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金子正一の話 13

「先生、大変だったでしょう?」

 少し白髪交じりの医者が苦笑いをしながら問いかけてきた。別室に案内されて、座るなりの第一声がこれだった。はぁ、というあいまいな返事を無視して医者は続けた。

「典型的な自閉症ですね。ADHDも少し入っているかな?」

「さっきの短い時間だけでわかるものなんですか?」

「もちろん脳の損傷などの詳しいことはわからないけど、自閉傾向にあることはよくわかる。ADHDはわかりますね」

「多動、ってことですよね。注意力がない、とか」

「注意欠陥多動性障害の頭文字を取ってADHDですよ。簡単に言うと、集中力がない、ということでしょうか。授業中の離席とかはありませんか?」

「席を立つことはありませんが、独り言はとても多いです。授業の邪魔といえば邪魔ですが……クラスの子ども達はもう慣れてしまっているので、そんなに気にしていないようです」

「そうですか、それは不幸中の幸いですね」

 物腰の柔らかい医者はそうつぶやいた。「不幸」という言葉は、誰にとってのものだろう?クラスの子にとってだろうか、雅彦自身か、それとも俺自身か。

「あぁ、自己紹介もせずに申し訳ありません。一人あたりの時間が決まっているので、どうしても焦ってしまうのです」

 と、言いながら医者は名刺を差し出してきた。そこには、「心療内科医師 佐々木 敏郎」とあった。慌てて、自分の名刺も差し出す。

「ほう、小学校の先生で名刺を持っているのは珍しいですね。いやぁ、お若いのに感心感心」

 にっこりと佐々木と名乗る医者は名刺を手に取った。名刺には、「北星小学校 教諭 金子 正一」とある。確かに、小学校の教諭で名刺を持っているのは少ない。「小学校の先生をやっています」と名乗らない教師もとても多く、「公務員です」と名乗る教師がほとんどだ。以前に理由を尋ねると、「なんか先生って名乗るの恥ずかしいよね」と言っていた。先生、という肩書が付くと行動も制約されるし、見方も厳しくなるのだから仕方がないように思うが、子ども達には「しっかりと自己紹介するんですよ」などと指導している真実もある。教育現場には、そういった矛盾がとても多いように思う。教師と言えど、ただの人だから仕方がないのだろうが。

 改めて佐々木を見る。年齢的には四〇代後半と言ったところだろうか?少し白いのが混じってはいるが、頭はフサフサしている。フレームのないメガネをかけて、口元には優しい笑みが浮かんでいる。柔らかい空気を醸し出していはいるが、目は笑っていない。カルテに目を落としながら、佐々木が続けた。

 「さて、時間もないので始めましょう。と、言ってもさきほどの柏木君との面談でほとんど診断は終わっているのですがね」

 「終わっている、というのは?」

 佐々木は首をかしげた。なぜそんなことを聞くのかがわからない、といった様子だ。

 「もう、柏木君は自閉症の診断を下します。ですから、次年度以降は特別支援教室に入ってもらうことになると思いますよ」

 「……そう、ですか」

 「本当を言えば教室での様子などや、親御さんの話も詳しく聞いたりしながら総合的に判断するのですが、柏木君の場合は典型的な症状が出ている。ここで大切なのは、『発達障害があるのか、ないのか』ですから、その結果は出ました。今後、具体的な対処は専門の医師に診てもらって、長いスパンで考えていくことになりますよ」

 にこやかに、しかし淡々と話す佐々木の様子を見て、俺は何かモヤモヤしたものが胸をかすめたのを感じた。これは、どういう気持ちなんだろう。不快感か、怒りか。ここに柏木さん一家を連れてくるような手はずを取ったのは俺自身だけど、何か納得がいかなかった。それは、診断の時間が短いから、といった短絡的なことではないはずだった。

 「一応聞きます。先ほどあったように授業中の離席はないようですが、他の子ども達に迷惑をかけてはいましたか?」

 「迷惑ということはありません。雅彦自身、あまり他の児童とつながろうとしない傾向にありますから」

 「そうですか。あ、そうか、今回は柏木君自身が『いじめられている』という訴えをして、学校を休んだことから始まったんですよね」

 資料を見ながら佐々木は言った。自分で書いておきながら、資料に対して何かイラついた。

 「そうです。実際にいじめられている、という事実はなかったのですが」

 「いじめられている、ということの具体的な内容は知っていますか?」

 「雅彦は話を聞いてもらえない、自分の事を仲間外れにする、と話していましたが」

 コツッ、コツッ、とボールペンをカルテに落としながら佐々木は聞いている。資料を見てたはずが、いつのまにかこっちを見つめている。俺のイライラに感づいたのだろうか。

 「仲間外れ……ですか? その事実はない、です」

 見つめてくる目の力に負けて、少し自信がなくなってしまった。本当に仲間外れになっていたのではないだろうか? クラスの中のいじわるな子達の顔が目に浮かんだ。

 「そうですか。他の児童に迷惑をかけてはいないし、仲間外れにもされていない、という事ですね」

 口調が強まった。

 「そう……です」

 反して、俺の語気は弱まった。

 少しの沈黙の中、俺と佐々木は見詰め合った。

 俺は、佐々木に負けたらだめだと思った。自分でもわからないが、このまま俺が弱気になってしまったら、雅彦に悪いように思ったのだった。目を逸らしたら負けのように思い、じっと見つめる。沈黙に耐え切れなくなって、

 「雅彦は、仲間外れにはされていません。担任の僕が断言します」

 と自分でも驚くくらい大きな声で言った。佐々木は、ちょっとポカンとした表情になり、そして、フッと笑った。

 「いや、わかりました。ありがとうございます。今度は柏木さんのお話を聞きますので、先生は退出されて結構ですよ」

 「へっ、終わりですか?」

 「ええ」

 にっこりと笑って佐々木は言った。目元も笑っている。

 「いや、もっと授業の様子とか、友達関係とか話さなくていいんですか?」

 「もういいです。もう大丈夫ですよ」

 すっぱりと言い切られてしまった。

 「そ、そうですか。いや、ありがとうございました」

 仕方なく、そういって席を立った。ふと、時計を見ると三分ほどしか経っていない。結局なんだったのだろうか、釈然としない気持ちのまま、退出しようと扉に手をかけて開けたところで、資料に目を落とした佐々木が声をかけてきた。

 「あ、金子先生」

 「はい?」

 「特別支援教育ってのはね、『できないことを知る』ことから始まるんですよ」

 それは、どういうことですか?と聞きたかったが、扉を開けるなり田辺が声をかけてきたので、それはできなかった。

 「あ、先生、思ったより早かったですね。助かります。今度は、雅彦君と柏木さんの親子での面談になりますから、さっきの部屋でお待ちくださいね」

 と早口で言うが早いか、さきほどの部屋から柏木さん親子を連れてきた。柏木さんはうつむいたまま、軽く会釈をして部屋に入っていった。俺は控室に戻った。

 「できないことを知る、か」

 それは、「雅彦のできないこと」を指すのか、「俺のできないこと」を指すのか、今の俺にはよくわからなかった。ただ、先ほどのやり取りで感じた胸のモヤモヤは増すばかりだった。

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