頭音離様の二
「おい、トシ、すげぇ事になってんぞ!!」
余りにも気が急いて、若干転びそうになりながらも、必死に駆け戻った自分に声を掛けてくれたのは、慶介だった。
空が不気味な程に赤く染め上げられている、この現象を見て驚かない一般人などいないだろう。誰だって、こんな事態が引き起こされれば驚愕せざるを得ない。
慶介は、あのトンネルの記憶を弄られたのか、忘れさせられたのかは分からないが、これが初めてみた怪異だからこそ、ここまで感動しているのだろう。
「見たかよ。俺、こんなすげぇの初めて見たぜ!? こいつぁ今すぐ写真に収めておかねぇとさ」
「写真は撮ってもいいから、今すぐ宿に戻るぞ」
「は? いやいや、トシ。こんなすげぇ光景なかなか見れるもんじゃねぇぞ?」
お前ならそういう反応をするよな、と思う。だが、もう自分は祓し屋の端くれだ。今の状況がどれだけヤバいのか、と言う事は良くわかっている。
慶介以外の面子はどうしているのかと視線をそちらへと移せば、やはり皆困惑している様子がうかがえる。こんな超常現象が起きているというのに、普段と変わらない様子の慶介が異端なのだ。
――だと思っていたが。
ちらりと、ルルアの方を見てみれば、彼女は普段と変わらぬ様子で佇んでいた。驚きを示したり、慌てたり、興味を持つような素振りすらない。
空が真っ赤になり血を流している。そう言葉にできるほどに空が一緒の赤色と化しているのに、彼女は表情を崩していない。
「確かにな。でも、もしかしたらヤバい事態かもしれないだろ? 一回宿に戻って田畠さんとかに話を聞いてもいいんじゃないか。あの人は地元の人だしな」
「あー……確かにな。一度宿にでも戻っといた方が良いか。そっちの方が確かに面白い話が聞けそうだ」
地元の人だけにな、とにやけながら慶介が同意する。
「俺もトシに賛成だな。これは"普通"じゃあない。一旦戻るべきだろ」
聡が、声色に焦りを込めながら口にする。
「僕もだね。なんかおかしいよ、これ。……早々に戻るべきだよ」
啓太が震えながら、聡に続くように同意する。大悟も静かに頷いている。物分かりのいい友人に恵まれているという幸運に安堵しながらも、躊躇している暇は無かった。
異界化が始まっている。それだけは分かっていた。現世との隔離化。魑魅魍魎共の領域。このままここにいては、碌でもない事態に巻き込まれる。
――いっそバラしてでも。
自分の真実を、この場にいる友人達に教えてもよいのではないか。その思いが、自分の心の中で巡る。実のところ、別に教えても構わないのではないかと。
彼らならば、もしかしたら、自分の本当の事を教えても大丈夫なのではないか。心の内で、そう思考する自分がいる。いざという時は、明かしてしまうしかない。
自分の不利益よりも、友の命を優先するのは当たり前の事だ。手に入れた力を振るうのは、まさに今しかない。今を逃して、いつ使うというのか。
覚悟を決めながら、辺りをもう一度見まわしてみる。空が赤一色になっている以外は変化はない。目立った気配も感じない。ゆきめや田畠がいる宿に戻るのならば、この機会しかないだろう。
通ってきた道を戻れば、すぐにでも戻れる。ならば、即決するべきだろう。
「来た道を、すぐに帰ろう」
「いやぁでも、もうちょっと見てみたいような……っと、ああ、大悟、そんな睨みつけんなよ。しょうがねぇなぁ」
大悟も言葉では直接言わないが、慶介の我儘を視線で潰して、自分の案に賛同してくれている。
「ルルアさんも、それでいいでしょうか」
「構いません。何かが起きているのは、承知しています」
ルルアの方は、やはり落ち着いている。”何かが起きているのを予想していた”ようにしか見えないが、疑っている程暇ではない。
「そうと決まればさっさと、戻る――」
そう言おうとした矢先だった。ずるり、という音がした。全員の目が一斉にそちらへと向く。
「見るな、走れ!!」
叫んだ。聡と啓太の手を掴み、一気に走りだす。大悟もついてきている。ルルアもすぐに駆けだす。
慶介が、悲鳴を上げて、こちらへと走り出してくる。あの馬鹿と思いつつも、恐怖で足が竦む前に動いてくれたことには感謝せざるを得ない。
どうせろくなモノではないと予想出来ていても、自分だけはその姿を確認しなければならない。皆が無事に逃げられるようにするためにも、情報は必要だった。
慶介が悲鳴を上げながら逃げていく前に見ていた視線の先には、人がいた。正しく言えば、人に見えるようなモノだった。
境内の外にあった家――おそらく住職が住んでいた場所だろう――の窓から、そいつは蛞蝓のようにずるずると這いずり出てきた。
人のように見えるが、絶対に違うと、見てしまった慶介の顔がそう物語っていた。
そいつには、顔が無かった。顔の代わりに存在しているものは、何もなかった。ただ、ぐじゅぐじゅとした粘体が頭部の代わりについているだけだった。
ぶるぶると震えて、こちらの方へと、そいつが走りだす。捕まったらどうなるのか、など考えたくもない。
「いいから走れ! 来た道の方に急げ!!」
叫んだ。同時に、懐に手を伸ばす。隆高から渡されていた符。自らの霊威を引き出すための武器。両方とも、しっかりと持ってきていた。
即座に取り出す。いきなりの生命の危機だというのに、身体は即座に反応してくれている。あの時、痛い程黒芽に叩き込まれた事が、身体にしっかりと残っている。
「これでも、喰らっておけ!」
取り出した符を、勢いよく近づいてくる化物へと投げつける。化物は、人の形を取りながらも手足を使って四つん這いになりながら追いかけていたが、投げられた符を容易く躱す。
それで良かった。これは、別に"直接"当てる必要などない。何故ならば――
「――ひかりあれ」
その言葉を囁くとともに、外れた符が急に輝きだす。一瞬の光と同時に、耳をつんざくような音と閃光が響き、化物が嘔吐をするような叫び声をあげて消失した。
同時に、肌で感じるほどの熱風がこちら側へと吹き荒れる。あまりの威力に、言葉が出ないが、助かったことには感謝せざるを得ない。
――さすが師匠と言うべきだろうか。
常に持っておけ、と言われていたからこそ、肌身離さず持っていたが、ここまでの威力だとは思っていなかった。
組織における祓し屋の頂点である八人、八権現の一人『八咫烏』である隆高が作り上げた符は、さすがと言わざるを得ない。
自分の武器は使わずとも、これで、しばらくは防げるだろう。しばらくは、という条件になってしまうのは、とても悲しいことだが。
一匹が完全に消失して、安心していられるような状況ではなかった。先程の家の中から、次は、首から下が女の身体をした、化物の仲間が這いずりながら出てくる。
小さな子供のような化物も、一緒に出てくる。それがどういうことを意味しているのか。想像はついた。何よりも、浄眼が、その事実を眼を通して教えてくれる。
浄眼から届けられる情報と、しっかり想像出来てしまった内容と共に吐き気が押し寄せるが、現状はそれを許容してくれる時間がない。
それに、力も見せてしまったのだ。友人達からは、なんと言われるだろうか。その言い訳をどう考えようか迷ったが、別にしなくてもいいか、という結論に至るのはすぐだった。
自分は初めから、それで大悟や啓太、慶介や聡が友情を捨てるとは思ってはいない。信用し過ぎではないのが、とは思うか、ずっと馬鹿をやってきた仲間達だ。
彼らがそこで自分を見捨てるというのであれば、それはそれで仕方のない事だ。異能を持った人間。それも自分の正体について知ってしまった上で、彼らに友人でいてくれ、というのはおこがましい思いである。
判断するのは友人だ。答えを聞くのが自分の役目である。答えを聞くまでは死んではいけない。願わくば、友人のままでいて欲しいが。
「答えを聞くまでは、っていうところかな」
符を発動させための御言葉は解いてある。ならば、ありったけの符をぶち込みつつ、ここから逃げ出すだけだ。
いくら数がいようが、あのトンネルの時に出会った怪物のような恐怖など感じられない。落ち着いて対処できるレベルだ。
気持ちの悪い動きで、こちらへと迫ってくる化物共へ符を投げつつ自分も山道の方へと戻っていく。事態を把握するには、ゆきめへと急いで連絡するしかない。
自分も駆け足で、慶介達の方へと走り出していく。自分でも、少々驚くほどに冷静でいられたことに、感謝はしている。
生きる為には、常に冷静でなればならない。これも、師匠に言われたことだ。
「皆、無事だったな」
なんとか山道の方まで逃げ込み、息を荒々しく吐いて、呼吸を落ち着かせようとしている友人たちを見ながら、周りを窺う。
今の所、あいつらが来る気配はどこにもなかった。ひとまずは逃げ切れたと言うべきだろう。山道の方では、あれだけ聞こえていた蟲の鳴き声や動物の声が、まったく聞こえなくなっている。
他の部分では、相変わらず空が赤い以上の変化は見られなかった。だが、それが何よりも異常な事態であるというのは、自分が分かっている。
慶介や大悟たちは、無言のままだった。あんな状態を見てまともでいられる方がおかしいのだ。そういうことでいうのであれば――
「――ルルアさんは、大丈夫ですか?」
あの化物の襲撃があっても、落ち着いているルルアが少々不気味に感じられる所だった。
慶介たちとまでは言わずとも、少々動揺していたっておかしくないはずだ。普通の人間であるのならば、慶介たちのような態度こそが正常な反応だと言える。
怪しい、とまでは言わないが、どうしてここまで来たのだろうか。疑問を持っても、当然だ。
「ええ、助かりました。ありがとうございます」
「……自分が言うのもあれですけど、随分と落ち着いていらっしゃいますね」
「"このような"現場に来たのは、二度三度ではないので」
「随分と、厄介事に突っ込まれているんですね」
性分ですから、とシンプルに返されて、思わず苦笑する。
「いろいろと気になる事、聞きたい事はありますけども、ひとまずは無視しましょう」
「今の状況からの脱出の方が、先ですか」
「はい」
少なくとも、敵ではない。それさえ分かっていればいい。ならば、今するべき事も明確になる。
「俺も、いろいろと聞きたいことがあるけどよ、トシ」
聡が、ようやく落ち着いたのか話を切り出す。分かりきっていた。自分で答えられることであれば、なんでも答えてやらなければならない。
自分とて、このような状況に追い込んでしまったことには、負い目を感じている。現状で話せることであれば、いくらでも話すつもりだった。それが黙っていた自分の役目だろう。
何を言われようとも、自分は受け入れるつもりだ。
「今は何が起こってるんだ? 教えてくれ」
「……そっちでいいのか?」
自分の正体について、ではないのか。
「勿論、そっちも気になるけどよ。今はぶっちゃけ、あの化物共から逃げ回る方が大事だろ?」
慶介や大悟、啓太はどうなのかと向くが、同じように首を振る。
「正直に言えば、お前のことも気になるさ。 どうしてそんなもん持ってて黙ってたとか、この状況に対応できてるんだとかな」
責める口調ではなく、あくまでも気楽に述べている聡に対して胸のつかえが取れる。
「だけど、お前は俺たちの友人だし、俺たちを助けようとして動いてくれたことには変わりがない。そうだろう」
「僕も、聡と同じ意見だよ」
続いて、一番びびっていたであろう、啓太が同意してくれる。
「いやまぁ……ぶっちゃけ、こんな状態で争ってても正直しょうがないじゃん? 今だって、聡も言ってたけど俊彦のおかげで、さっきのから逃げられたんだから、文句の言いようがないさ」
もちろん、助かったらいろいろと聞かせてほしいけれど、と言葉を足してくるが、現在はそれがありがたい。
ここで仲間から文句の一つでも言われるのは覚悟していたが、実際に言われていたら、相当へこんでいただろうからだ。
大悟も呆れた顔をしつつも、頷き、賛同の意を示してくれている。慶介だけが、まだ動揺から立ち直れていないが、しばらく面倒を見る他ない。
ではこれからどうするか、と言えば決まっている。慶介に預けた荷物から、世音符を取り出してゆきめに連絡を取らねばならない。
――最初から、命がけだな。
自分でもおかしいと思う程に、落ち着いていられるのだけが、現状では唯一の救いだった。
ここまで読んでくださりありがとうございました。




