頭音離様の四
目指すべき場所が決まり、各自が準備をし始める。
準備と言っても、そうたいしたものでない。ルルアと啓太がそれぞれの道具を確認している。自分も持っている武器や道具がどうなっているかチェックしなければならない。
友人たちも含めて、全員がある程度荷物を持ってきていた、というのも大きい。懐中電灯や、身を守る道具。それに甘い菓子を持ってきていたというのが大きい。
こんな状況では食事も危ういのだ。なにかしら食べるものがあるという安心感は、そうそう得られるものではない。危機が迫っているという中で、食事というものがもたらす効果は、馬鹿に出来ない。
各自が、今やるべき事をしている中で慶介だけが、ただ地面を見つめるだけで、いまだに立ち直れずにいた。衝撃の大きさが理解できる、とは言えなかった。
自分はもう、教えを受けていた上に、トンネルでの怪異を見て、慣れてしまっていた。たった一回だけだったが、あれほどの恐怖は、人生で初めてだった。
そのせいで、こんな状況でも平静を保っていられるというのは、皮肉だなと思ってしまうが、まだいい。
平静でいられれば、それだけ生存の機会が増してくるには違いない。現状、冷静であるということが、自分にとっては最大の武器であるというのを意識せねばならない。
狂気に飲み込まれた方が負けなのだ。狂った世界にいようとも、友人が狂ってしまったとしても、自分だけは正気を保ち、皆を救わねばならないのだから。
目的地は学校である。宿の方はもう出向けない。あいつらが大量にいる中へと突っ込んでいくのは自殺行為に過ぎないからだ。
自分一人だけで考えるなら、絶対に無し、というわけではない。師匠に教えてもらった技術、黒芽に叩き込まれた戦闘の心得。
あの様子であれば、一人だけであれば、どうにかなる自信はある。自分一人だけであればだ。仲間を見捨てるような屑野郎になるつもりは一切ない。
全員を生かして帰す。それが自分の役目だ。大したことになるはずがないと思い込んでしまって、彼らを巻き添えにしてしまった罪がある。
それを償うためにも、生き延びなければならないのだ。
思考を巡らせながらも、辺りをもう一度見まわし、皆の様子を確認する。一人だけを覗けば、もう準備は整っていた。
大悟と聡か、その一人の肩に手を掛ける。びくりとして、準備が出来ていない男が、こちらの方を見る。
「……大丈夫か、慶介?」
その言葉に、慶介は黙って頷く。どうみても大丈夫ではなさそうだが、解決手段がない。精神的動揺が、まだ収まっていないように見える。
オカルト好きであったはずの慶介が、明らかに人外の存在を見てしまったことで、精神の均衡を保てなくなってしまっているというのが、あまりにも悲しい。
だが、それをゆっくりと気遣ってやれるような余裕ではない。
「いけるか?」
その言葉に再度、黙って頷くだけの慶介へ、ちらりと視線を向ける。自分が、少しでも意識を向けておくべきだろう。
「よし、それじゃあ行動を開始しよう。絶対に離れないように」
山道からの戻り道は覚えている。地図もある。迷う要素はない。異界化していることで土地すら変化したのではないかという危惧があったが、歩きだしてみれば、地形の変化は起きていない。
これで地形まで歪んだ形にされてしまっていたら、とてもではないが、安心して進められるような状態ではなかっただろう。此処から先は、地獄へと向けてまっしぐらというわけではないが、下手をすればそれに近いモノが待ち受けてる事になる。
地獄の本体は自分がやる。仲間達は、安全な場所にいてもらわなければならない。それが自分の役目なのだ。やらなければならないのだ。
それぞれが、顔を向けて確認し合い、自分についてくるようにしてから歩き出す。主に警戒するのは自分だ。自分以外の仲間にも警戒はしてもらうが、一番見つけられるのは自分だろう。
先頭を自分が行き、間にルルアと慶介、それから啓太が続いて大悟と聡が最後尾で移動する。慶介とルルアを間に挟んだのは、二人が恐らく最も今、守るべき対象であると認識したからだ。
ルルアについては正直、心配はしていない。ただ、女だから体力的に厳しいだろうというが想像できたからだ。慶介は精神面がボロボロであり、弱っているのが分かったからだった。
それに、女が傍にいれば、慶介とてそうそう弱音を吐かないだろうという、打算的な思いがあった。美人な女性がいれば、女好きとしての慶介であれば良い所を見せたがる。
こんな状況だからこそ、そういうものが必要なのだ。自分以外の弱者が、支えとなってくれるかもしれない。支えなければならない。そういう刺激を与えてくれる存在がいる。
我ながら酷いものだと思うが、今はそういう狙いが役に立つ。こうでもしなければ、安心して立ち上がる事も出来ない。
幸いにして、その狙いは的中していたのか、移動してる最中、慶介が弱音を吐くようなことは一切なかった。他の皆も同様だった。
特にルルアに関しては、異常だとも言うべき精神力だった。移動してる最中に、例の化物共がすぐ近くを通っていたりしていたのに、まったく動揺した素振りを見せなかったのだ。
聡や大悟は当然のように怯えていたが、声は出さずにいた。啓太は自分で口に手を当てて声を出すまいとした。そして、ルルアは慶介の口を押えて、自分は平然としていたのだ。
学校へと向かっている最中に三度も同じ事態にぶちあたったが、いずれも、浄眼の痛みによる事前察知と、皆の冷静な避難によって、見つからなかったのだ。見つかっていれば、悲劇しかないところだった。
山道の方から、集落へと戻ってみれば、まさに地獄だった。辺りを確認するたびに、あの化物がおり、時折悲鳴のような音が聞こえるが、すぐに何かをすする音と共に聞こえなくなる。
何が起きているかなど、考えてみればすぐに分かる。現場を見ようとは思わなかったし、のんびり歩くような真似もしなかった。時折、啓太が泣きそうになるような声と、大悟と聡がそれを慮るような声が聞こえたが、誰一人として騒がなかった。
騒げば、一瞬で"奴等"が気づくのが、分かっているからだ。誰一人として、言葉を吐きだそうなどしていない。吐き出せば、奴らの意識がこちらへ向く。
助けなければ、など誰も言わなかった。ただ一人、ルルアだけがこちらに何か言いたそうな目をしていたが、それを言う事は無かった。誰かを助け出そうとすれば、間違いなく、仲間たちが犠牲になる。
自分がそれを許容するはずなどない、と言う事を彼女は良く分かっているのだろう。他人を救うために身内から犠牲を出していては、本末転倒である。
ただ、沈黙だけが支配している自分達の空間を感じつつも、歩みは止めない。他の声は、悲鳴と奴等の声だけで十分だ。
痛みを感じる方向からは離れて、いくらかの遠回りをしつつも、目的地である学校へと徐々に近づいていく。痛みは感じない。学校は、確かに安全なのだろう。
――安全なのか、本当に。
出来過ぎではないのか、という疑問が、頭をもたげる。
田畠が、嘘を言っているようには思えなかった。学校は、確かに安全なのだろう。彼自身の人格も信用できる。直感的であり、ほんのわずかしか話していないが、大丈夫だと思っている。
自分の勘を信じるのも、微妙な気分になるが、本能というものは困った時に信じるに値するものだ。では自分が疑っているのは何だろうかと言えば、やはり、学校なのだ。
学校だけが安全のは伝承のある由緒正しい刀が置いてあるから、というのは師匠や黒芽から教えられていた、霊遺物――神話や遥か昔から存在していた物が霊威をかき集め独特の能力を持つ――というのを理解しているから分かる。
それが学校に存在しているから、他の化物共が寄りつかないのも納得できる。
だが、それなら堕神を呼び起こした人物、もしくは堕神自体はどうしてそれを放っておいたのだろうか。そこがもう一つの避難所として機能するのは分かっていたはずなのに、何故処理をしなかったのか。
「……やった、学校だ」
その思考は、啓太の声で中断される。もう校門の前まで、来ていた。相手がどういう狙いであるかは分からないが、自分がするべき事は何も変わらない。
後は中に入るだけだ。慶介達を避難させれば、それで一つ目の目標は解決される。見る限りでは、学校の近くでは一切奴等を観なかったから、安全というのは恐らく事実なのだろう。
「待った、啓太……それとルルアさんたちも」
急いで入ろうとした啓太を止めて、入る前に、念のために、師匠から渡された護身用の道具と、菓子、それから残った世音符の半分を渡す。
一つだけ、懸念があったのだ。これが的中すれば、恐らく自分は彼らを助けられないからだ。中には他にも逃げ延びている人間がいるかもしれないが、そいつらがどういう人間なのかは分からないのである。
だからこそ、そいつらに対する道具を渡しておく必要があった。
分ける事に関しては、他の誰も文句は言わなかったし、疑問をはさむような真似もしなかった。それでいいのだ。自分がすべきことは、今のところ全てやった。
あとは、自分の懸念が当たらなければいいなと、そう思うだけだ。
「さ、皆も先に行ってくれ、僕は後から入るから」
その言葉に、皆が頷いて入っていく。慶介とルルアが先に入り、続いて啓太、それから大悟と聡と校門から中へと入っていく。
そして最後に自分と――行きたかったが、そうもいかないらしい。
足を一歩踏み出そうとして、止める。やはり、刀は本物だ。だからこそ奴等も入ってこれない。堕神が眷属を派遣できない。
とんだ皮肉に笑いたくなってしまう。
「おい、トシ、おまえは――」
「駄目みたいだね、俺は入れない」
聡が、何を言っているんだという目で見る。他の皆も同様だった。
「いやいや、どういう事だよ!? しっかりと説明を――」
「後でする。奴らが来るから急いで入ってくれ。食料とかも預けてあるから」
トシ、と呼びとめる声を無視して走りだす。見せたくなどなかった。こんなところで自分がもう人ではない、ということを確認したくはなかったのだ。
「碌なもんじゃないな、やっぱり」
そう零して、入ろうとした手を見る。その手は、酷く焼き爛れていた。




