第三話 学校生活
学校生活
「このクリフトンの戦に先立ち、我が国は神聖帝国と同盟し戦いに勝利をもたらしました。ですが、先日の授業で触れた通りこの勝利によって一度は威勢を取り戻した帝国も、やがて周辺諸国からの圧力に耐え切れずこの20年後には崩壊することとなったのです」
その日は特に変わったこともないいつも通りの水曜日だった。
学都の学校に入って半年を過ぎ、生徒たちも授業や寮生活・集団生活にも慣れてきた時期である。
朝7時の起床。部屋と寮の掃除の後には寮監の点呼と連絡。その後朝食。9時から授業が始まり途中休憩を挟みながら13時まで行われる。昼食の後14時からは運動で体を動かし、16時から再び授業。ただしこの時間は通常の勉強ではない授業もたびたびおこなわれる。18時から夕食。その後22時の就寝前の点呼までが自由時間である。
それまで、自分で掃除などしたことはない生徒も多く、給仕されない食事も初めてという者も多かった。かくいう私もそうだ。いったい掃除など覚えてどうするのだと内心反発したものである。どうせ実家に戻れば自分ですることはなくなるのだから。
そんな自分を含め、最初文句を言っていた生徒たちも半年経った今では当たり前に掃除や一人での食事をこなしている。人間慣れるものである。
もっとも、未だに不平を口にするような愚か者には寮監からの鞭や冷たい叱責が与えられることになる。寮監を務める教師たちは遠慮がない。相手が公爵家の子だろうが、準貴族・上級市民の子だろうが区別せず厳しい指導が行われ、生徒たちからは恐怖と一定の信頼を持たれる存在である。
そんな日々を繰り返すことで、私たちは心身ともに鍛えられ自制心、団結心、規律などを学んでいくのだ。
とはいえ、未だそれを学んでいる最中である私が、春の陽気に誘われ午睡を催しかけても仕方ないとは言えないだろうか。【春眠暁を覚えず】である。
昼に朝の目覚めがないとはどういうことだろうか。またも浮かぶ謎の言葉の意味を考える。そう、その時の私は考え事をしていたのだ。決して眠っていたわけではない。故に、隣に座る友人が足をつついてきても、無視したのは当然である。君に今の私の邪魔をする権利はないといったところだ。
しかし残念なことに、教室にはその権利を持つ者がいた。
「エリック。この同盟と帝国の崩壊が、我が国にどのような影響をもたらしたか述べたまえ」
初老の歴史教師は、私を居眠りする不届き者とでも勘違いしたのだろか。いきなり名指して回答を求めてきた。ひどい話だ。そこはこれから貴方が教えるところではないのか。
なんとか意識を覚醒、もとい考え事を止め教師の問題へと集中する。
この教師、少なくとも答えられないことを生徒に尋ねることはない。ならば、先日まで習った範囲の我が国の歴史と照らし合わせれば答えは出るのだろう。
同盟により当時の国王は、王太子と皇女との結婚を取り結んだ。これにより、帝国崩壊後王位を継いでいた王太子は、帝国の継承を掲げ我が国を伸張に導いた。というのが、先日までの授業内容と合致する答えなのだが、これではこの教師への答えとしては50点だ。
答えられないことは尋ねないが、答えられることそのままの回答では満足しない。つまり、もう一捻り頭を使わないといけないのだ。
当時の王が帝国と最も近い縁続きであったが故に、各国による帝国領浸食に加わることが出来なかったといわれる。が、裏を返せば各国が奪い合いでぶつかり疲弊する間、力を蓄えることが出来たとも取れる。帝国から応援の要請もあっただろうが、帝国の崩壊は避けようがなかった時期だ。皇女という帝室の血を護るという名目で積極的には手を差し伸べず、崩壊後はその帝室の血を大義名分に掲げ疲弊し敵対しあう諸国を一気に併呑していった。もしやこれは、先代王の時代からの戦略だったのではないだろうか。
「うむ。相変わらず理解力とそこからの発展力は素晴らしい。居眠りがなければ100点だ」
どうやらこの教師には目をつけられているらしい。良い意味であるか悪い意味であるかは分からないが。
「この当時の王国の方針は、当時の大臣の一人ローリー・リトルトンの発案である。彼はクリフトンの戦いの前、帝国を西方諸国との緩衝地帯とすることやもっとも近い血縁を結ぶ利を説き同盟を結んだ。そして20年後の帝国の滅亡に際しては、各国が帝国領を奪ったとしても一国辺りの得るものは少なく、そこからの収益により争奪戦で失われた国力を回復するには時間がかかるとし、帝国崩壊後からの行動を主張。さらには、帝国の血を引く王女との婚姻を各国に匂わせ、諸国が我が国に対抗し手を結ばないよう巧みな外交をおこなっている」
【合従】に対する【連衡】。【合従連衡】とリトルトンは唱え、これが今日までの我が国の基本外交方針になっている。
「リトルトンの優れたところは、領地は広がればすなわち力になると考えられていた時代に、領地と国力そしてそこから生まれる軍事力を経営的にとらえる考え方と、数十年先を見越す外交能力にあったといえる」
派手さが無いぶんウォーターポールには知名度や人気が落ちるが、ローリー・リトルトンもまた我が国の歴史上の英雄といえる。素晴らしい人物だが、その名は私にとっては父の期待という重石になって伸し掛かってくる。
つまり、彼もまた「記憶受容症」であったと言われているのだ。
「授業中に寝るとは、気が抜けているのではないかピープス?」
「半分寝ている状態から、すぐにあれだけ答えられる辺りはさすがだと思うけどね。確かに今日はいい陽気だから眠くなる気持ちも分かる。でも居眠りはやっぱりダメだよ」
夕食の時間、友人のヴァレンタインとトムから昼間のことについて注意を受けた。
私があれは居眠りではなかったと昼間私が考えていたことを主張したのだが、傾聴に値する意見だなどと口にしつつ一顧だにされていないことがこの発言からは読み取れる。
麗しい友情に乾杯と私は手にした水を飲みほした。
「茶化すな。いいか、ホスキンズ先生はお前に目をかけているし、そう厳しい方ではないからまだいい。だが、道徳のカークランド先生やマクレラン先生だったら面倒だったぞ!」
「うんうん。最悪連帯責任で全員説教だね。「貴族としての自覚が足りない!」とかなんとかさ」
こう言うのは心苦しかったのだが、お前の家は郷紳で貴族じゃないだろうと即座に言わせてもらった。
「うわ、差別主義者がここにいるよ! 助けて子爵ご令息!」
「そういいながら、身分を利用しようとするな馬鹿者」
そもそも、この学校内においては身分というのはあまり意味がない。もちろん表向きではある。将来のことを考えれば、いくらなんでも身分が上の相手にそうそう失礼なことはできないし、あえて仲をこじらせることもない。
それでも、それが学校・寄宿舎生活において障害にならない程度には指導が徹底されている。さらに言えば、爵位というものは個人が持っているものなので、正確に言えば貴族の子は貴族ではないといえるのだ。
そういう訳で、この私たちのやり取りも仲が良い故の冗談である。
「ともかくだ。君はまだ初犯だ。これからは気を付けるといい」
「そうそう。一回やっちゃうと癖になるから気を付けないとね」
忠告はありがたいのだがそろそろ口を閉じた方がよさそうだ。
先ほどから視界の隅で、寮監のマクレラン先生がその鋭い視線をこちらに向けているのが見えている。授業中の居眠りもあるまじき態度だろうが、食事中の度の過ぎたおしゃべりもまた問題だ。
「ん? もう部屋に戻るのか。じゃあ私も戻ろう」
「エリックは風呂に入るから急がないとね」
「9時までは空いているから大丈夫だ」
「そっか。使うときは早い時間に使うから意識してなかったな。まあ綺麗好きのエリックは、風呂も綺麗な内に使いたいんじゃないの?」
別に私が綺麗好きという訳ではない。
ただ、寄宿舎に入って間もなくどうしても【毎日風呂に入らないと気持ち悪くなってしまう】ようになっただけである。その上、寄宿舎3日目で【掃除のコツ】なんてものを身に着けてしまったものだから、それらを合わせて同級生には綺麗好きだと思われているのだ。
「やあ、パルトロウ。ちょっといいかな」
部屋に向かう途中、談話室前でヴァレンタインが呼び止められる。同じ寮生で先輩だ。確かヴァレンタインとは領地が接する同じ子爵家の出だったはずだ。
「どうしました?」
「今日、実家からの手紙でな――」
先に帰っていてくれ、とヴァレンタインは先輩と談話室で話し始める。
しょうがない、とトムと顔を見合わせ2人で先に部屋へ戻ることにした。
「なあ、エリック。頼んでいたアレ、考えてくれたか?」
ヴァレンタインがいなくなりちょうど良いと思ったのか、トムがそう言った。
彼に知られるのが恥ずかしいのだろうが、あいにく彼はとっくに気づいている。その内これをネタにからかわれるだろうなと思いつつ、ポケットから取り出した紙を渡してあげた。
「ありがとう!【あなたへの恋心はまるでかがり火 夜は燃え上がり 昼はこの身を消しそうなほど悩ませる】相変わらず良いなこれ。さっそく渡してくる!」
そう言うが早いか、トムは駆け出してしまった。
まあつまり、これは恋文に添える詩の代作だ。
私が家庭教師からの課題で初めて作った短詩は、今でも時々作っている。あまり主流ではない形式なので授業では滅多に作らないが、同じ寮生にはどういう訳か受けが良い。
それで、トムから何か恋に関する詩を考えてくれと頼まれた。相手は女子寮にいる同級生で大変文学好きだとか。自作したいがあいにくと文学方面の才能が壊滅的なトムの依頼だ。自作が期待できない以上代作はありだと思うのだが……男子生徒が女子寮に行くのは規則違反である。
一人部屋に戻った私は、机置いてある手紙に気づいた。食事の前にはなかったので、その後に学校の使用人が置いたのだろうがおかしな事態だった。
基本的に手紙は昼間に学校に届き、生徒の手には授業が終わったあと夕食前には届く。仮に実家などから何か急ぎの手紙で変則的な時間に届いたものであれば、直接私に届けられるはずである。食堂にいたことは分かっているはずだからだ。
手紙を手に取とる。それはこの学校で使われている便箋だった。そうだろうとも。外部からの手紙がこんな形でくる可能性がない以上、学校内からの手紙だろう。さらに、同じ寮に住む男子生徒や教師なら直接手渡すか会って話せばよい。内密に会いたいのだとしたら、こんな相部屋に人間に読まれそうな方法はとらないだろう。つまりこの手紙の主は、直接寮に来ることができない学内の人間、女子生徒でありそして内容は読まれても構わない物であると推測できた。
恋文ではなさそうだなといささか残念に思いながら手紙を開き、私は息をのんだ。
そこには女性の字で「東の庭園で待つ」という内容が書いてあった。だがこれは――
この時間、寮の外に出ることは禁止されてはいないがあまり好ましい行為ではない。
窓から空を見上げると今夜は満月。まあ夜の散歩というのも悪くはないだろう。寮を出る言い訳にはなりそうだ。ただ、風呂には間に合わないなと残念に思いながら私は部屋を後にした。
学校内には西・中央・東の3つの庭園がある。学校敷地の入り口に近い西の庭園、噴水を中心として3つの中で最も大きな中央庭園、そしてこの東の庭園だ。この庭園も庭師によって丹念に手入れされてはいるが、他の2つほどは特色がなく人気も落ちる。私もここに来るのは入学以来ではようやく3度目である。寮や校舎から一番遠いというのも理由だが。
とはいえ、昼ならばそれなりに人もいるであろうここも、さすがにこの時間人影はない。
私と、そしてもう1つを除いて。
満月の光のおかげで、はっきりと見える。身長は私と同じくらい。女性にしては高い。やや縮れた赤毛に意志の強そうな琥珀色の瞳。唇にすっと紅が塗ってあるのは、こんな時間とはいえ貴族の女性としての嗜みか。
彼女は歩いてくる私を腕組みして待っていた。
やがて、私に声が届く距離まで来ると手を自らの腰に当て、唇の端をにやりと吊り、口を開いた。
「こんばんは。初めまして、【転生者】さん」
ヒロイン登場。
次話も書きあがり次第投稿します。




