第五十九話:受け入れる幸福
警視庁の自室に戻った土屋は早速面食らうこととなった。
時間にして早朝六時。確かに警察は二十四時間動き続けてはいるのだが、規則正しい公務員の労働時間にするようにと命じていた部下がとっくに出勤していたのである。
「お疲れ様でした、警視正」
「優衣、お前は……」
「御心配なく。きちんと仮眠はとっておりますので」
そういう問題では……、とは思うのだが、只今妊娠七ヶ月は迎えている婚約者殿は相変わらず仕事熱心である。
本当にこのままでは警察で出産するんじゃないかと騒がれているほどにだ。
しかし、休めと言って休む性質ではないということは痛いほど分かっているので、それならば話を聞こうと土屋は自分の席に腰を下ろした。
「それで、パーティー会場内にいた麻薬組織グループはどうなった?」
「はい、全て片付きました。それに警視正の予測通り、海岸沿いでどこの誰が暴れたのかは追及致しませんが今回のターゲット達を全員確保、尋問後麻薬の入手ルートも順次摘発していく手筈となっております。ただし、今回の指揮官は土屋警視正に全責任があるとおっしゃっていましたが」
そう来たか、といった表情を浮かべている瞬間に相手をどう陥れるかを半分以上考えている警視正は受話器に手を掛けるが、ふと、何かを思ったらしくそれを止めて腕を組む。
「どうされたのですか?」
「う〜ん、そう言ってるならたまには休ませてもらおうかと」
「えっ? いつもなら責任転嫁してきたものを逆に降格させているのにですか?」
「コラコラ、人聞きの悪い言い方はやめてくれよ」
その発言に彼は苦笑するがそれ以上優しい言い方が優衣には見つからなかった。なんせ、自分を陥れようとした度合いで相手への報復の質を決めるタイプなのだから……
ただ、今回は報復をするにはするだろうが休みを取ることに異論はないようだ。
「なんせ、俺が休まないと君も休んでくれないからね。だから休もうかと思って」
その答えに優衣は目を丸くしたが、すぐにクスクスと笑った。たまにはこの警視正には休んでもらうのも良いかもしれないといった顔で。
しかし、彼女は近づいて来る足音に気付いていた。
「かしこまりました。ですがその前に」
「警視正! 麻薬取引が今夜行われると」
「片付けてからですね」
こうなることを予測していたのか優衣はまたクスクスと笑う。それに土屋は一つ溜息を吐き出した。これも宿命かと思いつつその顔はやはり楽しそうで……
「……やれやれ、やっぱりまたしばらくは休めないみたいだな。すぐに会議を開く。ついて来い」
「はい」
立ち上がった土屋の後ろに優衣は付き従う。この日常に句切がついた頃にゆっくり休もうと思いながら……
それから時間が経ち、いつもより少し遅めに活動を開始した年少組は一日遅れではあるがようやくバレンタインデーを満喫していた。
当然、兄達を起こしに行くことは命にかかわるのでやめておいたわけだが……
「はい! 純君!」
「ありがとう! 夢華ちゃん!」
実に天使オーラ全開といった感じの末っ子組はそれは見ているこちらまで癒されてしまうもの。そして、純はラッピングを取り外すと中から小さなハート型のチョコレートが姿を現した。
「うわぁ、沢山あるねぇ」
「えへへ、昨日お姉ちゃんと頑張って作ったんだ。本当は大きなハート型をあげようかなって思ってたんだけど、沙南お姉ちゃんと一緒になっちゃうから」
「そっか、だけど沢山あるから一緒に食べられるよね。はい、あーんして?」
あくまでも自然の流れといった感じで純はニッコリ笑って夢華の口元にチョコレートを持っていく。さすがにそれは恥ずかしいのか夢華は頬を朱くしたが、パクリとそれを食べると口の中で甘さが広がった。
「美味しい?」
「うんっ! 純君大好き!」
そしてまた天使オーラがさらに薄桃色になる光景を眺めながら、高校生組は相変わらずな弟妹達の凄さにそれぞれの意見を述べた。
「本当、末っ子組って末っ子組だよな……」
「ええ、それは私も思います。これは純君に渡さない方がいいでしょうか」
「日持ちするなら俺達のおやつに!」
「そうですね、学年末テストもありますからおやつが多くても問題はないでしょうし」
そうさらりと紫月は言えば翔はテーブルの上に突っ伏した。さすがは勉強嫌い、見事な反応である。
「紫月〜、折角学校が休みなのにテストの話はやめてくれよ〜」
「それもそうですね、まぁ、あとから勉強はするとして」
紫月は冷蔵庫の扉を開けると、ホールサイズのケーキが入った箱を取り出した。もちろん、彼女お手製ということは言うまでもなく、翔の胃袋にかなったサイズということには違いない。
「はい、どうぞ。翔君用のチョコレートケーキです」
「うおおっ!! むちゃくちゃサンキュー!!」
クリスマスプレゼントを貰って大はしゃぎしている子供かと思うほど翔は喜びをあらわにした。それにやれやれとは思いながらも、自分が作ったケーキを喜んでくれることが嬉しい。
しかし、翔は箱を開いた瞬間ケーキの見た目に目をキラキラと輝かせたものの、乗っていたメッセージプレートにガクッと肩を落とした。なんせ「勉強しろ」と書かれていたのだから。
「……紫月」
「メッセージは兄さんが書きました。あれで結構器用なのと、確かに勉強しろというのは私も同意見でしたから直すのも勿体なかと」
確かに見事なまで達筆で書かれたメッセージプレートは啓吾が器用だと分かる出来だが、やはりもう少し書いて欲しい言葉もある訳で……
「ですが、愛情たっぷりに作りましたからホワイトデーは楽しみにしています」
少し頬を朱く染めながらも悪戯な笑顔に翔は頬を掻きつつも、何をあげれば喜んでくれるのかと悩むのはまた一ヶ月後の話だ。
そして、そんな甘酸っぱい青春を過ごしてこなかった宮岡と桜姫はやはり同じ心境らしい。
「年少組は微笑ましいねぇ」
「はい、羨ましい限りです」
朝からメール三昧だった宮岡は相変わらずパソコン画面から離れることが出来ず、この一日の休息が終わればまた世界各国を飛び回ることとなる。それは桜姫も同じらしく彼女も闇の女帝の指示のもと、裏社会をそれはバッサリ切り裂きに行くらしい。
そのためなのか、桜姫はコーヒーと一緒に今日のみ別の物も差し出した。
「良将軍、こちらをどうぞ」
「えっ?」
スッと差し出された箱に宮岡は目を丸くすると、彼女は彼女らしく返してくれた。
「チョコレートでございます。森将軍が貰えないのは自業自得で寧ろ世の女性達が正常だと思うのですが、良将軍が貰えないというのはどうも不憫で罪悪感にかられてしまいまして……」
「いや、そこまで辛口コメントはしなくていいんだが……」
「いえ、同情と言った方が適切かと」
「さらに痛いな……」
好意というより信頼してくれてると分かってはいるものの、こちらには恋愛なんてものに生まれてこのかた他人のものにしか関わったことがないのだからもう少しフォローしてもらいたいと思う。
まぁ、沙南や紗枝を除くこれだけの美女からチョコレートを貰ったことがなかったので、何も貰えない男よりはマシなのだろうと宮岡は考えを無理矢理プラス方向に持っていき礼を述べた。
「だけど嬉しいよ。どうもありがとう」
「恐れ入ります」
ニッコリ微笑んでくれる桜姫に宮岡も微笑み返すが、ふと、彼の脳裏にホワイトデーの鉄則が過ぎり若干顔が青くなる。
「ん? だったらホワイトデーは三倍返しか?」
「いえ、そちらの心配はございません。ただ、いつもの三倍働いていただくことになると彩帆様がおっしゃっていましたので」
「……やっぱりそうだよな」
そう、あくまでも同情とまで言ってきたチョコレートに裏がない訳がない。ただ、律儀な性格をしているため桜姫に何かしらホワイトデーは返そうとは思う。飲みに行くくらいは付き合ってくれるだろうし。
しかし、闇の女帝の名が出てくると宮岡は眉間にシワを寄せた。問題は自分のことより森のことだ。
「だが、森の奴はどうするのかねぇ」
「彩帆様の事ですか?」
「ああ、まさか本気で闇の女帝が妊娠して産むなんて俺は恐喝の為の狂言で、ロリコンもついでに満たそうとしているからだと思ってたんだが……」
桜姫もそれにはコクコクと頷く。おそらく、土屋がこの場所にいたらさらに適切なコメントを添えてくれたに違いない。
とりあえず、と宮岡は桜姫特製のチョコレートとコーヒーを堪能しながら話を続ける。
「案外、森も今回は本気だったのかもなと思ってな」
「えっ? 啓吾様と違って来るもの拒まずも出来ない上に世の中の女性と見たら軽く飛びついて足蹴にされそうな森将軍がですか?」
「だから桜姫、啓吾君と違ってモテないのは事実だが辛口過ぎやしないか……」
「すみません、癖なもので」
あっさり認めるのはさすが桜姫というところ。まぁ、啓吾と違って美女が寄って行くタイプではないというところは彼もフォロー出来ないが……
「だが、森は仲間と認めたら簡単には手を出さない奴だろう? まぁ、出せないと言った方がしっくり来るのは置いといて、珍しく必死だった気がしてな」
そう、森は沙南達を守るということを除けば、たった一人の女のために必死になったことなど一度もなかったのだ。いや、寧ろ沙南達以上に真剣になっていたのかもしれないが。
「……良将軍」
「ん?」
「御心配には及びません。彩帆様は私より人を見る目は確か。それに私も森将軍をどうしようもない愚か者と思ってはいますが、クズだと思ったことはございませんので」
その答えに宮岡は数秒考えさせられたがすぐに苦笑した。それだけは違いないな、と思いつつ、親友が少しでも報われればいいと宮岡は初めて森のことでまともなことを願うのだった。
その頃、天宮家の二階の客室に堂々とキングサイズのベッドを運び込んで眠っていた闇の女帝が目を覚ますと、壁に身を預けて眠っている森を発見した。
「菅原森……」
その声に気付いて森はあくびを一つして立ち上がると彼女の傍に立つ。何となくいつもと違った顔をしているのは自分が妊娠したからだろうかと思うが。
「どうなんだよ、気分は」
「お前がいるだけで最悪だ」
「そこまではっきり言うか、普通」
しかも起きたばかりだというのに、その声だけがやけにしっかりしているというのは何故なのだろうか……
それはさておき、森は珍しく真剣な顔をして闇の女帝に尋ねた。
「妊娠二ヶ月だって?」
「ああ、見事にな」
「産むのか?」
「産むと言っておいたはずだ。妾のためにな」
そう、彼女は菅原財閥乗っ取りを企てているわけである。とはいえども、菅原会長の意見は「彩帆ちゃんなら大歓迎、それに曾孫が出来るなら喜んで隠居する!」と言ってのけている訳だが……
ただ、森にとってはただそういうわけにはいかなかった、いや、中途半端にしたくなくなったのだ。
「……彩帆」
言った瞬間、とてつもない衝撃が森をめった打ちにした。闇の女帝が白銀の鎌を換装して彼を叩きのめしたのである。
「誰が妾の名を呼び捨てにして良いと言った?」
「すびばしぇん……」
冷たく、さらに鋭く貫かれる視線に森はいつものように謝罪したが、闇の女帝が鎌をしまうと彼は本来の目的を思い出しすぐに行動に移った。
「じゃなくて! 面倒くせぇ!!」
「なっ! 何をす……る……」
思わず声を失った。自分の薬指にはめられた指輪が意味することと、その指輪が森の実母の形見だと知っていたからだ。さすがの女帝といえどもそれを消すことはしない。
そして、森はおそらく初めて見ただろう、顔を赤くして告げた。
「俺と結婚しろ」
「戸籍だけは都合上入れると言っておいたはずたが」
「だーかーらっ!! 母親になる前に俺の女になれって言ってんだ!! 俺は本気で惚れてんだよっ!!」
思わず声を張り上げてしまったことに気付いて森は罰の悪い表情を浮かべる。いつもの馬鹿面以外にもこんな顔があったのかと闇の女帝は目を丸くしたが、何故か口元は緩んで来る訳で。
ああ、そうなのか……、とどこか彼女は納得してまたいつもの勝ち気な表情を浮かべた。
「菅原森」
「何だよ……」
まだ森の頬が若干赤いことに闇の女帝は満足感を覚えつつ、さらなる満足感を手に入れることにした。
「ホワイトデーは三倍返しだからな」
「あと何を集る気だよ……」
「そうだな、オーダーメードのウエディングドレスでも作ってもらおうか」
「へっ? 式やりたいのか?」
その発言にはあまりにも意外だったらしく森は驚いたが、やはり闇の女帝は闇の女帝ということを忘れてはならない。
もちろん、ウエディングドレスを来て末っ子組と戯れたいという願望も強いが、もっともな理由を答えてくれた。
「ああ、菅原財閥のクズ共から祝儀ぐらい巻き上げたいだろう?」
「やっぱりそういう理由ですよねぇ〜」
女性らしい意見を彼女に求める方が無理だということは分かっていたが、しかし次にポツリと零してくれた言葉に森はかつてないほど呆けてしまった。
「……それに貴様の父親ぶりも悪くはないと思ってな」
「へっ?」
今のはなんだ、聞き間違いかと思ったが、少しだけ闇の女帝の顔が赤いような気がして……
どうやら彼女自身、思わず口から飛び出してきた言葉だったらしい。それを証拠にすぐ完璧な女帝に戻ってしまうのだから。
「ほら、さっさと出ていけ。妾は着替えて純と夢華と遊ぶ約束だったんだから……!!」
腕を引かれて森に閉じ込められる。何をするのかとすぐに叩きのめしてやろうかと思ったが、傍にある満面の笑顔に彼女は抗うことよりすんなりと入り込んできたものを受け止めてしまった。
たまにはこういうのも悪くないのだろうと思わされるほど心地よくて……
「何かすんげぇ幸せ!!」
抱きしめられた腕は確かにそれを教えてくれているようで、闇の女帝は数秒間だけそれを受け入れて珍しく穏やかな気持ちにさせられたが、あくまでも彼女は彼女のままだった。
「……そうか、だが!!!」
地震でも起こったんじゃないかという衝撃が天宮家に響き渡る。当然、その元凶は女王様が森をシバき倒したからだ。
「調子に乗るな! 愚か者がっ!!」
この八ヶ月後、森はかろうじて生き延び父親となるのだった……
大変お待たせいたしましたっ!
相変わらず遅い番外編の更新です。
う〜ん、最近忙しいのと眠いのがね……
こう、電車の中でも睡眠優先にしちゃってね……
はい、ということで今回は年少組と桜姫さん達脇役のやりとりを。
まぁ、最後は闇の女帝がとっていっちゃいましたけど(笑)
それぞれ何だかんだで落ち着いたはずです(えっ?)
とりあえずあと二話くらいで最終回かな?
鳳凰達と別れたあとの話も書いておきたいですし、未来の一行も少し書きたいですからね。
では、次回もお楽しみに☆