キーワード
大海原に火山を抱えたコの字型の島を目に捉えたキメラは懐かしさに胸が膨らんだ。彼女の首にはチョーカーが巻かれ風に煽られ装飾品の宝石と純白の羽が暴れている。象牙色の民族衣装を着ており背中に大きいギンガムチェックのリュックを背負って青空を一人翔んでいた。
彼女の背には純白の羽が大きく広がりゆったりと羽ばたいている。羽は海と空の色を受け青白く時には銀色にも見える。
水平線の向こうには眩しいくらい白い積乱雲が立ち上がり、海面は陽の光を受けて波が畝り、瞬く。
切り立った崖とジャングルに囲まれた島に近づくにつれ沖合の濃い群青色からエメラルドグリーンへと海は変わっていきやがて透明度を増していく。
ゆっくり下降する度にその傾向は強くなりサンゴや熱帯魚が細部までとは言わないが遠目でも色鮮やかに見えるほどで思わず息を呑む美しさだ。
潮風の香りから咽るくらい果実の芳香とジャングル特有の青い若葉の強い香りが鼻孔を擽る。思い切り息を吸い込み深呼吸し喉からもその香りを味わう。
やがて眼下にあのリングが現れキメラの心はざわめいた。まるで指輪のようなアーチの下に小さくダージリンの姿があった。崖の上の草原で風に流れる瓶覗色の髪が風に流れさらさらと揺れ、南国なのに焼けないために象牙色の肌が際立ち彼が顔を上げた時に夕暮れより色濃く輝く菫色の瞳がキメラを見つけた。彼の瞳の輝きが増し、手を差し伸べられた。キメラは惹きつけられるようにその手を掴み彼の胸に飛び込んだ。
「とうとう来ちゃったわ!」
興奮気味にキメラは言い苦笑いをしてみせた。
ダージリンは彼女を抱きしめたまま震える声で呟いた。
「おかえり。紙折」
思わず突いたその名前。感極まったダージリンは無意識のうちそう呟き彼女を手に入れた喜びに心を震わせた。
キメラの耳に響き渡りその言葉は頭の中を駆け巡る。
激しい頭痛に襲われ、心臓は早鐘を打ち、心は熱く燃え上がった。
体が震え、額に指を押し当てると立っていられないほどの目眩が起きた。
景色がぐるぐる回りだし彼女の奥底に眠っていた記憶が頭をもたげ沸々と湧くように蘇り始める。ひどい体の異変と共に現在と過去の記憶がゆっくり交わり現在へと繋がっていく。
しおり、その名前と共に掘り出されていく記憶にキメラは意識を手放していた。
子供たちのはしゃぐ声が遠くで聞こえる。
重い瞼をゆっくり持ち上げると梁が剥き出しの天井がぼんやりと見える。片手を軸に体を起こすとまだ混乱気味の頭を横に振った。
炎の中で助けを求めて答えてくれたのは彼だった。
傷が癒えるまで看病し続けていたのも彼だ。
心穏やかで普通に暮らせる日常の幸せを教えてくれたのも彼で、そこに自分のいるべき場所を見つけたと思った。
自分とは違う彼と同じになるために治療も受けた。
その後の記憶は途切れ途切れで、鮮明に現れ始めた記憶はミルクティに手を引かれ皆に自分を紹介してもらっている時からだ。幼いクーが笑顔で迎えてくれている。
重たげなため息をつきキメラは辺りを見回した。
赤いペンキで縁どられた丸窓から夕陽の光が部屋に差し込んでいる。
部屋は木材と消毒液の混じった香りに包まれ、壁には幾つもの棚が並んでいる。
コンパクトな作りの木製の簡易ベッドに自分は横になっていたらしい。
スプリングが入ったマットは少し固めで真っ白だ。島の珍しい植物や動物を象ったキルトは優しいパステルカラーでふかふかの綿がたっぷり入って厚手だ。
室内はエアコンが完備され過ごしやすい室温に保っている。
ベッドの脇を見ると、木製の丸椅子の上に座り上半身をシーツの上でうつ伏せにして疲れた表情で眠っているダージリンの姿があった。
なんて無防備な姿なのだろう。キメラの胸に言い知れない感情が湧き上がり彼に触れたい衝動を抑えきれず手を差し伸べた。
彼の頬に掛かったしなやかでコシのあるひと房の髪を指でそっと払ってみる。
瓶覗色の髪は光の反射を受けて滑らかに瞬き、数本彼の頬に再び流れ落ちる。
ベッドの上で折り曲げられた手がピクリと反応し、ダージリンの目が薄らと開いた。
体を起こし前髪を掻き上げながら彼はけだるい表情で微笑んで見せる。
「あぁ、うっかり寝てた。気分はどう?」
引っ込みかけたキメラの手を掴み、真っ直ぐ見つめる瞳は物憂げだ。
「キメラ、飲み物でも飲む?」
キメラの瞳が大きく揺れ僅かに開いた唇は震えていた。彼女は何度か息を吸い込み、胸に手を当てそっと言った。
「ダージリン。キメラではなく紙折とこれからは呼んで」
「なんだって?」
ダージリンは我が耳を疑った。立ち上がりかけた体は固まり、掴んでいた彼女の手を放してしまった。彼女が島に来て浮かれたおれの耳は幻聴まで聞こえるようになったのか?片眉を上げてキメラを見つめる菫色の瞳は疑惑で黒く翳っている。
キメラは頬をバラ色に染めるとゆったりと微笑んで彼の手を掴んだ。
「わたし、自己紹介したよね。五条河原 紙折ですって。随分、昔だから忘れちゃった?」
彼の表情は驚きから喜びへと変化した。ダージリンはキメラの傍らに膝を着くと彼女の瞳を覗き込みながらあふれる涙を隠そうともせず声を詰まらせ言った。
「本当に?記憶が?…しおりなのか?!」
一筋の涙が彼の頬を伝う。キメラは大きく頷きダージリンに抱きついた。
温かく逞しい彼の体を感じながらキメラは背中に腕を回し、労わるようにゆっくり撫でた。
それに応えてダージリンから力強い抱擁が返ってくる。
「おれは、許されたのだろうか。許してくれしおり」
「許すも何もわたしが望んだ結果なのよ。わたしはあなたのようになりたいと強く願った。でも、今ならわかる。わたしはあなた達になる必要はなかった。わたしはわたしのままでいいって…あなたが教えてくれたのよ」
キメラの髪に指を差し入れ、柔らかな感触を味わいながら頭を掻き抱き、彼女の頭の天辺にキスをした。
「そうだ。そのとおりだ」
お互い出会ってから過ちや回り道を繰り返し、こんな簡単な答えを出すのに随分時間がかかってしまった。しかし、それを埋めて有り余るほどの幸せな時間が二人にはこれからたっぷりある。ダージリンとキメラはおでこを突き合わせると楽しげに笑い合った。




