身体が震えだすのを感じていた。キメラは畏れ慄きながら震える指で宝石に触れ、ごくりと喉を鳴らした。
お願い飛んで
突然チョーカーの宝石が四方に白い光を放った。キメラは慌ててその光を隠すかのように両手で覆う。しかし、その光は手の隙間をかいくぐりどんどん増して広がってゆく。その光の形は翼ある者の翼に似ていて初めは小さかったがみるみる大きくなりその翼で彼女をあたたかく包み込んで消えた。
「...どうなってるの?」
訳も解からず呆然とするキメラに、翼ある者はウインクした。
「君の背中を見てごらん。・・僕といっしょだから」
意味ありげに笑う彼の言葉に、キメラは慌てて自分の背を見た。
彼と同様純白の美しい翼が双方あった。不思議なことに自分の意思で動かせる。
「さあ、飛んでごらん」
言われるがままぎこちなく翼を動かす。風が起こりあたりの草花が彼女を中心に外側へ倒れてゆらいだ。
「さあ、もっと力強く!!」
草花が激しく揺れ朝露がはじけ辺りに散らばり小さく輝く。勢いよく羽ばたいた翼はキメラを空へ高く誘い、空と風と海に祝福を受けているかのような喜びをもたらした。
翼ある者も彼女を追い肩を並べて空を翔けると穏やかに語った。
「その光や翼は君と僕以外には見えないからね。そしてこの事は誰にも話してはいけない。どんなに親しい人でもだめだよ。約束できるね」
キメラは興奮で頬を紅色に染め、頭を上下に激しく揺さぶり頷く姿は欲しがっていた玩具を手に入れた子供の用に無邪気だった。虚ろで翳っていた瞳は輝きを取り戻し生気を取り戻し生き生きしている。
「ありがとう。ほんとうに、ありがとう!」
自然に彼女の頬を涙が伝った。満足げにその様子を眺めながら翼ある者は軽く右手を上げるとひらひらと振り人懐っこい笑顔を浮かべた。
「僕の名前はハート。またね」
空を滑るように羽ばたくと瞬く間にその姿は青い空を舞う幸せを運ぶ鳩のように小さくなって空に溶け込んだ。
後にキメラは無事修了過程を終え、やがてダージリンの友ミルクティに迎えられこの島を旅立ち新天地東京へと旅立つ。
新たな世界がキメラを更なる過酷な現実へと導くことになる。
大筋は変えてません。
少し言い回しなど変えてみました。