八権現の二
「というわけだ」
「というわけでも何でもじゃありませんよ! なんですかそれは! いきなり弟子入りなんですか!?」
テーブルを挟んだ所で笑ってごまかしている隆高について、トシはこの男の評価を一気に変えなくてはならないと思った。
底知れぬ男であるというのは、まず間違いないし、自分が視えたアレは、とても神々しい存在であった。それを従えているのか、その力を得ているのかは分からないが、その世界で生きる実力者であるというのは、正解だろう。
そこまでなら、ある程度の畏怖をこの男に抱いたのかもしれない。あんな所へと二人だけでいけるだけの男だ。もしかしたら相当な人物であるのかもしれないとは思っていた。
思ってはいたが、ここまで杜撰な説明をする人間だとは考えていなかった。仕事と私事を使い分ける人間なのかもしれないが、だとしたら私事は相当だらしない人間と見てもいいかもしれない。
大体、何も知らない人間に、大雑把にいきなり八権現だの、神獣持ちだの浄眼だのと言われた所で、今まで一般人として生きてきた俊彦にとって、そんなものは自分の常識には無かった。
というより、そんな話をされれば、頭がおかしいと思われて病院へと連れられていくレベルの話だ。あまりにも常識から掛け離れすぎている。
元より、常識から掛け離れた話であるのは分かってはいたし、自分とて霊が視えたり、危険なものが視えていたりしていた訳だから、少しは反応も出来る。それに昨日の体験のおかげで、現実の事として受け止められる。
だが、そんな化物や霊を相手どる組織があるなんて知らなかったし、そもそも自分がこれからその組織の一員となるなど、あまりにもいきなり過ぎる。
「大体、叔父夫婦に何と言ったらいいんですか、僕は!?」
叔父夫婦の事を考えれば、真っ先に出てくる。いきなり甥が変な男に惑わされて、変な職業というより、霊や妖怪を相手にします、探さないでくださいなどと言い残して消えたら、三代に至るまでの恥となってしまう。
相手が嫌いならば、いっそのこと失踪した事にして、そいつらに噂が持ち上がるようにしてやるのも一興かもしれないが、叔父夫婦には大きく感謝している。
「大丈夫だ、お前の叔父夫婦は元仕事仲間だからな」
「あ、そうですか。仕事仲間でしたなら、よかった」
「だろ?」
仕事仲間という言葉を聞いて一安心する。ならば、確かに叔父夫婦が隆高が述べた事を全て信じてもおかしくはない。
――いや待て。
「仕事仲間ってどういうことですかぁ!?」
「声を荒げるな、隣に文句を言われる」
荒げるなと言われても、こんな状況で上げない奴がいるのかと言いたい。叔父夫婦も、隆高と同じ組織に所属していたというのか。
つまり、自分に力があるのを知っていて、黙っていたというのか。という事は、まさか。
「ああ、その"まさか"だよ」
隆高が人の思考を読んだかのように言葉を紡いでいく。
「俺もお前にはついては知っていたよ。お前の実の父親と母親に関わっていたしな」
「……さらりと重要な事を言わないでください。初めから、知っていたんですか」
どうだかな、と一言残して、隆高は首を振る。そうだとすれば、あのタイミングで救助に来たことも、わざわざ連れ去られる瞬間まで見ていたことになる。
自分達が危機に合っているというのに、ほぼ既に事が終わった段階で助けに来たという事になるのだ。それがどういう意味になるのか。
「分かってるでしょうから、真実は違うんでしょうね」
「察しが良くて助かる」
貴方も分かっているのだろう、という笑みをわざと作り、隆高へと向ける。
ようやくここで、隆高が苦笑を浮かべる。そこには、どこか疲れたような影が見えたが、すぐに消えてしまう。
隆高にとっても何か予測外の事態が起きていた、というわけなのだろうが、それは後々話してくれる様子ではありそうだ。
「とりあえず、その辺の話もしなくては――というよりお前には、絶対に理解してもらわなければならない」
隆高の目つきが、急に真剣なものとなる。この目は、あの時隆高に何が視えたのか、と問われた時と同じものだ。
意識せずとも、ごくりと、唾を飲み込んでしまう。喉が緩やかに締め付けられるような感覚に襲われていく。それでも、以前に比べたら、慣れてしまったのか、軽く震えるだけで済む。
「若いのに背負いこませるっていうのは、俺はあまりしたくないんだが、例外に例外が重なっちまってな。本来は普通の人生を歩んでもらいたかった。
が、そういうわけにも、もういかなくなった」
「この前に起きたのが、原因ですか」
頭を掻きながら、隆高は、少しばかり沈黙してから、口を開いた。
「そういう事だ。もうまともな人生は送れん」
はっきりと、シンプルに残酷な現実を突きつけられる。どうして、と問いかけたくなるが、唇を些か強引に噛み締める事で、それを潰した。
少なくとも、隆高は味方である。いろいろと考えさせられる物があるが、これから話してくれるのだろう。ならば、自分は待つべきだ。これから語ってくれるものを、自分が下手に推測して喋りだした挙句、潰してはまずい。
「色々聞きたいのは山々あるだろうが、まずは基本的な事から話していこう。お前の聞きたい過去については、すまないが後回しだ」
「分かりました、異論はありません」
理解が早くて助かる。そう隆高が呟くと、手のひらを見せる。何をするつもりなのかと、じっくり見つめていくと、ぼんやりとした光の玉が見えてきた。
色合い的には、白だろうか。ふわふわと、手のひらの近くを回っていた。しばらく、そうしてぐるぐると回っていると、ふっとそれは消えてしまった。
「まぁ、これは霊威っつーもんでな。俺達の仕事において最も大事なものであり、お前が今後扱えるようにならんといけないもんだ」
「となると、やっぱり僕の職業は」
「まぁ俺、叔父夫婦がやっていたもの――所謂、祓し屋ってやつになるしかねぇなぁ」
祓し屋と聞いて、微かに頭に痛みが走る。そうして、妨害されるようにもやもやとして消えてしまうが、痛み自体は大分和らいでいる気がした。
隆高がその様子を見て、苦い顔をした。これも、まさか自分にとっての大事な話の一つになるのだろうか。そう思うと嫌な予感はするが、聞かなければ、始まらない。
「祓し屋は、お前が俺を見てきたとおりの仕事だ。悪霊、死霊、呪いになった人間、そして"妖怪"を始末する。それだけだ」
ぞっとする程、感情の無い声だった。隆高の持つ鋭い視線や、力などがどうでも良くなるほどに恐ろしく、何も感じさせない声。
接点が今までなくても分かる。この男は、妖怪に対して並々ならぬ殺意を抱いている。触れるべきではない。少なくとも、自分のような若造が触れてしまえば、身が焼かれかねない。
それ程の憎悪だ。まるで、妖怪に親友でも奪われたようですらある。
「……ふうん」
何か感じたのか、隆高が、こちらを見定めるようにじっくりと視線を浴びせてくる。心の奥底まで、凍えるような視線だった。
自分が、今、何を考えたのかすら悟られているような錯覚に襲われる。
少しだけ、会話が途切れるが、すぐに隆高が口を開く。
「それも浄眼の力か。大したもんだな、本当に」
自分を落ち着かせるように、深く息を吐いてから、落ち着きを取り戻したように見える隆高に、一安心する。
あのまま見られ続けていたら、おちおちと話の続きも出来ない。浄眼については気になるところではあるが、後々聞けるだろう。
「すまん、少し話がずれたな。仕事に関しては本当にシンプルなもんさ。ただ滅してやればいい。跡形もなく」
「そうする為に」
「そうだ」
隆高が頷く。
「霊威が必要になってくるっていうわけだ。この霊威は簡単に言えば――そうだな。お前、ゲームは好きか?」
「嗜む程度には好きですよ」
「なら、分かるか。これはロールプレイングゲームとかで魔法使うのに、MPを使うとか、よく言うだろ」
再び、手のひらから白い玉を出現させてから、隆高がその玉を、置いてあった湯呑へと入れていく。不思議な事に、白い玉はまるで吸い込まれるかのように、その湯呑の中へと消えていった。
「これはそういうもんだ。祓し屋になると、この霊威をどれだけ身体に内包しているか。そして、どれだけの霊威を使いこなせるかで才能が決められてくるな」
「霊威にもいろいろあるんですか?」
「ある」
隆高が先程の湯呑に、用意されていた急須からお茶を注ぐ。それからその湯呑をすっと差し出してくる。
飲んでみろ、という事なのだろう。別に毒物というわけではないだろうし、そっと手に取ってみる。違和感は最初から感じ取る事が出来た。
――妙に、色が鮮やかになっている。それに匂いも良い。
適当に用意されていた急須から茶を注いだだけなのに、自分のような素人でも分かる程度に、それが高級品へと変貌しているのが理解できる。
一口飲んでみれば、その違いはさらに明確になる。ただの渋いだけのものではなく、雑味も消えていた。
「聖気や陰気、天気や地気と色々あるし、効果もそれぞれが別だ。これらは元々身体に内包していたり、物品に存在してたり、まぁそれこそ雑な言い方になるが、基本は万物に宿ってるものだ」
自分の湯呑に対しても、同じような事をして、茶へと口を付けてから、隆高がさらに語っていく。
「俺が使ったのは、聖気だ。これは、物品の品質を上げたり、特殊な能力を与えるようなヤツだ。どちらかと言えば、癒しの能力のが多いか」
「先程の湯呑に与えられたのは、特殊な能力っていう事ですか」
「そうだ。ある程度の意思で、霊威は制御できる。ちなみに俺は、これに茶を美味くしてくれるように頭の中でイメージした」
「……イメージだけで上手くいくんですか?」
そんな簡単なものなのだろうか。その疑問はすぐに、隆高の後ろに控えるようについていた黒芽が、答えてくれた。
「出来る者もいますが、実際は神器か妖具などと言ったもの、もしくは『式』を書いた特殊な符、式を予め刻んだ物を必要とします。イメージだけで、簡単な力を発揮させたり、ただの札であれだけの力を発揮するのは隆高様ぐらいの力を必要とします」
やはり、目の前にいるこの男は、祓し屋とかいう集団の中では、トップクラスの実力者なのだろうか。妙に主を語る時の黒芽が、どことなく嬉しそうなのは、使える主の力量を誇っているからか。
なんだか、視線もどことなくきらきらしているようにも感じるが、そこも突っ込まないでおこう。一度そこに突っ込んだら凄い長い話が始まりそうだ。
「本当の所は、イメージというよりも、脳内で式を組み立てて、念じるっていうのが正しいんだがな」
「……すいません、式っていうのはなんですか?」
いきなり式と言われても、自分はまったくのド素人なので分からない。間を挟むような質問になってしまうが、これは是非とも聞いておきたい。
「式っていうのは、霊威を操るのに必要なもんだ。霊威を代償として、そういう不思議な力を扱う際に『神様』に一部を代行してもらう為の請願書って言った方が良いか」
実際、何度も聞かれているのか、隆高は躊躇うことなく教えてくれる。
隆高の口ぶりからすると、霊威を直接操れる人間はそれでいいが、出来ない場合は、神様に頼るという事だろうか。というよりもだ。
「おられるんですか、神様?」
「一応な。と言っても本体が来てるわけじゃない。俺達には、ほんの少しだけ力を貸して下さるか、与えてくださるか程度さ」
「というより、神本体が降臨なされた場合、大抵碌でもない事がこれから起きるか、既に起きているかです」
正直もうこの時点で関わりたくない内容になってきているが、無視することにする。
対して隆高は、神が関わる問題は、面倒過ぎるしなと、黒芽に相槌を打つように答えて、懐から札を取り出した。
「どちらにしろ、ただの札であれなんであれ、ベテランやそういう武具職人が霊威を込めたものなら、それはそれは恐ろしい武器にもなり得るって事だ。結界代わりにもなるしな」
「つまり、あの時大悟や聡を守ってくれた結界は」
「札に込めた俺の霊威の力って事だな。まぁ用途や役割によっても違うが、祓し屋のベテラン勢ならナイフやそこらに落ちてる木の棒でも、人を殺せるだろうよ」
「本人がイメージしやすいモノであれば、より強力にはなりますしね」
隆高の説明に、時々黒芽が付け足す。時々とんでもない事実をさらりと言ってのけるが、突っ込まないようにしようと決めた。これからいくら驚いても足りないような話が次々に出てくるに違いない。
一々突っ込んでいたらこっちの身が持たない。というより、それを狙ってるんじゃないかという程、危険な話であるような気がするが、もうどうでもいい事だろう。諦めの境地で話を聞いていた方が絶対楽だ。
「簡単に纏めると、祓し屋は霊威で武器や肉体を強化して戦ったり、霊威を通して異能を起こして怪異やらなんやらを殺す存在だと思ってもらっていい」
「成仏とかはさせてあげないんですか?」
「悪霊までいったら面倒だから始末するのが早い。もう理性もないし、間違っても説得なんて考えるなよ。そもそも、俺達の仕事では、もう助けられないヤツの始末に近いからな」
「……そうですか」
随分と、そこはあっさりと伝えてくれたものだと思うが、これもまた真実であるのだろう。
彼がトシを騙しても、何かメリットがあるわけでもなさそうだ。ならば信じるべきだろう。今は、という条件が付くが。
「それで、次は浄眼についてなんだが……」
ここで初めて、隆高が言いにくそうに、言葉を詰まらせた。
ここからが、本題だという事なのだろう。何を言われても、気が動転しないように、腹に力を込める。
「『浄眼』ってのはな、妖怪や俺達祓し屋にとっても、危険であり、素晴らしい力でもある。生まれ持ってる奴なんか、俺はこの時代で初めて見たぐらいだ」
「この時代で初めて?」
聞き逃せない一言を吐いた隆高を見つめてみるが、誤魔化すように、ごほんとわざとらしく咳をして、隆高は話を続ける。
「それはどうでもいい。浄眼の話だ。では、何故危険であり、素晴らしい力なのか、って所なんだが」
「げえむで言うなれば、最初から弱点が見えている、というべきでしょうか。すてえたすやらなにやらまで」
「……つまり?」
露骨にゲーム的な解説を入れてくる黒芽に、一抹の不安を覚えつつも、続きを促す。
「妖怪に対しては最初からその正体が理解できる。俺達祓し屋に対してはどういう能力を持ってるか見抜ける。そして、下手すりゃそいつの過去すら覗ける。また、見つめられるだけで邪気が払えるっていう優れた力だ」
そいつがトラウマ持ってりゃその時点でえぐい事が出来るな、と何気なしに言いながら隆高は喉が渇いたのか、再び茶を啜る。
自分が持っている浄眼は、過去すら覗けると言われているが、そんなのは出来た事がない。心を読む、という事に関しては、なんとなく察する事が出来る程度だが、それはただ勘が良いだけにも感じられる。
つまり、何一つとして浄眼の力とは言えないのではないかと一瞬考えて、あの時の事を思い返す。
――三本足の烏。
そこに思い至ったのと同時に、隆高が告げる。
「そうだ、気づいたか?能力は覗けてるんだよ、お前は。というより力が強すぎるモノを感知するというか、なんというか……隠しているはずの巨大な部分を見つけるっていうべきか」
「お待ちください。彼は、八咫烏様が見えたと?」
黒芽が焦ったように口を挟む。隆高はちらりとそちらを見やると、溜息を吐いた。
「俺がそんな事で嘘をつくと思うか?」
「いえ、失礼しました」
冷静に隆高が指摘し、それに黒芽がなんとか自分を納得したのか、黙り込む。
「凄い、事なんでしょうね」
「そりゃあ、俺が隠してる力の全容掴めちゃうんだからなぁ、俺だってビビったぜ」
苦笑しながら、隆高は返答する。それから、表情を急に引き締める。
「さて、次から、神獣持ちと妖獣持ちの話になるんだが」
そこで隆高が一区切りと言わんばかりに息を吸い込み、静かに吐く。
「此処から先は、俺の推測も交えて話すが、お前の母親と父親について関わる話になる。覚悟してほしい。聞きたくないなら、と言いたいところだが、さっきも言ったようにそういうわけにはいかん」
「構いません。覚悟は、しています」
そうか、と隆高は静かに頷き、そして口を開いた。
覚悟するなどと言った自分の意思など、何の役にも立たぬと、それはすぐに思い知らされた。隆高の言葉は、容易く自分の覚悟を打ち砕く。
それ程の、言葉だった。
「……お前の父母は、恐らくお前に殺されている。いや、正しくは、お前の中に潜むモノに殺されている」
言葉が、出なかった。自分が父母を殺したというのは、どういうことなのだ。
「恐らく浄眼が完全に力が発揮されてないのも、それだ。お前の中にいるモノを抑えるために、浄眼の邪気を払う力が思い切り使われている」
息が止まった。隆高の話からすれば、もうその時点で危険な存在がいるという事になる。
「俺の中では、そのモノの正体はある程度ついてる。正直、考えたくもない悪夢だけどな」
そして、そのモノの名を隆高は呟いた。
この国に住む者であるのならば、誰もが聞いたことがあるであろう、神話の化物の名。
伝説の存在とされてきた、その名は――
「――八岐大蛇」
読んでいただき、ありがとうございます。