面倒事
大気をつんざく爆音を鳴り響かせながら、隆高は悠々と歩いていた。
時折、右手、左手と動かして莫大な霊威を注ぎ込んだ火球を放つ。
既に生み出された異形の巨人を何体屠ったかなど数えていない。
巨人が放つ、男と女の声が入り混じった悲鳴を聞きながら、歩みを止めることもない。
堕神を最初の一撃で仕留め損ねたのが、手痛いなと少し悔やむが、それも特に問題ではない。
「つまり、何も問題はない、ということだ」
『貴様』
「だからお前もとっとと消えてくれないか。俺はお前が取り憑いているお嬢さんに話があるんだ」
所詮はこの程度だということだ。それにしても、これにあれだけの結界を展開できるとは思えない。
堕神としても、二流である。
しかし、人々に催眠をかけ、周囲の人々を眷属化し力を蓄えていたのはこの堕神に違いないだろう。
ならばこの堕神は、ここで始末する。そして、別の要因を探す。
自分と『悪食』でも侵入するために、少々手間取った巨大な結界を張り、維持している存在。
それも探しだして、排除しなければならない。面倒な話だが、出来ないことではない。
あの女――悪食と共同で事に当たれば、すぐに終わる。
まったくもって気に入らない女だが、任務の前では私情は抑えなければならない。
かつての友からの教えを破るわけにはいかないとはいえ、苦労することである。
「……俺の光が直撃して、まだ存在してられることは大したもんだって褒めてやるからよ」
ぼろぼろの状態であろう堕神を油断なく視線に捉えながら、ただ前進する。
あの"光"を浴びて、いまだこの世に形を留めているというのは、2流とはいえ、さすがに堕神ということだろうか。
『この女を自害させて他の者に乗り移るとは考えんのか?』
「乗り移れるとでも思うのか?」
つい呆れて、言葉が出てしまう。やはり小物だ。
眷属も、御自慢の異形も焼き殺した。まだ諦めていないあたり、何か手があるのだろう。それだけは警戒しなければならない。
光球を浮かせながら周囲をさり気なく伺う。隆高自身にとって危険はないとしても、相手が逃げ道を確保していてもおかしくはないのだ。
『……貴様、それだけの力を持っていて、ただの人間と嘯くのか』
「一応は、まだ人間のつもりなんでな。正真正銘の化物になるつもりもない」
ゆっくりと指を相手へと向ける。ためらう理由は何もない。
『良いのか、貴様であれば』
さらなる力をとでも、言うつもりなのだろう。
「いいんだよ、化物は知り合いに二人もいれば十分だ。ただでさえ、こんな仕事を生業としてるんだ。減らすことはあっても増やす必要はねえ」
遮るように言葉を重ねる。これ以上は言葉も不要だろう。甘い言葉に乗せられて、破滅してきた連中など、数多く見てきた。
指先に霊威を込める。蒼白い雷が、指先から発せられていく。
油断などする気はなかった。自らの判断を誤ったせいで、痛い目にあったことなどいくらでもある。
『なるほど、我の役割はただ、ここまでということか』
悟ったように、堕神が零した。その直後に閃光が堕神ごとルルアを再び飲み込んだ。
光が、周囲を埋め尽くしていく。神が好きではない隆高ですら、見惚れてしまうほどの温かい光。
自らの力の一部であると同時に、借り物の力でもあるこの力の扱いは常に気をつけねばならなかった。
「……さて」
光が、薄れていく。そして、次第に倒れているルルアの姿が見えてきた。
周囲の雰囲気も、圧迫感が薄れ、血で汚れた空気が消えていく。
異界と化していた学校も、これで元に戻るだろう。
後の問題は、もう一体の堕神と思われる存在である。後はそちらの方を悪食と合同で当たればいい。
しかし、謎が多く残りすぎている。
あまりにも堕神が顕現するにしても、急すぎた。田畠から話は聞いたとしても、納得できることではない。
”意図的に”誰かが起こしていたとしか、考えられないのだ。
関わっていた人間がいるというのも情報としては入っていたが、実行するにしても方法が危険すぎる。
それこそ堕神を”知り尽くした者”がいなければ、堕神が現れる頃合いなども計算できるわけがない。
こめかみ辺りを指で押し、考える。
これは隆高が想像していたよりも、遥かに厄介な事案が関わっているかもしれない。
「まぁ、考えるのは後にしたほうがいいだろうな」
顎を軽くなでながら、後始末やら今後の予定に関して想像する。
俊彦の友人たちの安全の確保もそうだが、今回引き起こされた事態は、ただの偶発的なものだとは到底とらえきれなかった。
いかんせんこの事案は一人で抱えきれるものではない。また会合を開く羽目になるだろう。
「頭が痛くなるな、ええ?」
独り愚痴を言いながらも、さらなる目的を達すべく、隆高の足は動いていた。
妖怪やらなにやら忙しくなってきたこともそうだ。
自分たちが間に合っていなければ、今回は被害がさらに拡大していた。
無論死んでいった人々の死が軽いというわけではない。
事後処理も含めて対応を考えなければならない。
憂鬱なことではある。
だが、誰かが対応しなければならないことだ。生き残った者たちに説明もしなければならない。
その役目を、誰かに任せる気はなかった。
「……」
それに、この倒れている女性、ルルアとは縁があった。
いつぞやの戦争で、腐りきったことをしていた男どもが、殺され、汚された住人たちの怨念によって生まれてしまった悪霊に皆殺しにされた。
その現場での数少ない生存者だ。もう二度と会うこともないだろうと思っていたのだが、こうして現に出会ってしまっている。
俊彦と出会ってから、一気に自分の人生が激動の渦に飲み込まれていくのを感じていた。
「これ以上、何か起こらなきゃいいんだが」
その一言に対して、誰も答えることもなく、霧散していった。
これで、全て終わったのかしらねぇ……」
数多の堕神の眷属を屠り――死体は綺麗に食事へと消えていき、普段であれば満足するはずが、なんとも妙な気分に虚は陥っていた。
もちろん眷属を殺したことを悔いているなどというわけではない。
妖怪に堕ちた人間を食い殺したことなど何度でもあるし、そもそも組織にありながら罪を犯した者、つまりただの人間を処刑したこともある。
今更それで心が痛むなどという戯言を言うつもりもなかった。
ふと、助けた村民達と田畠の方へと目を向ければ、田畠はともかくとして村民からは恐怖の視線が混じっているのがよくわかった。
これもいつものことだ。気にしていても仕方がない。
ふぅ、と軽くため息を零す。
「虚さま、申し訳ありません。このようなことに」
「構わないわあ……今回のことに関しては、貴方に不備はないもの」
「それを言うなら、俺にあるんでしょうが……」
田畠が申し訳なさそうに頭を下げる。確かに、事態がここまで深刻な状況になってしまったのは彼の責任と言えなくもない。
田畠もその責任から逃げるような男ではない、というのも最後まで残って村民を守っていたということからも察することができた。
そして、八咫烏と自分たちが来るまで粘り強く戦っていた。
「生憎と、有能な男を罪に問うほど暇じゃないわねぇ……それに、八咫烏と、揉めるのも面倒だわぁ」
それに、いまだに異界化は解けていない。
学校の方の異界化は解けはじめている。隆高が上手くやったのだろう。あとは二人で対応すればいい。
――そう思っていた矢先だった。
「うぁあああああああ!?」
どさりという音が急に響き、そちらの方に目をやると、見知らぬ少年たちが数人落ちてきた。
落ちてきた、というより突如現れた、といった方がいいだろう。ゆきめや田畠も驚愕している中、虚はもう一つの出来事の方に目が映った。
黒水郷の異界化が解けている。青い空が普通に見えている。穏やかな鳥の声も聞こえる。
あまりの落差に少しばかり驚きながらも、表情には出さず、少年たちの方へと視線を移す。
異界化が解除されたということは、誰かがもう一体の堕神を殺したということになる。だが誰が――と思考する前に答えが出た。
少年たちの声が、それを説明してくれた。
「いっつぅ……あ、いや、本当に戻って、いや、そんなこと言ってる場合じゃない、すいません!! 誰か、トシ、仲間が!!」
――何か、面倒なことがあって解除されたのだと。




