ずねりさまの一
あの後、俊彦は言われていた通りに符を貰った際の言い訳を隆高へと伝えた。
それだけで、話は済んでしまった。隆高は苦い顔をしつつも、もらった符――世音符というらしい――を預けてくれた。
一言主からもらったというのは、どうも悪い事ではないらしく、隆高は、もらった五個分、きっちりと大切に使用するようにと言われただけで済んでしまった。
見せた時は、かなり表情が厳しげだった上、嘘がばれたのではないかとも思ったが、そんな事はなかった。
本来であれば隆高も渡そうと思っていたものらしく、それを先に渡されたのが隆高としては師匠の責務を先に越されたと思っているのでしょう、と黒芽が笑いながら言っていた。
あの符は、正道亭でも売っているらしいが、やはりと言うべきか、高級品らしい。
異界化しても、外部と連絡が取れるという強みと、相手がこの国にいるのであれば、その人物と連絡が念話のように出来るという優れものだ。
誰でも欲しがるのは当たり前であるが、作るのに時間が掛かるのか、手間がいるのかは知らないが、やはり高い。
世音符を作る際、面倒な過程を飛ばした劣化品の場合は、値段は一気に下がるが、その分やはりというべきか、性能も一気に落ちる。
異界化現象の際に対して、相手の力が強大であれば強大であるほど、世音符も影響を受ける。
正規品であれば、影響はなくとも、劣化品であればかなりの妨害を受ける。声が途切れ途切れになってしまったり、符の方が異界化の穢れに耐えきれずに効果を出す前に破壊されてしまったり、といったものだ。
今回、自分が受け取ったものは、劣化品ではなく、正規品が五枚である。
相当な金額になるはずだが、虚はまるで子供にお菓子を買い与えるかのようにあっさりと渡してきた。
確かに、品物だけ見れば遥かにこっちが得をしたような形になるが、他に何をたくらんでいるのかが全く見えないのが怖い。
その事が頭から離れずに、三か月間という長い期間を、修業と基本的な知識の蓄えに回された。
修行に関して言えば、黒芽に実戦を意識させられての訓練も含んでいた。それが、何よりも地獄だった。
知識については、異界化のより詳しい話や対策、自分達が相手にする存在、そして、貰った世音符についての説明と自分の八岐大蛇の力についての話についてだった。
自分の将来を考えると、それは欠かせない事だったからだ。八岐大蛇の力と言っても、自分は見ていないから何とも言えないが、相当にまずい代物であるというのは分かる。
隆高――師匠は、その力については、感情をあまり昂ぶらせないようにしろと言っていた。
自分では未だに使えないし、見てもいない力ではあるが、感情が昂ぶった際に出たらしい。その時は気絶するだけで済んだが、次はどうなるか分からない、というのが師匠の意見だった。
分からない力を扱うよりは、今自分が確実に使える方を鍛え上げた方が良い。
その意思を師匠に伝えた所、黒芽との地獄の訓練だったのは、さすがに容赦がないとは思ったが、これから戦うしかない身としても、祓し屋としても、必要な事であったというのは理解している。
ただ、自分も人間から離れていく、という感覚がどうしても拭えないだけだ。
訓練をして、霊威を扱えるようになっていくと、人間離れした動きというのが実際に出来るようになっていく。
雅がしていたような、確実に人外クラスの動きをずっと続けられるとまではいかないが、一瞬だけであれば、可能にすらなっていた。
自分の肉体が、自分のモノではないような感覚に陥った事もある。そういう時は、黒芽と師匠に支えてもらった。
この二人がいてくれたおかげで、自分は、なんだかんだありながらも、一人前の祓し屋としてのスタートを切る段階には辿り着けたのだと思っている。
そこまでいって、ようやく与えられた休みである。黒芽からの地獄の訓練も逃れられるし、隆高による座学からも逃れられるのである。
一つ気になり続けていた、世音符を渡してきた虚がどう出るかであったが、それも杞憂だったのか、特に何も連絡は来なかった。
ならばと思い、せっかくの休みの内に出かけようと思っていたのだが、ちょうど後押しをするように友人達から連絡があったのだ。
大悟や慶介、啓太。そして聡からの話であった。
あの後、四人とも事故に巻き込まれたということになっていたらしく、警察もそう処理していたらしい。
自分についても、どうやらごまかされていたあげく、探偵業の手伝いをしているという事になっている、と伝えてくれたのは聡だった。
正直、そこに関して否定するのも、隆高が恐らくやってくれたのであろうごまかしを無駄にしかねないと思い、止めておいた。
探偵業というのがどうしても引っ掛かるが、その辺りはうまく自分でやれということだろうか。
「無責任すぎるよなぁ……」
思わず呟いてしまい、溜息をつく。その言葉に反応するように、隣から声が飛んでくる。
「何がだ?」
「師匠の話がさ」
「ああ、お前のいう変わってるっていう?」
「そうさ」
今のやりとりで、意識をこれからの事の方へと向きなおす。
せっかくの長い休みをもらったのだ。それは大いに活かしていかなければならない。
「しかし、気前はいいじゃんか。働いてるのに、一ヶ月の休みって普通はあり得ないだろ。どんな仕事だよ」
「その分いろいろと面倒くさいんだ。後がね」
「……ヤバい仕事とかじゃないよな?」
「違う違う、金持ちの道楽だからさ。お付き合いがね」
そういうもんか、と声の主は不審がりつつも一応は納得した様子を見せてくれた。
正直に言ってしまったら、いくらなんでも信じられないだろうし、隆高がしてくれたごまかしを無駄にしかねない。
再び旅行へと誘ってくれた友達――そして親友である聡を、変な事に巻き込まないにも、黙っている事にしたのだ。
「お、なんだなんだ!? 二人で秘密の話かよ」
その話に刺激されたのか、いきなり前から慶介が飛び出してきた。
「茶化すなよ、慶介」
「おいおい、茶化してるつもりはないぜ。実際俺だって気になってるんだよ。まさか、トシが働いてるのが、探偵見習いだってんだからよ」
「手伝いだよ」
本当かよ、と慶介が続けて言う。
あれだけの事があったのに、へらへらとしてられるお前の方が本当かどうか気になるよ、と言いたくなってしまったが、余計な事を吐き出す前に口を閉じる。
もう一つ、不思議だった事は、全員があのトンネルでの出来事を忘れているかのように話しかけてくる事だ。
あんな出来事があった後で、平気で話しかけてくるというのは、やはり隆高が何かしたのだろうか。
でなければ、トラウマにもなりかねなかったトンネルでの事件の後だというのに、またどこかへ出かけるなどというのは考えられない。
本人達には聞けないが、後で隆高達には聞いておくべきことだろう。
「手伝いねぇ」
慶介が怪しむように、にやにやと笑うと、その笑いを止めるかのように、座っている場所が――正しくは乗っているバスが揺れた。
そうなのだ、自分達はバスに乗って、とある村への集落に宿泊することになっているのだ。大悟と啓太はもう寝てしまっているが、時間としてはもう良い時間なのだ。
随分と遠くまで来てしまったが、たまにはまったく知らない土地にいってみるのも楽しいと思っている所だった。
「ところでさ、お前達の隣のあの人、美人じゃないか」
慶介がこういう事さえ、言わなければという条件が付くのは悲しい所だが、仕方ない。
溜息を盛大に吐いてから、慶介の目を見て指摘する。
「お前、大学生になってから色気づいたとかじゃないだろうな」
「んなこたぁないよ。でもよ、見てみろって。あの人外人だろ? なんでまたこんな辺鄙な所に来たのかって気にならないか」
「そりゃあまあ……気になるけど」
確かに、気になるところではある。何が気になると言えば、慶介の指摘した通りの事がだ。
自分達がこれから向かうのは黒水郷という寂れた所だ。首都からは遠く離れた、本当に辺鄙な地方での集落である。
そこに行く観光客など滅多にいない。精々行くとすれば、その特徴的な祭りを見たいとかいう物好き――
――ちらりと慶介を見る。
「……なんだよ」
「別に」
気になるだろうが、と続け様に言う慶介を無視して、思考する。
黒水郷に外国人が来るなど、珍しすぎるような気がする。詳しくは調べてはいないが、ここはそんなに人が来るような場所ではない。
自分達とて、慶介のオカルト好き――と言っても今回は本当に祭りが綺麗だし、飯もそこそこ良い穴場であるという話を受けてから来ているから、オカルトではないのだが、人が多く来るというわけではない。
祭りとて、写真撮影は禁止されているという程度だ。と思った所で、写真撮影を禁止してる時点で相当なオカルトではないだろうか、という考えがよぎってしまう。
自分も大分祓し屋として毒されてきていると思い、心の中でがっくりときてしまうが、今は女性の方だ。
確かに、気になる人物である。美人だというのは、否定しないが、それでもなんでこんなところに、という興味が湧かなくもない。
バスの中は、自分達の後ろの大悟と啓太、自分と聡、そして慶介と、その前の女性。後は数名の老人しかいない。
若干気になると言えば気になるのだが、迂闊に声は掛けられない。
「どうも、お姉さん。黒水郷まで観光ですか!?」
と思ってたら、あっさりと声を掛けたお馬鹿さんがいる。
どうしてすぐにそうも声を掛けてしまうのかと思っていたが、相手が美人だから仕方ないと言えばいいのか。
「ええ、そうですよ。君たちは?」
「僕達も観光なんですよ。ちょっとした旅行って奴で」
「友達と旅行、ですか。良いですね」
唐突に声を掛け過ぎだろうとは思ってしまうが、慶介だったら何時もの事かと思い、スルーする。
むしろ、どういう人なのか慶介との話で把握できれば、十分だろう。
実際、気になってはいるのだ。
「ちょっと、やる気というか盛り上がりに欠けている連中ですけどね。とっても良い奴等ですよ」
「楽しそうで、羨ましいです」
「で、さすがに男だけとひっじょーにむさ苦しいので、良ければお姉さんも加わりませんか?」
初対面の相手にがつがつといきすぎだろうと思うが、これが慶介だ。聡の方をちらりと見ると呆れたように首を振る。
どうしたものかと思っていたが、相手が大人なのが幸いしたのか、苦笑しながらも受け入れてくれた。申し訳ないと思いつつも、丁寧に聡と二人で頭を下げる。
テンションが上がりすぎている慶介の相手をする美人さんも大変だろう。そこは、こちらでもカバーしていかなければ、迷惑をかけすぎる。
そこまで考えて、初めて相手を直視する。ちらりと見てるだけで、儚さがある女性である。それでいて、どこか強い芯を感じさせる。
相反する性質を二つ持っているような、極めて珍しい相手だ。紫かがった黒髪に、吸いこまれそうになる紫色の瞳の持ち主。
少し視線を合わせているだけで、気後れするような気分に陥る。
「ええ、別に構いませんよ」
「……良いんですか?」
「少しだけですし、皆さんはそんな変な事をするような人には見えませんから」
さりげなく、というより露骨に釘を刺してきたなと思うが、正しい反応だろう。五人の男に対して、平然と対応している辺り、自衛手段はしっかりしてるのではないだろうか。
ここから、面倒な展開が始まるのだろうなとは思いつつも、これからの旅が、面倒にならない事を祈るだけだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。一時の体調不良と期待していたゲームの発売により執筆が遅れてしまい申し訳ありませんでした。