早見 光の話
畠中がバタバタと職員室から出て行った。五〇近くなってバタバタ廊下を走るなよ。見苦しいな。
畠中は悪いけど人間として終わってると思う。ボサボサの髪の毛は頭頂部がもう薄くなってるし、体も鏡餅みたいになっている。その上、ピチピチしたよれたTシャツを着ているのだから、目のやり場に困る。人生をあきらめちゃってるんだろうなぁ、とかわいそうにも思うが、逆に何で直さないんだろう?と不思議にも思う。
時計を見ると後十分ほどで職員朝会が始まる。一日の朝の会はクラスの中だけではない。学校の先生方の中でも同じように行われる。少しでも1時間目の国語の時間に困らないように教科書を眺めることにした。
授業の準備はしたいしたい!とは思っているが、正直準備をする時間はない。なんてことはない、毎日放課後にサッカー少年団の指導があるからだ。
俺の四年生は毎日六時間授業なので、三時半過ぎに下校になる。その後、学校のグランドでサッカーをやりたい子ども達を集め、夜は暗くなるまで練習を行う。今は夏真っ盛りなので七時半過ぎまで練習ができる。そうすると、職員室に戻ってくるのは八時頃。八時半には教頭が学校を閉めるので、自然と次の日の授業の準備なんてする時間なんてなくなる。家に帰れば飯を食って寝るだけの日々だった。
この少年団というのは、はっきり言ってよくわからないシステムだ。地域の少年団なので先生がやらなきゃならないことはないのだが、俺は間違いなくサッカーの指導をするためにこの学校に配属された。小中高大とサッカーをやってきた俺は、採用試験の面接の時に、
「今までやってきたサッカーを生かし、教えることで、これからの時代を担う子ども達にグローバルな視点を与えたいと思っています!サッカーは声なきコミュニケーションツールです。世界で一番競技人口が多いと呼ばれるサッカーは、たとえ言葉が通用しなくても世界の人々と繋がろう!という気持ちを養ってくれます。だからこそ、私はサッカーの指導を学校教育の中で生かしたいのです!」
などといったものだから、このようなサッカーの盛んな少年団のある学校に勤務することになった、
この少年団、完全なボランティアで土日も休まず練習をするにも関わらず、給料は出ない。その上、下手なことをすると容赦なく保護者達からクレームが来る。この間なんか、体格の大きい子をキーパーに起用したら、
「先生、うちの子が太っているからってキーバーにするのやめてください!」
と電話が来て困ってしまった。たぶん、FWにして試合に出さなきゃ出さないでまた電話が来るのだろう。どうすれっていうのかわかったもんじゃない。
でも、俺は少年団の指導に文句はない。それで教員採用試験を受からせてもらったことは一目瞭然だから。サッカーに携わっているのは楽しいと思うし、何より勉強なんかよりサッカーの方が楽しいに決まっている。そう思うのは俺だけじゃなく、子どももそうに決まっているはずだ。
八時二十分になって、職員室にバタバタと先生方が戻ってくる。今日の日直は2年生担任の佐藤真理先生だ。ショートカットが似合うが、ガツガツしすぎていて俺は苦手だ。
「それでは、八月二十九日木曜日、職員朝会を始めます。みなさんおはようございます」
おはようございまーす、とボソボソとつぶやく。あほくさ。
「今日の日程は板書の通りとなっております。板書事項に関して、何かありますでしょうか?はい、岡部先生」
「はい、今日は札幌の方で国語の研修会に出席してきます。六年生の補欠には林先生が入ってくださいます。何かと迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
六年生の担任、岡部博文先生が話した。40代半ばのミドルエイジというポジションについている先生だ。俺も含めてみんな頭が上がらない。岡部先生の言うことは校長の言う言葉よりも説得力があり、絶対だった。
「他にありますか?なければ、学校長からの一言です」
と佐藤先生が松永校長に話を振ると、眠たそうな目を光らせて話し始めた。
「えー、夏休みが終わり、子ども達も少しずつ学校のペースに慣れてきました。でも、ここからが正念場です。それぞれの先生方、頼みましたよ」
と言うと、また目を細めてしまった。松永校長のイメージはキツネだった。普段から眠そうな目をしてこっちの油断を誘っておいて、一気にのど元にとびかかってくる。口元は笑っていても目は笑っていないことも多い。おっかない人だった。
「それでは、職員朝会終わります。今日も一日、よろしくお願いします」
お願いします!とみんなが言って職員朝会は終わった。なんで黒板に書いていることを読み上げて、それに対して同じように発言しなきゃならないんだか…子どもと同じかよ!と腹立たしく思う。
学校の先生になって二年目、去年から「先生」という職業に嫌悪感すら持つようになった。飯を食べに行って職業を聞かれた時には、「公務員です」と名乗るようにしているのも、「先生」という言葉の響きが気に食わないからだ。先に生まれているから偉い!と思っている人間の多いこと多いこと。俺はそうなりたくないと常日頃から思っている。
朝会が終わると、みんなそれぞれ教室に向かう。俺にとって至福の時間がやってくる。職員室で同僚と顔を突き合わせているより、子どもとじゃれていた方が楽しい。そもそも、子どもが好きだからこの仕事についたのだ。なぜ、教室に向かう教師の顔はみんな曇っているのか不思議でしょうがない。
もちろん嫌いな子どももいるが、そういう奴は無視しとけばいいのだ。親はうるさいが、クレームが来ても死ぬわけではないし。そもそも、俺が悪いというよりは、クレームをしてくる子どもの方が圧倒的に悪いことが多い。気にすることはない。
さて、今日も一日楽しんでいこう。