頭音離様の六
友人たちと別れてから、俊彦は走りだした。慶介が完全に動揺から立ち直れているか、他の皆は無事でいるか。
色々と気になるが、それらは全て後だった。目的を、果たさなければならない。
己の目的を見失うことだけは避けねばならなかった。たとえ、相手が、あの堕神で、文字通りの神が相手だとしてもやらねばならない。
手段を選んでいる暇などなかった。目的を達成するためであれば、今は何でもする。それぐらいのレベルだ。
自分が戦わねば、どうしようもないのだ。皆が死ぬ可能性。それだけは避けねばならない。
学校の方は暫くは大丈夫だろうが、ゆきめと田畠の方が危険な可能性がある。
急がなければ、ならなかった。どうしようも無くなる前に、やらねばならない。その為であれば、浄眼を使うことすらも厭わなかった。
正直に言えば、使うのは恐ろしい。堕神という、今までにない、極めて危険な相手の全てを見ようとすれば、どうなるのか。
深淵を見つめている時、また深淵も見つめているという言葉を思い出す。
――自分も奴らに見られている。
それがどれだけの恐怖になるかは分かっている。果たして人間にとって耐え切れるのかどうかも、わからないのだ。それでも足を止めることはなかった。
ここで足を止めてしまえば、もう二度と歩けなくなるに違いない。歩けなくなることだけは避けねばならない。
足を止めずに、力の限り走り続ける。どこが、とは予想がつけられる。赤い空になる前に出会った侍のような男と少女の話をヒントに、浄眼の力を使えばすぐだった。
頭音離様がどこにいるかを、彼らの話から推測し、その方向を浄眼で見て、力がどこから溢れ出ているのかを見つけ出せばよいのだ。
シンプルなやり方だが、最も効率が良く、最も危険なやり方ではある。安全を確保するのであれば、もっと慎重なやり方もあったかもしれないが、時間がなかった。
時間が掛かれば、掛かるほどにゆきめたちの命が危うくなってくる。友人たちが逃げ込んだ学校も血海が破られるかもしれない。
ならば自分が見られて、さらにそこに潜む存在が見破られ、襲われる方がまだ許容できるリスクである。
友人たちと自分の命では、重みが違う。価値が違う。
「止まれないんだ」
前を遮ろうとした、ずねり様の眷属――影響にあってしまった元人間――に容赦なく、自らの懐から取り出した小さめの小太刀を思い切り突き刺す。
そして思い切り、力を込める。自らの霊威はイメージしてある。それ故に、躊躇いはなく、結果もついてきていた。
青白い光が小太刀を包み込み、光が眷属の上半身を消し飛ばす。そのまま力なく倒れ、消失していく眷属を横目に見つつ、足を止めることはない。
浄眼の力を利用しているおかげで、相手のどこを刺せば致命的な傷になるのかをはっきりと理解できる。
現状では、コレに頼りながら、眷属たちを一撃で仕留め、駆けていくしかないのだ。
同時に眷属を殺害するということは、何を意味しているのか、はっきりと分かっていた。
――人殺し。
眷属に成り果てたとはいえ、元は人間である。その事実は、変わり様がない真理だった。
先程からの自分の行動は、殺人犯となんら変わりはないのである。もう一匹、近づいてきたものを切り飛ばして、それを確認する。
彼らは、あくまでも被害者なのだ。このような状況にならなければ、今まで通り家族と暮らして、笑って過ごしていただろう。
その人々を殺したのは、自分だ。
眷属と成り下がった時点で元に戻れるかどうかも危ういし、田畠やゆきめが何か言うことも無かった。
つまりは、何をやっても、もう戻らない。そういうことだったのだろう。諦めるしかなかったのだ。だから答えを導き出した。
まったく知らない人々を助けるよりも、彼らを殺害して、友人たちを助ける方を選んだのだ。
罪といえば、罪だろう。正当防衛であるかもしれないが、殺したことには変わりがない。
――だけど。
後悔はなかった。罪に対しては、真摯に向き合おう。誰かに責められれば、甘んじてそれを受け入れよう。
だが、それを後悔することだけは決してない。自分が選択したことだからだ。
誰かのせいや、状況のせいになど出来はしない。その道を避けようと思えば、出来たのにしなかったのは自分だからだ。
その責任を誰かに渡そうなどとは考えない。眷属にしては、やたらと小さいものの脳天に容赦なく小太刀を突き刺し、頭部を消し飛ばして前進する。
大きさから、どういう存在だったのかは分かる。元の姿が、どういう年齢だったかも、分かる。振り向くことはしなかった。振り向けば、やってしまったことに押しつぶされる。
時間が惜しいのだ。潰れている暇など無かった。浄眼の力を全開にして、走り出していく。この先で何が待っていようとも、走り続けなければならないのだ。
不思議と、息は切れなかった。黒芽との訓練のおかげか、感情が知らぬ間に昂りすぎて、身体の疲れを感じられなくなっているのか。
どちらでも良かった。自分の身体が、疲れないということは、現在においては有用と言わざるをえない。
遮る眷属を打ち倒し、進んでいく。前へと、足を踏み出していく。そこまで、してようやく気づいたことがある。
自分は、誘われているのではないか。唐突に浮かんだ疑問が、脳内をいきなり占拠した。
余りにも、眷属たちが少ないのだ。そして、特定の道へと誘導するかのように、眷属たちが現れるのだ。
何故と、考えている暇はない。このまま道を進んでいくしかないのだ。
「行くしかない」
怯まずに、足を止めることはない。
この先に、自らの望む答えがあるのだ。
田畠は、息を吐いた。もちろん安堵からくるものだった。
一瞬だった。宿屋を囲んでいた眷属たちが、一瞬で、何かに噛み付かれたのかのように消え去っていた。
それも数十匹という数が、である。次に起きたのは、視界を奪うがごとくの眩い輝きと同時に響く爆音だった。
悲鳴を上げる間もなく、眷属が消えていく。それと同時に、正面に見える、二つの人影。
ゆきめが歓喜の声を上げ、周りも助かったと言わんばかりの大声を上げる。
かくいう田畠も思わず力が抜けてしまい、玄関で座り込んでしまった。安心したおかげでもあるが、それほどの疲労感だった。
だが、もう命の心配は無かった。彼らが来てくれたのであれば、まず助かる。そう確信できるだけの、強者が来たのだ。
「……めずらしく、私に協力してくれたのには礼を言ってあげてもいいわよぉ?」
「ほざけ、悪食。俺はお前となんぞ、協力した覚えはねえよ。あくまでも利害の一致だ」
二人が、目の前には何もないと言わんばかりに前進していく。
遮ろうとした、憐れな眷属が、一瞬で下半身に噛み痕を残して、消えていく。
ここまで素早く、来れないと思っていた。何かを使ったのは間違いない。
でなければ、ここまで早く来れないだろう。
「でも、やることは一緒、そうでしょう?」
「……ぬかせ」
どちらにせよ、これでまだ、どうにかなる目処がついた。そういうことだ。
大変遅れました。申し訳ありません。




