決意と揺らぐ心
大手町丸の内のビル群の一角でリクルートスーツを着たキメラが呆然と立ち尽くしていた。
真っ黒に染めた髪を後ろで一つに纏め、スタンダードなフォルムに上品なイタリアンテイストのメガネを鼻にかけている。慣れないヒールで踵が痛い。
彼女のビジネスバックの中には名門校の名を連ねた履歴書が忍び込ませてある。クーが知恵を絞り出した至宝の一枚だ。
どういうコネを使ったのか、丸の内にある大手証券会社に面接を取り付けてある。
腕時計を見て慌ててエントラスへと伸びる長く広い階段を駆け足で登り切った。回転扉の玄関口を抜け営業スマイルの受付嬢に来社名簿を出してもらい記入する。
「面接の方ですね八十九階の会議室です。そちらのエレベーター右から二番目をお使いください」
笑顔を貼りつけたまま抑揚のない声で案内する。
「どうも」
短く返事をしてキメラは足早にエレベーターの列へと並んだ。
エントラスは人の出入りが激しく同じようなスーツ姿の男女が行き来している。自分の格好が気になり彼女は少しもぞもぞと上着の裾を下に引いた。
エレベーターは十階ずつ登るタイプと各階に停止するのと五十階まで登ってその後各階に止るのとその他いろいろだ。
並んでいる人の波に押され流されるようにエレベーターに乗り込むと、内部は人で一杯になった。
何度かエレベーターは止まり人が出入りした。目的の階に降りると左右に廊下が伸びている。灰色の塩化ビニールの床にベージュ色の壁が無機質な感じがした。
壁際に並んだパイプ椅子にはキメラと同じようなスーツを着た男女が緊張した面持ちで十数人座っている。
パイプ椅子の最後尾には「面接の方はこちらに座っておまちください」と書かれた衝立パネルが置かれていた。
キメラは神妙な面持ちで最後尾の人の隣に座る。自分以外の人はなんて賢そうに見えることだろう。これから受ける初めての面接にキリキリと胃が痛むのを感じた。
アパレルショップで、喫茶店で、営業系、事務系、医療関係などなど就職活動を繰り返して数週間。
色んな理由で断れ続け指で数えきれないほどの会社の就職活動。
ミルクティの自宅に来てから一か月経っていた。ダイニングやキッチン、バスルームは共用だが客室を一つキメラ専用の部屋として与えられ、プライバシーは守られている。
多忙なミルクティと会うのは稀だが、人の世界に馴染もうと悪戦苦闘しているキメラに温かい眼差しを時々向けるくらいで口出しすることはなかった。
ボロアパートのチョコレート色のソファーに、うつ伏せで伸びていたキメラはがっくりと肩を落とし落胆の色も露わに呟いた。
「わたし、どれだけ自分がダメ人間なのか思い知ったわ」
クッションに顔を埋めくぐもった声は今にも泣きそうだ。キッチンでコーヒーを淹れてきたクーはカップを両手に持ちローテーブルへ置いた。
キメラの脇に腰を下ろすと優しく背中を摩った。
「まぁ、人間世界じゃ不景気デフレ就職難だから。あれだけの高学歴でもダメでしたか」
キメラは顔を上げ恨めしそうに彼女を見上げた。
「あんなデタラメが通用するんだったら誰でも内定してるわよ!やり過ぎよ、あんな履歴書。面接で質問の内容半分も分からなかったんだから」
体を起こし憮然と抗議するキメラにクーは肩を竦めてみせた。
「あら、まぁ!でも、人間で生きていくにはお金は必要不可欠だし。私達みたいにそこら辺のものを頂くわけにもいかないから。家賃、税金、生活費等考えると社会保障がしっかりしていてそれなりに稼げる仕事じゃないと。バイトじゃ家賃払ったらお終いよ。やっぱり正社員じゃなきゃ」
「はぁ」
キメラは項垂れ膝の上に頭を置いた。
クーはカップを手に取ると一口すすいで柔らかな口調で言った。
「キメラ、無理に人間の世界で生きようとしてない?本当に人として生きていくつもり?そうすることであなたは幸せになれると思っている?皆に迷惑かけず自立して生きていきたい気持ちもわかるけど。あたしも、ミルクティもダージリンもバースさえも誰かを頼り支え支えられ生きているのよ。頼り頼られというのは迷惑とは違うもの、人の生活にあなたの望むものはあるの?」
キメラは顔を上げ、顎をクッションの上に乗せる。
確かに彼女の言うとおりだ。
突然の変化に戸惑い混乱して目の前にある出来事に手一杯になってしまった。
現状に追い立てられ焦って答えを掴もうとしていた。
クーの言葉が心に広がり胸の閊えがストンと音を立てて落ちた気がした。
「私の望み…か」
キメラは呟き深呼吸をする。
その答えは既に彼女の中にあった。芽生えた想いは大きく育ち、花開こうと大きな蕾が首を垂れている。
きらきらと輝きを放ち始めたキメラの瞳をクーは安堵の溜息をつき満足そうに眺めていた。
カップに視線を落とすと琥珀色の液体が光を反射しながらゆらゆらと波立っている。彼女は口をつけほろ苦い珈琲を味わう。
自分の気持ちと向き合えば自ずと答えは導き出される。
「私ね」
身を乗り出し生き生きと語り始めたキメラの話に静かに耳を傾けた。
クーが帰宅したその日の夜、キメラは寝室で召喚の言霊を唱えていた。
部屋にはランプの明かりだけで、薄暗く数センチ先は闇だ。
チェストの上に備えてあるランプの明かりを細く絞り、ゆっくり深呼吸すると両腕を少し上げ横にゆったりと広げた。
「バース様の名においてい出よ、翼ある者、闇を這うもの、暗闇を好むもの」
ランプの炎がゆらめき窓際から翼あるものが、暗闇から這い出るもの、影から大きな楔鎌を掲げるものが現れた。
「お久しぶりですね。キメラ」翼あるものがとても通る高い声を発した。翼が羽ばたくたびに白とも空色ともつかない不可思議な色の羽が舞い散る。「ハート、お前、部屋散らかすなよ」身丈より倍の大きさはある黒光りする鎌を掲げたダークネスが頭の上に降り積もる羽を振り払った。「ところで、キメラ。仕事干されたってきいたけど」闇から這い出た十二、三くらいの少年は興味深そうに尋ねた。
キメラは切なげに頷き無理に笑顔を作って答えた。
「お別れを言うために呼んだの」
悲しげに翼あるものハートは眉を寄せ、ダークネスは舌打ちして床を蹴る。
「どうにかなんなかったのかよ」
悪態をつくダークネスに冷めた表情で闇から這い出たクルエルティは言った。「自然の成り行きでしょう。あなたのおどおどする姿を見られなくなるとは残念です」「そんな言い方ねぇだろう」口を窄めて拗ねたようにダークネスは顔を背けた。
キメラは三人の手を取ると唇を噛み深々と頭を下げた。
「本当に今までありがとう。あなた達にはすごく感謝しているわ。未熟な私をいろいろ助けてくれた。独り立ちするのにあんなに協力してもらったのに。この仕事を辞めてしまうのは惜しいけど、これからの私には荷が重すぎるから」
「世の中にはどうしようもないこともあるのですから。自分を責めないで」
穏やかに言いながらハートは優しくキメラの頭を撫でた。まるで羽毛のように温かくて軽やかでお日様の香りがする。
「気を落とすなよ。またスタートラインに立ったと思えば将来が楽しみになる」
キメラの手を力強く握り返しダークネスはウインクした。クルエルティはどこか意地悪そうな笑みを浮かべて腕を組む。
「ま、人間ほどしぶとい生き物はいないですからね」
「いつでも呼んでくださいね。私たちはこれからもずっと同志なのですから」
ハートの呼びかけに彼らは頷き合いキメラを愛情溢れる瞳で見つめた。
彼女は何度か頷き、顔を上げると首の後に手を回しチョーカーを外した。手に冷たい革紐と宝石の感触が伝わる。羽はほんのり温かい。それをハートに差し出すと意を決した様子で口を開いた。
「これを返そうと思って。もう、私には必要ないものだから」
ハートの顔がみるみる青ざめひどく動揺した様子で鮮やかな水色の瞳が揺れる。一歩後退り掠れた声で言った。
「それは。受け取れません。それは誰のものでもない。あなたのものですから」
「何を言っているの?これは私が飛べるようにあなたがくれたものでしょう?」
彼が拒絶することに理解できず彼女はチョーカーを突き出す。ハートに詰め寄りながらキメラは不可解そうに首を傾げた。
「私はもう、飛べなくていいの。これからは生身の自分で生きていくつもりだから」
視線を逸らしハートは羽をゆっくりバタつかせた。青い澄んだ瞳が悲しみに溺れ透明な滴が見る見るうちに溜まり、薄く引き締まったピンク色の口元が奇妙に引きつった。「それでもダメなのです」キメラは訳がわからず眉根を寄せる。
不意にチョーカーについて語ったダージリンの言葉が脳裏に浮かんだ。
「そういえば、ダージリンが言っていた。それなりの代価を払ったって。これはそんなに高価なものなの?お金や物で換算できないくらいの価値あるものなら尚更お返ししたいわ」
苦渋に満ちた表情で増々顔を青ざめハートは額に手を当てた。
「きっとその価値を彼は知られたくないはずです。そして一生その価値を彼の口から語られることはないでしょう」
キメラは周りに聞こえるのではないかと思うくらい大きな固唾を呑んだ。ハートの瞳に悲しみとは別に怒りの炎がちらりと光る。彼女は嫌な予感にとらわれチョーカーを握りしめた。
「どうしても、そのチョーカーを突き返すつもりなら教えてあげましょう」
言いたくなさげに頭を振りキメラから視線を逸らすと手で自分の両腕を抱く。
長い沈黙の後静まり返った部屋にハートの声がやけに大きく聞こえた。
「チョーカーを作る為にダージリンは寿命の三分の一を捧げたのです」
低くくぐもった声はキメラの全身を突き刺した。
頭はハンマーで殴られたような衝撃を受け膝はガクリと落ち、危うく手にしたチョーカーが零れ落ちそうになる。今度は逃すまいと力強く握りしめた。目眩を覚え立っているのが辛いくらいだ。そんな彼女をダークネスは背後から肩と腰を抱き支えると、すぐ後ろにあった椅子に座らせた。
「彼は言いました。彼女と共に生きるのに長い寿命は要らないでしょう。と」
愁いを帯びた視線を遠くに投げながらハートは立ち尽くしている。まるで石膏像のようでどこか冷たい印象を受けた。
動揺を隠し切れず目に涙を貯め、キメラは青ざめた顔で体を激しく震わせている。彼女の頭の中でダージリンの顔が浮かんでは消えた。
「どうしてこんな。なぜそこまで」
平静を装い彼らを見送ったキメラは、ベッドに体を投げ出し手に絡まったチョーカーを掲げた。
切なげに瑠璃色のドロップ型の宝石がくるくると円を描き、時折虹色に輝く鳥の羽がゆれている。
ダージリンの取った様々な行動。いくら鈍感なキメラでもその理由を悟った。
彼の想いは無償で純粋な美しいもの。その想いを知ったとき、キメラの胸に甘く切ない痛みが走った。今まで経験したことのない胸の痛みに彼女は戸惑い、鼓動が高まり体温が上がるのを感じた。
頬が赤く染まり急に落ち着かない気持ちになる。得も言われぬ気持ちを抱えたまま、キメラはベッドの上で猫のように丸まり眠りに落ちるのを待った。
頭の中が興奮状態で眠れそうになかったが昼間の疲れが彼女を眠りの淵へ誘った。
駄文読んでいただきありがとうございました。
リアルが忙しすぎて少しお休みしていたこととご報告遅れましたことお詫び申し上げます。
この作品最後までお付き合いしていただけたら幸いです。




