告白
「キメラ。こちらはいいので早く」
シャトーリオンに促され渋々トレイに乗せた食器を流し台に片付けると手早く布巾を洗って絞ると手慣れた調子で決まった場所に干す。この仕事にも随分慣れて充分すぎるほど仕事をしていた。
店の様子を気にしながらキメラはオフィスの扉を開く。チェリー材でできた扉がやけに重く感じた。打ちっぱなしのコンクリートの緩やかな階段をゆっくり降り更なる扉を開く。芳しい果物の爽やかな緑の香りが鼻孔を擽り、暖かで気持ちのいい風が彼女の体を吹き抜けた。
人々のさざめきは耳から消え遠くに川のせせらぎと木の葉の擦れる音が心地よく届いた。
目の前には広がる草原に白樺の林。そしてその奥に彼らの住まいのコテージが立ち並んでいる。以前は丸太を組んだ荒々しいロッジだったが今では改装されて白亜の北欧住宅に建て直されて、清潔感がありまるで小さ な高級ホテルのような上品な造りになっている。
「お疲れ様。ランチは好評だね」
キメラの死角、ドアの脇に大量の木箱と革製の日除けに包まれた巨大な四角いものと並ぶようにしてダージリンは笑みを浮かべて立っていた。
瓶覗色の髪は陽の光を受け銀髪に近く、菫色の瞳は空の色より濃く光の反射で時折輝いている。やけに白い肌はやや赤みが差し額には汗が薄っすら浮かんでいる。
いつもの淡い黄土色に黒い縁取りが入った民族衣装は少し薄汚れているようだ。彼は袖を捲り手にしていた綿のタオルで首や額の汗を拭いながらシャツ のボタンを幾つか外した。
「さすがに今日は長袖では暑い。民族衣装も楽じゃない」
露わになった白く逞しい胸元も息をつきながらタオルで拭いていく。彼の呼吸で大きく胸が上下した。
目のやり場に困りキメラは視線を合わせないまま木箱に歩み寄り、中身の確認をする。
あのキスの日以来、ダージリンは増々遠慮なく、積極的に彼女に接するようになっていた。
思いがけない抱擁、あいさつ程度のキスは人前で平気でする。
二人の距離は急速に縮まりちょっとした噂になっていた。
そんな関係に慣れつつあり、心地良ささえ感じている自分にキメラは心の中 で苦笑いした。
「ほんとうね。毎日暑くて嫌になっちゃう。今日はレストでひと休みしていったら?仕入れの荷物をほどき終わる頃にはお客様は減っていると思うし」
ダージリンの持ち込んだ食材を手にしながら楽しげに話している彼女は柔らかな笑みが浮かべている。二人の間にわだかまりはなくなり自然な空気がそこにあった。
あれからお互い何でも話し心を許せる存在になっていた。
ここにいるのはもう人の顔色を伺い怯えていた少女ではない。美しく成長し仕事や生きることの喜びに輝いている魅力的な女性だ。
参ったな。
ダージリンは草の上に腰を下ろし眩しく見える彼女から視線を逸らし逃げ惑うバッタを目で追った。彼女はもう三十歳近い成熟した女性だ。自分はもう何年生きている?数えるのも憚れる年なのは確かで実年齢は人間とのハーフで測れない。しかも余命を何年か知らないが彼女に分け与えてもいる。
年齢などどうでも良いことだったが日に日に輝きを増すキメラに対する想いは募るばかりだ。出会った頃はほんの子供だったのに今では見違えるほどだ。
あの日の二人の約束を思い出し不意に胸が痛んだ。いくら欲しても望んでも永遠の約束はもう果たせないのかもしれない。ならば約束など関係なく拘りを捨て自分に正直になるのも悪くない。
前髪を掻き上げ上目遣いで彼女を見る。
短くなった髪は肩あたりで跳ね、首を擽り以前より丸みを帯びた体は色気を感じさせる。メイド風のバーの制服はキメラの女らしさを際立たせていた。
「かき氷の材料はどこにあるか知ってる?北の果てにある氷河の深淵に、純度の高い氷を取りに行かないといけないんだ。身も心も凍る寒さがここでは嘘みたいだね。これだけあれば一夏は凌げると思うよ」
ゆるやかな風を頬に感じながら、空を見上げるとダージリンは思う存分日の光を堪能する。そして、革製の日除けを捲ってみせる。巨大な氷の塊が顔を覗かせ、汗をかきながら雫を地面に滴らせている。その周りに冷気が漏れ出 し熱い空気を一気に冷やしていく。
「すごい!」
日差しを浴びて妖しげに煌めきその一滴からも涼が取れそうな存在感にキメラは感嘆の声を上げた。ダージリンは腰を上げると氷に見とれている彼女の手からトマト取り上げ木箱に戻すとさり気なく座るように促した。一瞬キメラの葡萄色の瞳に戸惑いの色が伺えたが彼女は大人しく草原に腰を落ち着けた。
寄り添う二人は暫く雑談を交わし、裏側が透けて見える巨大な氷の塊を時々 見上げては感嘆した。
「仕事を楽しんでいるみたいだね」
キメラは頷いた。ダージリンは大きく伸びをしてさり気なく、ここ数年考え ていた計画を実行に移した。失敗の許されない計画だ。
「おれのほうはいつものように大忙しさ。君も知っているだろう?随分前だけどおれの手伝いをしていたんだから」
キメラは島を出る前に想いを馳せた。
家事、教育、大工仕事、様々な材料の発掘と精製。各国に散らばる宿舎の管理。
自分が手助けしていたのはほんの一部で十分ではなかった。
今では彼ひとり一挙に引き受けている。
ダージリンは眉を寄せ、肩を竦めると見せるとおどけてみせた。
「働きすぎだろ?」
「そうね」
にやりと笑っている彼に同意してキメラは同じように肩を竦める。
「そこでだ。また、手伝いをする子を探すことにしたよ。男の目が行き届かないところに気が付く女性をね」
彼は視線を逸らし考え込むような仕草を見せた。
その言葉にキメラの胸に鈍い痛みを感じる。まだ、彼女が学び舎にいる頃その役目は彼女の物だった。脳裏にダージリンと過ごした遠き思い出が横切る。
これから彼の隣は違う女性が並ぶのだ。
胸の痛みが鋭くなり思わず俯いた。キメラの異変に気づきダージリンは彼女 の肩に手を置いた。
「顔色が悪い。大丈夫?待ってて、水貰ってくるから」
彼女の葡萄色の瞳に、薄らと涙が浮かんでいたことからダージリンは素早くその場を離れた。彼の後姿を見送りながらキメラは唇を噛んだ。
この気持ちは嫉妬だ。自分で島を出たくて出たのに、やりたい仕事を選んでしているのに、ダージリンから離れがたくなっているのを最近感じていた。
彼と会える日を楽しみにしているし待ち望んでいる。それに、抱擁やキスだ けでなくそれ以上の物を望んでいるのを身に染みて感じている。
「欲張りすぎ」
胸の痛みに居たたまれなくなり呟いた。口に出すことで自分を戒めることができる。
忙しい彼はみんなに必要とされている。それを独り占めしたいなんてとんでもない話だ。彼に助けは必要だし彼が手伝いに女性が必要だと言っているのだ。
ダージリンの隣で微笑む女性を想像して思わず涙が頬を伝った。
「泣いているの?」
不意に頭上で声がする。慌てて見えないよう涙を拭い、顔を上げた。
グラスを片手に心配そうにキメラを見つめるダージリンの姿があった。
彼女は首を横に振り、涙で湿った顔を見せないよう立膝におでこをつける。
ダージリンは木箱の上にグラスを置くとキメラの隣に膝を着き彼女の顔を両 手で挟むと自分の方に向けた。
「目にゴミが入ったみたい。もう、大丈夫だから」
ゴシゴシと大袈裟に瞼の上を擦ってキメラは無理やり顔に笑顔を張り付け た。彼はポケットからハンカチを取り出すと、心配そうに彼女を見ている。
「さあ、これで拭いて。手は細菌だらけだからね」
まるで子供に言い聞かせるような口振りだ。苦笑を交えてキメラはハンカチを受け取り瞼や頬を拭った。そのハンカチはほんのり果物の香りがする。この木箱のどれかに果物が入っているのだろう。
キメラの様子を伺っていたがダージリンは大丈夫だと判断し、さっきの話題 を持ちかけた。
「お手伝いの女の子の話だけど。実は一番候補を口説きに来たんだ」
心臓が飛び跳ねて、思わずキメラは顔を上げた。喉の奥に物が詰まったような息苦しさを覚えたがそれを飲み込み、声が動揺で震えないよう注意しなが ら平静さを装って聞いた。
「じゃあ、ここの「レスト」で働くウェストレスの中から?それとも東京支部の誰か?」
ダージリンは腕を組むと暫く黙り込んだ。神妙な面持ちで言葉を切り出 す。
「もし一番候補に断られた場合、君の助言が必要だ」
私がダージリンのお手伝いの女の人を選ぶということ?自分が選んだ女性が彼の隣で四六時中並んでいるのを想像すると気分が悪くなってきた。
不毛な考えにキメラは胸が悪くなり顔をしかめる。彼女は苛々と体を無意識 に揺らしながら思わず心の中の声が外に飛び出した。
「その、一番候補っていったい誰なの!」
我に返ってキメラは思わず息を吸い込み、気まずそうにダージリンを見た。
彼は物言いたげにキメラを見つめている。生き生きと輝きを増した菫色の瞳からはダージリンの心の内を読み取ることは出来ない。
彼女の直球の質問にダージリンは心の中で占めたと思った。
満足げに笑みを浮かべダージリンはキメラの手を取った。
「第一候補者。それは君だよ」
キメラの周りの動きが、全てゆっくりになった気がした。
風も流れゆく雲も木の葉擦れの音も小川のせせらぎも飛んでいく鳥さえも。
キメラは言葉を失い、口をぱくぱくさせていたがやがて上擦った声で聞き返 した。
「わ、わたし?」
耳を疑う彼女にダージリンは大きく頷きながら握りしめた手に力を込めた。
「そうだ。君だ」
彼の目を見ればそれが冗談ではないのが明白だった。挑むように見つめる瞳は情熱が見え隠れする。キメラはごくりと喉を鳴らし自分の胸に手を当てた。
「ちょっと待って。何故わたしなの?」
胸に当てた手は自然と首に巻かれたチョーカーへと伸びた。彼女は雫型の宝石を指で弄びながら戸惑っている様子だ。みんなと能力の劣る自分が選ばれたのが不思議だった。しかも第一候補とは。
不思議そうに見つめるキメラにダージリンは表情を曇らせた。
「何か不満でも?ふぅ、ここまできて君はおれの気持ちに気付かないふりをするつもりかい?君はおれを苛々させる名人だね。色んな意味で」
そう言いながら彼はキメラの腕を引くと、自分の胸に彼女を抱き寄せた。
キメラの耳にダージリンの熱い吐息が降りかかる。
「おれは君がいいって言っているんだよ。きみ以外考えられない」
ぞくぞくと背中を這う快感に身を震わせ、キメラは頬をバラ色に染めた。
今度はダージリンがキメラの葡萄色の瞳を覗き込み、口元に柔らかな笑み を湛えて言った。
「好きだ。ずっと傍にいてほしい。知っている筈だ。今も昔も、そして遥かなる未来を賭けてもおれは君のためなら何でもできるということを」
キメラは堪らず彼の胸に頬を寄せた。自分と同じようにダージリンの心臓も激しく暴れている。彼の指がキメラの髪を優しく繰り返し梳いている。光を浴びて臙脂色の髪は艶やかに光り山吹色の毛先は彼手によりさざめく。
あまりの心地良さにキメラは瞳を閉じた。
「わたしも。…ダージリン。本当はずっと好きだった。臆病で皆と自分を比べて卑屈になってたわたしは、身分不相応だと思ってこの気持ちに気付かないふりをしてた。自分が人間だと知って増々その想いは強くなった。わたしはあなたに相応しくないって。でも、あなたは諦めずわたしを愛し続けてくれた」
「そうだ。君が何者であろうとおれには関係ない」
キメラの頭に口づけした。太陽と花の香りがした。キメラは彼の背中に両手をまわし彼の気持ちに精一杯応える。
ダージリンは一瞬体を固くしたが、彼女と同じように抱きしめ返した。
「ありのままのわたしを好きになってくれてありがとう。わたし、わたし、あなたの気持ちに応えたい。だってあなたを愛しているんだもの」
キメラもまた自分と同じ気持ちだったことを実感し、ダージリンの菫色の瞳が潤む。大切に育み花開いた彼女をとうとう手に入れたのだ。
言葉に詰まったダージリンは声を振り絞った。
「あぁ、おれも愛している」
二人はどれくらい抱き合っていたのだろう。喜びにお互い時間も忘れ、滴る 氷の雫に我に返った。
「大変!氷が溶けているわ」
慌てて二人は立ち上がり革製の日よけを被せこれ以上溶けるのを防ごうとした。
ダ ージリンは面白そうな口調で軽口をたたく。
「この暑い日に、日の当たるまま放置してたんだ。そりゃ溶けるだろう」
声を立てて二人は笑いながら、彼が持ち込んだ材料をバーへ運び始めた。
ランチの時間はとっくに過ぎ去りバー「レスト」は普段の落ち着きを取り戻していた。
これから二人は色々なことを話し合わなければならないだろう。
その内容は驚きと喜びに満ち尽きることがない予感がした。




