第十八話:婚約者候補
誠一郎医院長と一緒に入ってきた中年のフランス人に龍達はピクリと反応した。今宵のパーティーの主催者である製薬会社の社長であり、確か聖蘭病院とも最近取引を始めていたはずだ。
医院長にしては珍しくまともな相手とつるんでいるな、と啓吾と紗枝は同意見である。事実、麻酔科医達は助かっているらしいし。
そして、そのフランス人は取引のある病院の次期医院長候補である龍と、医学の権威であるシュバルツ博士の養子である啓吾に愛想の良い笑みを浮かべて手を差し出した。
「はじめまして。御高名は存じております、ドクター龍、そしてドクター啓吾。私はデュパン社の代表を勤めております、アーノルド・フランと申します」
二人は手を握り返しながら驚いた表情を浮かべた。彼がそれは流暢な日本語で話し掛けてきたからだ。かといって、自分達だって英語がペラペラだろ、と翔あたりは言ってくれそうだが。
「はじめまして。随分、日本語が堪能でいらっしゃいますね」
「ええ、妻が日本人なので。そして息子に日本支社を任せてますから」
なるほどな、と二人は思った。そういった環境なら日本語が身についてもおかしくはない。
それからフラン社長は紗枝の手を取ると軽く口付ける。龍は啓吾がどんな反応をするのかとちらりと横目で見るが、どうやら海外生活も長かったせいか全く動揺してない。若い男だったら眉くらい動かすのだろうけれど。
「それからお久しぶりです、紗枝お嬢様」
「はい、財閥のパーティー以来ですね」
いかにも紳士というフラン社長に紗枝の目元も柔らかくなる。こういう相手なら邪険にしないんだな、と龍と啓吾が同時に思ったことは言うまでもない。
そんな一通りの挨拶が済むと、誠一郎はホクホク顔でフラン社長に尋ねた。
「フラン社長、今夜御子息は」
「ええ、もちろん来ます。少し仕事で遅れますが」
「そうですか、出来れば龍に会わせたかったんですがな」
それに龍はピクリと反応する。随分露骨な牽制だな、と啓吾は思うが、紗枝は何やら首を傾げている。
しかし、誠一郎は龍より優勢に立とうとフラン社長の息子のことについて話し始めた。
「龍、フラン社長の御子息はアメリカとフランスに留学して経営学と薬学を学び、今はデュパン社の後継者となるべく副社長として活躍している。うちとの取引もあることだし、うちの娘の婿に……!!」
その瞬間、誠一郎は言葉を飲んだ。龍は表情を全く変えてないが、明らかに誠一郎のみを威圧している。
しかし、フラン社長にまだ沙南を婚約者にするという話をしてはいないのだろう。彼はその話には食いつかず、遠くから声をかけて来る知人の声に気付き手を挙げた。
「折原君、すまないが一度失礼させて貰うよ。では、皆さんもまた後ほど」
「はい」
三人は一礼するとフラン社長は笑みを浮かべてその場を去っていった。
それから龍は誠一郎を威圧したことなど全く気にもとめず、もっともなセリフを吐いた。
「医院長、こちらもご挨拶に伺いましょう。ただし、新しい開拓先を得ようとはしないで下さい」
最後のあたりは龍の機嫌の悪さが出ているが、先程威圧されてるのだ、誠一郎はすぐには言い返さなかった。しかし、それが良かったのか、彼はいつもより頭が冷えていたためニヤリと笑う。
「新しくなければ良いんだな?」
おやっ、と啓吾と紗枝は思う。今日は何かくだらない策でも用意しているのかと感心とは言えない感心をした。
「だったらついて来なさい。龍、お前には今日こそ沙南を諦めてもらうぞ。私はお前より沙南に相応しい御子息を見つけてあるんだ」
「フラン社長の御子息ではないんですか?」
「彼は保険だ!」
失礼なことこの上ない発言に龍はムッとしたが、少々面倒な話になりそうだったので、啓吾と紗枝はもっともな事を述べる。
「医院長、龍の何が不満なんですか。聖蘭病院だって龍が後継ぎになるのが普通でしょう?」
「そうね。菅原財閥もお祖父さんへの恩義と龍ちゃん可愛さにスポンサーになってるわけだし」
それは明らかに誠一郎に対する非難と厭味を含んだ言葉だったが、今の誠一郎は沙南を絶対龍には渡さないという感情に流されていた。
「二人は黙ってなさい! これは私と龍の問題だっ!」
「なっ……!」
「紗枝ちゃん」
言い返そうとした紗枝を龍は目で制する。啓吾も彼女の腕を掴んで、これ以上の横槍は無用と大人しくしておくことにした。
そして、龍は誠一郎を見据えると彼は一歩後退した。本当にこの青年はいつもこの目で自分を見てくると思う。容姿は父親に似てるが、全てを見抜いているようなこの目は祖父と同じだ。
「おじさん、その話はまた後日にしましょう。ですが、俺は沙南と結婚を前提に付き合ってますから」
紗枝はバアッと明るい表情になり、啓吾も微笑を浮かべる。普段からこれだけはっきり言えればいいのだろうが、絶対引かないところは引かないと言い切ってくれるからこそ、龍はいい男なのだと思う。
「龍! 私は認めん! 絶対お前をっ……!!」
「折原君」
二人の会話を遮って、小太りの中年社長と彼より少しだけ背の高いだけの息子がこちらへやって来た。
さっきのフラン社長とはえらい違いだな、と啓吾は非常に素直な感想を抱く。ただ、紗枝が非常に引き攣った表情を浮かべているあたり、これは面倒なことになるなと思う。
「これは高条社長!」
さっきまでの態度が豹変した誠一郎は、声をかけてきた高条社長のもとに歩みよりペコペコと頭を下げた。どうやらそういうことかと龍と啓吾は目を合わせる。
「何だね、折原君。お嬢さんは一緒じゃないのかい」
「いえ、既にパーティー会場におります。今宵は友人と一緒に行動しておりまして」
「そうか、君に写真を送って貰ったときから息子は凄く気に入っていてな」
その会話に龍の眉間にシワが寄る。久しぶりに本気でキレるんじゃないかと啓吾は危険を感じたが、誠一郎は寧ろ火に油を注ぐほどの上機嫌で紹介し始めた。
「龍、こちらが大日本製薬の高条社長と沙南の婚約者の正憲」
「紗枝さん! お久しぶりです! 今宵もまた男を誘惑する宝石のような美しさだ」
誠一郎の紹介を遮って正憲と言われた青年は歯の浮くような言葉を紗枝にかけてきた。顔は笑ってるが、紗枝の血の気が引いたのは気の性ではないだろう。
ただ、こちらにピタリと寄り添ってくれることに淡い満足感は覚えるが。
「そんな趣味は毛頭ございません。あなたでも相手にする、安っぽい女性にでもその言葉を使ってあげたらどうですか?」
「ハハッ、ヤキモチですか?」
「いいえ、単なる軽蔑です」
「じゃあ、嫉妬だ。そんな不細工な男なんか連れて僕の気を引きたいのかい?」
不細工と言われたことに腹を立てるより、かなりおめでたい頭の持ち主なんだなと啓吾は思う。紗枝がここまできっぱり言い切ってるのにめげない男も珍しいものだ。
だが、息子の醜態を晒してると感じたのか、高条社長はそれを非常に失礼な発言だとも思わず軽く注意した。
「正憲よさないか。折原君、すまないね。君の娘が来ている会場でこんな色気だけのお嬢さんに声を掛けるなんて」
その瞬間、紗枝に特大の青筋が立つ。八つ当たりだけは勘弁だな、と龍と啓吾は同時にそう思ったが、おそらく影でいろいろ動いてくれる人物達がいるのだから、彼女はそのうち綺麗さっぱりこのことは忘れるはずだ。
だが、キレることになるのは紗枝ではなかった。
「すまない、父さん。だけど僕の愛人にはしたいんだ。ほら、沙南さんを抱くときの練習台は多ければ多いいほどっ……!!」
「正憲!?」
それは一瞬の出来事だった。正憲が胸を押さえて膝を折ったかと思えば、泡を吹いてバタリとその場に倒れ込んだのである!
しかし、啓吾はしれっとした態度で簡単な診断だけを述べた。
「おっと、軽い心臓発作だ。医院長、俺達みたいな素人じゃ対処できませんから任せましたよ」
「なっ!?」
「そうね、色気だけの女に処置は出来ませんし」
「紗枝先生!?」
見た目と年齢はまさに一般的な研修医である二人は全て誠一郎に押し付けてその場をあとにした。だが、誠一郎はパニックに陥りもう一人の医者の名を呼ぶ。
「龍!!」
しかし、龍は携帯で救急車を呼んでいるため誠一郎を完全にスルーである。
「折原君っ! 医者なら何とかしたまえ!!」
「はっ、はい!!」
とりあえず心臓マッサージかと、誠一郎は久し振りに医療の現場に立つハメになるのだった。
そして、龍は携帯を切り自分を待ってくれているこの騒ぎの元凶もとにいくと、彼はニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
「龍、心臓に負担かけただろ」
「……直接にはかけてない。ただ、威圧しただけだ。そういう啓吾こそ全身に重力掛けただろ」
「脳挫傷を起こさないように膝を折って倒したけどな」
「実際にやってくれても良かったのに」
「コラ、医者として不謹慎」
つまり、龍と啓吾が同時に威圧と重力を使った結果、正憲は軽い心臓発作を起こしたということだ。
しかし、二時間も寝ていれば元に戻る程度、命に関わらない程度と加減しているあたりは二人とも医者としての優しさである。
「まっ、これで医院長は病院に戻るだろうし、お前は沙南お嬢さんのエスコートでもすれば良いんじゃないか?」
「そうだな」
きっと素敵になっている恋人のことを思い浮かべながら、三人は会場の中へと足を踏み入れた。
さて、医者三人の初の職務放棄でした(笑)
まぁ、あそこまで言われた三人ですから、さすがに助けてやる必要はないかなと。
医院長も一応医者ですからね(笑)
でも、御気付きかと思いますが、デュパン社と大日本製薬と名乗る会社が今回、いろいろな面で関わって来るかと思います。
それに鷹という名の組織の前身である、二百代前の鷹族、そして鳳凰という名の武道家……
これだけ沢山のキーワード詰め込んで、本当に甘い恋愛話になるのかとツッコミは入れられそうですが……
はい、でもちゃんとラブラブさせます(笑)
龍が将来沙南ちゃんと結婚すると言い切ってるあたり、既に本編ではなかなかないことですからね。
それでは、また次回☆