第九話 夜会
夜会
アンジェリカが好きだという気持ち。これがたぶん最大の分岐点だったのだろう。
私が彼女への恋心を自覚した後、学校は冬の長期休暇に入ってしまった。この間寮は閉められ、生徒たちは全員実家へと帰省することになる。
こうした長期休暇は、学校によって差異はあるがおおよそ1年3学期それぞれの間に存在し、またこれとは別に短期休暇がいくつか存在する。
学校によってはこの短期休暇の間も寮を閉めるところがあるのだが、我が校では短期休暇の間も閉めることはない。
「お帰りなさいませ若様」
そういってうやうやしく頭を下げ、何時もと変わりなくエドワードは私を迎えてくれた。
「旦那様と奥様が部屋でお待ちです」
「お帰りなさいエリック!」
感極まった声を上げながら、母は私をきつく抱擁してくれた。
前回の長期休暇以来であるがそれは半年も前の話ではない。
貴族の令嬢には大きく2つの傾向があり、内向的で物静かな場合と激しく感情豊かな場合である。まあ貴族の令嬢に限った話ではないがそこは置いておく。
母は後者にあたり女性特有の感情の揺らぎが特に激しい方だ。その上、演劇鑑賞を特に好んでいるせいか万事が芝居がかっていて大袈裟なところがある。
どこかアンジェリカに通じている点があるなと思い至り少し頭が痛くなる。男は女性に母親の面影を求めるというが、まさか自分もそうだったのかと。
「どうしたの? どこか具合でも悪いの!?」
いけない。面倒なことになる前に、母に抱擁を返すとすっと離れ何でもないと笑顔で答える。
母の後ろに視線をむけると椅子に腰かけ苦笑いをしている父の姿が目についた。
もうすぐ16になる息子が母親にこういう接し方をされればどう思うかなど分かるだろうに、それを止めてやろうという気はないようだ。
私は多少乱れた服装を整え、改めて帰宅の挨拶を述べた。
「おかえりエリック。元気そうでなによりだ」
そう鷹揚に言いながら、自慢の顎鬚を扱く。昔から機嫌が良いときの父の癖である。
機嫌が悪いときは、その髭を親指で弾いたり引っ張ったりするのだが私が学校に入って以来その姿を目にしたことはない。
私の日頃の努力の成果であろう。
学校での私の成績や生活態度は、父の期待に十分応えるものだ。その上、1年のときに侯爵家の人間に既知を得たということに大満足なのだ。
一方で父の横に座る今の母がそうであるように、その栗毛を触るときはつまらないと感じているときだ。
『――金の瞳と銀の瞳を持ち、その微笑みはあまたの乙女の心を奪い、その腕に抱かれた者はたやすく彼に心預けた――』
幼いころ母が何度の私に聞かせてくれたサミュエル・ウォーターポールの伝説の一説。ウォーターポール卿は、アンジェリカがチートだと言っていた過去我が国で活躍し英雄と称えられる「記憶受容症」者である。
英雄と呼ばれるだけあり、様々な物語や演劇の題材となっており昔から母の憧れであったらしい。そんな母が、自らの息子と彼の英雄が同じ「記憶受容症」であると知ったときの喜びと期待はどれほどのものであったか。
そんな母から見ると、私は成績こそ優秀だが小さくまとまり過ぎて派手さがないので物足りないとのことだ。しかし下手にウォーターポールの真似などすれば私は学校を追い出されてしまうだろう。彼は独断専行と命令無視の常習者でもあったのだから。
ともあれ、両親ともに私に大きな期待を抱いているという事実は私にとって正直重荷である。その期待を抜いても、私に深い愛情を持ってくれていることは分かるので邪見にはできないのだが。
「おおそうだった。手紙で伝えていたが、今度の王宮での夜会にはお前も招待されている。王都への出発前に色々と準備があるので母さんに見てもらいなさい」
近況報告などを交えた雑談のなかで、ふいに父がそんなことを言い出した。
確かに夜会のことは聞いている。というよりも、学校で貴族の家の生徒たちはその話題で持ちきりだった。
毎年この時期に行われる夜会で貴族の子息は貴族社会に顔見世をすることになる。昔はこんな形ではなかったらしいが、いつの頃からか2年生の年の瀬の夜会に生徒の中でも貴族の子はまとめて招待されるようになったのだ。「せっかくだから纏めて呼んでお披露目やった方が手間がない」とこれを決めた者は言ったとか言わないとか。アンジェリカはこれを決めた人物は「記憶受容症」ではないかと疑っているがどうだろうか。
ともあれ、これが私の社交界【デビュー】なのだから恥ずかしい真似はできないし両親がさせないだろう。
だが加減が難しい問題でもある。男爵家としてはもっとも裕福な家であるピープス男爵家の跡取りなのだから財力に見合った物を用意する必要がある。しかし貴族としては最も下の男爵家であるという観点では、下手に目立つのもよろしくない。重要なのは財産家としての我が家と、男爵家としての我が家のつり合いを取ることなのだが……
「さっそく、明日には仕立屋が来ることになっているわ。王都の有名なお店よ。エリックの晴れ舞台だもの、最高の物を用意しないと!」
大丈夫だろうか。
いや、王都の仕立屋ともなればその辺りの事情も承知しているはずだ。母が余計な真似をしなければ何も問題は無いはずだ。
我がことのようにはしゃぐ母を見つめながら、私はそう繰り返し祈るような気持ちのまま部屋を後にした。
ピープス男爵領と王都の間には、東西に走る天嶮サントリニ山脈、王国の中央に広がるスコペロス平原、サントリニ山脈に源流を持ちスコペロス平原を南へ流れるコス河を超える必要がある。
王都へ向かうにはサントリニ山脈越えが最大の難所で、冬のこの時期は通れる場所が限られるため特に大変である。そのため私たちが王都へ向かう際は大きく西へ迂回し、安全な場所から山越えをすることになる。
となれば当然その分だけ長旅となる。そしてその間の移動は常に馬車だ。この長旅は、この距離の半分程度しかない学都と実家の移動くらいしか体験していない私には大変堪える。主に腰と尻に。
アンジェリカが【サスペンション】の開発をやるとか言っていたが出来る限り早急に実用化してほしいものである。
しかし我ながら【現金なもの】である。色々と忌避していた「記憶受容症」の知識の恩恵を、こうもあっさり求める様になるとは。なんだかんだと言いながら、心のどこかであの便利さを渇望していたのだろう。そういったことを思えば、アンジェリカのおかげで色々吹っ切れた点は感謝すべきだ。私の好意は抜きにしても何か彼女に礼はせねばならないだろう。
王都の屋敷の自室、寝具の上でそんなことを考えると誰かが部屋の戸を叩いた。おそらく侍女あたりが呼びに来たのだろう。
もう少し休んでいたいがそうは言っていられない。夜会まではあまり余裕がない。これから連日その準備のため大忙しだ。
このまま寝転んでいたい欲求を振り切り、私は部屋を後にした。
王都に着いて一週間後、王宮にて年の瀬の夜会が開かれた。
私が両親の後について会場に入るとそこには既に多くの貴族たちの姿があった。
ざっと会場を見まわし参加者の顔を確認すると、同級生たちが何人もいた。大半の者はどこか緊張した風に見えるのは、そうであってほしいという私の願望のせいであろうか。
男はほぼ皆が黒の燕尾服を着ている。多少変わった意匠の者もいるが、あれは最近出回りだした物のはずだ。【タキシード】の走りだろうか。確かタキシードは燕尾服から派生した礼服だったはずだ。
だがそれもごく少数の話だ。ちなみに私はもちろん燕尾服である。
母の意気込みはなんだったのだろうと拍子抜けしたが、素材やわずかな意匠に差異があるらしい。正直よく分からない。
まあもし私が娘だったならばもっと派手なことになっていたのだろうと、周囲の女性を見渡しながら思った。
女性の夜会服はどれも色とりどりで艶やかである。服の型の基本こそ定まっているが、装飾や装身具で色々と差別化を図っている。化粧1つとっても、相当時間をかけているのだろう。いつも学校で何気なく見ていた顔がまるで別人のようだ。
女は化けるというが本当だったのだと感心する。
そうこうしている内に、国王陛下が登場された。傍らには王妃の姿もある。
陛下は会場が落ち着くのを待つと、よく通る声で話をはじめられた。内容はなんてことのない、私たちへの祝いの言葉である。やがて王が乾杯の音頭を取り音楽が流れだすと夜会は本格的に幕を開けた。
「こんばんはピープス」
両親を離れ友人を探していると幸いなことにヴァレンタインが私を見つけ声をかけてきてくれた。隣には同級生のジェファーソンやロイドもいる。
なるほど、取りあえず親しい人間を集めている訳だ。父に聞いた話だが、こういうときは取りあえず話し相手を確保しておくと良いそうだ。出来れば親しい人物を。
おそらくヴァレンタインも同じことを言われているのだろう。集まっているのは、アンジェリカ閥の人間ばかりである。
男ばかりだが女性陣はあとで合流だろうか。とはいえ、知り合いで固まり続ける訳にもいかないので、後であまり交友関係のないところにも顔をつないでおかないといけない。主に父の知り合い関係だ。
「しかしすごいな」
会場を見渡しながらそうヴァレンタインがそうつぶやくと、ロイドがその言葉を拾った。
「ああ。僕は何度か舞踏会や晩餐会に出席しているけど、こんな規模の物は初めてだ」
「うちの学校だけじゃなくて他校のやつもいるね。君は顔が広いから他校にも知り合いがいるだろ?」
「ああ、パルトロウ家と関わりのある家の者が何人かいるな。だけど、この人数は同級生だけじゃない。先輩方もかなりいらっしゃるようだ」
確かに、貴族の同級生とその親だけではこんな人数にはならない。準貴族や郷紳の家の生徒も入れればそれなりの数になるが、今日は貴族だけが招待客だ。もちろん、爵位を持っている家ならば領地がない彼らも参加は出来る。
そのせいでトムはこの場にはいない。彼もこの場にいれば面白いものが見れたかもしれないと思うと残念でならない。
「ピープス、ベーコンからの連絡は受け取っていないのかい?」
そんな私を見て、ヴァレンタインは少しばかり眉をしかめてそう言った。
何も連絡は受けていないが、もしかすると領地の方とで連絡に行き違いでもあっているのかもしれない。トムに何かあったのだろうか。
気になった私がトムのことを尋ねようとしたとき、不意に声がかかった。
「やっほー! みんな楽しんでる?」
ああ、そうか。先輩方も多数きているのだ。彼女の性格を鑑みればこの場にいることになんら不思議はない。声の主はアンジェリカだ。
後ろからなので、赤くなった顔は見られていないだろう。我ながらなんと初心なことだろうと思うが、今のは不意打ちだったのでしかたない。
酒も入っているし、会場は冬だというのに人が多いせいでかなりの熱気がある。ごまかせるだろうと踏んで振り返り彼女に挨拶をしようとする。
思わず息をのんだ。
その赤毛よりもなお赤い【ドレス】姿。ともすれば赤に赤でくどくなりそうだが、これがまた似合っている。装飾品は数こそ少ないがどれも一級品だと私の目で見ても分かる。これもまた嫌みなく飾り付けている。
彼女自身の趣味なのか家の者の感性が良いのかは分からないが、女性にしては高いその身長と相まって良い意味で目立っている。
見とれてしまったが、ジェファーソンやロイドも同じく。ヴァレンタインですら言葉を失っている。
そんな男連中の間抜け面を、彼女を取り巻いていた女性陣が笑う。皆アンジェリカ閥の女友達だ。
「大方皆いるわね。それじゃ、ちょっとどこか個室にでもいきましょうか。パーティーの楽しみ方をお姉さんが伝授してあげるわ」
そういうと彼女は女の子たちを引き連れて歩き出す。少し遅れて正気を取り戻した私たちもその後に続こうとしたのだが、何やら視線を感じて立ち止まる。
なんだこれはと視線の主を探すと、少し離れたところからいささか細身の壮年の男性貴族が凄まじい形相でこちらを見ている。私……いや、私たち全員を睨みつけているのだろうか。
同じく視線に気づいていたのだろうジェファーソンやロイドも視線の主を見つけたようだ。見知らぬ人物だが、この状況ではなんとなく想像がつく。
「あの方はレインフォード侯爵閣下。エクルストン先輩のお父上だ」
ヴァレンタインの言葉は私の想像が当たっていたことを証明してくれた。
なるほど、あの方が例の侯爵閣下か。
書き上げて気づいたが、この回はなくても済んだ回でした。
当初予定では次回で終わらせるはずがこの回入ったので伸びるはめに。
あまりよくない傾向です。




