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金子正一の話 12

約束の時間になったと同時に柏木さんと雅彦が玄関から出てくる。柏木さんは小ざっぱりとしたスーツを着ていた。雅彦も襟付きのシャツを着ているので、ちょっとした冠婚葬祭スタイルになっている。表情を見ると、明らかに結婚式に向かおうとしている顔ではなかった。青ざめた柏木さんと、雅彦はいつもの無表情。心がぎゅうぅ、と締め付けられるような気がした。

 車を降りて挨拶を交わすことにする。

「おはようございます」

「おはようございます。今日はわざわざありがとうございます。ほら、雅彦もお礼をちゃんと言いなさい」

 雅彦は頭をペコンと下げて、

「おはようございます。金子先生。今日はどんよりと曇っています」

と言った。

「おはよう。今日はどこに行くのかわかっているね?」

「はい、僕の頭が悪いかどうか調べに行くんですよね」

柏木さんの表情が曇る。相変わらずストレートな表現を使う。やはり周囲の空気を読めないのだろう。俺は取り繕うように慌てて言い返した。

「頭が良いとか悪いとかじゃないんだよ。雅彦さんがもっと学校で過ごしやすくなるように、アドバイスをもらいに行くんだ」

「どちらにしても、学校で過ごすことがうまくできないことには変わりありません。僕がいない方がクラスのみんなは楽しく過ごせます」

「……そうじゃない。雅彦さんがいなくなったらいい、なんて思っている子はうちのクラスにはいないよ」

「子どもはいないのなら、金子先生、あなたが僕がいなくなったらいいと思っているのですか?」

 雅彦は表情を全く変えずに言う。そんなことはない!と声を大にして叫びたくなったが、自問自答をする。はたして本当にそうではないと、俺に言えるのだろうか?

「……そんなことあるわけないじゃないか。さ、もう行こう。委員会には一〇時には着いておきたいからね」

 俺はどんな顔をしているのだろう。柏木さんの目が鋭くなる。もう顔を見ることができなくなったので、顔を見ないで車に乗り込んだ。

 車の中は異様な空気に包まれていた。それもそのはずだ。いじめられていたと思ったいた我が子が、実は自分から孤立していっていただけであり、そして、進められるがままにて医者に診てもらうという結果になったのだ。どこにその怒りをぶつけていいのかわからないだろう。そうなってしまったのは誰のせいか、担任か、それとも自分の教育のせいなのか、そんなことを想うと簡単な言葉をかけることもできなかった。

 教育局は車で一五分ほどであったが、俺には何時間にも感じた。その車内でもやはり雅彦はマイペースで、

「一〇時一〇分前だよ。二時間目が始まって三〇分経った」

「あの鳥はカラス、夜になるとカラスを見かけないのはね、夕方カラス達は山に帰っていくからなんだよ」

などと、思いつくままに口を開く。やはり自閉の傾向にあるのではないかと、実感する。今の今までなぜそう考えなかったのか、もっと早くに何かアクションを起こせなかったのだろうか。

 柏木さんとはあれ以来、ぶつかり合うことはなくなった。とはいえ、好意的な空気は全く感じない。できる限り関わりたくない、という感じだろうか?俺は、そっとルームミラーで柏木さんの顔を盗み見た。表情がない。いったいどのような心境なのだろうか。

 シーンとした車内の空気に耐え切り、教育委員会に到着した。教育委員会と言っても、特別な建物がある訳ではなく、役場の中の一部門だ。その中で働いている人間も、もちろん役場の人間だ。教師を支持する人間が、教育者ではなく行政の人間だということに疑問を感じずにはいられない。

 委員会の部署に行くと、小さな会議室に通された。会議室には、「就学時指導検討委員会」と印刷された紙が貼ってある。中に入ると、六台のほどの長机とイスが置いてあるだけだった。時間はちょうど一〇時になったところだった。

「どうして中に誰もいないんですか?」

 と、柏木さんは怪訝な顔をして聞いてきた。正直なところ、これからどのような話し合いが行われるのか俺自身もよくわかっていない。なんとかごまかそうとする。

「これから来ると思いますよ。委員会の人も忙しいと思いますし」

「他の子ども達はいないんですかね?うちの子だけが話し合われるんですか?」

「いや、そんなこともないとは思いますが……」

 しどろもどろになり始めたその時、ドアが開いてスーツ姿の男が入ってきた。頭は少し薄くなっており、いかにもな中間管理職という雰囲気を醸し出している。

「いやいや、遅くなりました。私、担当しております教育委員会の田辺、と申します」

 というが早いか、名刺を差し出してきた。俺は、名刺なんて持っていないので、あいまいに会釈をしながら名刺を受け取った。田辺と名乗った男は、ファイルを開きながら早口で話してくる。

「えっと、柏木、雅彦君だね」

「そうです!僕が柏木雅彦です!」

 と大きな声で雅彦が返事をする。

「いい返事だね。じゃあ、まず君だけで別室に行こうか。そこにはお医者さんがいるから、そこで少し話をしてもらうから。その後、先生一人で話を聞きますね。その後、先生とお母さんと一緒に今後のことについて話すことになりますから。一応、三〇分、時間は取ってますからね」

「三〇分?それだけしか時間ないんですか?」

 柏木さんが大きな声をあげる。大事な息子の今後を分ける診断が三〇分なんてありえない!という考えは理解できる。田辺はにこやかに笑いながら答えた。

「ごめんなさいお母さん、その後には他の子が来ますから、あまり長くする訳にはいかないんですよ」

「そんな、大事な事じゃないですか?もうちょっとなんとかならないんですか?」

「ちょうど柏木さんが始めだからこの時間で始められるんですよ。この後はもっと待ってもらわなくてはなりません。さ、こうやって話していたらどんどん時間がなくなってしまいます。さっそく始めましょう!じゃあ、雅彦君、こっちの部屋に来てくれるかな?」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「じゃあ、行こうか」

 と、話もそこそこに田辺は雅彦を連れて行ってしまった。いきり立つ柏木さんのことなど全然気にしていないようだ。たぶん、どの親御さんも同じような態度を取るのだろう。ルーチンワークになっているようだ。

 雅彦が連れて行かれて、部屋には俺と柏木さんが残された。あまりにも重たい空気に耐え切れなくなりそうだった。何か、話しかけようかと思っていたら、意外にも柏木さんから話しかけてきた。

「先生、雅彦は本当に病気なんでしょうか?」

 どのように返すのが正解なのか全くわからないが、無視する訳にいかない。俺は、想っていることを正直に話すことにした。

「確かに変わっているところはありますが、それが病気なのか?って言われたら、僕にはわかりません。クラスの子達も雅彦さんの事を嫌っている訳ではないし、雅彦自身、周りに迷惑をかける訳でもありません。それなのに、なんというんでしょうか……病気というか、特別というか、そういうのではないんじゃないか?とも思います」

「じゃあ、雅彦は普通だって言えますか?」

「普通、普通ではないですね」

 俺は、自分でもよくわからなくなっていた。普通って誰を基準にしているんだろう?普通だといいのだろうか?柏木さんは涙ぐみながら、話を続ける。

「普通じゃないならだめなんです。普通なら、自分のことを自閉症だなんて言いださないだろうし、そもそも他の友達とうまくいかないこともなかっただろうし」

「柏木さん」

 その時、自然と言葉が出た。

「お母さんは悪くないですよ」

「えっ」

「お母さんはもちろん、雅彦さんだって悪くないです。そうです。悪くないですよ」

 少しの間、柏木さんはポカンと口を開けていたが、その後にうつむいて唇を噛みしめていた。俺は、もうそれ以上、何も言えなかった。

 ――ガチャリ。

 ドアが開いて、雅彦と田辺が入ってくる。

「あ、先生、お待たせしました。別室に来てください」

 と言うなり田辺は部屋から出て行った。俺も急いで追いかけた。ドアを閉めようとした時、柏木さんが雅彦を抱きしめているのが見えた。


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