八権現
「……参ったね。こいつぁ、想像以上だ」
滋岳俊彦を強引に気絶させたのは、悪い判断ではなかったと、隆高は確信していた。
俊彦の父親から、息子を頼むと言われてから、遠くから見守っていた。自分達の身体が弱まるのも気にせずに、俊彦の身体に潜むモノから、俊彦を守っていた父親と母親。
その二人の思い、そしてかつての友の頼みだったからこそ、隆高はその願いを引き受けたのだ。おかしな事態に巻き込まれないように、出来るだけ悪霊や妖怪――そして間違っても神と関わらぬように、本人に悟られることなく、見守っていた。
己の力を持ってすれば、簡単な事だと思っていた。その歯車が狂ってしまったのは何時からだったのだろうか。二人は、最後の最後まで、俊彦の中に、何がいるのかを語らなかった。言ってしまえば、隆高に見捨てられてしまうと思ったのか。
「正しかったかもれんな、それは」
目の前の光景を見ながら、隆高は自分らしくもない事を言っていると思ったが、止められなかった。
異界化は、既に解けていた。異界化を引き起こしていた、悪霊の塊が討伐されたのだから、それは当然の事であった。問題はそうではないのだ。
あれだけの力を誇った悪霊の姿が一瞬で、消えたというのが問題なのだ。たかだか10代の若者が、それも何も修行もしていない少年が、高位に達するのではないかという悪霊を屠ったのである。
これが、どれだけ危険な事なのか。自分にはそれが分かっている。そして、その事を目の前の何も知らぬ少年に伝えなくてはいけないという事も、だ。
あの男を見捨てるべきかと思ったが、そうすれば俊彦は一人で目覚めて行っていただろう。
どちらにしろ、自分が合流しなければならなかったのだ。雅を連れて行ったのは、紫義の実力をはっきりと確認したいのもあったが、最悪の事態に備えてでもあった。
幸い、そのような事態にはならなかったが、一歩間違えれば、自分が、力を本気で出す羽目になっていたかもしれなかったのだ。
自分の認識が甘かったとしか言いようがなかったが、とやかく言っているような場合ではない。何を秘めているのか、隆高にははっきりと理解しうる状況になってしまっていた。
危険すぎるとしか言いようがなかった。何故とも思った。ただの少年があんな力をどうやって手に入れたというのか。
俊彦の父親と母親は知っていて、それを秘匿していた事になるが、隆高にはそれを責められなかった。実の息子が、そんな力を手にしているのが分かれば、黙りたくもなる。
秘密にしなければ、自分達の方が――隆高が所属している組織がどうしていたか分からない。実の息子を、殺害される恐れだってあった。
警察にもはそこまで頼れない。自分達の存在を理解しているが、政治家と、軍隊にも知られてしまう。そうする事で。夫婦としても表立っては、動けなかったのだろう。
だから、最後に命を犠牲にしつつも、隆高を騙す形であれ、俊彦を守ってほしかったのか、と思う。息子をそこまでして守りたかったのか。
いくら考えても、しばらく答えは出ないだろう。どうであれ、今はやるべき事をやるしかなかった。
「紫義、無事か」
荒く息を吐いている紫義の近くへと行き、肩に手を置いてやる。俊彦の力に当てられた影響か、大分呼吸が乱されている。
ゆっくりと背中をさすってやり、紫義が落ち着くのを待った。呼吸が乱れていた紫義が、徐々に落ち着きを取り戻し、最後に一呼吸をする。
「ありがと。でも、酷いわね。私の実力を測るんじゃなかったの?」
息を整えた後、紫義が不機嫌そうな声で問いかける。
実力を測るつもりもあったが、アレを見てしまったら、とてもではないが、そうは考えられないだろう。
「それもあったが、あの少年――俊彦について頼まれてたんでな、誰にとは言えないが」
「やっぱり知ってたのね、あの人の事」
溜息を吐きながら、紫義が額から噴き出た汗を拭う。疲れなどではない。足の隠しきれていない震えから、それは分かっていた。
「黙ってたのはすまなかった。ちょっと確認したくてな」
「まぁいいわ。何か理由があるんでしょうし――あんなの見せられたらね」
答えた紫義の視線の先には、もはや何も残っていない空間があった。慶介とか呼ばれていた少年は、もう既に助けてある。
瘴気に身体を蝕まれていたが、既に浄化してある。異界化も解けている為、あとは清浄な空気を吸っていれば、自然と回復するだろう。
「怖かったか」
「とっても。アンタは別格だからそんなの感じないでしょうけど」
「ああ、そうだな」
そうだ、と明瞭に断言は出来なかった。内心では自分も恐怖を覚えていたかもしれない。
霊威に優れ、その身に神獣の力を宿す隆高とて、アレを見て身体に寒気が走った程なのだ。自分で止められたかと自問する。
出来なくは、無かったはずだ。
「どうしたのよ」
「いや、なんでもない」
本当に出来たのか。少なくともあの蛇は、自分の持つ神獣と同じほどの力を感じていた。
それも、あれは力の欠片だ。本体ではない。
「とりあえず、この場からはさっさと切り上げよう。俊彦の友達もそろそろ気づく頃だろうしな」
些か強引に話を切り上げる。自分の焦りを見せないつもりでもあったが、そういうわけにもいかない。
もっとゆっくりと、時が来てから俊彦に話そうと思っていたが、俊彦の力は、そり猶予すら消し飛ばすようなものだった。今すぐにでも、行動に移さなければならないだろう。
危険すぎる力を、隆高の知り合い達が許すはずもない。どうであれ、制限か監視役、下手をすれば殺害にまで至るに違いない。
俊彦とじっくり話さなければならない。面倒くさい事になってしまった。慣れた動作で、懐にしまっていた飴を取り出し、口に頬張り、ゆっくりと舌で転がしながら味わいつつ、甘みを感じる。
困難な出来事にぶち当たった時に、隆高が落ち着くために、よくする行動であった。
「その後は?」
「会議を行うしかねぇだろうよ。俊彦の力を見ちまった以上、報告しないわけにはいかん」
「……私は?」
「お前は従者として来い。……あまり、見せたくもねぇがな」
俊彦の力について、どう扱う事になるのか。どうなるかは分からない。しかし、処断だけはさせない。隆高は人知れず、そう決意した。
「っつぅ……」
微かな身体の痛みと共に、トシの意識は覚醒した。飛び跳ねるように身体を上げて、周りを確認する。見覚えのない部屋だった。どこかの、旅館の一室だろうか。しっかりとした客室であり、他に誰かいたのか、荷物が置かれていた。
自分の衣服などもそこに置いてあった。まるで旅行先で泊まりに来たように、整えられている。自分の身体は、布団に寝かしつけられていた。
慌てて、今が何時であるかを確認しようと、時計を探す。あった。今の時刻は、朝の9時半を指している。叔父夫婦に連絡を入れなければいけない。それに、仲間達にもだ。
携帯電話なら、持ってきていたはずだ。そう思い、布団から這い出して、鞄に手を伸ばそうと――
「おはようございます、俊彦様」
「は、はひぃ!?」
突然聞こえてきた女性の声に、びくりとする。
「驚かせて申し訳ありません。主から俊彦様の世話をするようにと言われております、黒芽と申します。」
おそるおそる、そのように丁寧に語り掛ける女性の声の方へと振り向き、その姿を確認する。
一流の職人が、作り上げた日本人形を彷彿とさせるような美女が、自分の後ろにいた。動きやすいようにアレンジされている、和服を身に纏い、こちらと視線が同じになるように正座をしている。
「あ、ありがとうございます。ですが、その世話って」
「今のところは寝巻に着替えさせ、睡眠をとっていただく所までは、させて頂きました」
その言葉に、思わずトシは絶句した。健全な青少年として生きてきたトシにとって――確かに、男性としての欲求はもちろんあったが――このような見目麗しい女性に、着替えさせられたというのは、恥辱ともなりえるのだ。
顔が急激に熱くなってくるが、今はその感情に身を任せてる場合でもない。絞るような声で、トシは目の前の女性に対して口を開く。
「それは、そのすいませんでした。そんなことまでしてもらって。で、ですが、その前に、僕と一緒にいた友人はどうしたのでしょうか、それに叔父夫婦に連絡は――」
「――全て行っております。特に叔父夫婦様には、滋岳俊彦様は、一人暮らしと職についていただくことになったとも連絡させていただいております」
「へぇあい!?」
またしても、間の抜けた声が出てしまった。むしろこの場で声を出さない人間はいないだろう。いたら見てみたいとすらトシは思ってしまった。
化物に襲われたと思ったら、見ず知らずの男と女に助けられ、気を失って、また目が覚めたら、今度は見知らぬ女性に世話をされた挙句就職先まで斡旋されている。
漫画や小説の主人公のような人生へと、追いやられている気がしてならないが、これは素直には喜べない。余りにも分かっていない事が多すぎる。
「ちょっと待ってください! いきなりそんな事言われたって、こっちだっていろいろと言いたい事があります!」
「詳しくは、後々、隆高様が説明に参りますので」
それだけ言うと、黒芽と名乗った女性は、背を向けて、トシに鞄を取らせぬように、鞄の前に座り込んだ。
まったく状況が読み込めぬ、残されたトシは、呆然とする他なかった。
「9時半だ。時間だな」
時計の方へと一瞬だけ視線を移し、隆高は宣言した。俊彦の友人達をそれぞれ、適当に誤魔化して家へと帰し、俊彦だけはそのまま隆高の所属する組織の所に連れ帰ってきた。
それも、この時の為にだ。万が一、叔父夫婦の元へと帰して、そのまま「事故」にでも遭われたら、たまったものではないからだ。
トシには、いろいろと話さなければならない。間違いなく、奴の人生を大きく変化させる事になるからだ。
少なくとも、もうまともな人生は送れなくなるだろう。滋岳夫婦が望んでいたであろう、安穏とした日々を送らせる事は、出来ない。
ならば、この世界で生きていくしかない。そうさせる為にも、ここで自分が動かなければ、始まらない。
「招集して、集まったのは、一位、三位、四位、五位、六位、七位か」
広い和室の部屋の中に、組織の実力者が6人、そして従者が1人ずつ傍について、合計12人が部屋の中に揃っていた。
実力者は全員が、隆高と同様の力を持つか、それ以上の力を持っている面々である。隆高が所属している組織における、幹部クラスに相当する連中である。
どうして彼らが集まったかと言えば、隆高が自らも含めて、所属している組織における、八人の実力者達の会議を呼びかけたのだ。理由は勿論、俊彦を守る為であった。
さっさと、俊彦に関して身体の中にいるモノ、そして身体的特徴についてまで、きっちりと説明してやらなければ、どう動くか分からない――というよりも読めない者がいるからだ。
先手を打っておかなければ、ならない。自分がきっちりと説明すれば、少なくとも、数人は賛成の意を示してくれるだろう。最悪でも、一位に理解してもらえればいい。
八人の実力者は、それぞれが個性的に過ぎるのだ。まともだと思っているのは一位と三位で、他の面々はどう考えても、一癖二癖どころか、四癖五癖あるレベルだ。
運が良ければ、同意を得られる程度である、というぐらいに期待しておいた方がいい。組織に所属させるにも、この連中には、知らせておかなければならない。組織にもだ。
そもそも、組織というのもおかしなものだと、隆高は思いを巡らせる。
生まれながらにして怪異を討伐する者として、決まりきった生を受けた隆高でさえ、疑問を感じる程だ。
組織というのは、誰が最初に創立したのかは分からないが、少なくとも千年前には既に原型が出来ていたらしい。らしいというのは、隆高も噂で聞いただけの話だ。
当時から、悪霊や妖怪などを討伐していたが、組織として完成を見せたのは、それから少しして、だったか。
誰が何を目的として作り上げたというのか、人類の救済を目的として、とは今の上層部は謳っているが、それにしては不自然さが残る。
人を救うというのであれば、霊すらも助けるべきではないのか。あれも元々は人である。人であるというのに、悪霊と化した時点で、殲滅一択の姿勢を崩していない。
助けられるのであれば、助けてやってもいいのではないのか。悪霊――呪いとか化した時点で、滅するなどというのは気が早すぎるとしか言いようがない。
妖怪の中でも、人に与するモノは許している、というのも隆高には納得がいかない点であった。
妖怪こそ、人類が討伐すべき怨敵ではないのか。霊よりもよほど凶悪である。奴等には知恵がある。自分達、神獣や妖獣を宿した人間ですら匹敵する力を持ったようなものがいる。
奴等の方こそ、人類の救済を謳うのであれば、皆殺しにした方が良いのではないか。上層部は、妖怪にも理性ある者がいるというが、それこそそいつ等に踊らされているだけではないか。
口に出しては言わないが、態度には、はっきりと出していた。妖怪との共存など、考えられないからだ。
霊などの方が、まだ思いというものに囚われているだけマシだろう。妖怪の奴らは、ただの人殺しに愉悦を覚えるか、ろくでもない事しかしてこない。
それを組織は何故、生存を許しているのかという気分になるが、上が許しているのだから、こちらとしては従うしかない。腹の立つ話ではあるし、隆高が仮にトップになったのならば、真っ先に変更する気である。
「全員は揃わないとしても、これだけ揃ってくれたっていうのは、感謝すべき事ですかね」
二人除けば揃ったというのは、極めて良い方向に向かっていっていると言ってもいいだろう。
隆高からしてみれば、ひとまず問題は無い。気に食わない女が、一人参加しているのにイラつきは覚えるが、それはいい。
「良い事やろ、二位と八位が来ないのはいつもの事だし」
髪を短く纏めた、良く鍛えられた体格の男――三位が、口を開いた。
「それよりも、六位。なんで俺らを集めた? まぁお前が呼んだのなら、それだけ――」
「大きい事があったのだろう。そうであろう、『八咫烏』」
異能の方の名前で呼ばれて、隆高は少しムッとしてしまうが、それは抑えた。発言者が、最も俊彦の為にも、同意を取っておきたい一人だからだ。
「ええ、そうですよ、不動様。連絡しなければ、いけないことが出来てしまいまして、ね」
不動と呼ばれた老人が、ゆっくりと頷く。この不動こそが、一位であり、今いる実力者、六人の中でもトップの人物である。
老人とは思えぬ程に鍛え上げられた肉体に、地獄の獄卒を連想するような、暗い眼。
本名は、知らない。少なくとも自分が生まれ、そして成長した今に至るまで、この姿のままだった老人である。
年齢は果たしてどれぐらいにまで達しているのかすら、分からない。五百年前から生きていただの、創設時からいた一人であるとも言われている。
どちらにしろ、それだけの力の持ち主であり、同時に強い決定権を持つ一人でもある。なんとしてでも、味方側へと引き込みたい人物だ。
「六位が言うならそうなんだろうなぁ、まぁ俺は何でも構わんで」
鷹揚な態度で、三位が言葉を続ける。唯一、八人の実力者達の中でも、自身と共に、まともな人間の一人であるとも思っている三位も、こちら側へと引き入れたい一人である。
しかし、三位については心配はしていなかった。元々、人格者であり、霊たちに対しても常日頃から、救済するべきであると唱えている男だ。
間の抜けた所もあるが、人としては出来過ぎている。この男に関しては、問題ないだろう。そう、問題は別な者にあるのだ。
「議題は、貴方が連れてきたあの男の子、かしらぁ」
欠伸をしながら、目の前に座っていた女が口を開いた。
最上の絹を思わせるような、艶やかで柔らかい黒髪。そして、整えられた、まるで神話時代の職人が作りあげた芸術品と思えるような肉体。
男であれば、声を掛けようとするも、あまりの美しさに、自らの存在が釣り合わぬと自覚し、勝手に去ってしまうような、それ程の美しさを持っている女。
下手な宝石や装飾品を付ける方が、却って彼女の完璧な美貌を邪魔をしかねない。魔性の美しさであると言ってもいい。
確かに、美しさは認めようと思う。隆高とて、思わず息を呑む美しさである。男としての本能が刺激されるとも言うべきであろうか。
手に入れられれば、何者にも認められるであろう。人生における最大の勲章であり、同時に男として優れた証としても認められるような、そんな女性である。
「随分と面白いのを体の中に入れているようね。気になるわぁ」
「黙ってろ、『悪食』が。それについては今から話す」
舌打ちを露骨にして、隆高は目の前の女、四位に対してはっきりとした敵意を見せる。この女は外見が美しいだけだと改めて実感する。
内面は、はっきりと言って畜生にも劣るとすら隆高は決めつけていた。自分が偏見の目で見ているという事は、否定はしないが、それを直したいとも思っていない。
この女の異能である悪食もはっきりと言って、とても存在するべきではない――本音を言ってしまえば、討伐すべき対象ではないかとすら思っている程だ。
それに、この四位は――
「ただの人間が、調子づくものではないですよ。悪食様に対して、その醜い口をさらに動かすようであれば」
脳内に直接響く声に、溜息を吐く。それから、視線を四位の座っている座布団の方へとずらす。いつの間に紛れ込んでいたのか、狐が一匹、こちらを見上げていた。
見上げている視線からは、憎悪を感じる。ただの狐ではないのは、知っていた。何を飼っているのかも知っている。むしろ、コイツの存在を知らない者は、ここに集まっている者の中にはいないだろう。
霊威が集まり、黒い粒子と化し、狐を包んでいき、包み終わるなり、ぐねぐねと動きながら、人の形を取っていく。その瞬間に、粒子は弾けて消えて、そこに残るのは、四位と同じように艶やかな髪の毛を持ち、和服に身を包んだ女。
しかし、人間には付いていないはずの、動物の耳。そして九つに分かれた狐の尻尾を生やして、こちらを見下ろしている。
「たかだか狐が偉そうに。また石にでもされたいのか。」
「ほざくなよ、人間。私が認めているのは、悪食様のみ、貴様なんぞ相手にしておらんわ」
挑発に対して、平然とした笑みを浮かべて、ようやく自ら口を開き、反論する狐に、これ以上時間を取られるのも癪である。
隆高は軽くそれを流して、四位を除く他の11人に対して口を開く。
「まぁ、一匹余計なものが紛れ込んでいるが、それはいいでしょう。そうです、本日の議題はまさしく、俺が連れてきたあの少年について、です」
「随分と買っておるようじゃな、その少年をわざわざ議題へと取り上げるというのは」
第五位の爺が、こちらへと茫洋とした視線を向ける。その裏にあるどす黒いモノが透けて見えるが、隆高はそれを指摘する事無く、頷く。
「ええ、まさしく。彼は浄眼の持ち主です。それに、その身に神獣か妖獣を宿しています」
微かに、場がざわめいた。浄眼と言われて、数人が顔色を変えている。変えている連中の顔を覚えつつ、隆高は話を続ける。
「皆様も知っているでしょう。浄眼持ちが、どういう存在か。それに神獣か妖獣を宿しているとなれば――」
俊彦が隆高の神獣が見えた、というのは異常な事である。隆高を含め、この場にいる全員は何らかの異能を持っている。
それこそ残酷な物言いになるが、一名で戦争へと出向けば、多くの武装した兵士を、戦車に入った人間を、ただのぶちまけられた肉片にすることが可能である存在なのだ。
異能とは、それ程強力な能力であり、残酷な力である。
軍事へと向ければ、それこそ、大きく変わるかもしれない力ではあるが、そうしないのは幾らかの理由がある。
一つは、彼らが軍事へと出向いている間に起こる、妖怪や悪霊に対する対策をどうするのか、という事である。
現代においては、悪霊や妖怪というものは、余計に生まれやすくなっている。昔に比べれば、戦争や戦が減っているから、それはない。と思う者を多くいたはずである。
だが、昔に比べれば、人間は欲求というものが多く増えすぎた。それは、人々の生きる力へとなると同時に、恨みつらみへと変わっていったのだ。
恨みつらみが増えれば、妖怪が過ごしやすくなり、その心の隙間に入りこむのも容易くなる。人々は、その恨みつらみを残して死に、悪霊と化す。
そうする事で、数が群れていき、いずれ対応しようにも出来なくなる。
定期的にその芽を摘んでいかなければ、魑魅魍魎が跋扈していき、人がまともに暮らせなくなる。そして、世の混乱が激しくなる。
そもそも、妖怪に対峙できるのが、そのような異能を持った人間か、元々特殊な修行を積んでいった坊主や修験者しかいないのだ。
故に、そのような人間が軍として出向く事など、滅多にないのである。滅多にないというだけであって、出向いた実例もあるにはあるのだが、それも僅かに過ぎない。
神獣持ちや妖獣持ち、異能持ちというのは、それだけで凄まじい力を持っているという事になる。
そこに、俊彦は浄眼を持っているのだ。色めき立つというのも、納得せざるを得ない。
浄眼というのは、見抜く力である。見抜くというのは、相手の力、不浄の元、それら全てを見抜く事が出来る。
つまり、異能持ちの、その能力を見切ってしまうのだ。そして不浄の元を見抜くというのは、妖怪共や霊共の急所に当たる事をはっきりと理解する事が出来る。
これほどの強力な力を持っているのは、記録の限りでも五百年に一人ぐらいしかいなかった。隆高が古い書物を読んだ限りでは、そうだったのだ。
――そして、恐らく俊彦は、妖獣持ちである。
それも、化物と呼ぶにふさわしいレベルの物を、だ。
浄眼を持っているのに、あの悪霊に対して力を発揮出来ていなかった。それには、間違いなくあの蛇が絡んでいる。
力の欠片で、あの大きく育った悪霊を文字通り、瞬殺している。それも浄化などではない。あれは、喰らって同化しているのだ。
そんな化物を、浄眼の力で封じていると見るべきだ。滋岳夫婦は、とんでもない人物を残して逝ったのだ。
「――お分かりでしょう。彼は育てるべきです。いずれ、この組織の巨大な柱になり得る存在です」
だが、隆高は化物の部分については伏せた。それだけの力を持っているとなれば、最悪の事態を考えて、処断にもなりかねない。
全員が、まだざわめいている中、四位が、こちらにぞっとするような笑顔を向けてから、口を開いた。
「だったら、処理するべきじゃないかしらぁ。八咫烏」
平然と処理と言い放った悪食に対して、隆高はいらつきを抑える事が出来ずに反応する。
「何だと」
「その子、浄眼を持っているのに、さらに神獣か妖獣持ちでしょう。危険だわ、暴走されたら、ね」
続け様に悪食が言葉を紡いでいく。
「それに、先程のあなたの言い方、何か誤魔化してるようにも聞こえるのよねぇ。大事な所……困ってるなら、私が食べてあげてもいいのよ」
悪食が、舌をちろりと出した。
「何も誤魔化しちゃあいない。お前の勘違いだ」
「あらそう、貴方、時々甘い所があるから……妖怪と駆け落ちした貴方の大事な友人みたく」
さらに続けようとした悪食に、怒りを持って隆高は答えた。場の温度が一気に上昇し、熱が篭る。
はっきりとした敵意をもって、同時に悪食に対して殺意を含んだ視線を送る。並の人間であれば、恐怖に震えて、膝から崩れ落ちるであろう殺気を、悪食はどうでもいいと言わんばかりに手を振り、笑みを崩していない。
隣にいた紫義が震えているのにも関わらず、隆高は怒りを沈められなかった。友の話は別である。あれは、妖怪に騙されているだけだ。その友人を嘲るような真似は、許さない。
対して悪食は、そのままの姿勢を崩していない。優雅な笑みを浮かべたままだ。その代わり、九尾を生やした女が、この場の全員を呪い殺せんとすら感じる妖気を、全力で叩きつけていた。
場が静まる。誰も発言しようとはしないが、幾人かが、臨戦態勢に入る寸前になる。
そして、緊張が高まった瞬間だった。
「止めとけ、虚。八咫烏もや。こんな所で殺し合いしてどうすんや。第二位の『降魔』がいないから安心してたら、今度はお前かい」
のんびりとした声が間に入った。隆高は動けなくなり、対する悪食も動けなくなっていた。
「『一言主』、余計な事よぉ? でもまぁ、貴方のお願いならいいわぁ」
珍しく、苦笑を浮かべながら、悪食が手を振ると、九尾は妖気を出すのを止めた。隆高も力を振るうのを抑え、部屋が、いつも通りの温度へと下がっていく。
第三位が、にっこりと笑い、言葉を続けていく。
「まぁ、ええやないですか。保護するのは隆高ですし、弟子として育てるのも隆高でしょう。彼ならば、まず間違いはない。俺は、そう思いますがね」
「相変わらず、お主は適当だな、第三位の身でありながらな、一言主」
「俺は喧嘩が嫌いなんですわ。穏便に済ませられるなら穏便の方がええでしょ」
どこまでも明るい声色で、第三位の男、一言主は言葉を続ける。
「それに、こんなところで俺達――『八権現』が、一人でも欠けるのは良くない事でしょうしね」
そう、言葉を残して、場にいる八人の実力者――八権現の内の来ている六名を、一言主が見渡す。
「では、皆さまは、私が彼の者。滋岳俊彦を弟子にする事で良いでしょうか」
答えは、決まりきったと思っても、確認の為に、隆高はもう一度問いを投げかけた。
全員が頷くのを見て、隆高は一応の安心を得た。同時に、嫌な思いをしなければならない、という覚悟もする。
自分がこれから、俊彦に話をしなければならない。
その話は、間違いなく、俊彦にとって気持ちの良い話ではない。
暗澹とした気分になりつつも、それから逃げようとするような男ではない。隆高は、それを最も自覚していた。
読んでくださり、ありがとうございました。