八権現の三
「冗談、ですよね」
「だったら、良かったんだけどなぁ。推測とは言ったが、実際俺はそれで当たりだと思っている」
半分冗談のように軽く言い放った隆高に対して、怒りを込めた視線を浴びせようとしたが、その瞳を見て、すぐに止める。
隆高の瞳は、恐ろしい程に笑っていなかった。言葉よりも、何よりも、その眼が物語っていた。八岐大蛇が、己の中に存在しているという、事実を、ただ証明していた。
これは現実ではなく、自分はただ夢を見ているのではないかと疑いたくなるが、思わず噛んでしまった唇の痛みによって、これが残酷な現実であると理解する。
話が大きくなるのは、分かっていた。恐らく、自分に取っては受け入れがたい現実が襲いかかってくるだろうとも、覚悟していたはずだ。
だが、実の父母を殺したというのは、どういう事だ。自分が手を下したとでも言うのか。元々、父は健康的な生活を送ってはいなかった。母は、病弱だった。
父母が亡くなった原因を聞いた時には、医者からは心労から起きた病だと説明されていた。幼い頃の自分には、それを疑う余地もなかったし、叔父夫婦からも、はっきりと言われたのだ。
つまり、初めから叔父夫婦は、自分を騙していたというのか。
――いや、違う。
叔父夫婦は、悪意を持って騙すような人柄ではない。
あの時のごまかしは、自分の為を想っての行動だったのか。
幼い時に、実の母親と父親が死んだのはお前の責任だと言われて、正気でいられるような子供など、まともに考えたらいるわけがない。
「その様子だと、平気みたいだな」
「叔父夫婦が、僕を騙してたと思い込んで、激怒すると思いました?」
「可能性は無きにしもあらずだったからな。そこでキレてたら、俺が鉄拳かましてたところだが」
大げさに拳を握りしめ、息を吐いてアピールする隆高を見て、それでも少しは荒れてしまっていた心を落ち着かせる。
叔父夫婦の立場になれば、すぐに分かる事だった。言えるわけがない。真実を言ってしまえば、自分がどうなっていたか、すぐに分かる事だ。
むしろ、叔父にとっては兄を失う原因となった悪魔のような存在である。それを、ここまで育ててくれたのだから感謝すべきだろう。自分は、それすらも出来ないような人間ではない。
それに、叔父夫婦から見れば、恨んでも仕方がないとしか言いようがないほどの憎き存在でもあるのだ、俊彦は。なのに、引き取ってくれた上、ここまで育ててくれたのだ。
「人として出来た夫婦だ。それに、あいつらもお前の両親から話は聞いていたからな」
「……そう、ですか」
「どういう話かは、気にならないのか」
「今聞いても、話してはくれないでしょうから」
その通りだな、と隆高が頷く。自分にも今の今まで伏せているのだから、複雑な話になるのは読めている。
ならば、自分は待つべきだろう。叔父夫婦が話してもいいという、その日が来るまで、自分は身体だけではなく、精神でも大人になっていかなければならない。
たたでさえ、自分の身に八岐大蛇とかいう、神話で登場するような化物が存在すると言われているのだ。それだけの危険なモノが潜んでいるのにも関わらず、実の息子のように接してくれた。
二人に対しては、恩返しをしなければならない。答えはすぐには浮かばないが、自分にできる事は、多くあるはずだ。
「焦るなよ。たたでさえ、自分が父母を殺した可能性がある、なんていう話をされてるんだ」
「焦ってはいません。自分でも、驚くほど、今は冷静になれてますから」
「本当に、か?」
「はい」
こちらの表情を窺うように隆高はじっくりと視線を逸らさずに、見つめてくる。こちらも、見返す。お互いに視線をぶつけ合うが、喋らない。
しばらく、無言だった。黒芽も、喋ろうとは一切していない。
「そうか、なら良い」
自分の何を測っていたのかは分からないが、トシからすれば、何を測られていようとも関係はなかった。ただ、自分の意思が伝わればそれで良い。
そうした沈黙が、しばしの間続いた後、隆高の方から、この沈黙の場を切り上げるように言葉を出してくれた。
「お前が冷静なのは、分かった。話の続きをしよう」
「はい」
黒芽がこちらを心配そうな顔で見ているが、気にしないでください、という答えを込めて視線を送る。
それだけで伝わったのか、黒芽は少しばかり頭を下げて、元の表情へと戻っていく。
「神獣持ち、妖獣持ちだが、これはまんまだ。その身に、神獣の力を宿しているか、妖獣の力を宿しているかになる。
そして、その力を使役して、妖怪共を殺したり、呪いと化した人間を滅する。人間に手を出す阿呆もいるがな」
「隆高さんは、神獣持ちになる、ということでしょうか」
隆高がその通りだ、答えて、話の続けていく。
「俺の場合は、八咫烏がこの身にいる。分霊程度だがな」
「分霊でもいるって……いや、僕の身には八岐大蛇がいるらしいんで、それはそれで嫌ですけど、身体は平気なんでしょうか」
「平気な奴もいるし、駄目な奴もいるな。その辺りが神獣持ちと妖獣持ちの違いでもある。
神獣に関して言えば、相性ってのと、そもそも、保持者が神の分霊を受け入れられるだけの霊威か何かを持ってないと駄目だ」
持ってなかったら、そもそも入らないし、無理やりにでも入れたら、自分の身体が危険になるからな、と隆高が最後に付け足していく。
やはり、神獣持ちというのは希少な存在であるらしい。隆高が実力者というのも、今までの話を聞いていると、納得する。
「……ん、神獣持ちって言ってますけど、神の分霊って事は、神様も」
「俺が神獣持ちと呼ばれていて、かつ、妖獣持ちも知り合いに一人だけいるから、そう呼んでるのさ。もちろん、神の分霊を入れてるのもいるだろうな」
「それは」
「まぁ、そんな奴がホイホイいるとは思わんが、敵として出会ったならさっさと逃げろ、って辺りか」
随分と適当な説明になってきたなと思いつつも、口に出して言えば、碌な目に遭わなそうなので黙っておく事にする。
「それで、だ。肝心のお前は、八岐大蛇なんていう化物を潜ませている可能性が大きいんだが……もちろん、そんなのが、何故、自分の中に、なんて話は分からねェよなぁ」
「残念ながら」
知っていたら、もっと早く自分から行動はしていただろう。と言っても、ただの大学生になり損ねた浪人の自分が、その情報を手に入れられる可能性など、夢のまた夢になるに違いないが。
それに、仮にそんな事を一人で知っていたら、自殺すら考えていたかもしれない。
頼れる人物がいない中で、そんなものが自分の身にあると分かったら、周りに何が起きるか分かったものではない。
自分が切欠で大災害が起きるのであれば、その切欠の元となる存在を消した方が良い。
自分の為ではなく、誰かの為に生きていたい。トシからすれば、当たり前の判断だった。
「となると、何処のどいつがそんな阿呆な事をしたのかは分からんが、断言してやる。お前の両親は巻き込まれただけだ、間違いなくな」
「……理由は?」
「俺の勘さ。あいつらがそんな事するはずないっていうな」
勘ですか、と、つい苦笑を浮かべてしまうが、それでも少しは救われたような気分になる。
実の両親がわざと自分に八岐大蛇などという化物を潜ませるなどという愚行を為したわけではない。そんな安心感が欲しかったのかもしれない。
「それでも、原因探しは後だ。事故じゃなくて、誰かが意図してやったことなら、なおさらヤバいからな。理由は聞くか?」
「いえ、言われなくてもある程度は」
「理解できるわな」
八岐大蛇などという化物を人の身に移す、などという事が出来るのであれば、そいつも相当な化物に違いない。
少なくとも、隆高と同じような実力を持つ人間、もしくは妖怪である事は容易に想像が付く。
そんな相手を自分が探した所で、さっさと殺されるか、それともたやすく逃げられてしまうかのどちらかだろう。
いずれ、自分の手で、犯人がいたのならばどうにかしたいが、随分と先の事になるのは想像が付く。
だったら、その時が来るまでは隆高に師事して、実力を身に付けておくのは決して悪い話ではない。
どうせ弟子入りするのだから、それぐらい、目標を立てておいても悪くないだろう。
「まぁ、ちょっとずれちまったが、神獣、妖獣持ちについてはそういう事だ。異能持ちってのは、簡単に言うと、ゲームとか漫画でも出てくる、超能力者みたいなもんだからな」
「炎を出したり、氷を出したり?」
「そういう奴等だ。まぁ、そう言っても、実際炎とか氷を出したりは、俺達も出来るし、奴らの専売特許じゃあない。正直、それくらいなら、便利だね、で済む」
いや、その理屈はおかしい。と思わず突っ込みたくなるが、そもそも目の前にいるこの人間が、八咫烏とかいう神獣の分霊を身に秘めている人間だったという事を思い出し、言葉をぶつけるのを抑える。
便利だねの一言で済むような問題じゃないだろとかは、思ってはいない。思ってはいけないんだろうと、自分に言い聞かせる。
この男にとっては、それぐらい、容易い事なのだと、思うべきなのだ。歯牙にすら掛けていない、というのはこういう事を言うのだろう。
目を見れば分かる。本当に大したことではないと思っているのが、よく分かる。例えそいつ等が何人掛かろうと、己であれば、どうにでも出来るという自信があるからこそ、言えるのだ。
「それ以上にやばい奴がいるから、異能持ちはやべぇって言われるんだ。この話は、すぐにしてやる。それで、お前は、万が一そういう奴等に襲われてもどうにかできるように鍛えるのが、俺の役目だ」
「鍛えるってことは、所謂修行ですか」
「勿論だ。浄眼の力も出来るだけ解放させてやりゃならん。浄眼に関して言えば、解放させた所で、お前の身が危ないって事はないからな」
浄眼に関して言えば、もしも、力が解放できていくのであれば、自分にとって重要な武器になるのは明白である。
これを鍛え上げていく事に対しては、一切の異論はない。これから、雅が戦っていた化物や妖怪、そして最悪の場合は、同じ様な力の持つ人間ともやりあわねばならない時が来るかもしれない。
自分に人を殺せるか、と言えば、まず間違いなく出来ないだろう。
だから、せめて捕らえる程度の力を得なければならない。
殺すよりも、捕らえる方が、難易度が高くなるのは間違いないだろう。自分の方が傷つく確率も高くなるし、死ぬ可能性も高くなるに違いない。
それでも、人を自分の手で殺すよりは遥かにマシだとトシは思っていた。
誰かが犠牲になるぐらいなら、自分の手で命という賭け金を払った方が、よほど良い。
殺すという行為は、それ程重いものだと、トシは考えている。自分で責任を持てない程だとも、思っている。
責任というのは、人に任せられるものではないのだ。
己の行いで起きる全ての出来事は、自分の身で出来るだけ解決しなければならない。
最初は、いきなり弟子入りとは何事かと思っていたが、今の自分からしてみれば、非常に大きいメリットであるとも言える。
話が大きくなってきている今、そんな事の為に他人を積極的に巻き込んでいこうと思える程、自分は図々しくもない。
もう巻き込んでしまっている隆高は仕方ないが、それ以外の面々に対しては、避ける事の出来る問題である。
誰が己の身に、こんな化物を仕込んでくれたのか、それとも生まれつきかは知らないが、誰かが自分の身に入れたのであれば、そいつは相当な悪意を持っているはずだ。
そんな奴と対峙するのに、誰かに迷惑を掛けられない。賭け金で勝負に出なければいけないのは、トシだけだ。ならば、それに備えられるだけの力はあった方が良い。
「ぜひ、お願いします」
「俺もやる気だが、余計な事は考えるなよ。それと、お前自身の霊威の扱い方についても、鍛え上げなきゃならん。浄眼の力じゃなくて、お前自身の霊威で抑えられれば、浄眼の力も」
隆高が、懐から扇を取り出して、自らの身体を扇ぐ。
「これについては、俺自身が見てやる必要があるな。集中力、それとお前が、式がなくても扱えるかどうか……だが、お前は多分、式はいらんな」
「何故です?」
「お前の身体の中にいるの考えてみろ。そいつが入るほどの霊威があってかつ、浄眼の力があるとはいえ、抑えられてるんだ。まず、問題は無いだろうよ」
天賦の才って奴だな、と隆高が一言述べた後、続けて語っていく。
「それから、もう一つ、お前には話しておくことがある。俺達の組織についてと、その幹部達についてだ」
「組織と幹部、ですか」
「そうだ。ってもそういうのは俺は面倒だからな。黒芽、頼む」
ずっと後ろで聞いていた黒芽に、隆高が話を振った。その瞬間、きらきらと目が輝いたように見えるが、気のせいだろう。
「お任せください、隆高様。では、俊彦様。僭越ながら、私が説明させていただきます」
「お願いします」
頭を下げると、黒芽が微笑む。大人の女性の微笑みというのは、こういうものなのだろうか、と感じてしまう笑みだった。
「はい、私達が所属する組織――あ、名称も今はそのまま『組織』なのでお気になさらず。過去には、末法と呼ばれていた事もあるそうですが、これは今は関係ありません」
そのまま黒芽は、隆高の隣へとさりげなく移動して、語っていく。
「組織は座頭と呼ばれる老人共の集まりを頂点として、八権現という祓し屋達の中でもトップクラスの実力を持つ八人の幹部達がその下にあり、続いて他の官僚組織のように、情報課などといった細かい部署に分かれます」
「まさか」
「はい、そのまさかです。隆高様は八権現ですね。八咫烏の異名を持っております」
あれだけの自信を持っているわけだ、と素直に思う。
トップクラスの実力を持っているのであれば、トシの中に八岐大蛇がいようとも、どうにか対応できるとの読みだったのだろうか。
「そして、多くの祓し屋達は、この組織に所属していますね。別に所属しなくても良いのですが、仕事の斡旋や、支援などのサービスはここでしか受けられませんからね」
「所属してないと、よっぽど腕がなければやっていけないと」
「はい。妖怪やら悪霊やら裏稼業の人間とぶつかった際、支援がなかったが故に悲惨な末路を辿られた方も多いですから。それに、祓し屋となって日の浅い者が、無謀な仕事を請け負って死ぬのもありましたね」
組織に所属していない者の面倒まで、見切れない、という事だろう。悲しい事だが、それもまた現実として存在している出来事だ。
「故に、組織へと所属した祓し屋には位階を授けております。位階については、分かりやすく色で表していますね。上位から紫、青、赤、黄、白、黒となっております」
「となると、八権現は」
「紫より上となります。俊彦様は、黒からですね。この位階によって回される依頼などを厳選して、斡旋しています。無視して上位の依頼を勝手に受ける者は、知りませぬ」
冷たいようにも聞こえるが、これが正論なのだろう。聞いている限り、己の命を賭けているような状況で、甘い見通しをするような者であれば死んでしまえ、という風にも受け取れる。
祓し屋としては、貴重な人材以外はどうでもいいような感じだが、そもそも危険な仕事というからには、こういう答えがあるのも当たり前なのかもしれない。
依頼の斡旋については気になるが、これも後々質問すればいいだろう。
「意外に、大きな組織なんですか?」
「ええ、一応は。政府にも警察にも知られています。政府は詳しくは知りませんが、警察に関して言えば、我々に協力を求める他、妖怪や霊が関わった際の対策班がいる程度には」
「……もしかして、迷宮入り事件って」
「ええ。大半が妖怪か霊の関わった事件ですね。」
成程、そういう事かと思う。確かに、迷宮入りにせざるを得ないだろう。
"あんなもの"が、関わった事件であれば、遺族に対しては知らせる事すらおぞましい状態になっている可能性すらあるのだ。
それを教えてしまえば遺族がどう思うかなどと、分かりきった事だし、そもそも国民に知らせてないのは、無用な混乱と被害を避ける為でもあるのだろう。
「そういう事件が増えたり、恨みつらみが集まっていくと、余計に面倒な事が増えていくので、それを防ぐために我々組織がその根源を断つ、というのが基本的な仕事ですね」
「あの時の化物を討伐したり、ですか」
「ええ。雅様から説明したと伺っておりますが、ある程度力を持った化物が顕現すると、己の拠点としてこの世界を侵食して、異界化というものが起こります。異界化が進むと、それだけ妖怪共や霊共が集まりやすく、また活動しやすくなります」
異界、というのが、ようするにあの化物達の住処になるのだろう。そして力が溜まっていけば、それだけこちらの世界へと侵食してきて、より影響力が増す、という事なのだろう。
最悪の場合はどうなるかなど、質問しなくても容易に想像できる。恐らく、こちら側の世界へと、あの化物の仲間たちが、雪崩れ込んでくる。
そうなった場合、どれだけの被害となるのか、想像がつかない。まさに、最悪の結果しか待っていない、というのは間違いないのだが。
「異界化を及ぼすのは呪いと成ってしまった人間や、強大な悪霊、妖怪辺りですね。また弱い霊や妖怪とて、いずれは異界化を引き起こさぬとも限らぬので、定期的に処理せねばなりません」
「じゃあ、僕が受けるのは」
「そのような軽めの霊達の始末になるでしょうね。もしくは、色情霊辺りかと」
「分かりました」
色情霊、などというのは初めて聞いたが、これも霊の一種なのだろう。
「色情霊はいろんな意味でまだ早いだろ、黒芽」
「いえいえ、これも一種のいべんと、というものですよ」
隆高の指摘に対して、さらりと言葉を返して、黒芽は語っていく。
「どちらにせよ、組織としても有望でかつ、真面目な若者は早々失いたくないので、しっかりと保護するでしょう」
「だといいんですが」
「しゅみれーしょんげえむでも、新入りで有望そうなのは大事にしますでしょう。成長すると強いですし」
自信満々にげえむの知識で答えていく黒芽に、一抹の不安が拭えないが、隆高が特に何か口を出そうともしていないので、信じておく。
そのまま、細々と組織の規則などを続けて述べていく黒芽の話をしっかりと聞いていく。
と言っても、大体が想像していた通りの内容ではあった。
依頼主との約束についてもそうだが、自分の正体については基本的には他言無用であるのも、当たり前の理由だ。
うっかり祓し屋の詳細について語ってしまえば、よくて自分が頭のいかれた者かと思われるか、悪くて、本気にされて調べ上げられる事だ。
どちらも、組織にとっては面倒な事になりかねない。故に禁止する。当たり前だ。
「それから――幹部達について、ですね。八権現の方々について、説明いたしましょう」
「はい」
いよいよ、隆高が実際についてる地位である、八権現――八人の幹部達について語られる時がきた。
こういうのを聞くのは、正直、今の状況からすれば不謹慎だとは思うが、わくわくする。
「八権現というのは、これも昔からいたのですが――大体年齢といい力といい、大きく人の理から外れた方々の集まりですね」
「……年齢も、ですか?」
「ええ。禁術に触れたとされる者や、神獣との波長が異常に合い、その力で若々しさを保っている者。半分妖怪化している者、神に愛された者などで集まっていますね」
聞き捨てならない一言があった。すかさずそこへと反応してしまう。
「妖怪化って、それは危ないんじゃ」
「理性もある、力もある。かつ、明確な敵対行為はしていない。敵に回した場合の損害は、甚大であるのが確定している。そして、敵になどしない方がメリットがある。だから見過ごす」
「殺せばいいのにな。腑抜け共のおかげで、手が出せんって事だ」
「それに、彼女は身内に妖怪を保護していますからね。手を出せば、それらとも争わねばなりません。だとしても、彼女の妖怪達が、人には危害を加えずとも、始末するべきでしょうに」
一気に冷たくなった、隆高の吐き捨てるような言葉と、続く黒芽の声で、二人がその人物に対してどういう感情を抱いているか察する。
妖怪を殺す為の組織なのに、妖怪を保護している人物がいるというのは、どういう事なのだろうか。その人物が許容されているという事は、意外にも、組織は、人に危害を加えない妖怪には寛容なのか。
それとも、隆高達が過激派なのかは、分からない。
下手に関わらない方が、良さそうな問題だというのは、確かだろう。
関わってしまったら、泥沼に引きずり込まれそうな気がするのだ。手を出さない方が良かった事は、多くあるものだ。
「すいません、話がずれましたね。」
「いえ。気にしていません」
すぐに、先程までの冷えた声はどこへ行ったのか、というような柔らかい声に戻った黒芽に、少し怯えつつも、気にするなと言っておく。
本当は大分気になってしまっているが、下手に突っ込めば藪蛇どころか、藪から鬼が出かねない話題である。
さっさと引っ張らずに、八権現について説明が欲しかった。
「それで、八権現内にも、一応位があります。こちらは、色ではなく、順位で表されていますね」
「という事は、全部で八位、という事ですか」
「ええ。と言っても、貴方が関わっても、問題なさそうな御方は、隆高様を除けば、三人ぐらいでしょうか」
「他は?」
「人は、長く生きれば、精神もいろいろと変わってきますから」
その言葉一つだけで、背筋に寒いモノが走るのだが、言いたいことは分かった。うっかり逆鱗にでも触れたら、殺されかねないとでも言いたいのだろう。
そして、精神が変化しているという事は、その逆鱗が何処にあるのかも分からないという事になる。
自分が離せるような立場になるのかは分からないが、いざという時の為にも、それは覚えておこうと、トシは己の脳内に黒芽の発言を刻みこんでおいた。
「一位は『不動』様。大体数百年近くは、彼がトップですね。見た目は爺様ですが、力は察してください」
「間違ってもケンカ売ろうとは思うなよ」
「分かってますよ、それくらい」
喧嘩など、売る気は当然無い。売ったら、どういう事が自分の身に起きるか、想像できぬ程の馬鹿ではないつもりだ。
「次に二位の『降魔』様ですが――彼には関わらないでください。あなたの身が危険です。仮面などを付けた物々しい集団がいたら、降魔様配下の者ですので、うっかり近寄らないように」
「それは、どういう事でしょうか」
「神に敵対する穢れた者は皆殺しで構わないっていう意味さ」
「……分かりました」
いきなり、ぶっ飛んでいるのが来た。
狂信者というべきなのか、それとも正義を己の中にしっかりと持っている人物と言えば良いのだろうか。
いずれにせよ、関わったらその時点で危険だとしか思えない。というよりか、もしかしてだが、八権現内にまともな人間は、隆高以外にはいないのだろうか。
接触してもいい三人というのは、危害は少なくとも無い、程度であるのかもしれない。
「第三位の一言主様は、八権化内でも随一の良心ですね。妖怪も保護すべし、という意見には反対しますが」
「そこはしょうがねぇさ。四位に対しての情が抜けてないのが、唯一気に喰わんが、他の面では優秀な男だ」
「ええ、祓し屋になったばかりの者に対しても、丁寧に接し、いざという時になれば、己の配下や、自ら助けに行く。それを迷わず行える人格者ですね」
「……話を聞く限りでは、確かに良い人ですね」
「彼だけは、積極的に会いに行ってもいいでしょうね。縁が持てれば、ですが」
人柄のせいか、彼を名指しで指名してくる依頼も多くありますし、と黒芽が微笑みながら言う。
とりあえず、接触してもよさそうなのは、この人物か、と脳内にしっかりと留めておく。
今の所、頼れるのは隆高と黒芽、それから叔父夫婦ぐらいなのだ。縁が作れるのであれば、しっかりと作っておくべきだろう。
「そして、四位の『悪食』と五位の『翁』ですが、この二人も、そもそも近づかないように」
「あー、それは、その、先程の」
「片方が妖怪化してる、もう片方もお世辞でも良い話はあまり聞かん」
隆高が四位に対しては、明らかに敵意のある表情を浮かべて言葉を吐き出す。五位に対しても同様だった。
「四位、悪食に関して言えば、八権現内での恥ですね。妖怪化した挙句、妖怪達を自らの屋敷へと囲い、勢力を保っていますから。彼女の万魔殿などと呼ぶ輩もいるようですが」
「下らねェな。ただ妖怪の住処になってるだけだろう。人様に手を出さないから、上が見逃してるだけだ。降魔は潰したがってるが」
「彼からすれば、四位も悪ですからね。我々から見ても、それは変わりませんが」
「ええと、それは、また何故?」
「見逃してる方なら、不動の爺さんと、一言主が反対してるからだな。あと座頭の奴らが悪食にビビってるのもある」
不動と呼ばれる一位が反対する理由が、自分にはよくわからないが、一言主の方は、仲間と見ているのだろうか。
本人にしか分からない理由があるのかもしれないが、出会ってすらいない人物に対して、自分がそれを予想するのは無理としか言いようがない。
いずれ話す機会もあるのだ。その時にでも、分かればいいだろう。
むしろ、気になっているのは、二人が嫌っている四位と同じぐらい、会わない方が良いと言っている五位の方だった。
二人が徹底して妖怪が嫌いなのだ、という事は分かってきたが、五位はまた何故、ここまで嫌われているのか、という所が気になってくる。
一つ、確実に予想できるのは、絶対に碌でもない人物だという事ぐらいだ。
「それで、五位はまたどうして、でしょうか」
「あー……あの爺は研究者気質というか、なんというかだな。こういう異能とか、神獣持ちとかを見てると、その力への根源へと辿り着きたくなるっていうのは、分かるか?」
「一応は」
「なら簡単だ。その力への根源へと、辿り着く為であればどんな犠牲をも肯定する。研究の為ならな。そして、それがある程度成果を出している為に上から見逃されてるって事さ」
つまり、典型的なマッドサイエンティスト、みたいな人物になる。
そして、自分はその研究からしてみれば格好の的として見られている、という事だろう。
「最初から、俺の弟子になるって事は宣言してあるからな。向こうさんから何か手を出してくることは少ないとは思うが、警戒だけはしとけよ」
「肝に銘じておきます」
「隆高様の直弟子であったしても、向こうの配下が先走る可能性がありますから」
大丈夫なのか、八権現。まともな人物が少なすぎる。
「で、第六位の『八咫烏』が俺だ」
「隆高様の説明は、省かせていただきます。後々、二人でよく話し合われますよう」
「まぁそこは良いだろ。で、第七位と第八位だが」
さっきから碌な人間が出ていない中、トシは少々真面目に祈る気持ちになってしまっていた。
自分がまだ出会ってもいないし、人伝手に聞いているだけでは、どう考えても、組織の方が危険ではないのかと思ってしまう。
八岐大蛇の話は深刻な事に変わりないが、組織の方も危険ではないか、とすら思えてしまう。
「第七位の『後見』は情報が全然集まっていませんね。元々組織の暗部を担っているとも言うべき人物ですが」
「暗部、ですか」
「顔は見せるけど、なんというかな、忘れちまうんだよなぁ」
顔は見せるが、忘れるとは、どういう事なのか、とも思ったが、すぐに思い当たる。
「もしかして、記憶を弄るとか、ぼかすとかそういう類の」
「察しが良いなお前。まぁ、そういう専門だろう。俺達にも通用するレベルだからな。戦闘中はどうかは分からんが」
「集中していなければ、辛そうではありますね。ですから、俊彦様が出会ったとしても、まず忘れ去られているでしょう」
つまり、元々自分とはまず関わり合いが起きないであろう人物、という事になる。
逆に、自分が顔を覚えてしまう様な出来事があれば、それはどういう意味を持つのか。
というよりも、一つそれで思い当たってしまう物があった。個人的には、絶対に避けたいのだが、まず、間違いなくこれは的中しているであろうことだ。
「それ、浄眼持ちの僕は、かなり危ないんじゃあないんですか」
第七位にとっては、自分が浄眼の力を駆使できるようになれば、能力などが見抜かれてしまう。
特に、暗部に生きている人間ともなれば、それは致命的だとも言えてしまうだろう。それが判明してしまったら、大変な事になるのではないか。
ならば、その力を持っている自分を真っ先に排除しに行動に移してくるのではないか。
決して見当違いな考えだとは思っていなかった。むしろ、当然の考えだとすら思う。
「あー……それもそうだが、味方でいる限りは大丈夫だ」
「ええ、味方でいる限りは平気でしょう」
思い出したように、二人が苦笑いを浮かべて、こちらを見る。
少しばかり、頼りないんじゃないかこの二人、とトシは思うしかなかった。
味方でいる限りは、大丈夫なのは、確からしい。その言を信用するしかない、というのが非常につらい所だが、仕方ないだろう。
「分かりました、二人の言葉を信用します。それで、最後の第八位は、どういう人なんですか?」
「『生成り』か、あいつも半分は妖怪だが、あいつの場合は生まれが生まれだからな」
「生成り様は、鬼と人との子供です。本人はそれも気にせず豪快に楽しんでいらっしゃる御方ですね。鬼の性格からか、何事にも嘘はつかず、己の為したい事を為すという欲望に従って動かれます」
鬼と言われれば桃太郎の鬼や、神話に出てくる怖ろしい鬼を想像するが、そうでもないのだろうか。
そういえば、お伽話の鬼も、そこまで凶悪なモノはいなかったような気がする。
「それでも、一応話せば分かってくださる所もあるので、上からの評判は良いですね」
「一言主さんと同じように、人格者であると」
「比較的には、でしょうか。彼女も結局は、最優先は己の為したい欲ですから。そこを誤ると酷い目に遭いますね」
己の欲こそが全て、と言い切る人物である、というのは短いながらも伝わった。ただ、今までの聞いた限りのメンツからすれば、話は出来そうな人物である。
とりあえず、この八人は全て覚えておこうと思った。覚えておくだけで、実際に会いたくない人間が多すぎるような気もしたが、もうそこは諦めるしかないだろう。
一応、全員の話を聞き終えた所で、ちょうど、昼食を取るには良い時間へとなっていた。
それを意識すると、急に腹が鳴く。少々気恥ずかしい思いながらも、黒芽と隆高の方を見る。
「腹が減ったか、まぁ時間も時間だ。ちょうどいい、昼食を取ろう。これからの話はその後だ」
「そうですね。修行や、生活の面での話も、詳しくは後程、という事で」
二人が微笑みながら、立ち上がる。釣られて、自分も笑ってしまう。
八岐大蛇の話や、実の父母についての話は重く、苦しい内容であったし、これからもそれは続いていく事になるだろう。
しかし、少しだけ、光明も見えてきた。そして、自分を導いてくれる人物もいる。
せめて、食事の時ぐらいは、重たい気分は無しでも良いだろう。美味しく、明るく食べればいい。
「……確か、母さんもそう言ってたし」
おぼろげにしか残ってない、母の記憶。その僅かな記憶を思い出して、先に部屋から出て行った二人を、トシは追いかけていった。
今回も読んでくださりありがとうございます