第二話:悲しき前日
秀のバイト先である喫茶店は只今貸し切り中。貸し切っているのは迷惑な客、といつもなら言っているところだが、さすがに世の男性なら何となく理解してやれることを叫ぶ森に、秀は仕方ないかと黙認した。
「どうせ俺は今年も本命の一つもないんだ〜〜!!!」
「本命がないのは俺も同じだ。それにお前にチョコレートを送る女性が現れたら、すぐに俺がその女性を病院に連れていってやる」
森の叫びを理解してやりつつ、きっちり突っ込んでやるのは宮岡。ただ、彼は本命はなくとも、その人脈の広さから義理はたくさんもらってそうな気もするが……
そして、明日は本命に間違いなくもらえるだろう土屋は、もらうチョコレートが親しいもの以外全て本命なんじゃないか、と思われる人物に尋ねた。
「だけど、秀君はもうお客さんにもらってるんだろ?」
「ええ、うちには欠食児童がいますから有り難くもらってますよ」
「秀、テメェ〜〜!!」
「うるさいですよ、森さん。だけど困るものもありまして……」
秀が苦笑いを浮かべる品がカウンターから出される。出てきたのは宿泊券で、三人は言葉を詰まらせた。
聞くところによると、ランチを食べに来たマダムが、電話番号と愛のメッセージが書かれたメモと一緒に、テーブルの上においていったとのこと。
「なるほど、秀君に熱を上げるマダムもいるか」
「ええ、面と向かってはお断り出来ますけど、こう書かれては……」
「明日の夜、待ってます……、う〜ん、確かに危ないな」
「危ないのか?」
「森さん、僕はついこの前まで未成年だったんですけどね」
その発言に三人は吹いた。確かに、よく考えればつい先日まで彼は未成年だったのである。その割には裏社会に染まっているが……
そして、吹き出した酒を片付けて呼吸を整えたあと、また話は再開される。
「だが、モテる奴はいいよなぁ〜」
「だったらこれ、いります?」
「秀君、こいつに渡したら世の中の女性が気の毒だ」
「すみません、そうでしたね」
何で邪魔するんだよ、と森は抗議するが、土屋が手錠をちらつかせれば森は大人しくなる。もちろん、そのまま捕まえとけばいいのに、と宮岡がつっこんでくれるが。
結局、そんなやりとりから出される唯一の慰めを森はカウンターに突っ伏しながら告げた。
「はあ〜、明日は龍がいないならお姫様に恵んでもらいに行くかな……」
「ああ、うちに来てくれるのは有り難いですね」
そんな秀の発言に土屋は目を丸くした。いつもなら嫌な顔の一つや二つは浮かべる青年の発言だとは思えない。
ただ、宮岡はすぐに心当たりがあったらしい。ウイスキーグラスの氷をカランと鳴らして秀に尋ねた。
「なんだ、沙南ちゃん落ち込んでるのか?」
「はい。まあ、兄さんが忙しいのは仕方ないですけど」
「というより、おじさんが龍と過ごさせないために龍を缶詰状態にしてるんだろう?」
「ええ。だけどここ数日、そのおかげでオペがやり放題になってるみたいですから、家に帰って来いとも言えなくて」
患者第一の龍だ。バレンタインデーより人の命を優先させるのは当然のことで、沙南のためにオペを放り出すわけもない。
もちろん、そんな兄だったら秀も間違いなく一発殴ってるだろうし、沙南も好きにはならなかっただろう。ただ、それでも寂しくないはずがないのだろうけど……
「だから馬鹿騒ぎしに来いと」
「ええ、暇なら良いでしょう?」
「そりゃ構わないさ。それに柳嬢からのチョコレートも」
「渡しませんよ。その辺のチョコでも買って寂しく食べてなさい」
柳の作ったチョコレートを誰が渡すかと秀は森の思惑を早くも潰した。自分の兄弟はともかく、百歩譲って啓吾に渡すことを許すぐらいの心の広さしかないのだから……
そんなやり取りを見つつ、宮岡は上着のポケットから携帯を取り出してかける。それから数コール後、とても心地好く、凛とした声が聞こえてきた。
「もしもし、桜姫か?」
「良、テメェいつの間に桜姫の携番知って……!」
「うるさい。すまないな、馬鹿も一緒だから」
『御苦労お察しいたします』
心底そう思ってるのは声から充分分かる。きっと彼女のことだ、頭も下げているに違いない。
「それで桜姫、明日の夜、時間空けられるか?」
『はい、構いませんが何かございましたか?』
「ああ、明日天宮家に顔を出して欲しくてさ……」
宮岡が理由を説明すると、さすが恋愛に関しては龍をないがしろにしてもでも沙南を大切にする桜姫は、沙南の気持ちが痛いほど分かるのか少し声のトーンが下がった。
『そういうことでしたか』
「ああ、人数は多い方がいいからさ」
『かしこまりました。でしたら彩帆殿にも伝えておきます。喜んでいらして下さるかと思いますし』
それは間違いなく賑やかになるな、と宮岡は微笑を浮かべるが、ふと、脳裏に過ぎった嫌な予感に彼は眉間にシワを寄せた。
そう、闇の女帝が天宮家に来るということは、彼女のロリコン振りが発揮されるわけで……
「……桜姫、何となく嫌な予感がするから言っておくが、あまり龍が困るような物まで持参しないように闇の女帝に言っといてくれよ?」
『はい……、伝えておきます』
彼女も思い当たるところがあったらしく、大きな騒動になることだけは避けようと思い、失礼します、と告げて携帯を切った。
「桜姫さんも来れますか?」
「ああ、闇の女帝も連れて来るって」
「……とんでもないもの持って来たりしませんよね?」
「桜姫がうまいことやるさ」
そこは彼女の手腕に任せることにしよう。じゃないと、龍がまた気苦労を背負って現実逃避するに違いないのだから……
そして、秀は恐らく無理だろうとは思うが、一応、土屋にも尋ねてみる。
「土屋さんは明日は婚約者と過ごすんですか?」
「ああ、過ごすといっても仕事だけだね。俺は明日現場に行かなくちゃいけないから」
それに宮岡は食いついた。彼は新聞記者だ、ある程度の情報は当然掴んでいる。
「事件って、例の麻薬密輸団のか?」
「ああ、大きな取引があるらしくてな、それに加わることになった」
「ん? 淳が指揮を採るんじゃないのか?」
土屋の階級は警視正だ。こういった類の指揮をいつもは採ってるはずなのだが、どうやら今回は違うらしい。
しかし、どうやら訳ありらしく、彼は肩を竦めてみせた。
「残念なことにね。いつも俺の手柄になることを嫌う奴がいるもんで、そいつが上にウインクして見せたらこの有様だ。まっ、こういった件では現場の方が好きだから、寧ろ好都合だけどね」
「発砲の可能性が高いからですか?」
「ああ、最近平和だったし」
こういうところは森の親友というだけはある。まぁ、銃を撃つのが好きだという精神ぐらいなければ、天宮家と付き合えはしないのかもしれないが。
「だけど、沙南ちゃん達のチョコレートは楽しみにしてるよ。事件が片付いたら天宮家にお邪魔するから」
そうニッコリ笑って土屋は告げる。
ただ、まさかその事件に一行が絡むことになるなんて予想もしていなかったのだけれど……
バレンタインデー前日、秀のバイト先の喫茶店を貸し切る男三人組。
森はやっぱり宛てがないらしいです。
一応、財閥の御曹司なんだけどな……
自衛隊に入っちゃったけど……
談ですが、土屋さんも宮岡さんも学生時代はここでバイトしてます。
なんせ、ここのマスターは裏社会に強力なパイプを持ってますから。
そして、早速事件の予感が。
土屋さんが話してくれた事件、これがまた騒動への入口となります。
一体どんな話しになってしまうやら……
結局バトルとコントは切り離せないんだなぁ、この話(笑)